第四章 元王女は兄の背を追う

第百五話 花の精のお願い

「ネーナちゃんお願いっ!」

「そう言われましても……」


 拝み倒さんばかりの勢いでパン! と手を合わせ頭を下げる少女。それを前にネーナは困り果てていた。


「今回だけ! 今回だけどうしても手伝って欲しいの!」


 ネーナは同じ支部の女性冒険者であるメルルと、町のカフェで談笑していた。そこにやって来た少女、ルーシーがネーナに依頼への同行を懇願したのである。


 ネーナは特にルーシーと親しい訳ではない。ギルド支部でルーシーの方から一方的に話しかけ、ネーナは少し引きながらも相手をするのが常であった。プライベートでの付き合いは無い。


 ルーシーはシルファリオ近郊の生まれではあるが、『深緑都市』ドリアノンに拠点を置いて活動していた。所属パーティーと共にその拠点をシルファリオに移したのは二月程前の事だ。


「ネーナちゃんは薬草に詳しいでしょう? 私達、そういう依頼を受けちゃってさ〜」

「自信が無いのなら、今からでも取り下げるかギルド職員の方に相談すべきではないかと……」

「そんな意地悪言わないで助けてよ〜」

「ネーナちゃん困ってるよ? 意地悪は言い過ぎだよ」


 見かねたメルルが口添えをすると、ルーシーは一瞥して低い声を返す。


「誰あなた。今、私はネーナちゃんに話してるから口を挟まないでくれる?」

「っ!」


 メルルが眉を顰める。険悪になった二人の間に入り、ネーナはルーシーを窘めた。


「私とメルルさんは一緒にカフェに来る約束をして、ここでお喋りを楽しんでいたんです。私のお友達にそのような事を言うのであれば、貴女のお話は聞けませんよ? ルーシーさん」

「え〜っ?」


 戯けた調子ながら、ネーナが気分を害している事を察したルーシーは少し大人しくなる。メルルもそれ以上は何も言わなくなった。


「私は【菫の庭園】以外でのお仕事は、基本的に受けていません。仮にしたとしても、日帰りの依頼しかしませんし……」

「うんうんわかってるよ! 私達のも楽に日帰り予定のお仕事なんだ!」


【菫の庭園】は現在、所用でリベルタに行ったオルトと、お忍びでシルファリオを訪れたシュムレイ公爵のマリスアリアを送り届けたフェスタとレナが帰還してから休暇を取っている。


 休暇を終えれば、寄り道をしながらアルテナ帝国へエイミーの両親のお骨を迎えに行く予定だ。その間にネーナが自分の実力を超えない依頼をこなしたり、手伝ったりする事に問題は無い。


 それでもネーナは、ルーシーに同行する気にはなれなかった。その理由は、ルーシーのパーティーメンバーにあった。


「……何度仰られても、同行する気はありません。『ルーファスさん』にも、そうお伝え下さい」


 ネーナの言葉に、ルーシーがピクリと反応する。『ルーファス』とはルーシーの兄。そしてルーシーが所属する冒険者パーティー【七面鳥の尾ターキー・テイル】のリーダーでもある。


 このルーファスが何度も言い寄って来るのが、ネーナの最近の悩みの一つだった。断っても断っても、何事も無かったかのようにやって来るルーファスに、人の好いネーナも流石に辟易していた。


 その事情はメルルも知っている。先刻口を挟んだのは、その為だった。


「あー……お兄ちゃん、急に調子悪くなってね。それで、私もあんまり話せる人いないし……受けた依頼も期限が近いのばかりだから……」

「だったら尚更、職員の方に相談を――」

「これが依頼書なの! ちょっと見てくれる?」


 ネーナの言葉を遮り、ルーシーが数枚の依頼書を広げる。ネーナはため息をつき、メルルと目配せを交わした。


 このままカフェに居ても、ルーシーが引き下がる様子は無い。メルルとの話の続きは屋敷に行って、それからにしよう――そう思いながら、申し訳程度に依頼書に目を向ける。


 それらはネーナの目には、ボードに貼ってある薬草採取依頼を適当に取ってきただけにしか見えなかった。


 薬草採取依頼は単価が低く、複数案件を同時にこなすのが常ではある。しかしルーシーが持って来た四枚の依頼書は、場所こそ同じ山中ではあるもののお世辞にも効率的と言える組み合わせでは無かった。


 報酬の総額を欲張ったのか、薬草採取依頼を軽く見たのか、その両方か。いずれにせよ、『軽く日帰り』と言える内容では無い。


 だがネーナの口から、その場で断りの言葉が出る事は無かった。その瞳は一枚の依頼書に釘付けになっていた――




 ◆◆◆◆◆




 結局ネーナは、ルーシー達の仕事に同行する事にした。


 お兄様に聞いてみます――そう言ってルーシーを振り切り、ネーナはメルルを連れてカフェを出て、一度屋敷に戻った。


 メルルはネーナが行く事に否定的な意見を持っていた。二人から相談を受けたオルトも、「モヤモヤするなら、やめておいた方がいいんじゃないか?」と答えた。


『俺が許可しなかったと言ってもいいし、言い辛ければ、俺も断るのについて行こうか?』


 オルトの言葉に、ネーナはフルフルと首を振った。オルトは心配そうな表情ではあったが、ネーナ達が行く事を止めようとはしなかった。


 ネーナは、オルトにギュッと抱き着いて何かを告げ、小さな瓶を一つ託して屋敷を出た。






「まあ、ネーナちゃんが『花の精のお願い』を見つけちゃったら、仕方ないよねえ……」


 街道を歩きながら、メルルが肩を竦める。薬草採取依頼の中の、ある依頼人からのものがシルファリオのギルド職員や一部の冒険者達から『花の精のお願い』と呼ばれていた。それがルーシー達の仕事に交じっているのを知った以上、ネーナに同行を断るという選択肢は無かった。


「ごめんなさい、メルルさんにまでご迷惑をおかけして……」

「私は平気。ネーナちゃんと一緒のお仕事、楽しみだし。ネーナちゃんは強いけど、お人好しだからねえ」


 申し訳無さそうなネーナに、メルルは笑顔を見せた。エイミーがスミスと外出していて不在である事を知ったメルルは、『ネーナが行くなら自分も一緒に行く』と言ったのだ。


 ルーシーはメルルの同行に難色を示したが、最終的には折れて受け入れた。臨時パーティーの顔触れはネーナとメルル、【七面鳥の尾】からはルーシー、ガナーとマシューの双子の兄弟を加えた計五名である。


 翌日、待ち合わせて出発したネーナとメルルは、仲良く話しながらルーシー達【七面鳥の尾】のメンバーに先行して進んだ。


 ネーナ達二人が先行したのは、残りの三人があまりに遅かったからだ。ネーナも決して歩くのが早い方ではなく、そう急いでいる訳でもない。ルーシーはそのペースを早過ぎると言い、その上『花摘み』だ休憩だ、靴紐が解けたと言っては一行を足止めしようとした。


 業を煮やしたネーナは遂に、『このペースでは日帰り出来ない。自分は四枚の依頼書の内容を覚えているから、メルルと二人で先に行って片付け、ギルドに報告する。【七面鳥の尾】の三人は後からゆっくり来てくれて構わない』と告げた。


 慌てたルーシー達は、それで漸く移動速度を上げた。ルーシー達が何故進行を遅らせようとするのか、その理由を図りかねていたネーナだったが、二件目の薬草採取を終えた所で答えを知る事になる。




「……成程。少しでも私達が進むのを遅らせようとしたのは、こういう事ですか」

「そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃないか、ネーナ。傷つくなあ」


 ネーナが会いたくない、会う筈が無かった顔。ルーシーの兄のルーファスが、ネーナの目の前にいた。ルーシーは素知らぬ顔をしている。


 傷つくと言いながら嬉しそうなルーファスに、ネーナは努めて冷静に言う。


「私達は日帰りの依頼、ルーファスさんが体調不良で不在であるというお話で同行を了承しました。既に前提が崩れていますが、依頼を投げるような事は致しません。私達二人は手早く依頼を終わらせてシルファリオに戻りますので、そちらはゆっくりやって頂いて結構です」


 二人はルーファスの返事を聞かずに歩き出す。問答で時間を費やす事が目に見えていたからだ。ネーナは視界の端で、ルーシーが憎々しげな表情をするのを捉えていた。


 メルルもそれに気づいたのか、歩きながら小声で警戒を促す。


「……ネーナちゃん。気をつけよう」

「……はい」


 警戒の甲斐あってか、二人が襲撃されたり陥れられるような事態は起きなかった。だが、四件目の薬草採取を終える頃にはすっかり日も暮れて、山を降りるのは危険な状況になっていた。


 ネーナとメルルは、怒りを堪えながら野営の準備を始める。無理をすれば下山する事は出来る。それぞれBランクとCランクのパーティーメンバーであり、この山の魔物や獣に遅れを取る事も無い。


 それでも二人は話し合い、日が昇るまでは山で過ごす事を決めた。【七面鳥の尾】からは離れた場所で、である。


「山の魔物の方がマシかもしれないけどね……」

「あははは……」


 メルルの呟きに、ネーナが乾いた笑いを漏らす。口にこそしないが、ネーナも全く同感であった。


 ネーナはいつか、【菫の庭園】の女性四人だけで山に来た事を思い出した。星明かりと焚き火を頼りに見上げた夜空。あの日と同じ筈の夜空も、ネーナの胸を打つ事は無い。


 ――こんなに不安で心細い夜は、いつ以来でしょうか。


 いつもならすぐ触れられる温かい大きな手も、引き締まった力強い腕も自分の傍らに無い。その選択をしたのは自分自身だ。


 今はメルルと二人、無事に帰る事を考えよう。ネーナはそう思い直し、不安を脇に追いやった。




「ネーナ」




 呼びかけられ、ネーナは意識を戻す。声の主を見たメルルが小さく舌打ちをする。


 ネーナが今、一番自分の名を呼んで欲しい人と同じ呼び方。だがネーナの気持ちは心底冷え切っていた。


「何でしょうか、ルーファスさん」


 ネーナは冷たい声色で返す。ネーナ達が野営せざるを得なくなった理由の張本人が近づいて来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る