第六章 元王女は、監獄に駆けつける

第百八十四話 夢のあと

 六本足の巨大トカゲが、豪快に水飛沫を上げて川を横断し、荒れ地を駆け抜け、山も谷も越えて、カリタスへ向けてひた走る。

 

 早朝にリベルタを出発した【菫の庭園】一行は、すぐに街道を外れて猛スピードで進み始めた。理由はたった一つ、通行者が邪魔で道など走っていられないからだ。

 

 前方に小さく見えた樹木や岩が、あっという間に眼前に迫り、後方に消えていく。

 

「あわわわわ」

「すごいすごーい!」

 

 興奮を抑えきれず、少女二人が声を上げた。

 

 進路に猪のような魔獣が姿を見せると、巨大トカゲ――『駆竜くりゅう』は速度を落とす事なく、身体を横向きにして滑るように突っ込む。

 

「はわっ!? 危ないです!」

「わあっ!?」

 

 弾き飛ばすつもりなのか、とネーナが足を踏ん張った、その瞬間。

 

 駆竜は頭と長い尾を同時に振って向きを変え、進行方向をずらしてすり抜けるように魔獣を躱した。そのままの勢いで、呆然とした様子の魔獣を置き去りにする。

 

「魔獣が置いてきぼりです!」

「あはははは!」

 

 ネーナとエイミーが再び歓声を上げた。

 

 絶え間なく前後左右から強烈な荷重に襲われ、時には下からの突き上げに見舞われる。身体はベルトによって座席に固定されているものの、油断していれば振り飛ばされそうだった。

 

 

 

 頭から長い尾の先まで、体長はおよそ十五メートル弱。その駆竜の背中に、駅馬車のようなゴンドラが設置されている。ネーナ達【菫の庭園】一行は、そこに乗り込んでいた。

 

 居眠り出来るような快適さは無くとも、不自然な程に揺れが少ない。駆竜は搭乗者に配慮しているようだが、それでもこのスピードで予想出来る本来の衝撃は、相当なものの筈だった。

 

 ネーナは魔力の流れを見た。視界が様々な色の光で彩られていく。

 

 ゴンドラは僅かに浮いていて、高速移動をする駆竜から伝わる衝撃を殺しているようであった。そのゴンドラを強力な魔術式結界が包み込み、乗員を守っている。

 

 ネーナ達がゴンドラから放り出されず、風圧で吹き飛ばされず、障害物や飛来物に接触して負傷する事も無いのは、ゴンドラ内部への物理的魔術的な干渉を許さない結界のお陰だった。

 これが魔道具だとすれば、現代の技術レベルで作成出来るものではない。

 

 ゴンドラの前部、馬車で言うなら御者台の位置には一人がけの座席が二つ並んでいて、それぞれに『操竜士ドライバー』と呼ばれる男性と、『導竜士コ・ドライバー』と呼ばれる女性が座って、ベルトで身体を固定している。

 

 二人は顔の部分が開いたヘルメットと、伸縮性の良さそうなピッタリとした衣服、厚い革のブーツとグローブを着用している。一見奇妙な格好ではあるが、それが『地走り』の仕事着なのだと聞いた。

 

 御者台と客席は不可視の障壁で仕切られ、お互いの様子は見えても一切の音が聞こえない。御者台の二人は全く後ろを振り返らず、前方に集中している。

 

 操竜士は前方から突き出す舵輪のような輪を両手で握り、小刻みに角度を調整し続けている。並行して、両足も何らかの操作を行っているように見えた。

 

 導竜士は操竜士の視界を遮らない位置に複数のパネルを展開し、絶えず何かを伝えている。パネルは地図と、索敵魔法の結果をを画像にして表示したものか。更にタイミングを見計らって、操竜士の口元に飲料や携帯食を差し出していた。

 

 導竜士が操竜士と駆竜の状態、路面状況や天候、前方の危険を把握し、操竜士に指示を出す事でコントロールしているのだと、ネーナは見て取った。一瞬の躊躇、一つのミスが大事故に繋がる状況で、導竜士は正確な判断を続けているのだ。

 

 操竜士と駆竜、導竜士と操竜士の間には、それぞれ確固たる信頼関係が構築されている。その根本にあるのは、導竜士の判断力だ。高速移動と安全性を高い次元で両立させ、維持させているのは、間違いなく導竜士の女性であった。

 

 ネーナは初めて見る光景に、大袈裟でなく感動していた。

 

 

 

 日没が近くなり、駆竜が徐々に速度を落とす。

 

 小さな泉の側で停止すると、前後を仕切る障壁が解除され、導竜士の女性がヘルメットを外して振り返った。

 

「お疲れ様、ここが今日のチェックポイントよ。予定通りに野営をしましょう」

 

 ネーナとエイミーを除く仲間達は、疲れた表情で頷いた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「覚悟はしてたが、予想以上に消耗するな」

 

 野営の定番、干し肉と香草のスープを啜り、オルトは溜息をついた。

 

『地走り』の二人と駆竜はオルト達から離れて野営をしている。仕事中は駆竜への影響を極力避ける為、そして体調管理の為に、乗客との接触は最低限にしているのだという。

 

「馬車より遥かに早く、目一杯急がせた馬車と同等の疲労度ならば文句は言えませんよ」

 

 苦笑しつつスミスが応じる。『地走り』についてスミスやギルド長のヒンギスから説明を受けた仲間達は、当初は半信半疑であった。

 

『カリタスまで最速で五日、それ以上は安全を保証出来ないわ。安全、確実、迅速、どれか一つでも欠ける仕事ドライブを、私達は受けないと決めているの。それで不足があるなら、申し訳無いけど他を当たって頂戴』

 

 導竜士であり、マネジメントも手掛けるヨーメ・ラリーは、【菫の庭園】のオーダーに対して半日の猶予を求め、その間に作成した旅程表を提示してそう告げた。

 

 そう言われても、陸路で街道を使わず、馬車や馬より早く到達する駆竜という移動手段自体、勇者パーティーの一員であったスミス達も未経験で想像もつかなかった。

 

 最終的に、先代の『地走り』が冒険者であった事から、活動実績を知るギルド長のヒンギスが強く推薦した。それで漸く、オルト達もヨーメのプランを了承したのだった。

 

「一日終わってみると、ほぼ予定通り。大したものね」

「ありがと」

 

 フェスタがスープのおかわりをレナに渡す。

 

『地走り』の二人から「野営時は移動中の疲労の回復に専念すべき」と助言を得て、出発前に打ち合わせは済ませてある。

 

 五日で到着した場合、予定では防衛戦は始まっていない。仮にオルト達の到着が遅れたり防衛戦開始が早まったとしても、カリタスの住民はギルド支部と三箇所のシェルターに避難する事になっている。

 

 どの道カリタス到着時に【菫の庭園】が取る行動は、突入か保留か即時退却の三種類しか無いのだ。突入を念頭に置き、メンバー全員がカリタスの大まかな地理を頭に叩き込んでいた。

 

「あたしらも勇者パーティーで立ち寄った事はあるんだけどさ。中には入ってないのよね。入れなかったというか」

「どうしてですか?」

 

 首を傾げるネーナに、レナは肩を竦めて見せた。

 

「巨大戦力の勇者パーティーを受け入れると、周辺国に疑念を持たれて攻撃されるかもしれないんだって、そう言ってた」

 

 かつて魔王軍も砂嵐に阻まれて侵攻を断念し、転進した。カリタスにおいては魔王軍による被害は皆無で、勇者パーティーが立ち寄る事の弊害の方を重く見られたのだという。

 

 スミスがレナの言を肯定する。

 

「本当の事です。当時のカリタスは、『カリタス王国』という君主制国家だったのですよ」

「あっ」

 

 ネーナが納得したように声を上げた。

 

 

 

 カリタス王国。魔王軍と人族の抗争の中で、唯一魔王軍に関係なく滅びた王国である。その経緯はネーナも学んでいた。

 

 カリタス人は、地下に広がる迷宮都市『コスワース』の住民の末裔だと自称していた。およそ二百年ほど前、歴史上に突然現れ、突然滅びた謎の多い民でもある。

 

 高度な魔術と機械技術の融合により古代文明期に栄えたコスワースは、防衛機構の暴走により死の都となり、多くの命が失われたという。

 一部の者は瘴気から逃れて地上に出て、指導者を国王とした国を開いた。それがカリタス王国建国の伝承である。

 

 カリタス王国はコスワースの滅亡を戒めとして、過ぎたる力を忌み嫌った。力を持てば疑念と警戒を呼ぶ。『神風』たる砂嵐に守られた国に軍隊は不要。不測の事態を避けるのが外交である。そう言って憚らなかった。

 

 国民が武器を手にする事も禁じた。理想国家だと自画自賛した。年に四度外界と繋がるだけの小さな王国は、それでも二百年近くに渡ってその命脈を保ち続けた。

 

 その最期は、呆気ないものだった。

 

 ある時、コスワースから濃い瘴気と『死の影』と名付けられた魔物が地上に溢れ出した。自衛の力さえ持たなかったカリタス王国は、二日と持たずに滅亡したのだった。

 

 砂嵐が、外界への避難も他国からの救援も阻んだ。それ以前に周辺国は、価値を見出だせないカリタス王国への救援をする気は無かった。連合軍は結成されたが、砂嵐が弱まってから溢れ出すであろう脅威の排除が目的だった。

 

 今となってはカリタス王国の名は、その二つ名である『夢のあと』と共に反面教師として、少しばかりの皮肉と嘲笑を込めて語られるのみである。

 

 

 

 

 

「カリタス王国滅亡後、砂嵐が弱まるのを待って周辺国の連合軍が掃討作戦を展開したのですが、砂嵐と瘴気がネックになる土地を、どの国が統治するかで面倒を押し付け合った挙げ句、冒険者ギルドが貧乏くじを引かされた訳です」

 

 スミスの語りを、仲間達は微妙な表情で聞いた。

 

「――国王から平民まで。カリタス王国の住民は例外なく、最後まで抵抗する事なく殺されたそうよ」

 

 本当かどうかは知らないけど、とテルミナが言う。

 

 力を持たなければ相手を傷つけず、また自分も傷つけられる事が無い。戦う意思を見せなければ相手も攻撃してこない。そのような考えを持つのは自由であるが、ネーナは賛同しかねた。

 

 何よりネーナ自身、王女であった頃からずっと、大きな力に守られ続けている。それが無ければどうなっていたか。想像するのも恐ろしい。

 

 無力な輩を狙って嬉々として嬲り、奪う者がいる。抵抗する力を持たずに虐げられる者もいる。武器や戦力の有無に関係なく、厳然と優劣は存在する。

 

 ネーナはそれを、自分の目で見て来た。外交、交渉、ルール、全ての裏付けは実力である。そもそも、相手がこちらと同じ価値観を持っている保証など無いのだ。

 

「誰も力を持たなければ上手く回るのなら、冒険者という仕事自体が成り立ちません……」

「まあ、そういう事だ。今はな」

 

 オルトの手が頭にポンと乗せられ、ネーナはその顔を見上げる。

 

「争いや諍いの無い世界を目指した壮大な夢の実験場、その跡地。だから『夢のあと』と呼ばれるんだ。人はカリタス王国の滅びを嘲笑わらうかもしれない。だけど――」

 

 オルトは焚き火に小枝を放り込む。乾き切っていない小枝が、パチパチと音を立てた。

 

「勇者も聖女もいなくていい世界を本気で実現しようとした、その事には大きな意義があったと、俺は思うよ」

「……遠い未来には、国も人も争わない世の中が実現するのかしらね」

 

 呟くようなフェスタの問いには、誰も答えなかった。答える事が出来なかったと言うべきか。

 

 

 

 ただ一人。テルミナは微かに寂しげな表情を浮かべたが、仲間達はそれに気づかなかった。

 

 長命なエルフであるテルミナは、膨大な時の果てに、求められた問いの答えを見つけられるかもしれない。だが、その時を目の前にいる仲間達と共に迎える事は、決して出来ない。

 

 それは人族の社会で生きるエルフの宿命と言うべきものであり、テルミナもその事を受け入れている。

 

 その上で、せめて定命の友の代わりに未来を見届けようと、それが一人で長い時を生きるテルミナの大きな目的であり、願いにもなっていたのだった。

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