閑話十九 幸せになってはいけない二人

 全く予期しなかった再会に、二人は暫し黙り込む。

 

 先に口を開いたのは、レオンであった。

 

「今の内に帰った方がいい。静かになれば、またあの手の連中がうろつき出すぞ」

「あっ、待って!」

 

 そのまま立ち去ろうとするレオンを見て、ハッと我に返ったアイリーンが腕を掴んだ。

 

「家へ来て。職員寮だけど、一晩くらい問題無いから」

「一晩って、お前……」 

 

 困惑するレオンに、アイリーンはズルい言い方だと自覚しながら畳み掛ける。

 

「危ないんだから、送ってくれてもいいでしょう?」

 

 レオンは溜息をついた。

 

 アイリーンが腕を離してくれる様子は無い。危険な目に遭ったばかりの彼女を置いていく事も出来ず、この場所に長居する理由も無い。色々と諦めたレオンは、一先ず職員寮へ向かう事にした。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「お茶をどうぞ」

「あ、ああ」 

 

 落ち着かない様子のレオンがカップを受け取る。アイリーンはレオンの向かい側に座った。

 

「すっかり見違えちゃって。最初はレオンだってわからなかったわ」

「そうか」

 

 アイリーンもやつれた様子だったが、レオンはそれを言わずに短く返事をした。レオンが助けに入った状況を思えば、彼女がこのカリタスで、辛い思いをしているのは明らかである。

 

 それよりレオンが驚いたのは、職員寮のアイリーンの部屋だった。きちんと整頓されてはいるが、シルファリオの頃からは想像出来ない程、質素な空間であった。

 

 アイリーンの方も、レオンが苦労してきたのを十分に察していた。

 

 以前は肥満とまでは言えなくても、剣士として、冒険者として十分に働けるとは思えない体つきだった。それが、およそ半年ぶりに再会したレオンの身体は、頬がこける程に絞り込まれていた。

 

 ギルド職員のアイリーンは、問題を起こしてカリタスに来た冒険者を全員把握している。処罰として直近に送り込まれた冒険者の中に、レオンらしき冒険者の名は無かった。登録名を変更しても、プロフィールは改竄出来ないのだ。

 

 シルファリオでのやらかしも、実力不足でCランクに降格された事も、全てギルドのデータベースに記録され、全支部で共有されている。新たにパーティー組む事も加入する事も出来ず、ソロで活動してきたに違いなかった。

 

 レオンはカリタスへ、自分の意志でやって来た事になる。金にはなるから、少ないながらもそういう者はいる。とはいえ普通に冒険者をやっているなら、カリタスはまず有り得ない選択と言えた。

 

 

 

「――ずっと貴方に謝りたかった。黙っていなくなって、ごめんなさい」

 

 アイリーンは、長い間、胸につかえていた思いを伝えて謝罪した。

 

 彼女は処分が決まるとすぐ、ギルド本部で再教育を受ける為にシルファリオを離れた。曲がりなりにもレオンとは恋人であったのだが、何も告げずに旅立った。

 

 怒鳴られても、殴られても仕方無い。そう覚悟を決めていたが、意外にもレオンはあっさり謝罪を受け入れた。

 

「いいさ。最後は喧嘩ばかりで険悪だったし。それにお前、俺の事は好きじゃなかったろ」

「知ってたの……」

「そりゃあな」

 

 レオンが苦笑を漏らす。

 

 アイリーンがレオンに目をつけたのは、つまる所、彼の父親の金と権力が目当てであった。このボンボンを掴まえておけば、生活に苦労しなくて済むだろう。そんなアイリーンの心底を、レオンは見抜いていたのである。

 

「今のお前を見れば、クズに堕ちきらずに足掻いて来たんだとわかる。立派だよ。俺が偉そうに言える事なんか無い」

「……貴方、本当にレオンよね?」

 

 まじまじと見詰めてくるアイリーンに、レオンは不服そうな顔をする。だが彼女がそう言ってしまう程に、容姿も言動も以前のレオンからは想像も出来ないものになっていたのだ。

 

「間違いなく、お前が知ってるクズ野郎のレオンだよ」

 

 このように自分を卑下する言葉も、アイリーンの記憶にあるレオンが吐く事は、決して無かった。

 

「そろそろ行くよ。顔を見れて良かった」

「ちょ、ちょっと待って」

 

 立ち上がり、部屋を出ようとするレオンを、再びアイリーンが引き止めた。

 

「まだ話し足りないし、聞きたい事も沢山あるし、それに助けて貰って、お礼もしてない」

 

 レオンは困ったような表情をしている。

 

「せめて一晩、泊まって行って。貴方が望むなら、私を好きにしてくれていいから」

 

 綺麗な身体じゃないけど、と小さな声で言ったきり、アイリーンが俯く。

 

 小さなテーブルを挟んで、二人は黙り込んでしまった。

 

 

 

「……一晩だけ、厄介になってもいいか?」 

 

 先に沈黙を破ったのは、ここでもレオンの方だった。

 

「横になる場所さえ借りれればいい。お前に手を出す気も無い」

 

 アイリーンが顔を上げ、驚きを露わにした。それをどう捉えたのか、レオンが慌てて弁解をする。

 

「べ、別にお前に魅力が無いとか、そんな事は無いんだ。むしろ今の方が魅力的で――って、何言ってんだ俺は」

 

 アイリーンはクスリと笑った。

 

「残念ね。私もずっと独り身だったから、たまにはいいかと思ったんだけど。夕食はまだでしょう?」

「あ、ああ」

「用意するから、少し待ってね」

 

 席を立ち、小さなキッチンに向かうアイリーンをレオンは見送る。

 

 二人が付き合っていた頃、レオンは彼女が料理をするのを見た事が無かった。先程カップを差し出したアイリーンの指には、包丁で切ったような傷があった。

 

 二人は全く別の時を過ごして来たのだ。レオンはそれを、改めて実感したのだった。

 

 

 

「明日、ギルド支部が管理してる部屋を探してみるわね」

「済まんな」

 

 夕食を済ませるとゴロンと床に寝そべり、レオンが応えた。

 

 レオンがカリタスに来てから、まだ半月程度だった。これまで他の支部でおざなりな対応をされてきた経験から、レオンはカリタスでも、依頼の受注と達成報告以外では支部を利用していなかった。

 

 今日は地下迷宮の瘴気が濃すぎた為、早く切り上げて部屋を探そうとしていたのだという。ずっとアイリーンが見かけなかった訳である。

 

 アイリーンがレオンに気づいていれば、すぐに部屋を用意する事が出来たのだ。旧カリタス王国の建物は丈夫で、利用可能な状態のものも多く、ギルド支部や職員寮などに流用されている。支部では即時入居可の空き部屋も確保していた。 

 

 三ヶ月は外との行き来が無くなるカリタスでは、宿屋が存在しない。新たな来訪者は空いている家屋や部屋に入る事になる。

 

 カリタスに処罰として来た冒険者や職員は、身柄が管理される為に強制的に部屋が割り当てられる。だがレオンはそうでなく、サービスを受ける為には自分で申請する必要があったのだ。

 

 レオンはカリタスで受けられるサービスを知らず、対応したギルド職員もレオンの状況に気づかずに説明をする事なく、不幸な行き違いが重なっていたのだった。

 

 

 

「おやすみ」

 

 ベッドを使う事を頑なに断ったレオンは、アイリーンに背を向けると、すぐに寝息を立て始めた。

 

 本当に指一本も触れられなかったアイリーンは、それでも悪い気はしなかった。

 

 ベッドの上からレオンの背中を見詰め、付き合っていた頃の事を思い出す。

 

 ――そう言えば初めて寝た時は、経験が無いふりをしたっけ。

 

 何か色々頑張った気がするが、今にして思えば、方向がおかしかったかもしれない。クスリと笑うと、レオンの背中がもぞもぞと動いた。

 

 アイリーンは慌てて毛布を頭から被り、忍び笑いを漏らすのだった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 Cランク冒険者レオンの実力は、アイリーンの予想を遥かに超えていた。贔屓目なしに、個人でBランクの認定を受けてもおかしくない。アイリーンにはそう思えた。

 

 問題はレオンが一度、個人とパーティー両方でBランクに昇格し、その後実力不足と判断されて降格されている事だった。その場合、本来はポイントを積み重ねて到達出来るBランクであっても、再昇格の認定は非常に厳しくなってしまうのだ。

 

 Bランク帯の依頼を受けるパーティーに加入して実力を示せば、早く認定される事もある。しかしレオンはずっとソロで活動せざるを得ず、昇格を焦っても仕方ないと、稼ぎになるカリタスへやって来たのである。

 

 カリタスの冒険者は地下迷宮へ降りて『死の影』を討伐するのが主な仕事であるが、瘴気が薄い時は足を伸ばして迷宮都市の探索を行う事もある。時折ではあるが、非常に価値の高い古代文明の資料や魔道具を持ち帰る者もいた。

 

 それらは基本的にギルドが買い取るが、自らカリタスへ来たレオンの場合は買い取り額が大幅に上がる。真面目に働き生き延びれば、ワンクール終了時に報奨金も受け取れる。彼の目当てはそこにあった。

 

 

 

「瘴気ってのは、想像以上に厄介だな」

 

 バターを塗ったパンを齧りながら、レオンが言う。

 

「カリタスの名物みたいなものね」

 

 紅茶のカップを手に、アイリーンが応える。レオンの部屋には、さも当然のようにアイリーンが入り浸っていた。

 

 最初は担当冒険者の生活が気になると理由をつけ、部屋に不便が無いかチェックする、健康管理も仕事だと、明らかに仕事の範疇を超えていたが、レオンも拒む事は無かった。

 

 なし崩しに同棲が始まり、相変わらず体を重ねたりはしないが、二人はシルファリオで付き合っていた頃よりもずっと穏やかな時間を共有出来ていた。

 

 レオンは一部の冒険者に目をつけられたが、闇討ち宜しく格上を一人叩きのめすと、一目置かれるようになった。そのレオンと一緒にいるアイリーンへの周囲の態度も変わってきた。

 

 だがアイリーンとしては、そのような打算でレオンの傍にいる訳ではなかった。闇討ちして帰って来たレオンは大怪我をしており、比喩でなく血の気が引いたのだ。取り乱して泣きながらで手当てをするアイリーンに、レオンの方が狼狽える程であった。

 

「瘴気に巻かれると、身体の力が吸い取られるんだ。濃い瘴気は見ればわかる。逃げるしかない」

「無理はしないでね。瘴気が濃くなって、敵が強くなってるという話もあるの」

「ああ」

 

 短い返事をしたレオンだったが、言葉が足りないと思ったのか、照れ臭そうに付け加える。

 

「職員のサポートで仕事が楽になるなんて、考えもしなかった。いつも助かってる、有難う」

 

 アイリーンは驚きで目を丸くした。どういたしまして、と笑顔で返すと、ティーポットを手にキッチンへ向かう。

 

 有難う。アイリーンは、今までにそんな言葉を貰った記憶が無かった。嬉しくて、涙ぐんだ顔を見られるのが恥ずかしくて、彼女はキッチンに逃げたのだった。

 

 後、二ヶ月。このクールが終われば、レオンはカリタスを去るだろう。アイリーンは、そう思っていた。

 

 ――今だけ。ちょっとだけ。浸っても、いいよね。

 

 レオンの方も、この安らげる時間を大切に思っていた。

 

 二人にとってかけがえの無い一時。だからこそ、二人ともその先に進む事が出来ないでいた。

 

 自分達が贖罪の道の只中にあると知っているから、求めてはいけないのだと思っていた。幸せになってはいけないのだと、そう思っていた。

 

 ――でも。だけど。もしも償いを終える事が出来たなら、その時は。

 

 そんな二人のささやかな願いは。カリタスに吹き荒れる大きな嵐に、呑み込まれる事になる。

 

 

 

 

 

 三日後。カリタスの全住民に、リベック支部長名で緊急通達が出された。内容は、地下迷宮で高濃度の瘴気が確認されたというもの。

 

 早晩、地下迷宮での活動が出来なくなり『死の影』の排除が滞ってしまう。『死の影』を伴った濃い瘴気が地上に上がって来るのは時間の問題だ。

 

 文字通りの、『溢れ出しオーバーフロー』。

 

 

 

 カリタスに、王国滅亡以来の危機が迫っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る