第百八十五話 寂しい筈がありません

 その一報は、四日目の夜に齎された。

 

 

 

『カリタス支部との連絡が、途絶えたの』

 

 

 

 ギルド長のヒンギスが、沈痛な声音で告げる。ネーナには、彼女にかける言葉が見つからなかった。

 

『先方に何かが起きている、という事になるわ』

 

 ギルド支部間、或いは支部と本部間では、水晶球の魔道具による映像と音声での通信が可能である。だが定時連絡の時間になってもカリタスからの通信は無く、本部からも他支部からも接続が出来ないのだという。

 

 重苦しい空気を打ち破り、オルトが口を開く。

 

「了解した。【菫の庭園】は昨日の荒天により、最速の到着予定から半日遅れでカリタスに向かっている。現地に到着次第行動を開始し、可能な限り早く状況を報告する」

 

 平時と変わらぬように行動確認をする声が、すべき事を明確にする。張り詰めた空気が少し緩み、ヒンギスの表情も幾分和らいだように、ネーナには感じられた。

 

『……ええ、そうね。そのようにお願いします。貴方達も気をつけて』

 

 その言葉を最後に、通信が切れる。ふう、とスミスが息を吐いた。事前に回線を構築した水晶球に呼びかけ、通信する魔術は非常に繊細で、かなりの集中力を要するのだという。

 

「最悪の事態も覚悟って事ね」

「俺達がやる事は同じだよ」

 

 フェスタとオルトが就寝の準備を始めると、仲間達も思い思いに横になる。焚き火の番をするオルトの隣で、ネーナは毛布に包まり丸くなった。

 

 

 

「……眠れません」

 

 

 

 寝よう寝ようと努力はしたが、完全に目が冴えてしまっていた。ネーナがモゾモゾと身体を起こす。

 

「仕方ないさ」

 

 オルトは火にかけていた残り物のスープを、カップに注いだ。

 

 カリタスと音信不通と聞いて、ネーナが落ち着かないのは当然だった。【菫の庭園】がリベルタを出発する前、ネーナは前シルファリオ支部長であるハスラムから、アイリーンとレオンがカリタスにいると聞かされていたのだから。

 

 ネーナにとっては多少絡まれはしたが実害も無く、ジェシカを虐めてエルーシャにも迷惑をかけた人という印象しかない。二人はとっくに許しているし、アイリーンもレオンも然るべき処分を受けているのだから、ネーナに含む所は無かった。

 

「……無事でしょうか」

「わからん」

 

 オルトはこういう時、軽率に気休めを言うタイプではない。状況によっては被害を許容して脅威の排除を優先する選択も、アイリーンもレオンも、リベックも見捨てて撤退する選択も視野に入れている筈だった。

 

 予断を廃して、その時々でベストを尽くす。それは何より仲間達の為だと、ネーナは知っている。オルトのようになりたいといつも思っているが、なれる気は全くしなかった。

 

 ネーナは溜息を零し、ぼんやりと夜の闇を見詰めていた。

 

「――ネーナ」

「はい?」

 

 オルトが闇の中の一点を指差す。そこには『地走り』の二人が灯す焚き火が、ゆらゆらと揺れていた。

 

「まだ起きてるようだから、先刻のギルド長の話を伝えて来てくれないか。砂嵐の手前で運送依頼は終了だとな」

 

 とてもではないが、すぐに眠れそうにない。オルトはそれを見越して、お使いを頼んだのである。

 

「わかりました」

 

 ネーナは頷き、スープのカップを置いて立ち上がった。

 

 

 

 

 

『地走り』の二人は、ネーナがやって来るのに気づいていた。

 

「仕事柄、暗くてもある程度は裸眼で見通せないと困るのよ。冒険者と同じね」

 

 ヨーメが首にかけたゴーグルを、軽く指で弾く。オルト達の事も見えていて、その動きで、何か新たな情報が入ったようだと察したのだという。

 

「了解したと、お兄さんに伝えて頂戴」

 

 オルトからの伝言を聞き、ヨーメは気を悪くした風もなく応えた。運賃は先払いで、既にギルド本部から支払われている。ヨーメ達としては、仕事が早く終わる分には問題無いのだ。

 

「それと、お礼も伝えて貰える?」

「お礼、ですか?」

 

 ネーナが首を傾げると、ヨーメは傍らの駆竜を見やった。

 

「出来るだけ、セイスに近づかないようにしてくれてるでしょう?」

 

 セイス、とは駆竜の名だった。【菫の庭園】メンバー、特にオルトが近くにいる時、セイスは緊張しているのだという。

 

 言葉足らずだと思ったのか、弁解気味のフォローが入る。

 

「貴方達が悪い訳じゃないのよ。守秘義務があるから詳しくは言えないんだけど」

「前にね、他の冒険者を乗せて送った事があるんだ。その人が悪ふざけでセイスを威圧してね」

 

 ずっと黙っていた操竜士の男性が口を開いた。出発前、ヨーメの夫のダンナーと紹介されていた。御者台での鬼気迫る様子とは打って変わり、穏やかな口調であった。

 

 ダンナーは妻が『守秘義務』と言ったそばから、「冒険者の乗客がいた」と明かしてしまっている。ネーナとヨーメは顔を見合わせて苦笑した。

 

 二人が冒険者に良い印象を持っていないのは、ネーナにもわかった。初対面でヨーメが少し高圧的に感じられたのは、その辺りに原因があったかもしれない。ネーナはそう思った。

 

「そうでしたか……ギルドの冒険者が、ご迷惑をおかけしました」

「謝らないで。繰り返しになるけど、貴方達は何も悪くないの」

「そうだよ」

 

 謝罪するネーナを、二人は慌てて止める。

 

「この大事な時に、私達の力が足りなくて到着が遅れてしまっている。謝らなければならないのは、こちらなのよ」

 

 逆にヨーメが謝罪をし、ネーナはフルフルと頭を振った。

 

「それこそ、お二人が謝る事ではありません。ヨーメさんが『最速で五日』と仰った通り、予想外の悪天候に見舞われた昨日以外はそのペースで来ているのですから」

 

 ヨーメは膨大な資料を駆使して、非常に高精度な天候予測を立てていた。それが外れては仕方無い。そこにカリタスの不測の事態が重なってしまった。ネーナ達も、冒険者ギルドでも想定していなかった事である。

 

「私達がこの短時間にカリタスに迫る事が出来ているのは、お二人とセイスさんのお力あっての事です。セイスさんの脚力、ダンナーさんの迷いの無い操縦、何よりもそれらを十全に引き出す、ヨーメさんのマネジメントとコーチングに感服しました」

『…………』

 

 ネーナは話し終えて、二人がポカンと口を開けて見ているのに気がついた。うっかり喋りすぎたと、恥ずかしげに俯く。

 

 だが二人のリアクションは、非常に好意的であった。

 

「……何て言っていいのかしら。有難うね」

「ヨーメを褒めてくれる人は少ないから、嬉しいなあ」

 

 ヨーメのプランニングが雑であったなら、そもそも高速移動など出来ない。セイスとダンナーが自分の役割に集中出来るのは、ヨーメの判断と指示に絶大な信頼があるからだ。

 

 ヨーメ自身も、その信頼を得る為に妥協を許さない鍛錬と準備をしている。だからこそ『地走り』でいられるのだ。ネーナはそう感じていて、そのまま話したに過ぎない。

 

「私達、お父さんがメダルを渡した人が今回の依頼人だと聞いて、とても興味を持っていたの」

「酒場で偶然お会いしただけですが……」

「お父さんが酒場にいた事自体が驚きなのよ」 

 

 オルトにメダルを渡した老人は、ヨーメの実父であった。

 

 名はダルトラ。初代『地走り』であり、妻を亡くして引退するまでは、Aランクの冒険者だったという。今は妻の墓のあるリベルタで暮らしているが、ヨーメ達は冒険者にならずアルテナ帝国で活動している為、もう何年も会っていなかった。

 

「お父さんもお母さんも、一滴もお酒を飲まない人だったから。いつ依頼が来てもいいようにってね」

 

 ヨーメの言葉には、僅かに否定的な響きがあった。

 

「二人とも仕事ばかり。指名依頼も沢山あったけど、二人で一般の依頼を探して、依頼人が困ってるようなものを選ぶの。お母さんが体を壊すまでは、二人が家にいる方が珍しかったわ」

 

 両親の姿を見て育ったヨーメには、冒険者になるという選択は無かった。だが自分に導竜士コ・ドライバーの才能があると知り、母親から手ほどきを受けた。

 

 ヨーメが引き取らなければ、家族も同然の心優しき駆竜セイスが、どこかへ連れて行かれると知っていたからだ。

 

 母親が亡くなると父親は冒険者を引退し、ヨーメはセイスを引き継いだ。両親のような生き方はするまい、夫と、そしてセイスとの時間を大事にしたい、それがヨーメの正直な気持ちだった。

 

 ヨーメが帝国を拠点にし、大口の顧客の仕事を厳選してこなすと決めた時、父親は反対しなかった。ただ一つだけ約束をするように求め、ヨーメもそれを受け入れた。

 

「いつか、このメダルを持つ者が来たら、その依頼だけは必ず受けてくれって。私にとっては、このメダルの仕事は、お父さんの卒業試験なの」

 

 ヨーメが掌の上のメダルを眺めながら言う。

 

 実はオルトからの依頼が来る前、ヨーメはダンナーと二人、帝国重鎮を介した依頼を受けるかどうか悩んでいた。

 

 詳細を聞けば受けざるを得なくなる。だが以前に同じ筋からの依頼を受けた際、乗客として来た冒険者にセイスを威圧された経験があり、受注を躊躇ためらっていたのである。

 

『地走り』の有用性を認識した帝国が、二人を取り込もうとしているのも感じていた。そのタイミングで、メダルを持つオルトからの依頼が来たのだった。二人にとっては渡りに船であった。

 

「国の研究機関からセイスを調べさせろって要求もあったし、ちょっと帝国に居辛くなっていてね。もしかしたらお父さん、そういうのを知ってたのかも」

 

 ヨーメが一方的にわだかまりを持ちつつも、父を嫌ってはいない。ネーナにはそう感じられた。

 

 少しだけ、羨ましいと思った。ネーナにとって父親とは、自分に関心が薄く、道具としか見ていない人だったから。

 

 同時に驚いてもいた。意外な程に、寂しいと思わなかったから。

 

「ダルトラさんは『五日で着くから、後はお前達次第だ。美味い酒にありつけた礼だ』と」

「お父さんは、そう言ったのね……」

 

 ヨーメが溜息を漏らす。

 

「まだ私達二人の『地走り』は、お父さんとお母さんに遠く及ばない。こういう時、お父さん達だったらどうにかするんじゃないかって思ってしまうのよ」

「ダルトラさんは、ヨーメさん達を認めているから、私達の事を託したんだと思いますよ」

 

 ネーナの返事に、二人はハッとした表情になる。

 

 プロとして、今の弱音は言うべきでない。ネーナは言外に指摘し、立ち上がってポンポンと服の汚れを払った。

 

「随分とお邪魔をしてしまいましたし、そろそろ戻ります。おやすみなさい――そうそう」

 

 お辞儀をして帰りかけたネーナが、不意に立ち止まる。

 

「ダルトラさん、少し足を引きずっていましたよ」

 

 二人にそう告げ、もう一度お辞儀をしたネーナは、今度は振り返る事無く立ち去った。

 

 

 

 月明かりの下で、少女が軽やかにスキップする。少しウェーブのかかった髪が、リズム良く跳ねる。

 

 やがて焚き火の傍にオルトの顔を見つけ、ネーナは満面の笑みを浮かべて走り出した。全力で地面を蹴り、バンザイをして飛び込む。

  

「とうっ! ネーナのお届けです!」

「おわっ」

 

 珍しく慌てながら、オルトが受け止めた。

 

「少しお転婆すぎないか?」

「うふふ、必ず受け止めてくれるから安心安全、です」

「鼻が潰れて低くなるぞ?」

「あーあー、何も聞こえません」

 

 ネーナは抱きかかえられたまま、耳を塞ぐポーズをする。

 

 ――寂しい筈がありません。お兄様がいて、皆がいてくれるのですから。

 

 呆れ顔のオルトに毛布で包まれ、目を閉じた。

 

「おやすみなさい、お兄様」

「おやすみ、ネーナ」

 

 今夜もきっと、よく眠れるに違いない。ネーナはいつものように、オルトの傍らで微睡みに落ちていった。

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