閑話二十 私は、もう誤らない

 ――カリタス地下の『迷宮都市』コスワースで、高濃度の瘴気を確認――

 

 

 

 冒険者からその報告を受けたモアテン・リベックの対応は早かった。カリタス支部長に着任してからまだ半月程ではあるが、非常時対応のマニュアルは頭に入っている。

 

 他の冒険者を向かわせて確認を急ぎつつ、緊急対策会議を立ち上げる。ギルド支部の会議室に監察官と職員のチーフクラス、冒険者や住民の代表者が集められた。

 

 リベックの説明に対する、会議の参加者の反応は様々であった。深刻に受け止める者もいれば、楽観する者もいる。リベックに不信を募らせる者がいれば、何やら思案する者もいる。

 

 それは当然の事だ。新任の支部長が唐突に、「カリタスが冒険者ギルドの管理下に置かれてから最大の危機が訪れようとしている」と告げたのだから。

 

 だが兎にも角にもリベックは緊急対策会議を招集し、重要な情報を開示した。普段は彼を軽んじる者も、ギルド支部長がカリタスの首長を兼任している事実は否定出来ない。リベックが手順を踏んで動けば、ないがしろには出来ないのである。

 

 

 

 コスワースの瘴気は、人族や亜人の体力を奪う。その濃度が高くなれば、死に至らしめる。現在行われている、地下迷宮での『死の影』の討伐は不可能になる。

 

 更に厄介なのは、濃い瘴気の只中にある死体が、自我を持たずに活動を始める点だ。そこからこの瘴気が、死霊術ネクロマンシーの秘術に近いという仮説を唱える者もいる。

 

 迂闊に死ねば、『死の影』が一体増える事になる。詰まる所、カリタス住民に取れる選択は、地下迷宮への入口を封鎖して『溢れ出しオーバーフロー』までの時間を稼ぎつつ避難するのみであった。

 

 カリタスには域内に三箇所、合計で千五百人収容可能なシェルターが設置されている。これはカリタス王国時代は無かったもので、地形が変わるような戦略兵器や大魔術による攻撃でもなければ破壊出来ない想定となっていた。

 

 現在のカリタス住民は一千人余、分散すれば全員を収容出来る。砂嵐に囲まれた域内で、他に逃げ込める場所は無い。

 

 各シェルターには、収容定員に対して常に一月分以上の備蓄がある。半月前にカリタスが新たなクールに入った際、二月分になった備蓄の内、古い方の一月分を放出して日常の消費に回していた。

 

 非常時においてはカリタスの住民や商店も協力し、ギルド支部は支給品のストックを開放する。避難民が定員の六割強である事から、計算上は多少切り詰める事で、砂嵐が弱まるまでの二月半を乗り切れる筈だった。

 

 カリタスの状況は、既に本部に伝わっている。地下迷宮への入口を封鎖しても、いずれ破られて瘴気と死の影が地上に溢れ出す。シェルターの中で砂嵐が弱まる時期を待ち、外部からの救援を待つのが妥当な判断だと思われた。

 

 確認に出していた冒険者が会議中に戻り、高濃度の瘴気に関する情報の裏付けが取れた事もあって、緊急対策会議で異論は出ず、全住民の避難が決定したのだった。

 

 

 

 会議室から対策会議のメンバーが退出していく。先程までは手狭に感じていた室内が、やけに広く、寒々しい。

 

 最後に一人残ったリベックは、小さく息を吐いた。

 

 自分が赴任して僅か半月で、かつてのカリタス王国滅亡時もかくやというような、高濃度の瘴気が観測された。

 

 先程の緊急対策会議で大筋の方針は決まったものの、不穏な要素には事欠かなかった。

 

 カリタス周囲の砂嵐を突破し、事態を収拾出来る力を持つSランク冒険者の派遣を要請したが、ギルド本部からは調整に難航していると返答が来た。

 

 全くツイていない。そう言おうとして、リベックは頭を振った。

 

 これは報いだと、思い直す。これまで多くの選択を誤り続けて来た自分への、報いなのだと。

 

「だが、ここからの選択は、誤る訳には行かないんだ」

 

 誰もいない会議室で、リベックは独り言ちる。

 

 リベックがカリタスへと送り込まれたのには、単なるペナルティ以上の意味があるのだ。

 

 ギルド支部、そしてギルドの管理地域としてのカリタスの現状を、新ギルド長のヒンギスは問題視していた。リベックは、その改善を求められていた。

 

 リベックには、それを成すだけの能力があると信じているのだ、あの元恋人は。何度も信頼を裏切られているにも拘わらず、まだモアテン・リベックを信じているのだ。

 

「あの才女も、男を見る目だけは無かったか。とはいえ、新ギルド長の門出にケチをつける訳には行かないな」

 

 フッと笑い、リベックが席を立つ。

 

 覚悟なら、カリタスへの異動を受けた時に決まっている。実家からは絶縁され、形だけの妻からも離縁されている。ここで命を落としたとしても、何の問題も無い。

 

 怖いのは、最後に残された信頼を裏切る事。信じてくれた人に恥をかかせる事。今更ではあるが、それだけだった。

 

「遅いのはわかっている、だけど。私は、もう誤らない」

 

 かつての恋人の姿を思い浮かべて、自らを叱咤する。

 

 リベックの呟きは、誰の耳にも届く事は無かった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「何だか大事になってきたわね」

「ああ」

 

 夕食を終え、洗い物を済ませた二人は、テーブルを挟んで向き合っていた。

 

 ギルド支部主催の説明会の反響は大きかった。

 

 カリタスが冒険者ギルドの管理下となってから設置されたシェルターは、今まで一度も使われた事が無い。新しい住人の中には、倉庫だと認識している者もいた。そのシェルターの出番が来た事が、事態の深刻さを表していたのである。

 

 住人達は概ね、避難を受け入れていた。だが説明会は紛糾した。

 

 原因となったのは、二組の冒険者パーティーだった。カリタスの現エース【天地無用ビー・ケアフル】と前エース【愚無頼漢フーリガン】である。

 

 二組は第一シェルターへの割り当てと、これまでの貢献を主張して第一シェルターの備蓄を増やすように要求したのである。これに同調した一部の冒険者とギルド職員により、説明会場は険悪な空気が漂った。

 

 二組が第一シェルターへの避難を求めたのは、そこに支部長や監察官が入る事になっていたからである。他のシェルターより医官も多く、優遇されていると考えたのだった。

 

 リベックは、三箇所のシェルターに優劣は無いと明言した。支部長と監察官が第一シェルターに入るのは、外部に連絡する機能が備わっているのがそこだけだから。医官が多いのは、現時点での傷病者は全てそこに収容するからである。

 

 続けて、冒険者とギルド職員は各シェルターに分散させる事と、収容人員や備蓄も等分する事を告げた。二組の冒険者とその取り巻きは不満を露わにしたものの、住民の多くが集まる場でそれ以上ゴネる事は無かった。

 

「あの二組、大人しく引き下がるとは思えないけど……」

 

 アイリーンが表情を曇らせる。外に出れば埋もれてしまう実力でも、約三ヶ月は密室となるカリタスでは大手を振って歩ける。多少の狼藉も見逃されるとあれば、気が大きくなる者も出て来るのだ。

 

「出来たら、レオンと同じシェルターがいいな」

「そうだな」

 

 二人は我儘を言うつもりは無かったが、外部からの救援が来るとすれば二月半も後になる。そこまで顔を見る事も出来ないとなれば、やはり長く感じる。

 

 レオンは少し家具の増えた室内を見回した。アイリーンの私物も所々に存在感を主張している。

 

「初めて、『帰る場所』が出来たような気がしたんだけどな」

「……私も」 

 

 漸く手に入れた、穏やかな暮らし。帰れば誰かが家で待っていて、待っていれば誰かが帰って来る。まだ十日も経っていないのに、手放すのが惜しくなっていた。

 

「また戻って来ればいいさ」

「……っ、ええ」

 

 アイリーンは一瞬言葉を詰まらせた。

 

 二月半を無事に過ごして救援が来たとして、それはワンクールの終わりでもあるのだ。その時、レオンがカリタスに残る保証は無い。

 

 アイリーンもレオンも贖罪の途中ではあるが、その道がいつまでも重なるとは限らない。彼女には、レオンと共に行きたいと言う事も、レオンに居て欲しいと言う事も出来なかった。

 

 しんみりとした空気を振り払うように、アイリーンはわざと明るく言って席を立つ。

 

「明日から避難が始まるし、荷造りしないとね」

 

 荷物は一人につき、鞄一つ分と決められている。二人とも持って行く物は然程無く、特別にする事は無い筈だった。

 

 寝室に向かうその背中を、レオンはじっと見詰めていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 説明会から一週間ほどが経ち、いつものようにギルド支部に出勤したアイリーンは、受付カウンターの奥の様子がおかしいのに気づいた。

 

「話を聞いてみるわね」

「ああ」

 

 レオンはホールのテーブル席にどっかと腰を下ろし、アイリーンはカウンターの中に入る。

 

 職員の数が明らかに少ない。居ないのは、例の二組の冒険者パーティーに追従する職員達だ。

 

「何があったの」

「あ、アイリーン」

 

 アイリーンに辛く当たる職員の姿が無い為、気安く返事が来る。事情を聞き、アイリーンは愕然とした。

 

 二組のパーティーとその取り巻きが、避難の準備を理由にギルド支部へ来ないのだという。

 

 コスワースでの『死の影』討伐と瘴気の観測はギリギリまで行なわれ、段階的に撤退して最後に入口を封鎖し、少しでも『溢れ出しオーバーフロー』を遅らせる手筈になっていた。その主力である冒険者がいなければ、撤退計画を大幅に見直さなくてはならない。

 

 職員がいないのも痛い。避難が始まってまだ二日、シェルターへの誘導に避難補助など、人手はいくらあっても足りないのだ。

 

 さらに面倒な事に、それらの冒険者と職員は割り振りを無視して第一シェルターと第二シェルターに入ろうとし、シェルター入口で小競り合いを起こしているのだという。

 

「この忙しい時に……」

 

 仕事をしないばかりか、同僚の手間を増やすとは何事か。それは支部にいるアイリーン達の共通の思いであった。

 

「俺は地下迷宮に降りる」

 

 いつの間にかカウンターの側にいたレオンが、クルリと背を向けて出口へ向かう。

 

「お願いします、気をつけてね!」

 

 アイリーンが声をかけると、レオンは振り返らずに手を上げて応えた。

 

 

 

 支部長は騒ぎの収拾をつける為に、シェルターに向かっていた。残された職員達も避難誘導をする為市街に出る。二人一組に分かれ、それぞれが呼び子を首から下げて散って行く。

 

 アイリーン達がカリタス北地区の第一シェルターに近づくと、人だかりが出来ていた。その中心にいるのは【天地無用】とその一党、そして彼等と対峙するリベック支部長だ。

 

 【天地無用】のメンバーが喚く声が聞こえて来る。第一シェルター割り当てでない取り巻きの冒険者や職員を引き連れ、順番を待つ者達より先に受け入れるよう求めていた。

 アイリーン達は眉を顰めて、人だかりの横を通り過ぎる。

 

「どんな感じ?」

「ここは傷病者が先に入ってるから、五割くらいかな」

 

 シェルター入口の避難受付で進捗を聞き、避難民のリストを受け取る。まだ避難が済んでいない住民も相当数いた。

 

 職員達が分担を決める相談を始める。その時前触れも無く、耳をつんざく轟音が辺りに響いた。

 

 

 

 ――ドォン!!

 

 

 

 遅れて、地面が大きく揺れる。

 

「きゃあッ!」

 

 アイリーンは立っていられず、悲鳴を上げて倒れた。素早く身体を起こして周囲を見回すと、多くの者が彼女と同じく地に伏していた。

 

「あれを見て!」

 

 アイリーンの同僚が北を指差す。三日前に住民説明会が行われた大聖堂の尖塔が倒壊し、そこから黒い煙が立ち昇っている。

 

 続いて、人だかりが騒がしくなった。

 

「嘘でしょ……」

 

 アイリーンは愕然とした。

 

 冒険者の一人が、リベックを斬ったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る