閑話二十一 これからも同じでいい理由にはならない
「ブルースター、お前達もか……」
斬られたリベックが崩れ落ちる。うつ伏せに倒れた身体の下から朱殷が広がる。
「元から気に食わなかったんだよ、貴方は」
ブルースターと呼ばれた男はそう吐き捨て、第一シェルター入口に向かって歩き出す。男の仲間達も後に続くが、笑みを見せる者もあれば、戸惑う者も俯く者もあり、様子は様々であった。
『支部長!!』
我に返った職員達がリベックに駆け寄る。
意識の無い支部長の身体を仰向けに返して、応急処置にかかる。その動きに迷いは無い。カリタスに送られた職員とはいえ、ギルドの研修を受けて心得はあるからだ。
だからこそ、リベックが負った傷の深刻さがわかってしまう。それでも処置の手を止めずに、職員の一人が悲痛な声を上げる。
「誰か医官を呼んで来て!」
弾かれたようにアイリーンが走り出すが、すぐに顔を強張らせて立ち止まった。血に濡れた剣を手にしたブルースターが、彼女の行く手を阻んでいたのだ。
「そこを退いて」
「シェルターは満員だよ」
ブルースターは、BランクでありながらAランクパーティーをカリタスのエースから引きずり下ろした【
「貴方、何をしたかわかってるの!? 早く医官を呼んで来ないと支部長が――」
「わかってるから、こうしてるんじゃないか」
ブルースターは全く悪びれない様子で、アイリーンの言葉を遮った。
「間に合うかどうかは知らないけど、もう少し待ってれば医官だけでなく、怪我人やら病人も出てくるさ。男が多いと暑苦しいし、足手まといは邪魔だからね」
アイリーンだけでなく、職員達も言葉を失う。ブルースター達がこれから何をするか、理解したからだ。
【天地無用】とそれに追従する者達は、仲間だけで第一シェルターを占拠しようとしている。その考えを裏付けるように、先に避難していた住民達がシェルターを追われて出て来る。
皆一様に不満や怒りを表しているが、武器を持った冒険者達に抗う術は無い。ギルド職員の一人は、歩みの遅い病人を突き飛ばしている。その職員はアイリーンも見知った、受付担当のチーフの女性である。
「何て事を……」
アイリーンの呟きを、ブルースターは鼻で笑った。
「まともなギルド職員みたいな事を言うじゃないか。あんたがここに来るまでやった事と、何が違うんだい」
見透かしたような薄ら笑いから、アイリーンは察した。ブルースターは、彼女の経歴を閲覧したのだと。重大な服務規程違反だが、【天地無用】の取り巻きの職員を使えば可能ではある。
全部バラしてやろうか。そう言わんばかりの相手を、アイリーンはキッと睨みつける。
「いいねえ、僕は気の強い女を屈服させるのが好きなんだ」
ブルースターは却って興奮したのか、舌舐めずりをした。
「意地を張らずにこっちに来なよ、アイリーン。他にも女達はシェルターに入れてあげるよ」
「お断りよ」
誘いを一蹴されても、ブルースターの笑みは崩れない。ちらりと北側で噴き上がる瘴気を見やる。
「もしかして、残り二つのシェルターに避難民を収拾すれば、全員助かるとでも考えてるのかな?」
「貴方、一体何を――」
「第一と第二で二百人、いいとこ三百かな」
『っ!?』
職員や避難民の顔色が変わる。
ブルースター、お前達もか。斬られた時にリベックの口から漏れた言葉が、急速に意味を持って思い起こされていく。
「わかったようだね。予想外の瘴気の噴出で前倒しになったけど、第二シェルターは今頃、【
ブルースターは勝ち誇った表情で、自分達の企みを明らかにした。二つのパーティーは、それぞれの取り巻きと女達を引き連れてシェルターを占拠し、悠々と救援を待つ腹づもりだったのである。
「支部長が一命を取り留めても構わない。トロッコはもう動き出していて、百人二百人は必ず死ぬ。自分が生き延びる為に他人を切り捨てたら、僕等と同じ外道さ」
そんな輩が何を訴えても、本部は信用しない。そう話すブルースターは楽しげですらあり、アイリーンは寒気を覚えた。
「あんたも僕等と同じ種類の人間の筈だろ、アイリーン。その時その時を、自分の得になるように立ち回って生きて来た。ここでもそうすればいい、それだけの事じゃないか?」
悪魔の
カリタスに来てからの半年間は、辛い事ばかりだった。でも苦しいワンクールが終わる度に、自分の内に確かに、何か大切なものが積み上げられてきた。
アイリーンはもう、それを手放す気は無かった。
「そうね。私も貴方達のように、碌でもない生き方をして来た。沢山の人に迷惑をかけて、苦しめても何とも思わなかった。人間なんて、そうそう変われるものじゃない。だけどね――」
一息入れて、アイリーンは自嘲気味に笑った。レオンの顔を思い浮かべる。
「そんな事、これからも同じでいい理由にはならないでしょ。それに、貴方達になんて、指一本も触れられたくないわよ」
ブルースターの表情に、一瞬だけ怒りの感情が表れた。それを取り繕うように、嫌らしい笑みを浮かべる。
「嫌われてしまったものだね。残念だなあ、あんたが来れば、シェルターに空きが出来るかもしれないんだけど」
「……下衆なやり方ね」
アイリーンは端正な顔を顰めた。
お前が来るならば、第一シェルターから追い出す避難民を減らしてやる。ブルースターはそう言ったのである。提案、申し出というのも憚られる、紛う事なき脅迫であった。
【天地無用】とその取り巻きと共に二月半を過ごす環境が良いとは思えない。しかしシェルターから追い出されれば、瘴気の中で死を待つばかりだ。
アイリーンが申し出を拒んでも、表立って非難される事は無い。しかしシェルターに入れず、理不尽に彼女を恨む者はいるだろう。何よりブルースターは、アイリーンの良心に訴えていた。非常に狡猾で、かつ効果的と言えた。
ブルースターは、噴出する瘴気に再び目を向ける。
「時間が無いなあ」
煽られたアイリーンが、唇を噛み締める。だがそんな彼女に、後ろから声をかける者がいた。
「――君が犠牲になる必要は無い」
割り込んで来た声の主を見て、ブルースターが忌々しそうに舌打ちをする。
意識を失っている筈のリベックが、職員に身体を支えられてゆっくりとアイリーン達に近づいていた。
傷痕は生々しく残っているものの、出血は止まっていた。リベックの背後に、神官服を着た若い男が従っている。彼が【天地無用】の取り巻きの中で俯いていたのを、アイリーンは覚えていた。
「これからも同じでいい理由にはならない。耳の痛い言葉でしたが、目が覚めました」
神官の男は、ブルースターに睨まれて怯みながらも、そう言い放った。ブルースターが再び舌打ちをし、不機嫌そうに踵を返す。
「好きにすればいいさ。あんた達が生きてれば、次に会うのは二月半後だね」
捨て台詞を残し、ブルースターが立ち去る。第一シェルター入口が、重い音を立てて閉じていった。
ブルースターの姿が見えなくなると、リベックは残った職員達を集めた。
「……時間が無い。ここにいては瘴気に巻かれてしまう」
「第三シェルターですか?」
職員の問いかけに無言で肯く。顔は土気色でありながら、リベックの目にはまだ力が感じられた。
「ですが……」
その職員が言い淀む。
第一と第二から追い出された者を含めて、第三シェルターで最大八百人の避難民を保護しなければならない。詰めても収容出来るのは六百人、食料は全く足りない。
絶望的な状況である事は、ギルド職員でなくともわかっている。さらに支部のチーフ、主任クラスの職員達は、砂嵐を突破してカリタスに到達出来るSランク冒険者に、確保の目処が立っていない事も知っていた。
カリタスに最も早く駆けつけられるのは、現在アルテナ帝国に拠点を置いているSランクパーティーの【
だから、この後のリベックの言葉は、職員達が全く予想出来ないものであった。
「前提条件が変わったんだ、一昨日の時点で。到着期日は確定していないが、救援は既にリベルタを出発している」
『えっ!?』
職員達の驚きは当然だと、リベックは思った。ギルド長から突然それを聞かされたリベック自身も、最初はギルド長の乱心を疑った程だったのだから。本来は、今日の定時連絡で救援の情報を確定させてから通達する予定だったのだ。
「リベルタから、ですか? Sランクを確保出来たんですか?」
アイリーンが期待を込めて、支部長に尋ねる。リベルタからカリタスまで、十日から二週間はかかる。それでも二月半よりは遥かに早い。
「いや、来るのはAランクの一パーティーだ」
「そうですか……」
アイリーンの返事には、失望が隠しきれていなかった。
考えてみれば当然だ。カリタスが重要な場所でありながら、所謂罪人ばかりが送り込まれるのは、真っ当な職員や冒険者は来たがらないからだ。そんな場所、そんな人々を助けようとする物好きが、例え一パーティーでもいる事自体が驚きなのだ。
言ってみれば自業自得。職員達も同じ思いで俯くが、リベックはそうではないと頭を振った。
「ギルド長は、そんな形ばかりの救援を送る人物では無い。アイリーン、君と私は知っている筈だ。さして付き合いの無い職員や冒険者の為に、時にはかつての敵の為に、自身には何も得のない危険に関わっていく者達を」
アイリーンはその言葉にハッとした。確かに心当たりはあった。
『彼等』の活躍は、カリタスにいても聞く事が出来た。アイリーンがシルファリオにいた頃、支部に流れて来た彼等はDランクに過ぎなかった。それが瞬く間にAランクまで駆け上がった。
勇者の仲間達がパーティーに加わっているのは後から知ったが、彼等――【菫の庭園】の快進撃はそれだけが理由とは思えなかった。
「他ならぬ彼等によって
「……そうですね」
二人は苦笑を漏らした。身から出た錆とはいえ、自分達を追い落とした相手が、今度は自分達を助けにやって来るのだ。不思議な感覚ではあった。
リベックが他の職員にも目を向ける。
「到着日は不明だが、この三日ないし四日間が山だと私は見ている」
職員達が、勝負所だと気を引き締める。【菫の庭園】というパーティーについては知らずとも、支部長とアイリーンの二人が評価するのならば多少なりとも信じる根拠にはなる。
最初は二月半を耐えて救援を待つという話だった。それが半月弱、三日ないしは四日でSランクに匹敵する冒険者が到着すると前提が変わり、希望が見えて来たのである。
「さあ、第三シェルターへ急ごう。済まないが何人か、第二シェルターを経由してくれないか」
第二シェルターの状況はリベック達にはわからない。その為、確認をする人員が必要だった。加えて道中、逃げ遅れた者を保護する役割をも担う事になる。
承諾した職員達がバラバラと挙手をするが、それを制してアイリーンはある提案をした。
「いえ支部長、全員で第三シェルターに向かいましょう。途中で私だけ離脱します」
アイリーンの指は第三シェルターの手前、カリタス中心部にあるギルド支部の、物見塔を指し示していた。
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