閑話二十二 共に生き抜こう

「では、私達はここで」

 

 アイリーンはそう言ってレオンと共に、ギルド支部の前で立ち止まった。

 

 カリタス支部長のリベックが、悔しそうに詫びる。

 

「……済まない。私が行くべきだというのに」

「支部長は取り敢えず、動けるようになって下さい。それに、物事には責任を取る人が必要なんですよ」

 

 アイリーンは担架の上のリベックに微笑みかけた。ブルースターに斬られた傷は塞がったものの、大量の出血で衰弱したリベックは、一人で歩く事も出来ない状態であった。

 

 支部長権限を職員のチーフの一人に委譲し、足手まといの自分は第一シェルター前に残ると告げたが、職員達はリベックの抗議を無視して担架に乗せたのである。

 

「……仕方ない。もう暫く、生き恥を晒す事にするか」

「支部長、ここにいる連中は恥を晒してばかりですよ」

 

 溜息をつくリベックに職員が応じ、一頻り笑いが起きる。

 

「――皆、そろそろ行かないと」

 

 アイリーンの言葉で、場が静まり返った。涙ぐむ女性職員の姿も見られる。

 

「私よりも、大変なのは皆さんの方ですよ」

「わかってる」

 

 支部長代行となった職員が、全員を代表してアイリーン達と握手をした。

 

 希望が見えたとはいえ、決して楽観出来る状況ではない。避難民を連れて第三シェルターに行った所で、先に収容されている者達が新たな受け入れを拒否する可能性もあるのだ。

 

 それでも他に、取るべき方策は無かった。名残を惜しむように避難民の一団が去っていく。それを見送りながら、アイリーンはレオンに詫びた。

 

「レオン、ごめんなさい。こんな事に付き合わせて」

「俺が自分で決めた事だ。謝られる筋合いは無い」

 

 素っ気なく応えてギルド支部に入るレオンを、アイリーンが追いかける。顔を見せないのは照れ隠しなのだと、彼女はわかっていた。

 

 地下迷宮で『死の影』討伐を行っていたレオン達冒険者は、地上の異変を察知するや入口を封鎖して戻って来た。避難民の一団と合流し、アイリーンが物見塔に上がると聞いたレオンは、迷う事なく同行を志願したのである。

 

 物見塔に上がる決意は揺らがなかったが、心細くない訳ではなかった。救援により助かる可能性も出て来たが、いずれ『死の影』は塔を上がって来る。危険である事に変わりはなかった。

 

 アイリーンはレオンに申し訳無いと思いながら、同時に感謝もしていた。そして、最期になるかもしれない時を共に出来る事に喜びを感じていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「ここが塔の入口よ」

 

 ギルド支部の奥、通常は冒険者が立ち入る事のない場所。アイリーンが扉の鍵を開けて入って行く。中は薄暗い。

 

「せめてかんぬきでもあればな」

「昔はあったらしいけど、女性職員が連れ込まれる事例が頻発して撤去されたそうよ」 

 

 愚痴を言うレオンに、アイリーンは肩を竦めて応える。

 

 ランタンに火を灯すと、円筒形の石壁に沿った螺旋階段が浮かび上がる。それは頭上の闇へと伸びていた。

 

 二人は頷き合い、階段を駆け上がる。

 

 レオンは内心、かなり驚いていた。冒険者の自分と違い、アイリーンはただのギルド職員に過ぎない。そう体力がある訳でもなく、息を切らし苦しそうな表情をしながらも、決して足を止めようとはしなかった。

 

 階段を上がり切ると、そこは物置のような場所になっていた。壁際に水や保存食、毛布などが積まれ、天井の中央に開いた穴に梯子がかけられている。穴から差し込む光で、上階が物見台なのだとレオンは察した。

 

 休む間もなくアイリーンが梯子に取り付き、上がって行く。

 

 物見台は風雨をしのぐ屋根があるだけの、吹きさらしになっていた。今日はカリタス外縁部の砂嵐による僅かな風が吹くのみ。肉眼でもその砂嵐まで見通せる、良好な視界が確保されている。

 

 アイリーンは何度か上がった事があり、勝手知ったる様子で物入れから真鍮の望遠鏡を取り出し、拡声魔道具を起動させた。

 

『こちらはギルド職員のアイリーンです。只今物見台に到着、これよりカリタスの状況をお伝えします』

 

 望遠鏡で周囲を見回しながら、卓上に立てられた拳大の箱に向かって語りかける。レオンは飲料水や乾パン、チーズを机に置くと、階下の物置に降りて行った。

 

 北を見れば、黒い瘴気が物見塔よりも高く噴き上げている。

 

『カリタスの北地区外縁部からおよそ二百メートル付近で、瘴気の噴出を確認。「死の影」も地上に出現しています。東地区の地下迷宮入口は封鎖されており、現状では瘴気は確認出来ません』

 

 リベック達はまだ第三シェルターに到達していないが、周辺に敵や瘴気は見られない。物見塔からの声は聞こえているようで、アイリーンに向けて手を振る者もいた。

 

 市街にも逃げ遅れた者の姿は無く、胸を撫で下ろしながらアイリーンが放送を続ける。

 

『第一シェルターは【天地無用ビー・ケアフル】とその一党によって占拠され、収容されなかった避難民は第三シェルターに向かっています』

 

 第三シェルター前では、ギルド職員達がアイリーンの声に耳を傾けている。

 

 続いて西地区の第二シェルターに望遠鏡を向け、アイリーンは息を呑んだ。

 

『第二シェルターも第一シェルターと同じ状況です。【愚無頼漢フーリガン】とその一党がシェルターを占拠、多数の避難民が発生しています』

 

 入口は既に閉じられているにもかかわらず、第二シェルターから追い出された避難民は、その場に留まっている。

 

『第二シェルター前の避難民の皆さんは、速やかに南地区へ、第三シェルターに移動して下さい。北から瘴気が流れており、じきに「死の影」もそこに押し寄せてしまいます』

 

 避難民の中にはアイリーンの見知った者もいた。皆途方に暮れて、動く気力を無くしているようだった。

 

『雑貨屋のおじさん、おばさん! そこに居ては駄目! 皆と一緒に逃げて!』

 

 アイリーンの呼びかけで、雑貨屋の夫婦が顔を上げる。アイリーンは藁をも掴む気持ちで、第三シェルターに望遠鏡を向けた。

 

 第三シェルターにはリベック達の一団が到着し、受け入れの交渉が始まっていた。緊張しながら見守るアイリーンに向けて、職員の一人が両腕で大きな丸を作り、避難民の受け入れ開始を伝える。

 

『本当に!? 第二シェルターの避難民も受け入れてくれるの!?』

 

 職員が再び丸を作って肯定する。急遽バリケードの設置が始まり、傷病者がシェルターに収容されていく。

 

『有難う! 第二シェルター前の避難民の皆さん、安全なルートを指示しますので、第三シェルターに向かって下さい!』

 

 天の声に導かれるように、避難民の一団が南地区へ向かって動き始める。雑貨屋の夫婦もしっかりした足取りで歩いており、アイリーンは安堵して北地区に望遠鏡を向ける。

 

 第一シェルター入口は、早くも黒いもやに覆われていた。『死の影』が不気味に進む様子も確認出来た。

 

『第二シェルター避難民の方々、まだ焦らなくても大丈夫です。皆さんで一緒に移動して下さい。北側、それと東側には向かわず、南地区を目指して下さい』

 

『死の影』と瘴気の動きを注意深く見ながら、アイリーンは避難民の一団を励ました。

 

 

 

 間もなく瘴気はアイリーンとレオンがいるギルド支部に到達し、物見塔は完全に孤立する。

 

 これまで『死の影』には、飛翔する個体の報告は無い。瘴気も地表付近に溜まる性質があると確認されており、高所にいるアイリーン達に、差し当たっての危険は無い。

 

「これで後どれだけ頑張れるか、だな」

 

 アイリーンが振り返ると、レオンが梯子を引き上げていた。その側には、大きく膨らんだ麻袋が五つ置かれている。アイリーンが放送している間に、毛布や当面の食料を物置から運んで来ていたのである。

 

 視線に気づいたレオンが頭を振る。

 

「気にするな。俺は俺に出来る事をするから」

 

 アイリーンは無言で頷き、拡声魔道具に向かう。

 

『間もなく、カリタス中心部のギルド支部に瘴気と「死の影」が到達します。第三シェルターも対処の準備をして下さい。以降、物見塔からは定時と緊急時に全域放送で状況をお伝えします』

 

 一旦放送を止めて息を吐くと、レオンが労うように、アイリーンの肩に毛布をかけた。

 

 気づけば、西の空が赤く染まっていた。日が沈めば、黒い瘴気と黒い『死の影』の視認が困難になる。これからは『敵』に大きなアドバンテージのある時間に入るのだ。

 

 第三シェルターでは篝火が焚かれ、第二シェルターを追われた避難民の受け入れが始まった。バリケードの内側に布陣しているのは冒険者達。神官、医師や薬師に加えて、リベック支部長と数名の職員の姿も見える。

 

 戦闘員を複数のチームに分け、交替で休む事で消耗を抑えて救援を待つ。それがリベックの考えであった。ジリ貧であるが、一人でも多く助けようと思えば、取れる選択は限られる。

 

 アイリーンは暮れなずむカリタス市街を見下ろしながら、避難民達の無事を祈った。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 長い長い夜が明け、緊張で殆ど眠れなかったアイリーンは毛布に包まり、物見台の柱にもたれてボンヤリとしていた。

 

 夜半には物見塔の扉が破られ、アイリーン達の直下の物置にまで『死の影』が迫っていた。梯子は引き上げてあり、今の所は物見台まで上がって来る様子は無い。

 

 来ないとわかってはいても、階下で無数の存在が蠢いているのはわかる。戦いの経験が無いアイリーンには大きな恐怖であった。一晩寄り添ってくれたレオンの存在が心強かった。

 

 深夜には北地区で小規模な火災が起きたが、幸いにして鎮火した。火災の原因である『死の影』が、意図せずに自ら踏み消したのは皮肉と言えた。

 

 

 

「アイリーン」

 

 レオンの手招きで重い腰を上げたアイリーンは、望遠鏡越しに第三シェルターを見て驚きの声を漏らした。

 

 ――重傷者、死者なし――

 

 地面に大きく書かれた文字が、アイリーンの目に飛び込む。

 

 第三シェルターの守備隊は、夜を徹して襲いかかる『死の影』を見事に退けたのである。緒戦は大金星と言って良かった。

 

 市街は通りがハッキリと見えなくなる程に、霧のような黒い瘴気が立ち込めている。バリケードの中は、鉱山で使うような大型の送風魔道具を何台も稼働させ、少しでも瘴気の影響を抑えようとしていた。地面の文字が見えるのは、その為であった。

 

 負傷者がいない訳ではない。それは現在戦っている冒険者達の姿を見ればわかった。だが彼等は、一歩たりとも引かぬ気迫に満ちていた。

 

 その理由を、アイリーンは察していた。

 

 ――アイリーン、レオン、共に生き抜こう――

 

 被害報告の下に刻まれた文字が、アイリーンの心を打つ。守備隊で戦う者達は、自らが生き抜く覚悟を、身を以て示している。アイリーンはそう感じた。

 

「お前の声が、勇気が。あいつらの心に火を点けたんだ」

 

 レオンの言葉を聞き、アイリーンは拡声魔道具に向かう。

 

『皆さんのエール、胸に響きました。戦いは始まったばかりで、先が見えません。ですが、私達も最後まで生きる事を諦めません。必ず生き抜いて、皆さんとお会いしたいと思います』

 

 少し遅れて、南から歓声が上がった。物見台の二人が笑い合う。

 

 未曽有の危機の中にありながら、アイリーンは先行きに大きな手応えを感じていた。

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