第百八十六話 勝手に死んでんじゃないわよ!

 巨大な砂嵐を前に、駆竜が停止する。

 

「ここまで、ありがとね」

 

 レナが飛び降り、自分達をカリタスまで運んで来た『地走り』の面々に小さく頭を下げた。それに倣うように、仲間達も会釈をしながらゴンドラを降りていく。 

 

 行程に軽微なアクシデントは何度かあったものの、『地走り』は神がかったリカバリーで、三日目の荒天で遅れた半日分以上のロスを許さなかった。

 

 結果、リベルタからカリタスまでを、実に五日半で駆け抜けた。各駅で馬だけを繋ぎ替える『特急便エクスプレス』の半分以下の日数という、驚異的な早さであった。

 

 

 

「有難う、世話になった」

 

 

 

 最後に降りたオルトが、『地走り』の二人に手を差し出す。

 

「こちらこそ。今回の仕事は、きっと私達の転機になると思うわ」

「だけど本当にいいのかい、オルト? 突入する事も出来るけれど」

 

 ヨーメに続けてダンナーとも握手を交わし、オルトは頭を振った。

 

「ここからは俺達冒険者の仕事さ」

 

 カリタス東側の外縁部に到着したオルト達は、砂嵐越しに内部の様子を窺い知る事は出来なかった。これは、以前にカリタスの砂嵐を見ているレナとスミスから聞いていた通りであった。

 

 更にギルド長ヒンギスの情報では、本部と通話可能な魔道具が設置されているのは、カリタス支部と第一シェルターのみである。そのどちらも、昨日までの本部からの呼びかけに応答していないという。

 

 カリタス内部の状況は全くわかっておらず、既に住民が全滅している可能性すらあった。出たとこ勝負、かつ危険性の高い状況に、連携の取れない運び屋を突っ込ませる訳には行かなかったのである。

 

「なら、貴方達を見送ったら離脱して、リベルタに行ってみるわ」

 

 長く会っていない父親に顔を見せに、そして母の墓を見舞いに行くのだと、ヨーメが照れ臭そうに言う。夫であるダンナーは、それを優しい目で見ていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 二人と駆竜セイスが後退して距離を取り、【菫の庭園】の面々が砂嵐と対峙する。

 

 見上げる程の高さ。向こうが見通せない程の、正に風の壁の間近にも拘わらず、ネーナ達に吹き付ける風は不自然に穏やかであった。

 

「これ程の規模の砂嵐で、精霊の力が弱すぎる。遺失魔法ロスト・マジック失われた技術ロスト・テクノロジーと呼ばれるものね」

 

 精霊術士のテルミナは、不快そうに砂嵐を見詰めた。

 

「この風、とても気に入らないのよ」

「でしょうね」

 

 スミスが苦笑する。テルミナはエルフとして、精霊術士として、恐らくは魔術で実現されたであろう強力な自然現象が面白くないのだと、仲間達もわかっていた。

 

「砂嵐を抜けた後の分担はどうする?」

 

 オルトの問いに、テルミナを咎める色は無い。

 

 カリタス突入後は、いくつかのシチュエーションを想定してメンバー全員の分担が決まっている。テルミナが砂嵐の対処に力を割く事でその後の行動に支障が起きないかどうか、オルトは全員のいる所で確認したのである。

 

「全く問題無いわ」

「なら、砂嵐は任せるよ」

 

 オルトはあっさりと許可を出した。テルミナは目を丸くしたものの、すぐに不敵な笑顔を浮かべて詠唱にかかる。

 

 ――エアリアル、風の王よ。我が呼び掛けに応えて。偽りの風壁を裂き、我等の道を開いて――

 

 

 

『――承知』

 

 

 

 どこからともなく返答が聞こえたかと思うと、ゴウッと突風が吹いた。目の前の砂嵐とは違う、荒々しく、力強い風が。

 

 風は渦を巻き、竜巻のような下半身を持つ巨人となって、砂嵐へと無造作に両手を突き入れる。

 

 

 

 バチッ!! バチバチッ!!

 ゴォォォッ!!

 

 

 

 大きな音を立てて火花が飛び散り、必死に抵抗するかのように、砂嵐が唸りを上げる。だが巨人は意に介する様子も無く、天を衝く高さの砂嵐を、文字通り左右に引き裂いた。

 

 

 

 バチィィッ!!

 

 

 

 奥から押し寄せる黒いもやを見て、レナが仲間達に注意を促す。

 

「これが瘴気ね。靄の中に紛れてるのが『死の影』ってやつかな」

 

 右手を前に突き出して、二発三発と光球を放つ。砂嵐の間に開けた道の先で、黒い塊が弾け飛んだ。【菫の庭園】一行が走り出す。

 

「漏れ出す瘴気は無視して構いません。空気に混ざって無害な濃度に拡散していく筈です」

 

 カリタスから流れてくる黒い瘴気が急速に色を失っていくのを見て、スミスは断じた。

 

 地下迷宮での活動の記録により、瘴気の性質はある程度解明されている。カリタス域内で逃げ場が無いから、濃度を保って地表付近に滞留するのである。

 

 スミスかネーナが噴出口を塞ぎ、エイミーとテルミナが瘴気を上空に拡散してしまえば、危険性は格段に下がる。『死の影』の強さも、周囲の瘴気濃度に依存すると言われているからだ。

 

 

 

 風の王が開いた道を駆け抜け、【菫の庭園】一行が砂嵐を越える。カリタス市街は予想以上に瘴気の量が多く、成人男性であるオルトでも周囲を見通す事が出来ない。

 

 テルミナが喚んだ風の巨人は、大竜巻に姿を変えた。エイミーも竜巻を喚び、二本の竜巻が猛烈な勢いで周囲の瘴気を吸い上げていく。

 

 それにより、結界の解除で一時的に悪化していた【菫の庭園】一行の視界が大幅に改善された。レトロな街並み――ネーナがカリタスに入場しての第一印象は、それであった。

 

 

 

『えっ!?』 

 

 

 

 突然、驚愕する女性の声が、カリタス市街に響いた。

 

『か、カリタス東地区、外縁部。ケホッ、砂嵐が消失!?』

 

 喉をやられてしまったのか、掠れた声で咳き込みながら。それでも女性は、カリタス全域に状況を伝えるように話す。

 

『本部の゛、ゴホッ、救援なの? お願いします、どうか、第三シェルターを……』

「お兄様。多分ですけど、この声はアイリーンさんです」

 

 ネーナが自信なさげに指摘する。

 

 完全記憶能力を持つネーナですら迷う程に声が変わっており、オルトにその真偽はわからない。だが懸命な訴えを無視は出来ず、当面の行動を決定する為の判断材料も必要だった。

 

『了解した。俺達は、本部より派遣されたAランクパーティー【菫の庭園】だ。これから第三シェルターに向かうが、俺達はカリタスの現状を把握していない。瘴気の噴出場所と、第三シェルター前の情報が欲しい』

 

 オルトはエイミーの竜巻を一時的に解除させ、声の主に応答した。

 

『私ば、ギルド職員の゛、アイリーンです! 瘴気が噴き出しているのは、北地区、外縁部付近です!』

「あれね」

 

 フェスタが北西方向を指差す。確かに黒煙のようなものが噴き上げていた。東地区の地下迷宮入口は破られておらず、【菫の庭園】の事前想定は、どれも当て嵌まらなかった事になる。

 

『第三シェルターに゛、定員を超える避難民が、集まっでいま゛す。シェルター入口、から、三十メ゛ートル。バリケードで応戦中、です!』

『――アイリーン、市街に生存者はいるか?』

『え? い、いま゛せん!』

 

 戸惑う声をよそに、オルトは長剣の柄を両手で握った。頭の右に剣を寝かせて剣先を前方に向けた、所謂『雄牛の構えオクス』だ。

 

「ネーナ」

「あそこです」

 

 呼ばれたネーナは、静かに南西方向を指差す。そこには古い教会の鐘楼らしき塔があった。

 

「地図の精度が不明ですから、少し余裕を見てあの鐘楼を目標にして下さい」

「わかり易くていいな」

 

 笑うオルトを見て、テルミナが首を傾げる。

 

「何の話?」

「案内して貰うより、一直線に走った方が早いって話よ」

 

 グッと屈伸をしながら、フェスタが答えた。オルトは腰を落とし、深く息を吐く。

 

 ――強制駆動オーバードライブ 剣身強化エンハンサー 遅延斬ディレイブレード 裂空閃ディストーション――

 

 オルトの姿が一瞬ブレる。

 

 

 

三頭竜殺しマルムスティン!!』

 

 

 

 突き出す剣先から放たれた光の奔流が、障害物を次々と呑み込んでいく。教会の洋鐘は、結婚式のようにガランガランと喚きながら宙を舞う。

 

 光はカリタスの砂嵐を紙のように貫き、ネーナ達の視界から消え――数秒の後、オルト達の前には、南地区へ伸びる一筋の道が出来ていた。

 

 呆然とした様子の、アイリーンの呟きが響く。

 

『何なの、これ――』

『聞こえるか、第三シェルター。これから救援が向かう。後数分、死ぬ気で生き延びろ。生きてさえいればどうにかする、以上だ』

 

 ククリナイフを手にしたレナを先頭に、【菫の庭園】一行は走り出していた。オルトが第三シェルターに続けて、アイリーンに呼びかける。

 

『アイリーン。俺達は瘴気をカリタス域外に放出しながら第三シェルターに向かう。応答できなくなるから、そちらから状況を教えてくれ』

『っ! 承知しまじ、た!』 

 

 オルトが話し終えると、エイミーは再び竜巻を喚び出した。

 

「第三シェルターの事しか言ってなかったけど、定員オーバーってどういう事?」

「わかりません。少なくともアイリーンさんは、第三シェルターへの対処が急務だと認識していたようですが」

 

 レナの疑問、スミスの返事。一行には何しろ情報が不足していた。高濃度の瘴気がカリタス市街を覆い、『死の影』が跋扈している。オルト達の想定が合っていたのはそこまでである。

 

 瘴気が噴出しているポイントからして違っているし、そもそもは一千人強のカリタス住民を、三箇所で定員千五百人のシェルターに収容する予定だった筈。第一と第二はどうなっているのか。群がる『死の影』を蹴散らしながら、レナがボヤく。

 

「あたしらは何も知らない。そんでカリタスの状況を見てたらしいアイリーンが、第三シェルターがヤバいって言ってる。行くしか無いよねえ」

 

 ネーナは無言で走っていた。レナの話よりも、他に気にかかる事があるからだ。そのネーナの背中を、オルトがポンと叩く。

 

「集中しろ。まずは目の前の事からだぞ」

「お兄様……はい」 

 

 オルトの言う通りだと思い直し、ネーナは自分の頬をピシャッと叩いた。先行するレナに声をかける。

 

「レナさん! あの大扉の先が第三シェルター前の広場です!」

 

 オルトが吹き飛ばした教会。ほぼ更地の状態で、残っているのは教会入口の大扉がついた壁一枚のみ。ネーナが記憶した地図では、その先で冒険者達が決死の防衛戦を行っている筈であった。

 

 

 

『第三シェルター、間もなく救援が到着します! 教会入口の前にいる人達はバリケードから離れて下さい!』

 

 

 

 アイリーンの声が市街に響き、避難民達に救援の到着を告げる。

 

 レナが壁ごと蹴り倒す勢いで、大扉を破る。広場を囲うバリケードが仲間達の目に飛び込んで来る。

 

「待たせたな野郎ども、後は任せな!」

 

 【菫の庭園】一行が『死の影』を排除しながら、バリケードの内側に飛び込む。シェルターを守っていた冒険者達から歓声が上がった。

 

氷城アイスキャッスル』 

 

 スミスの築く氷壁が、バリケードを巻き込み『死の影』を阻む防壁となる。エイミーとテルミナ、二人の竜巻が第三シェルター前の瘴気を残らず上空に吹き飛ばす。

 

 オルトとフェスタが周辺の敵を掃討する中、ネーナは椅子に座ったリベック支部長を見つけて駆け寄った。

 

「リベックさん!」

「ネーナ・ヘーネス……間に合ったか、感謝する……」

 

 安堵したような表情ではあるが、顔色は非常に悪い。薬師で医学の心得もあるネーナには、リベックが危険な状態である事が一目でわかった。

 

「レナさん来て下さい! リベックさん、気を確かに!」

「うわっ、死にかけじゃないの! 頭から何か抜けかかってる!」 

 

 焦ったような声で呼ばれて、レナがやって来る。リベックはもう、目の焦点が合っていない。

 

「私はもういい……ハーパー、ギルド長に伝えてくれ……」

「煩い! 自分で伝えなさいよ! っていうか――」

「レナさん!?」

 

 リベックの側に膝をついたレナが、大きく手刀を振りかぶった。ネーナが止める間も無く、リベックの頭部に振り下ろす。

 

「あたしの前で! 勝手に死んでんじゃないわよ! 『極大回復マキシマム・ヒール』!!」

 

 レナの手刀が眩い光を放ち、リベックの全身を包み込む。光が消えた後、衰弱して苦しげだった支部長は穏やかな表情に変わっていた。

 

「全く、手間かけさせてくれるわ」

「……あの、レナさん。どうして手刀を?」

 

 どうしてリベックに手刀を叩き込んだのか。首を傾げながら遠慮がちに聞くネーナに、レナはフンと鼻を鳴らした。

 

 

 

「極大回復はね、上手く調整しないと過回復オーバー・ヒールになって、かえって容体が悪化するの。咄嗟の時は、ヒールよりチョップダメージ入れて調整した方が楽なのよ」

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