第百八十七話 恥ずかしい小芝居は、そこまでです!
「……礼は言うべきなのだろうな」
「あははは……」
自らの頭頂部を手で
第三シェルター入口前の広場は、既に安全が確保されている。二本の竜巻が瘴気を吸い上げ、二人の戦士が見る間に『死の影』を排除し、賢者の築いた氷壁は新たな脅威の接近を許さんとばかりにそびえ立つ。
早くも職員や避難民による炊き出しが始まり、辺りに香ばしい薫りが漂っている。心細い時や苦しい時に、温かい食事がどれ程心を慰めるか、ネーナはよく知っていた。
定員五百名のシェルターに六百名を押し込まれ、先の見えない三昼夜を過ごした避難民のストレスは、察するに余りあった。炊き出しに釣られて避難民が外に出る為、シェルターの過密状態も解消出来るのだ。
オルトとフェスタは氷壁の外に出て、瘴気の薄い地域で敵を掃討している。その間にネーナとレナは避難民の治療を済ませて死者の冥福を祈り、今はスミスと共に状況の説明を受けていた。
「そんな事が……」
「それで、第三シェルターに人が集まってたのね」
二人が眉を顰める。
地下迷宮入口でない場所から瘴気が噴き出し、それに乗じて二つの冒険者パーティーとその取り巻きが第一、第二シェルターを占拠した。伝えられた経過は、ネーナ達やギルド本部の想定を大幅に超えていた。
イレギュラーの重なる苦しい状況下で、第三シェルターは百名を超える冒険者やギルド職員が、救援の到着まで文字通りバリケードを死守したのである。
「よくぞ持ちこたえてくれました」
スミスが冒険者や職員を労うが、カリタス支部長のリベックは頭を振った。
レナとネーナによって既に回復しているものの、防衛戦で多数の負傷者が出た。元からの病人が一名、戦闘に参加した冒険者が二名、計三名が死亡している。他にやりようがあったのではないか、そんな思いを誰もが抱えていた。
「先に第三シェルターに避難していた者達が、第一と第二から流れて来た我々を受け入れてくれたんだ。そうでなければ、生きてここには居られなかったろう」
周囲で話を聞いていた避難民達が急に話を振られ、恥ずかしそうに笑った。
「俺達だって悩んださ。反対意見も出た。だけどよう――」
「『天使の声』が聞こえちゃったら、ね」
「だよなあ」
先に第三シェルターに避難していた者にも、『天使の声』――アイリーンの
高所から俯瞰して正確な情報を伝えたアイリーンの存在があってこそ、被害を格段に抑え込めたのである。『天使の声』が無ければ第二シェルターの避難民は全滅していたし、防衛戦を凌ぎ切る事も出来なかった、それが人々の実感であった。
ギルド職員の女性は、ネーナに手書きの図面を手渡し頭を下げた。
「
図面は、ギルド支部の見取り図である。物見部屋への順路は一見ではわかりにくく、救援に向かう者の為に職員達が作成していたのだった。アイリーンとレオンを救けて欲しい、その一心で。
『レオン!?』
突如、悲痛な叫びがカリタス市街に響く。
危急を告げるアイリーンの声に、第三シェルター前にいる者達が一斉に物見塔を見やった。
『すまん、しくじった……』
『すぐに手当をするから!』
二人の声、そして木の扉を激しく叩くような音。それが物見部屋の状況である事は、誰が聞いても明らかである。
「頼むよ、あの娘を助けておくれよ! うちのお得意さんなんだよ!」
「俺達は、あの娘が背中を押してくれなかったら、第二シェルターの前で死んでいたんだ……」
中年の夫婦が懇願し、救いを求める避難民達の視線が【菫の庭園】一行に集中する。
『くっ、仲間を踏み台にして、上がって来るつもりか……』
レオンの呻き声を拡声魔道具が拾う。
「向こうが不味そうだな」
「お兄様、フェスタ!」
氷壁の外で『死の影』の掃討をしていたオルト達が戻る。ネーナから受け取った見取り図を開き、オルトは難しい顔をした。
「あの辺りは、まだ敵も瘴気も残ってる。少々鬱陶しいな」
「はい」
第三シェルターの周辺と違い、ギルド支部のあるカリタス中心部は瘴気濃度も高い。二人は見取り図から物見塔へと視線を移した。
【菫の庭園】が第三シェルターに行った時のように道を開いても、敵を排除しながら塔を駆け上がる時間は大きなロスになってしまう。
だがネーナは
「なので、上を走りましょう」
「まあ、そうなるんだけどな……」
オルトが気まずそうにフェスタを見る。そのフェスタは苦笑しながら、早く行けと言わんばかりに手を振った。
「貸し一つよ、オルト。時間が無いわ」
「……了解」
「お兄様をお借りしますね、フェスタ」
オルトは満面の笑みのネーナを横抱きにすると、軽く飛び上がる。その身体は落下する事なく、不可視の足場に乗ったかのように宙に浮いていた。
「ちょっと行ってくる。フェスタ、後は頼む」
「気をつけてね」
宙を蹴り、オルトが走り出す。仲間達は、ネーナが出す障壁を利用しているのだと気づいていた。
オルトのスピードに合わせ、足下に障壁を出せるのはネーナだけ。だがネーナの身体能力ではオルトについて行けない。必然的にネーナは、お姫様抱っこの形でオルトが連れて行くしかないのだった。
「……直線で行った方が早いから、目の前をブチ抜いて道にしようとか。地面や階段を走ると敵と瘴気が邪魔だから、空を走ろうとか。発想がシンプル過ぎない?」
レナの言葉に、フェスタとスミスが何とも言えない表情をした。ネーナの思考は回りくどくなりがちな魔術師の中にあって、恐ろしくストレートである。一辺倒ではないものの、オルトの影響なのは誰が見てもわかった。
『さすがにもう、ここまでかもしれんな。剣も折れちまったし……』
『救援は間に合ったし、もういいわよ。少し疲れたわ』
空を翔けるオルトの背中が遠ざかる中、辺りにはレオンとアイリーンの会話が響いている。フェスタが首を傾げた。
「この声、どうなってるの?」
「多分、拡声魔道具が終了されず、そのままになってるんだと思います……」
ギルド職員の一人が答える。物見部屋には、机に固定された魔道具の他に、ブローチのように襟や胸元に取り付ける小型の拡声魔道具もあるのだという。
『最後に一つだけ、人の役に立てたかな』
『ああ』
『一緒にいてくれて有難う、レオン』
『それはこっちの台詞だ』
ドンドンガンガンと石の床や木の扉を叩く音が激しくなってくる。そんな状況でも、レオンとアイリーンは穏やかに話していた。
『……もう一度、人間に生まれて来れたら。ううん、人間じゃなくても。今度はもっと早く、貴方に会いたいな』
『なら、俺が探しに行くよ』
『レオン……』
『アイリーン……』
チッ、とレナが舌打ちをする。
「全域放送で、何てもの聴かせてくれてんの、あいつら」
早く終了させてくれ。第三シェルター前の人々の思いは、救援よりもそちらに傾いていた。
『――恥ずかしい小芝居は、そこまでです!』
『うわあああっ!』
『キャアアアアッ!』
ネーナの声に続き、レオンとアイリーンの叫びがカリタス中に響き渡った。第三シェルター前でも歓声が上がり、人々が歓喜の拳を突き上げる。
「どうやら間に合ったようですね」
スミスはヤレヤレといった表情で頷く。拡声魔道具が拾っていた騒々しい打音が消えた事で、人々は物見部屋の安全が確保されたのだと理解した。
『こちらはネーナ・ヘーネスです。物見部屋で抱き合っていた二人を確保、負傷しているものの命に別条はありません。小芝居の続きをご希望の方は、後ほど直接交渉をお願いします』
『ちょっ!?』
アイリーンの抗議を無視し、ネーナは言葉を継ぐ。再びシェルター前で歓声が上がった。
『北地区では、依然として瘴気の噴出が続いています。私とお兄様は物見塔の敵排除が完了次第、塔を封鎖して噴出を止めに向かいます』
エイミーとテルミナがいくら瘴気を拡散した所で、後から噴き出すのでは意味が無い。アイリーンが要請しなければ、ネーナ達は最初に瘴気の噴出を止めに行った筈であった。
「了解。私達は市街で掃討戦ね」
フェスタは聞こえないであろうネーナに応じる。
「まずはギルド支部を押さえましょう。魔道具が破壊されていなければ、本部との通信が回復します」
スミスの提案に仲間達が頷く。ギルド支部を制圧し、瘴気濃度を下げてしまえば冒険者と職員で維持出来る。スミスから本部へ連絡する事も出来るが、暫く手が塞がってしまうのだ。カリタスの状況をつぶさに知るリベック支部長に任せるのが適任である。
テルミナ一人を備えに残し、フェスタ達も動き出した。
◆◆◆◆◆
「……どうして、来たの」
レオンを抱き締めたアイリーンの口から漏れたのは、そんな言葉だった。
二人はじきに、物見部屋に這い上がって来る『死の影』によって命を落とす筈であった。窮地を救ってくれた恩人に対して何を言っているのか、アイリーン自身でさえそう思った。
物見部屋の中央に開いている下り口からは、遠くで何かが動いている音が聞こえてくる。石の床をガンガンと下から突いていた無数の気配は、瞬く間に消えた。
物見部屋からも見ていた、理不尽なまでの強さ。かつての自分は、こんな連中に喧嘩を売ったのだと笑いすらこみ上げる。
アイリーンの不躾な物言いに対し、机に向かって放送を済ませたストロベリーブロンドの髪の少女が振り返る。少女は不思議そうな顔をしていた。
「どうしてって……カリタスの皆さんから、お二人を救けて欲しいとお願いされましたから」
少女――ネーナは二人の側に膝をつき、ポーチから包帯や小瓶を取り出した。小瓶を一つアイリーンに手渡し、自分はレオンの手当てを始める。
「そのまま飲んで下さい。喉が楽になります」
言われるままに小瓶の中身を飲み干す。三日も放送を続け、痛みが熱にしか感じられなくなった喉が、スッと冷えていく。
「……私達は、救けて貰えるような人間じゃないのに」
「はい、終わりです。痛み止めも置いていきます。傷口が開きますから、暫く動かないで下さいね」
手早く治療を終えたネーナが、道具をポーチに仕舞う。
「お二人を恨んでいる人も、許せないと思う人もいるでしょう。お二人がした事はそういう事で、償いの終わりなどあって無いようなものです。ですが――」
ネーナは立ち上がった。
「お二人の無事を願う方々は、確かにいました。それが、シルファリオを離れてからのお二人に対する答えです」
「――よっと」
床の穴に手をかけ、オルトが物置から上がってくる。
「塔内の敵を片付けてから封鎖しないと駄目だな。手当ては済んだのか」
「はい」
ネーナが頷くと、オルトはチラリと、折れたレオンの剣を見た。自分の長剣を鞘に納め、腰から外してレオンに押し付ける。
「こいつを使え。大事な人を守るのに、丸腰じゃ難儀だろう」
「それではお兄様の剣が――」
「剣なら、あるさ」
オルトは懐から剣の柄を取り出した。
ネーナはそれに見覚えがあった。『剣聖』マルセロとの戦いで刃が砕けた、オルトの愛用していた剣の柄だった。
自分の行動が原因でオルトは剣を失った。その事を改めて認識し、ネーナの表情が曇る。
オルトは右手で柄を握り、左手を失われた刃の折れ口に添えた。
「そんな顔するな。俺が手にしたなら――」
――
「ふわッ!?」
ネーナが目を見開き、驚きの声を上げた。
オルトが見えない剣身を撫でるように左手を滑らすと、柄から光の刃が伸びる。
「――それは剣になるのさ」
オルトは輝く剣を手に、悪戯が成功した子供のような顔で笑っていた。
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