第二百十六話 お迎えに来たよ
「お待たせ」
茂みをかき分け、レナが姿を現す。そこには【菫の庭園】の仲間達が待っていた。
「どう? 行けそう?」
「全く問題なし」
フェスタの問いに、レナが頷く。
「ガウは目立つから、弓の中にいて」
『ガウッ』
心得たとばかりに、精霊熊は姿を消した。
レナを先頭に【菫の庭園】の五人が木々の間を駆け抜ける。
三メートル程の高さの塀に行き当たった所で、レナは振り返った。
「高い塀のある場所は警備がいない。ここから抜けよう」
左右に見通せる限りまで続く塀は、『惑いの森』と人の生息域を分かつものだ。塀の天辺は、森の側に傾斜する獣返しになっていた。
――大地の精霊。私達が進む地中の道を開いて――
テルミナの詠唱で、地面に直径一メートル半ほどの穴が空く。潜り込んだレナが、再び顔を出した。
「急がなくて大丈夫だから、一人ずつ、ゆっくり来て」
――光の精霊さん、穴の中を明るくして――
今度はエイミーが光精を喚び出す。
「うふふ、帝国潜入大成功です」
ネーナは穴から引っ張り出されると、楽しげにジャケットの汚れを払った。地図と方位計を使って現在地の確認を始める。
「本当に人の気配が無いのね。どうなってるのかしら」
「あー、それね」
警備の薄さに首を傾げるフェスタ。レナは肩を竦める。
「急遽帝都警備の応援に、西部方面軍からゴソッと引き抜かれたらしいよ。検問所で兵士がボヤいてた」
『…………』
五人が黙り込む。アルテナ帝国が帝都に増援を必要とする理由に、彼女達は十分な心当たりがあった。
「お兄様です……」
「お兄さんだね……」
正に今、ギルド長のヒンギスが帝都に乗り込んでいる。護衛として同行している筈のオルトは、ここぞとばかりに武威を示すだろう。
帝国外交のお家芸は、強大な軍事力を背景にした恫喝とゴリ押しである。譲れば侮られる。退けば踏み込んでくる。一つ与えれば味を占め、次を要求してくる。
武器を持って詰め寄る暴漢に「話せばわかる」と説いた所で、殺されるのがオチだ。殺せば話す必要も無いのだから。そこに人同士も国同士も違いは無い。
そんな相手に言い分を呑ませるには、相手を上回る力を見せるしかない。オルトが自重する理由も、ヒンギスが止める理由も無かった。
フェスタが仲間達に念を押す。
「帝国は私達がカリタスにいると思っているでしょうから、慎重に行動しないとね」
予想よりカリタスの守りが薄いと知れば、帝国軍が再び兵を差し向ける可能性がある。万が一フェスタ達が下手を打ち、帝国領内で捕捉されても、冒険者ギルドと帝国の交渉に悪影響を与えるのは必至なのだ。
「ここからはネーナが頼りね」
「お任せ下さい」
地図を見ながら、ネーナが応える。
目的地であるエイミーの故郷は、とんでもない僻地にあった。レナが勇者パーティー在籍時に一度行った事があるものの、当時は転戦中に移動していて偶然行き着いただけ。全く行き方を覚えていない。
エイミーは住んではいたが、人族以外への当たりが厳しい帝国北部の、さらに閉鎖的な寒村。生前の両親と近場の山を歩く事はあっても、他の町や集落に行った事は無かった。
つまり誰も、エイミーの故郷への行き方を知らなかったのである。地図にすら記載が無く、辛うじてスミスが大まかな場所を記憶していたのみであった。
「近くまで行けばわかるんだけど……」
「大丈夫です」
申し訳無さそうなエイミーに、ネーナが微笑みかける。
もっと早い機会に、【菫の庭園】がエイミーの故郷に行く事は出来たのだ。目の前で起きている事を、何か一つ見過ごすか他人任せにすれば。
だがエイミーはそれを良しとしなかった。愚痴も言わず、仲間達と共に真摯に向き合った。だから今回、オルトとスミスは別行動をしてまで機会を作り、エイミー達を送り出したのである。
エイミーに同行している四人、とりわけネーナの意気込みは強かった。
「街道を使わず、町にも寄らず、およそ三日の行程になると思います。途中の湿地帯を迂回し、スウェイン高地を目指します」
ネーナが広げた地図を、仲間達が覗き込む。
森や林を抜けて人目を避けながら目的地を目指す最短、最速ルート。通常では不可能な行軍が可能なのは、水の確保を全く考慮しなくていいからだ。
水精を使役出来る精霊術師が二人、さらに魔法のヤカンを持つネーナがいる。他の冒険者パーティーが見れば
◆◆◆◆◆
「……ここ、知ってる」
腰ほどもある高さの草むらの中を進んでいたエイミーが、一本の立ち枯れた木に近づいて行く。その根本には小さな
「山の神様、ですね」
「うん。この右側が上に行く道で、左側がおうちに行く道なの」
ネーナはエイミーの隣にしゃがみ、真似をして手を合わせた。そして二人で祠の掃除を始める。
「お父さんはいつもこうやって神様を綺麗にして、パンとお水をお供えしてたの」
「エイミーのおうちは近いんですか?」
「うん」
二人を横目に、レナは首を捻る。
「草ばかりで、どこが道だかわかんないよ。前にあたしが来た時は、こんなじゃなかったな」
エイミーを連れ出して以降、勇者パーティーが再びこの地を訪れる事は無かった。そこから今日までのおよそ五年、ずっと放置されていたと考えた方がしっくり来る。それ程の荒れ具合だ。
「これで村に人がいるとは思えないよね」
「それ自体は都合が良いけれど……」
遠眼鏡で村の方向を覗いながら、フェスタが応える。
寒村であっても今は日中、煙の一筋も立ち上っていないのは不自然だ。
帝国民に見つかりたくないフェスタ達にとって、誰もいないのは歓迎すべき事ではあった。
「エイミーのお父さんとお母さんのお墓は、どこにあるの?」
「こっちからだと、村の向こう。おうちの裏にあるの」
掃除を済ませたエイミー達が、パタパタと駆け寄る。
排他的な集落で、余所者かつ人族ではなかったエイミーとその母は、村民の父と共に村の外れで暮らしていた。その両親も、レナがエイミーと出会った時には既にこの世に無かった。
当時を思い出し、レナは不愉快そうに顔を顰める。
「正直、あの村に何かあったとしても知った事じゃないけどね。行こうか」
レナが促し、一行が歩き出す。
精霊術により進行方向の草が左右に避け、細い生活道が露出する。
少し表情が硬いエイミーの手を、ネーナが握る。
「大丈夫です、エイミー。もし嫌な人がいても、私がやっつけてあげます」
エイミーは少し驚き、そしてクスリと笑った。
◆◆◆◆◆
村に近づいた仲間達は、一目で異変に気がついた。
木の門も、村の境界を示す柵も破壊されている。
原型を留めている家屋は無く、村の敷地全てが雑草に覆われている。
「単に村を捨てたって話じゃ無さそうだ、ねっ」
レナは言いながら、焼けて炭となった木の柱を蹴り折った。
「――お父さん、お母さん!」
弾かれたようにエイミーが村の奥へと走り出す。その背中の精霊弓から白熊が飛び出した。
『
ネーナが懸命に追いかけるが、小さな背中は村を出て、見る間に遠ざかっていく。
普段のエイミーはネーナを気遣い、足を合わせて隣を走ってくれている。久々に本来のスピードを見せられ、ネーナは面食らった。
呆然と地面に座り込むエイミーに追いついた時には、廃墟となった村から遠く離れていた。
道の脇がこんもりと盛り上がり、土から焼け焦げた木材が顔を覗かせている。おそらくはエイミーの生家があった場所なのだと察せられた。
エイミーはその向こうで俯き、肩を震わせている。盛り土を避けて回り込んだネーナは、言葉を失った。
墓石と思しき二つの石が倒され、それぞれ地面が掘り返され、骨が散乱している。
医学の心得のあるネーナには、それらが人骨である事がわかった。状況から見れば、埋葬されていた二人のものである可能性が高い。
「ネーナ……」
大粒の涙を流しながら、エイミーが顔を上げる。ネーナは両膝をつき、彼女を抱きしめた。
「ガウさん」
『ガウッ?』
「二つの穴に埋まっていた骨を、分けて集める事は出来ますか?」
『ガウッ!』
精霊熊はコクコクと頷き、右前足で地面を一叩きする。散乱していた人骨が地面を滑るように動き、それぞれの穴の前に集まった。
ネーナはエイミーの身体を離し、ニッコリと微笑む。
「さあエイミー、涙を拭いて。ご両親にただいまを言わないと」
「あ……うん。ネーナ、ガウちゃん、ありがとね」
驚きで目を丸くしていたエイミーが、促されてゴシゴシと目元を拭った。
「ただいま、お父さん、お母さん。お迎えに来たよ。遅くなってごめんね」
遺骨を一つ一つ、大事そうに二つの袋に収め、エイミーはそれを掻き抱いて再び涙を流す。
「あの、エイミー」
ネーナが言いにくそうな顔をする。
「ご両親の御遺骨は、おそらくは――」
「いいのネーナ」
両親とも、遺骨は一部欠けている。ネーナの言葉を途中で遮り、エイミーは頭を振った。
「きっと足りない分は、山の動物さん達が持っていったと思うの。それならいつか、山の土になるから。お父さんもお母さんも、この山が好きだったから、だから大丈夫」
そう言って、両親の遺骨を抱きしめた。
「これ、わざわざ壊してから焼いてるのね」
ネーナが振り返ると、テルミナが小屋の跡地を調べていた。
「お墓の方も、農具で掘り返したようです」
「村八分というより、村民の扱いじゃないわね」
テルミナが眉を
「じゃあ私は、フェスタ達を呼んで来るわ。少し待ってて」
村へ向かうテルミナを見送り、ネーナはエイミーの傍らに腰を下ろす。
正直、ネーナにはわからない事だらけだった。
エイミーの生家や両親の墓が荒らされていたのは、彼女を迫害していた村人達の仕業だと納得できる。ただ、村の方はどうして破壊されていたのか。
貧しい寒村で、野盗が襲っても旨味は無い。付近には、この村以外に目的になるようなものも無い。肉食の魔獣や獣も、人を襲うならば山で獲物を探した方が楽に思える。
おかしいと言えば、村への道も長らく人が通った形跡は無かった。街道に出る所から封鎖されていたのかもしれない。
――ガサッ。
近くで草むらを揺らす音が、ネーナの意識を引き戻した。
少し気を抜いていた迂闊さを悔やみながら、遺骨を地面に置いたエイミーと共に身構える。
「狼さん?」
姿を現したのは、一頭の大人の狼であった。地面に伏せている精霊熊をチラリと見ただけで、まるで警戒する風もなくエイミーに歩み寄り、足下にカランと骨を置く。
「エイミーその骨……多分、お母さんの脛です」
「えっ?」
ネーナはエイミーの両親の遺骨の内、足りない部位を記憶していた。
狼はネーナの話を肯定するように軽く尻尾を振ると、クルリと向きを変えて立ち去ろうとする。
「あっ、待って狼さん!」
エイミーが慌てて狼を呼び止め、荷物袋から取り出した干し肉を投げた。
「ありがとう!」
「ヴォウッ」
狼が振り返ると草むらが揺れ、新たに四頭の狼が現れる。今度はネーナが頭数分の干し肉を投げた。
「うふふ、奥さんと子供達も一緒に届けに来てくれたんですね」
「みんなありがとうね!」
狼達が順番に一枚ずつ干し肉をくわえ、草むらの中へ戻っていく。
二人はその様子を見て、微笑み合うのだった。
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