閑話二十六 こんな事、前にもあったっけ
「ニムス、考え直してくれ。お前が抜ければ大幅な戦力低下は必至だ」
義勇軍司令部の参謀が懇願する。会議室に勢揃いした義勇軍幹部達の視線は、ニムスに集まっている。
ニムスはゆっくりと頭を振った。
「十分に考えて決めた事だ。義勇軍は既に、旧三王国の失地を回復している。一方で義勇軍の勢力範囲では、民衆を虐げる義勇兵が新たな脅威となっているではないか。このような状況は看過出来ない」
真っ直ぐに見返された参謀が、視線を逸らす。
義勇軍はアルテナ帝国軍を相手に各地で連勝し、孤立していた帝国軍南部駐屯地を陥落させ、帝国南部の実に七割を手中に収める大戦果を挙げていた。
ゴルドン、ダーラン、バルディの旧三王国との古い国境線を越え、現在は倉庫となっていた帝国軍の要塞を占拠する事にも成功した。
表向き順調な義勇軍の進撃ではあるが、支配下に入った地域では不心得な義勇兵による略奪や暴行が頻発していた。
ある事件でオルトと対峙し事態の深刻さを痛感したニムスは、後方地域の治安維持を担当する事を申し出たのだった。
義勇軍司令部としては、大戦力であるニムスを前線から下げるなど聞き入れられない。これは三度目の慰留である。
その慰留に対して、ニムスは言葉を返す。
「義勇軍蜂起以降、多くの犠牲を払って進んで来た。ここから更に進めば、敵は弱体化した南部方面軍から精強な帝都守備隊と帝国騎士団に変わる」
南の義勇軍、東の少数民族ゲリラ、北のドワーフ族と三方同時の防衛戦を強いられながら、帝国は持ちこたえている。義勇軍の総力を挙げても、帝国の打倒は夢物語でしかない。
格段に増える犠牲を容認し、義勇軍はこれから何を目指すのか。ニムスにそう問われた幹部達は誰も答えない。共同歩調を取れる大目標が達成され、司令部内でも各人の思惑が表面に出てきていたからだ。
「帝国から奪取した要塞を北の防壁とすれば、新国家樹立も成るだろう。その民となる者達が、義勇軍を名乗る無法者によって苦しめられている。これを放置すれば、我々は大義を失ってしまう」
話は終わりとばかりに、ニムスが席を立つ。
「……くそっ、『
誰かが苛立ち紛れに吐き捨てた言葉を聞き咎め、ニムスは幹部達を振り返った。
「彼は何も間違っていない。彼を気に食わないというなら、それは俺達が道を外れているからだ。我が友の侮辱はやめてもらおうか」
元より返事は期待していない。
息の詰まりそうな会議室を出ると、ニムスは新たな治安維持部隊の拠点へと向かうのだった。
◆◆◆◆◆
失意のうちに帝都へ戻ったセドリック達【真なる勇気】は、教会の前を通りかかった。
葬儀が行われていたのか、中から出てくる人々は喪服を着ている。セドリック達の部屋と共同墓地は途中まで同じ方向な為、自然と喪服の人々と一緒に歩く形になった。
「――旦那さんも気の毒にねえ。南部から避難してきたばかりでこんな事になって」
フードを被り顔を隠して歩くセドリックの耳に、後ろの女性達の会話が聞こえてくる。
「亡くなった奥さん、ゴルドンの人なんだって」
「えっ、そうなの?」
葬儀で故人の話題になるのはよくある事だ。真偽の程は別にして、かなりのプライベートな情報が拡散されるのは避けられない。
南部に入植した独身の帝国人男性には、政策で被征服地域の女性が配偶者としてあてがわれた。それらの女性は既婚であっても、夫や子供と引き離された。
喪服の女性達は遺族を気遣いながらも、同性として故人に同情的であった。
「無理矢理別れさせられた元の夫や子供が攻めて来るなんて、考えたくもないわ」
「どんな気持ちで避難してきたのかしら」
「それで奥さんは………」
言葉を濁してはいるが、故人が自死であったというニュアンスはセドリック達にも伝わった。
『お前が斬った義勇兵には、新婚の妻がいた。国を滅ぼされ、妻は帝国に連れ去られ、この都市で帝国の男に嫁がされた』
『十五年間再会を願って、泥水を
先日、元冒険者の義勇兵に投げかけられた言葉が脳裏に浮かぶ。
それ以上話を聞いていられず、喪服の集団から離れる為、セドリック達は路地を曲がった。
「っ!?」
前から猛然と走ってきた男とすれ違う。セドリックは驚きで息を呑んだ。
男の顔には見覚えがあった。いや、忘れる筈が無かった。
口から男の二つ名が漏れる。
「『
その後を冒険者風の二人が、さらに遅れて帝国騎士の四人が必死の形相で駆け抜ける。【真なる勇気】の面々に目もくれずに。
何かあったのはわかる。だがセドリックは彼等を追う事が出来なかった。
『お前は勇者になれないし、『
再び思い出される義勇兵の言葉が、彼の心を
セドリックは仲間と共に、冒険者が走り去った方向をじっと見つめていた。
◆◆◆◆◆
頬に当たる冷たい感触で、意識が
「…………」
ミアは暗い部屋の中、床にうつ伏せで倒れていた。身体の下で圧迫されているせいか、両腕の感覚は無い。
自分が
「うぐッ」
両腕は
右足には鉄の環が填められ、鎖で床に繋がれている。まだボンヤリとした頭で、懸命に現状認識を試みる。
「地下牢、か……」
呟きが狭い石室に響いた。
暗闇には慣れたものの、視界は半分以下。特に左目が殆ど開かない。
鉄の扉の下側に小窓がついていて、その前に食事のトレーが見える。朝晩に差し入れられる食事の回数を数えると、地下牢で四日は過ごしている事になる。
ミアは差し入れには一度も手をつけていない。何の薬が盛られているかわからないからだ。
ここがどこなのかはわかっている。軍務省情報局の幹部であるパトリック伯の屋敷だ。伯爵は情報局に所属するミアの上司であり、その四男はミアの父親が勝手に決めた婚約者なのだ。
ミアは冒険者パーティー【禿鷲の眼】の一員として諸国を流れ歩きつつ情報を集める、帝国軍の密偵だった。それが命令違反を理由に、同じく密偵でパーティーメンバーでもあるガルフ、ショットと共に捕縛された。
他の二人と引き離されたミアは、暫く情報局で
初めて顔を合わせた年下の婚約者は、予想以上に屑だった。いきなりベッドに押し倒されたミアは、反射的に相手の股間を蹴り上げた。
婚約者はミアを地下牢に放り込み散々罵倒し、ペラペラと婚約の舞台裏まで暴露した。
父親のパトリック伯が揉み消していたものの、彼の女癖の悪さは庇いきれない状況になっていた。そこにミアの父親である男爵が、軍部とのコネ欲しさに娘を差し出すと申し出た。
存分に性欲のはけ口にして構わないというから婚約の話を受けたというのに話が違う、お前が懇願するまで決して地下牢から出さないと、怒り心頭の婚約者は言い放った。
それでも婚約者は、ミアを痛めつけるまではしなかった。暴行に及んだのは、彼女の実父だった。
伯爵家から苦情を受けた男爵は鬼の形相で駆けつけ、恥をかかされたとステッキが折れるまで力任せにミアを打ち据え、それでも気が済まないのか殴る蹴るを繰り返した。
男爵が帰るまでは気を張って耐えていたが、乱暴に扉が閉められる音を聞くと、気力も体力も限界を超えていたミアは意識を手放したのだった。
気を失っている間に何かされた様子は無く、ミアはひとまず安堵の溜息をつく。だが、現状に楽観できる要素は一つも無かった。
心配なのは、自分よりもガルフやショットの事だ。パトリック伯が身柄を引き取ったミアと違い、二人は情報局に拘束されている筈。
尋問や拷問、最悪の可能性までミアの脳裏をよぎるが、地下牢からの脱出はおろか、自分の身体も満足に動かせない彼女に出来る事は無い。
ミア達のパーティーにはもう一人、ルークというメンバーがいた。三人を憲兵に通報して拘束させた彼は、ミアが勾留されている時に情報局で顔を合わせたきりだ。
今にして思えば、ルークは最初から情報局の監視役としてパーティーに加わっていたのかもしれない。ミアはそう考えていた。
――カツン。
遠くで、硬いブーツが床を蹴る音がした。ミアはビクッと身体を震わせる。
近づいて来る足音は複数。
食事の差し入れは、これまで一人で来ていた。
また父親が
何日も飲まず食わずで暴行の怪我も癒えておらず、ミアの体力は残り少ない。再び暴行を受ければ死んでしまうだろうし、男性が力ずくで組み伏せに来れば抵抗出来ない。
ミアは覚悟を決めた。
最後の力を振り絞り、舌を噛み切る事は出来る。反りの合わない父親の道具になるつもりも、好きでもない男に身体を許すつもりも無かった。
心残りはガルフの胸の内を聞けなかった事。そして、冒険者としての活動で得た友人達に、もう会えなくなる事。
ギイッと重い音を立てて鉄の扉が開く。
未練と共に自らの命も断ち切ろうとするミアの耳に届いたのは、聞き覚えのある声だった。
『ミア! しっかりして!』
『ミアさん!』
ミアが最期に会いたいと願った友人達、その中の二人が駆け寄って来る。
力強い腕で助け起こされ、身体が温かくなり痛みが消える。
「イリー……ナ?」
『そうよ。もう大丈夫。生きててくれてよかった』
しっかり開くようになったミアの両眼は、涙ぐむイリーナと懸命に法術を行使するクロスの姿を映していた。
扉の方へ顔を向ければ、ここにいる筈の無い男の背中が見えた。男はミア達を守るように、四人の帝国騎士と対峙している。
軍部と騎士団は折り合いが悪く、軍の重鎮であるパトリック伯の邸宅に帝国騎士がいるのは異例な事だ。さらに、伯爵の家人や使用人の姿も見当たらない。
『オルトさん、ミアさんの傷や怪我は一通り癒やしましたが、かなり衰弱しています』
クロスの言葉に、男――オルトが小さく頷く。
オルトと帝国騎士達のやり取りは、ミアには聞こえなかった。だが剣呑だった騎士達の表情が、突然真っ青に変わったのは見えた。
興味を失ったかのように騎士達に背を向け、オルトがミアに歩み寄る。
オルトに背負われ、ふわりとミアの身体が宙に浮いた。
「……来て、くれたの」
『当たり前だろう』
短い返事に涙が
Aランク昇格審査を途中で放棄しての【運命の輪】と【明けの一番鶏】救援。本来は無関係な筈の『深緑都市』ドリアノン救援。休む間もなく『監獄』カリタス救援。
彼とその仲間達の活躍は枚挙に
そうだ、彼は当たり前に駆けつける男だったと、ミアは今更のように思い出した。
「ガルフ、は」
『ガルフもショットも探させてる。後は俺達に任せて、少し休め』
ミアは応えなかった。
極度の緊張から解放され、意識が遠のいていく。不思議と懐かしい感覚だった。
――こんな事、前にもあったっけ。
以前にも一度、戦闘で負傷したミアがオルトに背負われて帰還した事があった。【禿鷲の眼】と【菫の庭園】の初めての出逢いである緊急クエストだ。
その時と同じようにオルトの背に揺られながら、ミアは深い眠りの海へと落ちていった。
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