第百七十二話 顔見たらブン殴ってやりたいと思うくらいには嫌い

 障壁に付着した血が流れ落ちる。視界がクリアになる。


 最後に女性が立っていた場所を中心に地面が抉れ、放射状に血肉が飛び散っている。


 叩きつけられたであろう骨片や赤黒い肉塊が、障壁に沿って落ちている。


 周囲に漂う、濃い鉄の臭いと鼻を突く刺激臭。髪や肉が焦げた時の、嫌な臭い。腹の底から何かが、猛烈な勢いでこみ上げてくる。


 障壁の向こう側を見たネーナは――




「ゔお゛ぉえぇ゛っっ!!」




 ――盛大に吐き散らした。


「構うな!! まだ!!」


 駆け寄ろうとしたフェスタが、オルトの声で足を止める。


 ネーナは戦場から離脱していない、自分の役割を果たしている。オルトのその言葉に力を得て、ネーナは自分の心を強く叱咤する。


 オルトはこの廃棄区画に入る前、「全てが終わるまで立ち止まれない」と言った。ネーナはその言葉通りに魔法障壁を維持し、周囲への警戒も怠っていなかった。吐いたのは、変に堪えて集中を切らさない為だ。


 気づけば顔の側に、エイミーが飛ばした水の塊がフヨフヨと浮かんでいる。ネーナは噛みつくように水を含むと、数回濯いで吐き出し、服の袖で乱暴に口元を拭った。


「お゛、お兄様゛!! 左胸゛の、傷が爆発しまじだッ!!」


 ネーナは女性が爆死した瞬間を、目を逸らす事なくしっかりと見ていた。左胸にある大きな傷の辺りが爆発源だと、荒れた喉に構わず、血反吐を吐くようにして訴える。


 オルトには、仲間達にはそれだけでしっかり伝わっていた。


 オルト達は【七面鳥の尾ターキー・テイル】メンバー全員が死亡した現場に足を運び、死体検案書にも目を通した。爆死した双子の片割れとルーファスについての記載事項が、目の前の女性達にも当て嵌まる事にも気づいている。


 女性達は間違いなく、『ラボ』によって体内に爆発物を埋め込まれている。オルトは即断した。


「レナ」

「ごめん、全員はキツい」


 オルトの意図を察したレナが、悔しそうに応える。ノロノロと、まるで死人のように迫る女性達を見据え、唇を噛み締めた。


「一と二だったら、イケる」

「では、残りの五人は私が見ましょう」


 まずは一人、間を置いてさらに二人。それならやれるとレナが言い、残りはレナのクールタイムが終わるまで時を稼ぐと、スミスが申し出た。


「頼む」


 オルトは仲間達を一瞥する。


 恐らくミリ・ヴァールは、起爆のスイッチを握っている。そして【菫の庭園】一行のこのやり取りも聞いている。仲間達に詳しく話す時間は無い。


 オルトは行動を起こす為に一歩踏み出す。だがそこで、想定外の事態が発生した。




【菫の庭園】一行に近づいていた女性達が、突然歩みを止めた。戸惑う一行に、栗色の髪の女性が話しかけてくる。


「……不躾ですが、皆様にお願いがございます」

「お願い?」

「あっ、こちらには近づかないで下さい」


 話に応じる為に近寄ろうとしたオルトを、女性が制する。爆発に巻き込まない為の気遣いなのだと、オルトは理解した。


「私達はきっと、生きては帰れません。皆様を巻き込みたくもありません。ただ、皆様に言伝をお願いしたいのです」


 オルト達に近づく僅かな時間の間に話し合ったのか、女性達は一様に覚悟を決めたような表情をしていた。


 女性達にもそれぞれ、親しい者や愛する人がいる。もしも【菫の庭園】一行がラボを離脱出来たなら、それらの人々に自分達の最期の言葉を伝えて貰えないか――それが女性達の、ささやかな望みであった。


「見ての通り、私達には皆様にお渡し出来る対価もございませんが、何とぞ――ううっ!?」


 栗色の髪の女性が急に苦しみだす。他の女性も左胸の辺りを押さえて、苦悶の表情を浮かべていた。


 ミリ・ヴァールが何かしたのは明らかだ。苦しんでいる女性達に駆け寄れば爆発する。女性達は衰弱しており、どの道このままでは死ぬ。


 栗色の髪の女性の瞳から、光が失われていく。オルトはギリッと奥歯を噛み締めた。




 ――強制駆動オーバードライブ――




 オルトの姿がブレる。次の瞬間、女性の前に姿を現す。


 ザンッ。


 ネーナは息を呑んだ。


 オルトの長剣が女性の左の鎖骨を断ち、細い身体を乳房まで切り裂いていた。女性の瞳が驚きで見開かれる。


 オルトの眼が標的を捉える。


 ――見えた。――


 不気味に脈動する、拳半分程の大きさの紅い塊が、女性の背後に突き出される。筈のオルトは、既にで剣を引いていた。


 エイミーが両手を高く掲げる。


 ――風の精霊さん、お願い!――


 紅い塊は地面に落ちる事なく、強い上昇気流で夜空に巻き上げられる。


 いつの間にか移動していたレナが、そっと女性の左肩に手を添え、高らかに叫んだ。


超・快癒エクストラ・ヒール!!』


 女性の身体が柔らかな光に包まれる。深々と切り裂かれた傷は勿論、痛々しい痣や外傷、出血が瞬く間に消えていく。


 光が消えると同時に、女性は膝から崩れ落ちた。フェスタと共に、障壁を解除したネーナが駆け寄る。


 ドンッ!!


 夜空に大きな炎の華が開く。


 呼応するかのように別な場所で、ニ発の火球が打ち上げられた。ドリアノン支部の冒険者達が、区画を一つ解放した合図である。


 事前の取り決めでは、廃棄区画で上がった一つの火球は非常事態の合図。冒険者達の混乱が予想されたが、オルト達もそちらに気を遣う余裕は無い。


 ネーナは何故か、王都の式典で打ち上げられる花火を思い出していた。




『アハハハハ!!』




 廃棄区画に、けたたましい笑い声が響いた。


『つくづく化け物ね、貴方達! そんな力業で爆死を免れるとは思わなかったわ!』


 ミリ・ヴァールが興奮した様子で話す間も、【菫の庭園】一行は動きを止めない。オルトが呟く。


 ――剣身強化エンハンサー 漣波リバーブ――


 ネーナが倒れた女性の脈を取る。


 意識は無い。だが確かに、生命の鼓動と温かさがネーナの指先に伝わってくる。フェスタが頷き、仲間達に伝える。


「大丈夫、息はあるわ!」

『アハッ。だけど残り七人、一人ずつ片づける時間なんて――はあっ!?』


 余裕ぶっていたミリ・ヴァールが、言葉を失う。


『――迅雷インペリテリ!』


 残りの左肩を切り裂かれ、紅い魔道具が体外に飛び出していた。


 ゴウッと音を立て、旋風が紅い塊を巻き上げる。


超・快癒エクストラ・ヒール!』

氷の棺アイス・コフィン


 レナが二人を回復する間に、スミスが残りの五人を瞬時に凍らせ仮死状態とする。


 夜空に七輪の華が開き、暫し星の瞬きを覆い尽くした。






 レナの治癒を受けた獣人女性――リリコは、ボンヤリと明るい夜空を見上げていた。


 不思議な感覚だった。何も考えられない程に自分を苛んでいた痛みや苦しみが無くなっていた。


 傷も痣も綺麗に消えた自分の身体を、不思議そうに撫でる。切り落とされた筈の猫耳も尻尾もある。


「痛く……ない。私、死んじゃったの?」


 何があったのかは覚えている。いつものように、いつ終わるかも知れない行為を強いられている最中、白衣を着た者達がやって来て、リリコと同じような扱いを受けていた女性達と一緒に外に連れ出された。


 外にいた一団の所へ行くよう命令され、他の女性と共に向かった。痛い目に遭うのが嫌で、反抗せず従った。ここに連れて来られてから、建物の外に出たのは初めてだった。


 他の女性達と、自分達はここで死ぬのだろうと話した。身体に何か危険な物を入れられたのは理解している。向こうにいる人達が何者かはわからないが、駄目元で遺言を託そうと相談した。


 一人だけ、死の恐怖で気が触れてしまった女性は、爆死して元の形もわからない程に四散した。自分もじきにああなるのだろう、そう思うと不思議と腹が据わった。


 遺言を伝えようとしたら、胸の辺りが痛みだした。これで終わり。同じ獣人の女友達に言伝出来ないのは残念だけど、苦しみが終わるならそれでもいいと思った。


 気づいたら目の前に剣を持った男性がいて、左肩を切られて、切られた所が熱くて、不思議と痛みは無くて。男性は無表情だったけれど、リリコにはとても辛そうに見えて。


 身体の力が抜けて、痛みも遠のいて、温かくて、心地よくなって……


「やっぱり、私――」

「生きてるよ」


 横から、覚えの無い声が聞こえた。そこには、長い金髪をポニーテールに纏めた女性がいた。髪色と同じ、金色の瞳がリリコに向けられている。


「女神様!?」

「は? あたしは普通の人間のつもりだけど」


 驚きの声を上げるリリコに、金髪女性が首を傾げる。月明かりに照らされて輝く髪は幻想的で、同性のリリコでも見惚れてしまう美しさであった。


「神様とか、むしろ嫌い。顔見たらブン殴ってやりたいと思うくらいには嫌い」


 金髪女性は立ち上がると、未だ氷漬けの女性達の下へ向かう。入れ替わるように、毛布や外套を抱えた少女がパタパタとやって来る。


「身体を冷やさないようにお使い下さい。お疲れでしょうが、ここは危険ですので、後ほど移動をお願いします」


 少女が頭を下げると、ストロベリーブロンドの髪がフワリと揺れた。少女は水筒と干した果物が入った袋をリリコに手渡し、問診を始める。


 金髪の女性レナが女神なら、こちらの少女ネーナは天使のようだ。やっぱり自分は死んでいるんじゃないのか。少女の質問に上の空で応えながら、リリコはそんな事を考えていた。






『期待以上だわ、「刃壊者ソードブレイカー」!!』


 どこか高揚した感じの声が、廃棄区画に響く。建物の屋上から展望台がせり上がっていく。窓からは、白衣を着た女性の姿が見える。


『実験台になって貰うつもりだったけど、気が変わったわ。極上の「勇者」になれる素材を見つけた以上は、何としてでも手に入れないとね』

「勇者、だと?」


 オルトは何も知らぬ風を装って聞き返した。視界の端では、ネーナとフェスタに促された女性達が、樹木の門を通って区画から避難している。


『そう、勇者。手術の段階で失敗する事もあるし、薬物や魔術に耐えられない実験体も多いし、自我は飛ぶし言う事聞かないし、寿命短いしで割と手詰まりだったのよ。でも、「刃壊者ソードブレイカー」なら簡単には壊れないものね』


 ラボの壁が左右に開き、大きな檻が現れる。中には四体の魔獣――と見紛うような人族の男達が入っていた。


 ある者は柵を掴んで檻を揺らし、ある者は怒りの咆哮を上げ、ある者は女性を見て興奮し、局部をはち切れんばかりに膨らませている。どの目も血走り、理性が感じられない。


『彼等、お気に入りの「抱き枕」を取り上げられて気が立ってるみたい』

「ヒイっ!」


 樹木の門に入ろうとしていた女性が、男達を見て悲鳴を上げ、腰を抜かしてしまう。


 男の一人がその声に反応する。檻の一面が外れて倒れると、女性目掛けて猛然と飛び出した。


 ――速い!


 オルトは舌打ちをする。この『勇者』達はラボの構成員ではない。その認識で対応が遅れた。


 三人は檻の近くにいたオルトとレナに向かったが、一人だけは避難しようとしている女性達を狙ったのである。


「門は皆さんが通れば閉まります! 手を貸してあげて下さい!」


 ネーナが男の前に立ち塞がる。


 咄嗟に魔法障壁を展開するが、男が手に持った短剣を一閃すると、バチッと音がして障壁は消滅した。


 ネーナは驚愕で大きく目を見開いた。

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