第百七十三話 弱いって、こういう事よ

 魔法障壁を排除した男が、雄叫びを上げながらネーナに迫る。男は短剣を持っていない方の手を振り上げた。


「ガアアアアッ!!」

「ネーナ!」


 フェスタが男とネーナの間に割り込み、両腕を交差させて男の拳を受け止める。


 バキッ!


 咄嗟の事で、受け流す余裕など無かった。骨の砕けた音が響き、フェスタは自分の左腕が死んだ事を知る。遅れてやって来た猛烈な痛みに顔を顰める。


「フェスタ!?」

「ネーナ、下がって!」


 予想以上の相手の膂力に、フェスタが警告を飛ばす。サイズもパワーも相手が上。加えて左腕が折れた事で、フェスタのパフォーマンスは大きく低下している。


 男は力任せに押し通ろうとしてくるが、フェスタの背後にはネーナと、まだ避難途中の女性達がいる。絶対に通す訳にはいかなかった。


「ああああっ!!」


 激痛に歯を食いしばりながら、折れていない右腕を男の腕に絡め、相手の勢いを利用して地面に叩きつける。


「フェスタお姉さん!」


 エイミーが矢を飛ばして牽制するも、男は意に介さず立ち上がる。投げられたダメージも、身体に刺さった矢の痛みも感じていないかのように。


「だったら!」


 男の足下から土柱が立ち、巨体を突き上げた。たたらを踏んで後方に下がる間に、土壁が男とフェスタ達の間を隔てていく。


 男の周囲を壁が覆い尽くすと、ドンドンと壁を殴る音が聞こえ始めた。大きな地響きも起きて、エイミーがネーナを促す。


「壁はあんまり持たないよ、急いで」

「はい」


 ネーナはとっておきの自家製ヒールポーションを取り出し、直接フェスタの患部に振りかけた。折れたフェスタの腕からシューシューと湯気が立つ。


「少しの間は患部が熱を持ちますが、動かせる筈です」

「助かるわ」


 フェスタが頷きながら、左腕の動作を確かめる。


 ドン! ドン!


 土壁が大きく揺れ、向こう側から怒りの咆哮が聞こえる。


「あいつ、フィジカルが尋常じゃない。スピードもあるし、パワーはイリーナといい勝負かもしれない。反面、獣みたいに本脳で動いてる感じで、技術は大した事ない。それと、痛覚が無いか、麻痺してる」


 Aランク冒険者平均レベルの技量はある、フェスタが対応しきれないスピード。Bランクながら軽々と大剣を振り回すイリーナに匹敵するパワー。


 評価が正しければ、男はAランク冒険者の上位クラスに匹敵する能力を持つ事になる。国のお抱えなら騎士団長や傭兵隊長も張れる程だ。にも拘らず、器用性が感じられない違和感。


「何者かはわからないけど、『ラボ』の人体実験の被験者なのは確かね」

「あの方は恐らく――」


 ネーナはチラリと背後を見やる。女性達の避難が完了し、樹木の門が閉じかけている。その中には、先程悲鳴を上げて腰を抜かした女性の姿があった。


 レナが治癒して傷や汚れが消え、ネーナは女性の素性を知った。男の正体に思い至ったのは、そこからだ。


「――【森狼の顎】のメンバーの一人です」

「成程、あそこにお気に入りの『抱き枕』がいるのね」


 吐き捨てるようにフェスタが言うが、思い当たる節はあった。男はフェスタを倒す事より、排除して先に進む事を優先しているように感じていたのである。男がネーナに迫ったのも、その先に避難する女性達がいたからだと言えた。




 ドオオオン!




 土壁が崩壊し、男が姿を現した。閉じかけの門の向こうに女性を見つけて絶叫する。


「ウオオオッガアッ!?」


 だがその絶叫は、強制的に中断させられた。


「煩い」


 男の脳天に、硬いブーツの踵がめり込んでいる。レナは男の頭部を支点に宙返りを決め、ネーナ達の側に着地した。


 森のどこかで火球がニ発上がる。


「ごめん遅くなって。フェスタの怪我は?」

「ネーナのお薬で全快したわ」


 やり取りをする二人の前で、白目を剥いた男がズン、と地響きを立てて崩れ落ちる。


 役割を終えた土壁が地面に吸収されると、直径五メートル程のクレーターの中央で、別な男が沈んでいるのが見えた。レナは手早く自分の相手を片づけて、ネーナ達に合流したのだった。


「一人だけネーナ達の方に飛んでったから、間に合わなくて」


 レナは女性達の治癒で高位の法術を立て続けに行使していた。疲労が無い訳がない。そんな状態で、自分に向かって来た『勇者』を蹴散らして援護に駆けつけたのである。その戦闘能力に、ネーナは改めて舌を巻いた。


「オルト達が行ってから、耳障りな声も聞こえなくなったし。あたしらはとりあえず、こいつらを『カボチャ』にしよう」


 オルトがいた場所には、男が二人倒れている。両方とも手足から血を流し、身動きも取れずにただ吠えていた。


「四肢の筋だけ切ったら、もういなくなってた」


 レナが指差した方向にあった尖塔は、既に崩落している。ミリ・ヴァールがいると思しき展望台は、巨大な鋼鉄の筒をネーナ達に向けた状態で凍りついていた。


「あたしらが来た瞬間に全力で逃げてたら、もしかしたかもしれないけど。スミスにあれだけ時間を与えちゃ駄目よね」

「……そう、ですね」


 ネーナは素直に同意した。


 オルトが魔術防御を担う尖塔を破壊してしまえば、後はスミスの独壇場である。最近はネーナの補助に徹しているが、術士としての力量はスミスの方が数段上だ。


 勇者パーティーの魔術師を対策もせず放置しておくのは、文字通りの自殺行為。何をされても構わないという意思表示をしたも同然だった。


 ドゴォッ!


 せり上がった展望台の接続部が爆発を起こす。ネーナ達の目の前で展望台がゆっくり傾き、落下して地面に激突した。


「建物の上!」


 目のいいエイミーが、ラボの屋上にいるオルトを捉える。


 ――風の精霊さん、声を届けて――


「お兄さん、わたしの声が聞こえる?」

『――ああ。精霊術か、すごいなエイミー』

「えへへ」


 遠く離れているオルトの声が、すぐ側で聞こえて来る。


 照れるエイミーに代わり、ネーナが呼びかけた。


 建物の外で待機している事、保護した女性達は廃棄区画外へ避難完了した事、『勇者』四名を拘束した事、交戦の際フェスタが負傷したが治療済みな事を報告する。


 暫し応答に間が開いた。


「私は大丈夫よ」


 フェスタが苦笑しながら言う。


「……怪我の話は後で聞く。俺とスミスはこれから下に降りて館内を制圧する。ネーナ達は下から上がってくれ。途中で会わなかったら戻らず、そのまま屋上でミリ・ヴァールを見ていてくれるか」

「わかりました」




『はああぁ……』


 通信を終えたネーナ達は、一斉に溜息をついた。


「お兄様、物凄く怒っていました……」

「こっちに応援に来たのがオルトだったら、間違いなく死んでたね、あいつ」


 レナがフェスタの腕を折った『勇者』を見る。


「だけど、勇者の強さもまちまちだし、思ったより研究は進んでないみたいね」

「『ラボ』は直接、帝国の研究に関わっていないのかもしれません」


 ネーナ達が実際に見た『勇者』は、スミスから聞いていた『帝国勇者計画』の概要に大きく及ばないものだった。弱点が克服されておらず、何よりアンコントローラブル。


 全ての勇者がかなりのダメージを受けており、それが放置されたまま。使い捨てなのか、治療出来ない為なのかは判断が難しかった。


 エイミーが仲間達を促す。


「早く行こうよ〜」

「そうね。気乗りはしないけど、オルト達に合流しないとね」


 フェスタが腰を上げた。


 これから施設内に突入する。『ラボ』の研究員や残党の反撃が予想されるが、それは油断せずに対処すればいい。問題はそれよりも、ラボの研究内容を目の当たりにする事だった。


 囚われていた女性や実験台となった勇者の扱いを鑑みて、凶悪な犯罪組織の倫理観が崩壊した研究者が何をしていたか、想像するだけで陰鬱な気分になる。


「戦闘より、胸糞悪くなる方を覚悟しなきゃね」


 レナの呟きは、仲間達の胸の内を正しく代弁していた。




 ◆◆◆◆◆




「ううっ……」


 館内に侵入するなり、ネーナが絶句する。


 見た事の無い、用途もわからない大型の機材。円筒形の透明な筒や水槽、檻。あちこちから伸びている配線や管。


 台の上に放置された死骸は、複数の種族の特徴を併せ持っている。別な台の両側には、それぞれ亜人と魔獣の入った円筒形の筒が設置されていた。


合成獣キメラまで……」


 完全に禁忌の領域。まともな感性の持ち主では到底行えない研究が、ここラボでは為されていた。薬学や錬金術においては研究者の端くれと言えるネーナも、嫌悪感しか湧かなかった。


「そりゃ、行方不明者も増える訳ね」


 抵抗する者を蹴り飛ばし、レナが顔を顰めた。


 母体である『災厄の大蛇グローツラング』が壊滅した為、一応は頭を押さえられる形になっていた『ラボ』のタガが外れた結果。ラボの暴走を説明すれば、そういう事になってしまう。


 ネーナが唇を噛み締める。


「でも、それでは――」

「断じて、私達のせいじゃないわ」


 フェスタは強い口調で、ネーナの言葉を途中で遮った。


 このドリアノンの有様は、シュムレイ公国でミリ・ヴァールやマルセロを取り逃がした事が原因なのではないか。『災厄の大蛇』の最大拠点強襲作戦に参加していた【菫の庭園】にも責任があるのではないか。


 ネーナが抱いた疑念や罪悪感を、フェスタはキッパリと否定したのである。


「公国のマリスアリア公爵殿下は、自軍に大きな被害が出るのを承知で犯罪組織との戦いを宣言したでしょう。あの時点で都市国家連合の加盟国は対策するのが当然よ」


 ドリアノンは『ラボ』の所長であるミリ・ヴァールの出入国も、『剣聖』マルセロの入国も許している。ドワーフ族の王政で犯罪組織のつけ入る隙が無い『鉱山都市』ピックスや、同様にストラ聖教が強い『神聖都市』ストラトスに協力を仰ぐ事もしていない。


「まあ、ストラトスは亜人や魔混ディモーノの絡みで教義的に難しいけど。既に都市の中枢まで『災厄の大蛇』とズブズブで動けなかったんでしょ、ドリアノンは」

「挙げ句に、他国に倣って『ラボ』を襲撃して返り討ち。大方、議員達が醜聞を揉み消す為に強行したんでしょう」


 レナもフェスタも辛辣である。【菫の庭園】がケチをつけられる謂れは無いのだと、バッサリ切って捨てた。


 ドンドンと大きな音がして、建物が揺れる。エイミーが耳に手を当てた。


「おじいちゃんかな?」

「そうね、私達も合流を急ぎましょう」


 フェスタに促され、仲間達は足を早めるのだった。




 研究者や用心棒、ゴーレム等を無力化しながら進むネーナ達四人に、檻の中から助けを求める者もいる。だが最優先は、ラボの全館を制圧する事。一人一人を助けて回る事は出来ないのだ。


 ネーナは無念さを隠して、仲間達の後を追う。そんなネーナに、レナが声をかけた。


「ネーナ」

「はい」


 レナは水槽や生物の入った筒をチラリと見やる。


「弱いって、こういう事よ」

「…………」

「貧しいって、こういう事。愚かって、こういう事。運が無いって、こういう事」


 真面目でも、誠実でも、正しくても、迫りくる悪意の前には何の役にも立たないのだと、レナは真剣な表情で言った。


「もしも聖女になる力が無ければ。聖女になっても敵に勝つ力が無ければ。あたしはここにいたかもしれない。良い悪いの話じゃないの。強くなければ、自分さえ守れないのよ」

「レナさん……」


 叶えたい思いがあるなら。成したい事があるなら。失いたくないものがあるのなら。力をつけろ、強くなれ。


 それきり何も言わず、前を見据えるレナを追いかけながら。


 ネーナはレナの言葉を、何度も胸の内で繰り返していた。

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