第百七十四話 狂ってます……!!

「……ここは後回しにしましょう」


 ある部屋の扉を開けたフェスタが頭を振り、横から覗き込んだレナは顔を顰める。


「賛成だけど、先に浄化だけはさせて。気が澱んで酷い事になってる」


 扉の奥から漂ってくる腐臭と死臭で、研究や実験による死体が打ち捨てられている部屋なのだと、ネーナも察した。


 オルト達との合流を急いでいるのは承知の上で、レナは浄化していこうと主張した。それはアンデッドの発生も危ぶまれる環境である事を意味していた。




 扉を閉め、ネーナ達四人が再び走り出す。館内は時折、爆発音を伴った振動に見舞われている。


「スミスが暴れてるわね」


 レナの呟きを聞きながら、ネーナは研究員から館内見取り図を開く。


『ラボ』の館内は大型の機材を置く為か天井が高い。外からは五階建てと見えたが、実際には四階建てであった。


 一階と二階は研究と実験に充てられており、三階は組織の大きな収入源である禁止薬物等の生産プラント。最上階は全てがミリ・ヴァールのパーソナルスペース。用心棒と研究員の私室は別棟の住居棟。


 オルトとスミスは建物の外から屋上に到達し、今は館内を下の階に向かい、ネーナ達との合流を目指している筈。エイミーの『風精の囁き』は術者の視界内の音声にしか効果が無く、館内を移動しているオルト達とは連絡が取れない。


「上階の方が警備は厳重かもしれません」


 そうは言ったものの『剣聖』マルセロは不在、所長のミリ・ヴァールは既に拘束済みである。ネーナもオルトとスミスの二人がかりで手こずる相手など思いつかなかった。


 女性陣の方が進みが早く、【菫の庭園】メンバーが合流を果たしたのは三階であった。




「ちょ、ちょっとオルト!?」


 オルトは慌てるフェスタの腕を取り、折れた左腕が完治している事を確かめる。異常なしと判断すると、安堵の溜息をついた。


「……この奥は『苗床』だった。潰してきた」


 オルトが淡々と告げる。フェスタ達女性陣は見に行かなくていい。「潰してきた」の言葉には、オルトの気遣いが込められていた。


 苗床。ゴブリンやオークといった一部の魔物は、雌雄の別がありながらも人族や亜人の女性を孕ませて出産、或いは産卵させて子孫を増やす事が出来る。魔物達は誰に教わる訳でもなく女性を襲い、時には攫って陵辱する。


『苗床』は本来、魔物が構築するものだ。ところがラボの苗床は人間が構築して魔物を産ませている。ネーナは嫌な予感を覚えながら、スミスに尋ねた。


「何の為に、でしょうか?」

「……魔物の幼体の一部位を、禁止薬物の素材にしていたようです」


 ネーナは絶句した。


 薬学や錬金術の知識で、それらに強い幻覚作用や催淫効果を始めとする様々な効能がある事は知っている。ラボではその素材を使うだけでなく、入手する為に女性を集めて苗床を構築していたのである。


「狂ってます……っ!!」


 怒りに震えるネーナを横目に、レナがスミスに声をかける。


「それで暴れてたの?」


 レナ達四人も、決して早く移動してきた訳ではない。合流が中間より上層になったという事は、下りてきたオルトとスミスが何かに手こずったのだと考えていた。戦闘を思わせる爆発音や振動もあり、そこを問われたスミスが苦笑する。


「暴れたのは上の階ですよ。研究員がミリ・ヴァールのコレクションを檻から出してしまいましてね。混乱に乗じて逃げるつもりだったようです」


 四階には奴隷の他に、フロアの管理やミリ・ヴァールの身の世話をする為、半ば使用人と化した研究員が常駐していた。彼等は突然屋上から侵入し、ラボで最も厳しいセキュリティを粉砕したオルト達を見て恐慌状態に陥った。


 ミリ・ヴァールは魔獣を観賞用に囲っており、研究員の一人がそれらを解放し、侵入者にけしかけようとした。だがその研究員は檻を開放した直後に魔獣に殺害され、アンコントローラブルとなった魔獣達がフロアに放たれてしまったのである。


「相手は魔獣ですから、隙を見せれば襲われますよ。ただ存外に聞き分けが良くて、最後は檻に戻ってくれました」


 スミスが良い笑顔で親指を立てる。


「魔獣ってどんなの?」

「サテュロス、カプリコーン、セイレーン……スキュラもいましたかね……」

「一体でも軍や騎士団が出て対応するやつじゃないの……」


 レナが呆れたように言う。


 魔獣に対しての知的興味が刺激されているスミスと、フェスタの怪我が心配で即刻魔獣を斬り捨てたいオルト。魔獣達にとって相手が悪すぎた。


 高い知性を持つ強力な魔獣となれば、表向きは恭順であっても、自らを拘束した人間に強い敵意と殺意を抱いている筈。現に研究員は一人殺害されている。そんな危険な魔獣達がすごすごと檻に戻る様子を想像して、レナは乾いた笑いを漏らした。


「魔獣達が気の毒に感じるのは初めてだわ……」

「それはそうと」


 オルトが話題を変える。


「俺達は『勇者』の研究設備や施設の動力設備を見つけられなかったが、そっちは?」

「私達も見ていません。構造上、地下になるかと」


 気を取り直して答えるネーナの顔を、オルトはじっと見る。


 ネーナも一年以上冒険者として活動し、酷い現場には何度も直面している。そんなネーナでも、今回のドリアノンでの体験が堪えているのは想像に難くない。


「ネーナ、もう少し頑張れるか」

「はい」

「エイミーも頼むぞ」

「はーい!」


 両の手でワシワシと少女達の頭を撫でる。オルトから見ても、ネーナの表情は硬い。懸命に感情を殺し、仲間達を追いかけているのがわかる。


 だが今は、他に優先しなければならないものがある。九割方ラボの制圧が終わっていても、まだ冒険者や治安隊を呼ぶ事は出来ないのだ。




 ◆◆◆◆◆




「ブヘッ!?」


 レナに蹴り飛ばされた男が顔から床に落ちる。


「ラボに侵入者があってボスも拘束されてんのに、部屋をロックして盛ってるとか正気なの?」


 地下に下りた【菫の庭園】一行が扉のロックを壊して入った部屋では、裸の太った男が女性にのしかかっていた。間髪入れずにレナが男を蹴り剥がし、ネーナとフェスタは女性に駆け寄る。


 女性を見て、ネーナは絶句した。


 意識が混濁しており、うわ言のように意味不明な事を呟いている。顔からは涙と涎と鼻汁を垂れ流し、全身は汗と男女の体液塗れ。時折痙攣しながら、ネーナの前で局部に手を当て、自分を慰め始める。


「レナさん! 薬物中毒の症状も見られます!」


 薬師としての判断で、ネーナはレナを呼んだ。聖女の力による、即効性のある解毒が必要だと見立てたのである。


 濡らした布で女性の身体を拭く。


「あっ……んっ」


 敏感な部分に触れると、女性がビクンと反応して艶めかしい吐息を漏らす。ネーナは唇を噛み締めた。


解毒アンチドート


 レナの法術が女性の体内の薬物を瞬時に除去する。虚ろだった女性の目の焦点が合い始める。ネーナ達がホッとしたのも束の間、女性が自分の身体を掻き毟りだした。


「あああああ!!」


 ネーナとフェスタが懸命に女性の身体を押さえつける。女性はさらに絶叫し、恐ろしい程の力で二人を振り払おうともがく。


鎮静サニティ!』

眠りスリープ


 絶叫する女性をレナが落ち着かせ、すかさずスミスが眠りに落とす。女性は身体を弛緩させ、意識を失った。


「こっちもクスリを使ってるようだな」


 オルトが男を小突き、吐き捨てるように言った。


 性交で快楽を得る為のクスリ。『災厄の大蛇グローツラング』が闇で流している品である。プリムに使われ、ルーファスは所持していた。


「その男、『勇者計画』の主任のヘクト・パスカルという名だそうですよ。帝国にも関係ありそうですが……」


 スミスが机の上の書類を取り上げる。転がっている名札には、確かに『主任 ヘクト・パスカル』と記されていた。


「この方が重要な役割を担っているとは、とても思えないのですが」


 ネーナはパスカルに対する嫌悪感を隠さない。その言葉にも説得力はあった。


 侵入者の情報はラボの全館に伝わっていた筈で、抵抗するにしろ身を潜めるにしろ、研究員や用心棒の殆どは【菫の庭園】の襲撃に対して何らかの行動を起こした。


 ボスのミリ・ヴァールまで出張る非常事態にパスカルのみが自室に籠もり、クスリを使った行為に溺れていた。その行為にしても、薬物の影響が無くなった女性の反応を見れば、強姦したとしか思えない。


「女の敵に違いは無いわね」


 散らかっている衣服を使って、フェスタがパスカルの手足を縛る。猿轡を噛ませた上でベッドの柱に縛りつけると、漸く自分の置かれた状況が理解出来てきたのか、パスカルが身をよじってもがき始めた。


「こいつはどうするの?」

「放っておこう」


 オルトは短く答えると、女性を抱え上げた。 


「流石に、同じ部屋には置いていけないからな」


 ネーナが女性に駆け寄り、爽やかな香りの小袋を左の手首に巻きつける。


香り袋サシェか」

「はい」


 せめてこの眠りが穏やかなものであるように。ネーナが香り袋に願いを込める。女性を別室の物陰に寝かせると、【菫の庭園】一行は最深部へ向かった。




 ◆◆◆◆◆




「どの扉も魔術的にロックされていますね。先程のヘクト・パスカルという男ならば解除出来るかもしれませんが」


 扉を検めたスミスが、仲間達を振り返る。レナは肩を竦めた。


「スカウトとしてはお手上げ。壊す?」

「斬って貰いましょう」


 態々パスカルの下に戻るという選択肢は無かった。扉に衝撃を与えて中の設備にダメージが及ぶ事を懸念し、スミスはオルトを指名した。


「ああ」


 扉は三つ。それぞれ『勇者計画』『多目的フィールド』『動力室』と刻まれたプレートが貼られている。


「フゥー……」


 オルトは深く息を吐き、『勇者計画』と刻まれた扉に向けて長剣を振るう。直後、分厚い鋼鉄の扉がこま切れになって崩れた。


 中に立て籠もっていた研究員は、無抵抗で降伏した。この研究員は、無能な上司パスカルに代わって研究室を取り仕切っていたのだという。


 まだ稼働していない『勇者』がいるのではないか。そんな懸念を抱いて突入したオルト達だったが、その心配は杞憂であった。


 失敗作、もしくは寿命を迎えたと思しき、損傷の激しい遺体は檻の中で見つかった。まだ改造途中らしき個体もいた。だが実戦に耐えうる個体はオルト達が建物の外で迎え撃ったものが全てだと、降伏した研究員が証言した。


 その言葉通り『多目的フィールド』にも『勇者』は見つからず、資料の押収や解析は後回しにして研究員を拘束すると、【菫の庭園】一行は『動力室』へと向かう。




 オルトの剣技で形を維持出来なくなった扉が、ガラガラと音を立てて崩れていく。内外を隔てるものを失くした入り口からレナが侵入し、様子を窺う。


「本当にいなさそうね」


 レナに続き、仲間達が動力室へ踏み込む。降伏した研究員からの情報通りに、動力室に残っている者はいなかった。


「えっ!?」


 ネーナが驚きの声を上げる。


 室内には二十本近くの円筒形の水槽が立てられており、その大半は無色の液体で満たされている。


 全裸の人族やエルフ族にまじり、一際大きな水槽に収容されている存在に、ネーナの目は釘付けになっていた。


 暗い蒼色の肌。頭頂部から二本、さらに側頭部から二本で計四本の角。鋭い牙。紅い瞳。二メートル半から三メートルにも届こうかという巨躯。




『――何用だ、人族よ』




 地の底から響くような声。


 魔族。最後まで人族を苦しめ、勇者パーティーとも火花を散らした魔王軍の最精鋭。


 その一人が、透明な障壁の向こう側から、ネーナを見据えていた。

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