閑話八 恩には恩で報いたい

【菫の庭園】と【禿鷲の眼】を救援に送り出した後、冒険者ギルドの北セレスタ支部は重苦しい空気に包まれていた。


 二つのパーティーは共にBランクであったが、初めて見る【禿鷲の眼】の実力を支部の者は誰も知る筈がなく。【菫の庭園】の方は、以前にこの北セレスタ支部でEランクからDランクへの昇格を果たしたパーティーなのだ。


 その時からまだ一年も過ぎておらず、北セレスタ支部の冒険者も職員も、【菫の庭園】がBランクパーティーとなった実感が無いのであった。




「ジル」


 誰かが呼びかけるが、ギルド職員のジルは手にした書類を眺めたまま気づく様子がない。


「ジル」

「ひゃいっ!? ロッシさん!? ごごごごめんなさいっ!!」


 肩に手を置かれて取り乱すジルに、苦笑するロッシ。ロッシは手に持っていたカップを机に置いた。


「仕事が手につかないのはわかるけどね。せめて書類は正しい向きにしないと」

「あっ」


 ロッシはジルが持っていた逆さまの書類を取り上げ、正しい向きに揃えてから、赤面するジルに返した。


「うう……有難うございます」

「どういたしまして」


 余裕を感じさせるロッシ。ジルは羨望の眼差しで彼を見た。


 担当パーティー【明けの一番鶏】が消息不明のジル同様、その危険が想定される地域に自分の担当パーティーである【運命の輪】を救援に出したロッシも、心穏やかではいられないはずなのだ。


「ロッシさんは落ち着いてるんですね」

「そうでもないわよ?」


 ジルに応えたのはロッシではなかった。カウンターの奥から、声の主が姿を現す。


「カミラ」


 ロッシが相手の名を呼ぶ。カミラは愛用の丸い眼鏡の縁に手を当て、ニッコリと笑った。


「僕が落ち着いてないって?」

「あら、気づいてなかったの? これは重症ねえ」


 言いながらカミラは、ロッシのカップをジルに差し出した。


「ちょっと飲んでみて?」

「あ、はい」


 訳がわからないまま、それでも先輩に言われて素直に従うジル。そのジルの顔が、カップの中身を一口含んだ時点で真っ青になった。


「〜っ!?」


 バタバタと洗面所に駆けていくジルを、ロッシが呆然と見つめる。カミラは新しいカップに水を注ぎ、レモンの輪切りを一枚落とした。


「何ですか!? この苦じょっぱい液体はっ!?」

「塩味のコーヒーね。かなり濃いめに作ってたけど」

「先に教えて下さい……」


 ジルはカミラからレモン水を受け取り、涙目で飲み干した。


 大騒ぎする三人に、いつの間にか職員や冒険者の視線が集まっていた。カミラはそのギャラリーをグルリと見回す。


「私達はもう、手持ちの最強のカードを切ったのよ。後は結果を待つだけなの」

「しかしよう、カミラ。【運命の輪】はわかるが、【菫の庭園】が最強のカードってのは、俺にはピンと来ねえよ」


 以前の【菫の庭園】を知る冒険者の一人が、カミラに反論する。ロッシとジルも言葉にこそしないが、同じ思いなのだとカミラには見えた。


 ロッシが尋ねる。


「カミラ、君は以前に【菫の庭園】がここ北セレスタにいた時にも高く評価していたね。メラニア達もそうだったけれど」


 その問いに対して答える代わりに、カミラは自分の机から一枚の書類を手に取り、それをロッシに渡した。ロッシの後ろからジルも覗き込む。


「ロッシ貴方、自分の担当する冒険者イリーナが、どこの馬の骨ともわからない男を目標にしてると思ってる訳?」

『えっ!?』


 書類を読む二人の声が揃った。他の者にも聞こえるよう、カミラが告げる。


「ついさっき、リベルタの本部から照会があったの。『個人Aランク昇格審査の途中で姿を消した冒険者、オルト氏を探している』って。模擬戦の対戦相手を圧倒して二度気絶させた後、パーティーメンバーと共に審査会場を去ったそうよ」

「審査中にいなくなった? 対戦相手は誰だったんだい?」


 尋ねるロッシに、カミラはサラリと答えた。


「リベルタのコンラート冒険者統括。Sランク冒険者ね」


 ギルド支部にいた者達がざわめいた。


「オルトさんが北セレスタに来た事を伝えたら、『本部から使者を派遣する。オルト氏を丁重にお迎えし、お待ち頂くように』って要請されたわ。支部長にも連絡して来た所よ」


 カミラは【菫の庭園】が北セレスタ支部に来た当初から、当時まだEランクのパーティーを『彼等はすぐに有名になる』と仲間内で公言していた。


 支部に所属してくれるよう直接交渉もしたが、『目的があるから』と丁重に断られた。だがオルトは、『北セレスタでの担当は必ず貴女に頼む』と約束し、カミラもその時が来るのを楽しみにしていたのだ。


「個人Aランク……Sランク冒険者を圧倒だって?」

「凄いです……」


 二人の感想にカミラは微笑んだ。


「そうね。でも、オルトさん達にとってはランクより大事なものがあったのね。メラニアがに手紙を出してから、たったの四日半。【菫の庭園】はにいたオルトさんともう一組のBランクパーティーを連れて、可能な限り早く駆けつけて二つ返事で『救援依頼レスキュー』を受けてくれたのよ」


 ギルド支部内が静まり返る。


「でもそんな凄い人達でも、どうにもならない事はあるわ。彼等が帰って来てからが私達の出番。自分に出来る事をして、彼等を待ちましょう」


 職員達が深く頷く。カミラは冒険者達に目を向けた。


「それから! ダレてる冒険者達は仕事行って! まだ昼間でしょう!」

「うへえ……」


 腰に手を当て仁王立ちするカミラの姿に、職員達はそれぞれの仕事に戻り、冒険者達は文句を言いながら散らばっていった。




 ◆◆◆◆◆




 北セレスタのDランクパーティー【明けの一番鶏】にとって、その日はいつもと変わらない一日の筈だった。


 気の強い、しかし心優しい魔法剣士。没落貴族の令嬢でパーティーのリーダーを務めるアラベラ。


 アラベラの家の使用人の息子にして幼馴染。器用なスカウトのコリン。


 アラベラの父の知人である、パーティー唯一のCランク冒険者。二人の姉のような存在のレンジャー兼ヒーラー、モリー。


 パーティー名の【明けの一番鶏】に相応しく、三人はまだ冒険者の姿も疎らな、早朝のギルド支部に顔を出した。

 そこで、彼女達の担当受付職員であるジルが困り果てている場面に遭遇したのである。




 ジルに食い下がっていたのは、北セレスタを中心に活動している商人であった。アラベラ達は、一先ず商人に話を聞いてみる事にした。


 その商人は他の町から北セレスタへ積荷を運び、更に当地で仕入れた商品をエールグへ輸送しようとしていた。その行程の半分、北セレスタに到着した所で、雇っていた冒険者が所用で残りの護衛をキャンセルしてしまったのだという。


 北セレスタからエールグへの移動は、商人一人では厳しい。アラベラ達もそれはわかっていた。アラベラは、商人の話を聞いた上で『護衛を引き受けたい』と仲間達に言った。


 エールグは道中の危険も然る事ながら、重税も問題だった。住民から搾り取る余地は既になく、領主は町の外から来る者に課税する有様。必然的にエールグを訪れる商人は減っていった。


 謂わば商人に旨味の全く無い仕事。それでもその商人は、『エールグに住む知人や恩人の為に行く』と言った。その言葉が、アラベラの琴線に触れた。


 アラベラは没落貴族の一人娘だ。父や祖父は善人だったが、貴族としての立ち回りは全くの不得手であった。その為に爵位の返上も検討される程に経済的に困窮していたが、それでもアラベラはそんな父や祖父が大好きだったのだ。


 彼等はアラベラに、『困っている者に手を差し伸べられる人になって欲しい』と願った。アラベラもそれを心に留めて生きてきた。その事を知るコリンとモリーも、アラベラに反対はしなかった。


 受付職員のジルも商人の護衛をキャンセルした冒険者がDランクであった事から、同じDランクパーティーの【明けの一番鶏】の護衛依頼受注を承認した。


 早速アラベラ達は、商人と共にギルド支部を出発した。その後ギルド支部では、エールグまでの護衛依頼の適正受注ランクが引き上げられていた事がわかり騒然となるのである。




 商人が予想してアラベラ達に話した通りに、商品を積んだ馬車がコスタクルタ領内の小さな森に差し掛かった辺りで、野盗が現れた。


 商人の経験では、積荷の一割を渡せば安全に通して貰える目算であった。だが今回の野盗はそれまでと違う、全く法外な要求をしてきたのだ。


『積荷全てと女を置いていけ。逆らえば殺す』


 商人とアラベラ達は仰天した。何度もエールグまで行っている商人に、そこまで無茶な要求は無かったのだから。


『逆らえば殺す』と言うが、逆らわなければ殺されない保証は全く無い。女性であるアラベラとモリーがどのように扱われるかは推して知るべしだ。


 モリーは商人に対し、一人で北セレスタへ逃げるよう伝えた。無事に辿り着いたら、ギルド支部に助けを求めて欲しいと頼んだのだ。

 商人はこのような事態になった事を詫び、北セレスタまで逃げ延びたなら必ずギルド支部に伝えると約束をした。


 アラベラ達は機を見て馬車の荷を街道に落とし、魔法や飛び道具で野盗に先制攻撃を仕掛けた。混乱した野盗は、馬車の荷が邪魔になって商人を取り逃してしまう。


【明けの一番鶏】はお互いに死角をカバーし合いながら商人の逃走時間を稼ぎ、その後は近くの森へ飛び込んだ。敵に騎乗している者がいて、平坦な場所では逃げ切れないと踏んだからだ。


 野盗の追跡を受けながらも、森の中で懸命に敵を振り回すアラベラ達。だが、入れ替わり立ち替わり迫る野盗に対して、たった三人で一昼夜に渡り応戦を続けた【明けの一番鶏】は体力の限界が近づいていた。


 そんな中、コリンが腕を負傷してしまう。年長者のモリーは、アラベラとコリンの逃走を助けるべく、自分がその場に残る事を決意していた。


 アラベラの父に恩を受けたモリーは、請われて二人の先輩としてパーティーを組んだ経緯があった。恩を返すのはここだと、モリーは思っていた。


 だがモリーの心中を察していた二人は、『戦うのも逃げるのも三人一緒だ。恩のあるモリーを置いて自分達だけ逃げるのは嫌だ』と強硬に主張した。


 三人は心を合わせ、最後まで諦めずに戦う事を選んだ。

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