閑話九 『助けて』の代わりに
騒然としたギルド支部を訪れた【運命の輪】は、事情を知っても当初は成り行きを静観していた。何事も無く【明けの一番鶏】が帰還する可能性もあったからだ。
だが、【明けの一番鶏】の依頼人である商人がボロボロになってギルド支部に戻ると、メラニア達は支部長に対し『
「行こうよメラニア。ギルドの仲間が助けを待ってるよ」
パーティーメンバーのアタッカー、大剣使いのイリーナがメラニアの背を押す。神官のクロス、スカウトのジャックもイリーナに同意した。
リーダーのメラニアは救援に向かう事に躊躇いは無かったが、言い知れぬ不安感を拭い去る事が出来なかった。
メラニアはその事を仲間達に言えずにいた。仲間達もメラニアの『予感』が無視出来ない事を知っているからだ。
メラニアは愛用のカードを取り出し、シャッフルして一枚引いた。カードは『月』。メラニアは小さくため息をついた。
これからメラニア達が向かう場所は間違いなく危険であり、そこで仲間達に更なる精神的負担をかけるのが躊躇われたのだ。
メラニアの胸に、ネーナ達【菫の庭園】の事が思い浮かぶ。メラニアの伝手で最も頼れる冒険者だ。メラニアとネーナは頻繁に手紙をやり取りしていた。【菫の庭園】が破竹の勢いでBランクに昇格したのを知った時は、仲間達と共に大いに喜んだものだ。
彼女達ならば、自分の『予感』さえ超えて最善の結果を導けるかもしれない。メラニアはそんな期待を持っていた。
だが出来る事ならば、自分達の事でネーナ達を煩わせたくないともメラニアは思っていた。これから救援に向かうのはメラニア達【運命の輪】なのだ。メラニアが抱く不安感に根拠は無い。
『何となく、何か良くない事が起こりそうな気がする』
言語化すればこのような曖昧な事。他の冒険者、それも知人とはいえ所属支部も違う冒険者を巻き込む事が許されるのか。
メラニアは悩んだ末、それでもネーナへ手紙を書いた。
『
文面はそれだけ。『助けて欲しい』とはどうしても書けなかったが、それでもメラニアは自分達が置かれている状況を知らせずにはいられなかった。
狡いやり方だという自覚はメラニアにもあった。だから、これなら自分達に万が一の事が起きても受け入れられる。メラニアはそう思った。
メラニアは書き上げた手紙を、北セレスタ支部でも早馬の依頼を数多くこなしている冒険者に託した。仲間達は【菫の庭園】が間に合うとは思わなかったが、メラニアを止める事はしなかった。
手紙を預かった冒険者は、嘶きを置き去りにするかと錯覚する程の速さで、相棒の駿馬と共に北セレスタの町を飛び出していった。
急いで北セレスタを発った【運命の輪】は、道中の状況を見て一様に顔を顰めた。
コスタクルタ伯爵領に入ると、同じシュムレイ公国内とは思えない程に街道が荒れていたのだ。あちこちに野盗が襲撃したと見られる馬車や木箱、樽の残骸がそのまま、或いは黒焦げで放置されていた。
【運命の輪】も襲撃を受けたが、一度撃退した後は野盗が近づいて来る事はなくなった。メラニア達は自ら戦ってみて、野盗の実力はDランクパーティーが十分に相手取れる程度だと判断した。
メラニア達は地図に記された地点に到着すると、積荷であった木箱のサインを確認し、【明けの一番鶏】が襲われた現場と断定して調査を始めた。
スカウトのジャックがすぐさま【明けの一番鶏】メンバーの足跡を特定し、彼女達と追手が森に入った事を告げる。
「……戦闘の痕跡がある。商人が言った通り、【明けの一番鶏】は街道で野盗を足止めしたのだろう。それも長時間」
「モリー達は無事なの?」
「少なくとも、森に入るまでの足跡に乱れは無い。活動に支障が出るようなダメージは負っていないと考えるのが妥当だ」
イリーナに問われたジャックは慎重な言い回しながら、森に入った時点の【明けの一番鶏】は健在であるとの見通しを示した。
ジャックは続けて、足跡から敵が十人以上はいると予想される事、そして敵の中に騎馬に乗った者がいる事を告げた。
メラニアが地図を広げる。森は私有地と表記されていて、
「【明けの一番鶏】は、森が私有地だと知らずに入ったかもしれませんね」
「メラニア?」
地面に落ちている盾を拾い上げたメラニアに、イリーナが声をかける。
恐らくは野盗の物であろう盾の裏側に、メラニアがナイフで車輪の印を刻みつける。もしも誰かが――ネーナ達が来てくれたら、必ずこの印を見つける筈。そう願って、盾を元の場所に戻す。
「行きましょう」
「……いいの?」
「ええ。【明けの一番鶏】の皆が待っていますから。ここからは私有地です。不測の事態も念頭に置いて進みましょう」
メラニアは追跡の開始を指示した。
ジャックが足跡を追い、イリーナはそのジャックを守りながら哨戒を行う。メラニアは地図を見た。
「ジャック。この森はそれ程大きくありません。戦闘が継続しているのなら、声や物音で追う事は出来ませんか?」
ジャックが少し考えて答える。
「今は無理だ。だが然程大きくない森ならば、中心部まで進んでから音を取った方が時間を短縮出来るかもしれない」
メラニアは目を瞑り、懐のカードの山から一枚引き抜く。『恋人』のカードであった。
「では、そうしましょう。ジャックは警戒をお願いします」
「わかった」
メラニアはショートカットになり得る方を選択した。
【明けの一番鶏】が街道沿いから森に入ったのは、その場で戦い続けるよりマシだったからだと考えられる。数的不利、更に振り切れない速度差。それが解消されなければ森から出る事はできない。
「彼女達がこの森にいる可能性は高いと思います」
「僕もそう思う。でもそれなら、尚更急がないとね」
神官のクロスが、メラニアの見解に同意した。メラニアも頷く。
【明けの一番鶏】が少なくとも一日半、食事も休息も取れずに敵と対峙している状況は容易に想像出来た。【運命の輪】は、森の中心を目指して進み始めた。
このメラニアの判断は、結果的に吉と出る。
森の中心に近づくと、前方が明るくなってきた。中心部が開けている証拠だ。
「イリーナ、右」
ジャックが突然右を見て腰を落とした。それに反応して、イリーナが背中の大剣を引き抜きながら走り出す。ジャックが追走する。
「誰か戦ってる。俺達は先に行く」
「頼みます!」
クロスはメイスを、メラニアは魔法の杖をそれぞれ手にして先行した二人を追う。
すぐにイリーナの視界に、何者かが争っている状況が捉えられる。一方が【明けの一番鶏】である事は、面識のあるモリーが仲間を庇って立つ姿で理解出来た。
「ジャック、私は突っ込む。回り込んで彼女達を助けて」
「おう」
スピードで優るジャックが短く応え、イリーナから離れる。イリーナは大剣を持つ手に力を込め、大きく息を吸い込んだ。
『お前達いいぃい!! 私の仲間に何をしている!!』
怒声と共に一閃すると、野盗のような身なりの者が吹き飛んだ。
「何だ!?」
「女!?」
「馬鹿野郎、迎え撃て!!」
突如戦場に乱入したイリーナに、野盗達の注意が集中する。
モリーに切りつけようとしていた敵の前に黒い影が現れ、相手の足を払って地面に引き倒すと間髪入れずに首を掻き切り止めを刺した。
身構えるモリー達を、ジャックが掌で制する。
「誰!?」
「味方だ。北セレスタの【運命の輪】、お前達の救援に来た」
「【運命の輪】!? あれはイリーナ!?」
イリーナは瞬く間に五人を切り伏せた。残った敵もメラニアの
「クロス! 癒やしを!」
ジャックの声で駆けつけたクロスが【明けの一番鶏】の三人に向けて手を翳す。
――大いなる主の慈悲により、この者達の傷を癒やし給え――
三人の傷が塞がっていく。これで更なる体力の消耗が食い止められた。
「三人とも無事なの!?」
駆け寄るイリーナに、モリーが苦笑する。
「無事とは言えないけど生きてる。有難う、イリーナ、皆も。正直、もう限界だった」
モリーが頭を下げると、疲れ切った表情のアラベラとコリンもそれに倣った。クロスが荷物袋から保存食と水を出して三人に渡し、メラニアが状況を聞いていく。
二つのパーティーは漸く合流を果たした。それも死亡者を出す事なく。考えられる限りベストな結果で、これ以上を望むのは贅沢と言えた。
【明けの一番鶏】は疲労が激しく、休息を必要としていた。しかし森の中では四方から敵が襲いかかり、休める状況ではない。
「私達も何人か倒したけど、敵の数が減らなくて。かと言って森を出る事もできなくて八方塞がりだったの」
モリーが言う。リーダーのアラベラ、負傷が酷かったコリンは仮眠を取っており、モリーが【運命の輪】に対応していた。
「それは今も変わりませんね。一時的にこちらに余裕が出来ましたが、敵の増援が来れば振り出しに戻ってしまいます」
メラニアが思案する。敵の総数がわからないのは痛い。
「メラニア、この先の山に行くのはどう? 高い場所を取ってしまえば、今よりは敵を絞れるし対処出来るでしょう?」
「どっちにしろ逃げ場は無いからね。交代で休息出来るなら、行く価値はあるかもしれない」
イリーナの提案に、クロスが同意を示す。メラニアは仮眠している二人を見た。
今ならまだ全員が動ける。行くなら今しかない。一度は賭けに勝たなければ、全員で戻れないのだ。だったらやるしかない。
「地図に山の詳細が無いのが気になるけれど、このまま森にいても包囲殲滅されるだけです。行きましょう」
メラニアの決断に仲間達も同意した。
準備中だったのか、森の外の包囲は薄い。イリーナを先頭に血路を開いて駆け抜ける。
山は赤茶けていて、草木の一本も無かった。中腹に坑道らしき穴を見つけてメラニア達が飛び込む。自分達がいるのは鉱山なのだと認識した。
「山を登っても身を隠せる遮蔽物が無い。不安だが、この坑道でどうにかするしかない」
「通気口や別な入り口の存在も考えられます。ジャックは奥を警戒して下さい」
ジャックとメラニアのやり取りに、モリーが加わる。
「可燃性ガスや毒ガスが怖いわね。少し奥を見て来ようか?」
「ならば俺も行こう。分岐まで進んで人の気配も探ってみる」
モリーとジャックが坑道の奥に姿を消す。火気厳禁な為、メラニアが魔法の灯を点けた。
坑道入り口の方から、散発的に戦闘が発生しているような音や声が聞こえてくる。イリーナとクロスが野盗を撃退しているのだ。
「私達は何か……」
申し訳無さそうに言うアラベラに、メラニアはハッキリと告げる。
「最も消耗しているお二人に出来る事はありません。少しでも体力を回復させて下さい。状況が悪化すれば、否応なしに働いて貰う事になりますから」
「はい……」
落ち込む二人を見て、メラニアは心を痛めた。だが今は厳しい言葉を投げてでも従って貰わなければならないのだ。
「メラニア」
坑道入り口で外を窺うイリーナが、険しい表情でメラニアに手招きをする。傍に寄って外を見たメラニアは愕然とした。
「領主軍……」
「ざっと千人ってとこかしら。正体を隠す気も、私達を逃してくれる気も無さそうね」
メラニア達が森を突破した時とは比べ物にならない数の『敵』が、山の麓に集まり始めていた。兵士と野盗が行動を共にしている光景は、コスタクルタ伯爵領にメラニア達の味方が存在しない事を示していた。
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