閑話十 『戦車』は勝利を運ぶ

「奥に進みましょう」


 坑道の奥の様子を探っていたジャックとモリーが戻ると、メラニアは言った。


 二人の報告で坑道の奥に人の気配が感じられない事と、毒ガスが出ている様子はなく、微かな風を感じられた事がわかった。


 風があるのは通風孔なり他の出入口が存在し、機能している証拠だ。


「この坑道、理由はわからないけど放棄か廃棄されたものだと思うの。森や街道の様子を見る限り、領主軍が鉱山内部を正確に把握しているものかしら?」


 メラニアが仲間達に問う。


「断定は出来ないけど。敵が鉱山内部の情報に明るくないと考えて進んだ方がいいって事?」

「ええ」


 クロスの返事に、メラニアは頷いた。


 坑道入口で敵を迎え撃とうとすれば、現在で千を超える数の敵を休む間もなく相手する事になる。それでは森にいた時と大して変わらない。


 そして、坑道は入口から真っ直ぐ奥に伸びている。突き当たりで左右に分かれるまでかなりの距離があり、そこまで身を隠す場所が無い。入口から直線的に狙う攻撃手段を敵が持っていた場合、いい的になってしまうのだ。


 入口の迎撃を一手に引き受けているイリーナが言う。


「さっき敵を蹴散らしたから、次の攻撃までもう少し時間があると思う。でも入口まで大勢の兵士が来たら休めなくなる。私はメラニアに賛成だよ」

「俺とモリーが奥を見たが、落盤で塞がった支道があった。俺も領主軍は鉱山内部の正確な情報は持っていないと思う」


 ジャックの言葉に、モリーも同意した。対してクロスが疑問を呈する。


「でも戦いながら移動するなら、休めないのは同じじゃないかい?」


 尤もだ、という風にメラニアが頷く。


「ええ。そこは考えがあるの。まずは敵が来ない内に移動しましょう」


 メラニアに促されて一行が移動し始める。突き当たりを右に向かい、手早くマッピングしながら何本めかの支道の入口で、メラニアは立ち止まった。


「ジャック、後ろから誰か来てる?」


 問われたジャックは耳を澄ます。


「……いや、まだだ」

「だったら、この奥に危険が無いか見て貰える?」

「わかった」


 すぐに戻って来て行き止まりだと告げるジャック。メラニアは頷き、仲間達に支道に入るようにと伝える。


「え? 行き止まりですのに?」

「兎に角入ってくれ、追手が来る」


 戸惑いを見せるアラベラをジャックが支道に押し込み、仲間達も続く。


 全員が入ると、メラニアは支道入口で詠唱を始めた。




 ――人の目を欺く偽りの岩壁。姿を現せ――


幻覚イリュージョン




 支道の入口に岩壁が現れ、その先が見えなくなる。


「さあ、奥でやり過ごしましょう。物音を立てると向こう側に聞こえてしまうから、気をつけてね」


 行き止まりに集まった一行の前で、メラニアはもう一度岩壁を出現させる。


 間もなく、数名の足音と話し声が近づいてきた。


「…………」


 兵士達の足音が遠ざかっていく。メラニア達は息を潜めていたが、ジャックが手を上げると一斉に緊張を緩めた。


「心臓に悪いですわ……」

「僕は変な汗かいちゃったよ……」


 アラベラとコリンのやり取りを聞きながら、モリーは感心したようにメラニアに言った。


「こんな方法があるなんてね。リスキーではあるけどそんなの今更だし、これなら戦闘回数を抑えて体力を温存出来るわ」

「子供騙しだけれど。私は難度の高い術を行使できる訳じゃないから、出来る事は何でもしなければならないの」


 メラニアは謙遜するが、モリーは頭を振った。


 メラニアが考えたのは、支道の入口の一つを『幻覚イリュージョン』によって視覚的に塞ぎ、その奥に隠れて追手をやり過ごす事だった。


 外からは岩壁にしか見えず、壁に逐一触れて確認するものなどそうそう居ない。音がお互いに抜けてしまうが、外の状況を知る為と割り切ってしまえば問題にならない。


 メラニア達は移動を繰り返しながら坑道図を作成し、奥へと進んで行った。倉庫に残っていた瓶入りのワインを見つけ、飲料水の節約が出来た事は大きな幸運であった。




 ◆◆◆◆◆




 メラニア達が廃鉱山に入ってから、凡そ三日目。ここまで仲間内に死亡者も戦線離脱者も出ていない。水も食料も余裕は無いが、初めから切り詰めていた為に後二日程は持つ。


 勿論疲労はある。それでも、交代で休めているだけマシだ。多少身体が重く感じても、戦える。


 移動のタイミングを控えて、メラニアはカードを引いた。イリーナが横から覗き込む。


「何が出たの?」

「『勝利』よ」


 メラニアが微笑んでカードを見せる。そこには馬に引かれて疾走する『戦車』が描かれていた。




 過去二日で半分程度の坑道を把握したメラニア達は、それまで入らなかったエリアに移動した。


 メラニア達は既に、自分達がいる廃鉱山がどのような物であったのか、ある程度推測していた。


 素人目に見ても貧弱な坑道の補強。放置された人骨。にも関わらず戦闘の痕跡は見られない。そして伯爵の私有地の中の、地図に表記の無い廃鉱山。たった七人の冒険者を相手取る為に集められた、千人を超える領主軍。


「ここは、伯爵家の闇鉱山。強制収容所。生きて出る事の出来ない監獄。そういった所だったのでしょう」


 目の前に延びる坑道の左右に並んだ、無数の鉄の扉を眺めてメラニアが言った。


 その扉の大半は力任せに抉じ開けられ、或いは外され打ち捨てられている。


「人の気配はある。恐らく兵士だ」

「死体漁り……」


 ジャックの言葉に、イリーナが嫌悪感を露わにする。神官であるクロスは怒りを抑えながら言った。


「この場所で多くの方が亡くなっている。強い恨みや未練を持ち、死して尚辱めを受けた者はアンデッドになる事があるんだ。悪い気が溜まっていて、浄化もされていない。メラニア、ここから速やかに離れるべきだよ」


 モリーが出口の方向を指差して吐き捨てる。


「どおりで、他のエリアで私達を探す敵が少なかった筈ね。小遣い稼ぎのつもりか、どんどん来るわ」


 複数の足音がハッキリとメラニア達に近づいていた。メラニアの決断を待ち、仲間達の視線が集まる。


 空いている牢屋に入って『幻覚』でやり過ごす手もある。そうすれば戦闘を回避してこの区画を出れるかもしれない。


 だがメラニアの勘は、この場所に留まってはいけないと強く警告を発していた。


「やむを得ません。突破してこの場所を離れましょう。ここは危――っ!?」


 メラニアの言葉が終わる前に、坑道が大きく揺れた。坑道の奥から爆発のような大きな音と絶叫が響いてくる。ややあって、血塗れの兵士達が必死の形相で駆けてくるのがメラニア達から見えた。


「退け! 退きやがれ――ぐはっ!?」


 イリーナを突き飛ばそうとした先頭の兵士が、殴り飛ばされて悶絶する。イリーナは転がった兵士の胸倉を掴んで引き起こす。他の兵士達は倒れそうになりながら出口へと走って行った。


「何があったの?」

「離せ、離してくれ! 逃げなきゃ殺され――ぶへっ!?」


 イリーナは喚き散らす兵士に、平手打ちを食らわせて黙らせた。見ているアラベラとコリンの表情が引き攣る。


 奥から断末魔の絶叫が聞こえる中、兵士は泣きながらイリーナの質問に答える。解放された兵士は物も言わず、あっと言う間に走り去った。


「声が聞こえなくなった……全員殺されたか」


 イリーナが呟く。同情する気は微塵も無い。


 奥に向かった兵士達は、放棄された収容所で餓死した者の遺品を剥ぎ取っていたのだという。奥には比較的身分の高い者達が収容されていたのだ。


 殺された兵士達の大半は、ウーベ・ラーンという名の若い騎士の独房に入っていた。ラーンの遺体だけは他の者とは違い、立派な剣と鎧を身に着けていた。兵士達はそれが目当てだった。


 イリーナが尋問した兵士は別な牢にいたが、大きな揺れの後の叫び声で通路に飛び出し、鎧姿の騎士が仲間の兵士達を虐殺している場面を目撃した。後は訳もわからず、殺された仲間の血を浴びながら必死で逃げた。


 ――ガシャン。


 イリーナの意識が、重い金属音で現実に引き戻される。冷たい汗が一筋、頬を伝った。


「皆、下がって。『アレ』はヤバい」


 イリーナが仲間達に警告を発する。対峙する前だというのに、イリーナはビリビリと重圧を感じていた。


 ――ガシャン。


 メラニアは自分の判断ミスを悔やんだ。すでに逃走のタイミングは失われている。逃げるならば、先程の兵士達と共に逃げなければならなかったのだ。


身体強化フィジカル・アップ


 イリーナにかけたバフは気休めだ。それでもやらないよりはマシ。イリーナが倒れたら全滅は必至。


 ――ガシャン。


 坑道の曲がり角から、銀色に輝く金属鎧に身を包んだ何者かが姿を現す。


 イリーナがグッと腰を落とし、大剣を握る手に力を込める。そして相手の目を見据えて――驚愕した。


 騎士風な出で立ち。恐らく男。だがその目は、漆黒の闇そのものだった。


 ドン!!


 敵が地面を蹴り、金属鎧とは思えない速度でイリーナに迫る。完全に立ち遅れたイリーナは、それでも辛うじて敵の初撃を受け止めた。


「ぐうッ!」

「イリーナ!」


 押し込まれるイリーナを見かねてジャックが飛び出す。敵の腕を狙った一撃は鎧で弾かれ、反撃で蹴り飛ばされる。


「ジャック!」


 壁に叩きつけられたジャックはピクリとも動かない。追撃に迫る敵をイリーナが阻止し、その間にモリーがジャックを魔法障壁の向こうに引き戻した。


「気を失ってるだけだよ!」


 クロスの言葉を聞き、イリーナは安堵する。とはいえ状況は決して良くはない。敵はブースト込みのイリーナにパワーで劣らず、スピードは優っているのだ。


 クロスは十分にイリーナの力になれない自分の不甲斐なさを呪う。敵がアンデッドなのは明らかだが、余りに強力な為に神官であるクロスの力も及ばないでいた。


 そのクロスの目の前でイリーナが利き腕を切り裂かれる。だが浅い、まだやれる。イリーナはそう自分を鼓舞する。すかさずクロスが傷を癒やす。


 モリーの矢とメラニアの魔法、クロスの癒しの援護を得て何度も切り結ぶ。格上の敵との戦いは、イリーナに蓄積されていた疲労の影響を無視出来ないものにしていく。


 そんな中でも、イリーナは思いの外戦えている自分に驚いていた。敵が放つ致命的な一撃を、悉く捌けていたからだ。


『敵との立ち位置、視線、言葉、体勢、攻撃のモーションに軌道。全て駆使して、相手の行動を限定して誘導しろ』


 記憶の中の声に従うように、構えた大剣の位置をずらして一歩踏み込む。敵が攻撃行動をキャンセルして一歩下がる。


 イリーナはすかさず更に踏み込み、胴を薙ぐ一閃を狙う。敵はそれを受け止めたものの、勢いに押されるように数歩下がって距離を取った。


「イリーナが、押した」


 メラニアが呟く。この攻防では、戦いが始まってからずっと守勢だったイリーナが、初めて攻勢に出たのだ。


 直後、敵が前に出た。イリーナも反応する。そこで突如イリーナが膝を折った。


「あ……」


 そのイリーナの肩に、敵の剣が食い込んだ。鮮血が飛び散る。イリーナの身体は、とうに限界を超えていた。


「イリーナ!!」


 クロスが悲痛な叫びを上げる中、敵が剣を振りかぶる。イリーナにはその動きがスローモーションに見えた。なのに自分の身体が言う事を聞かない。


 ――ごめん、クロス。最後まで心配させて。


 メラニアは呆然として動けなかった。他の仲間も同じだ。イリーナがそちらに目を向ける。


 ――ごめん、メラニア。私はここまでみたい。


 イリーナが心の中で詫びる。敵が剣を振り下ろそうとしていた。イリーナは目を閉じた。




 ――せめて、一度くらい。『あの人』に勝ちたかったな――




 イリーナは最期の時を待った。






 だが、いつまでもその時はやって来なかった。


 その代わりイリーナのすぐそばで、聞き覚えのある声がした。




「――俺に勝ちたい? 百年早いぞ」

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