第二百四話 オステリア『折れ刃亭』へようこそ

 薄暗いカリタス市街に鐘の音が響くと、ポツポツと灯りが点き始める。

 

 真横から赤々と照らしつける夕陽は、そびえ立つ黒い壁のごとき砂嵐にさえぎられてしまう。それ故にカリタスの日没は早い。

 

 大幅に治安が改善したとはいえ、中心部でも出歩く者は少ない。人影は一様に家路を急いでいる。

 その人影を窺う気配もあるが、潜んだ闇の中で、じっと息を潜めている。まるで何かに怯えているかのように。

 

 とある屋敷からは、窓の明かりと賑やかな笑い声が漏れてくる。その入口には、何か書き込まれた板が立て掛けてあった。

 

 

 

『超不定期営業オステリア「折れ刃亭」! 本日貸し切り、です!!』

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「お待たせしました!」

「まだまだあるよ〜」

 

 メイド服姿のネーナとエイミーが、山盛りの大皿を次々と並べていく。取皿を手にしたゲスト達が、歓声を上げてテーブルに群がった。

 

「すごい! 美味しそう!」

「ネーナさんとエイミーさんも可愛い!」

 

 褒められた二人は、満更でもない様子。

 

「シェフは後から参りますので、皆さんでお先にどうぞ」

『いただきまーす!!』

 

 我先にと手が伸びるトングで、大皿があっという間に空になる。その皿を抱えて、ネーナがキッチンに駆け込む。

 

「お酒もあるよ〜」

 

 大皿の隣のテーブルでは、ソムリエにふんしたレナが、ワインのボトルを振って見せた。

 

「お兄様、フェスタ、おかわりです!」

「おお? 思ったより早いな」

 

 ゲストの旺盛な食欲に若干引きつつ、エプロン姿のオルトが新しい大皿の上で鉄鍋を返す。フェスタは一心不乱に、追加のオードブルを盛りつけている。

 

 

 

 ネーナ達は支援チームの面々を宿舎に招いて、バイキング形式の食事会をもよおしていた。

 

 今日は何グループかに分けての第一回目。親睦、懇親、ガス抜き等を狙いつつ、カリタスの生活や業務での不都合や気づいた事を聞き取り、改善に繋げる目的もあった。

 

 一仕事終えたオルト達もテーブルに着き、ゲストに声をかける。

 

「料理は足りてるか?」

『頂いてまーす!!』

 

 職員達が応えて、グラスやジョッキを掲げた。

 

「ほいひぃれふ、ほいひぃれふ」

「泣くか食べるかどっちかにしろよ、レベッカ」

「はっへ〜」

 

 仕方ないなあと苦笑しながら、オルトがレベッカのグラスに水を注ぐ。

 

「変なキノコが入ってるんじゃないの?」

「不安になる事を言わないでくれ」

 

 オルトとレナのやり取りに、ネーナはクスクス笑った。フォローを入れるように、チェルシーが料理を絶賛する。

 

「エルーシャさんから聞いていましたが、本当に美味しいです。高級リストランテも顔負けですよ」

「大袈裟だろ。上等なものは作れないしな」

 

 オルトは居心地悪そうに謙遜した。

 チェルシーは商談や接待でレストランを使う機会が多く、非常に舌が肥えている。そのチェルシーが真面目に褒めれば、お世辞として聞き流せないのだ。

 

 逃げるように席を立ったオルトを、待ち構えていた職員達が捕まえてもみくちゃにする。

 

「オルト様は、多くの方に慕われているのですね」

 

 チェルシーが微笑んだ。

 

「何だかんだで面倒見が良いもんね」

 

 レナはワイングラスを片手に、楽しげな表情を見せる。

 

 この食事会を提案したのはネーナで、『折れ刃亭』とネーミングしたのはレナだ。だが元を辿れば、オルトが支援チームのメンバーをケアしたいと、仲間達に相談したのが発端であった。

 

 決して良い評判の無いカリタスに、【菫の庭園】との縁や義理を重んじて駆けつけてくれた者達である。万が一でもあれば、当人はおろか送り出してくれた支部、支援チームを編成したエルーシャに顔向けができない。


 オルトが非常に気を配っているのを、ネーナもチェルシーも、他の支援チームのメンバーも知っていた。

 

 そのオルトに、今度は職員同士のカップルが絡み始める。

 

「お前等なあ……結婚間近だというのに、こんな危ない所に来るか?」

 

 呆れ気味に言われ、カップルも反論する。

 

「だってオルトさん、そういう場所にしかいないじゃないですかあ! 直接報告したかったんです!」

「そうすよ。それに俺達は支部が違うから、こういうのでも無ければ中々会えないんですよ!」

「婚前旅行かよ! 仕事中もイチャつきやがって!」

 

 別な職員がツッコみ、笑いが起きた。

 

 助けを求めるようなオルトの視線を受けて、ネーナとエイミーが顔を見合わせる。

 

「世話の焼けるお兄様です」

「しようがないなあ」

 

 二人は笑いながら席を立った。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「……今の所は、概ね元気だと思っていいのかな」

「まだ皆さん、カリタスに来てから然程時間が経っていませんし」

 

 第一回の『折れ刃亭』を終え、ゲストが帰った後の宿舎で、片付けを済ませたオルトはぐったりしていた。

 

「それもそうか」

「お疲れ様でした、お兄様」 

 

 エイミーと一緒にパタパタと扇子であおぎながら、ネーナはオルトを労う。

 

「今まで生きてきて、割と色々やったつもりだったけど、メイド服とウェイトレスは無かったわねえ」

「Sランク冒険者が給仕をしようと思う事自体無いでしょうし、させようと思う人もいないでしょうからね」

 

 テルミナは果実酒を、スミスは紅茶のカップを手にくつろいでいる。同じ屋敷に泊まっているチェルシーは、手帳に何かを書き込んでいた。

 

「レナはその辺にしときなさいよ」

「ええ〜、もうちょっと〜」

 

 フェスタにワインの瓶を取り上げられたレナは、取り返そうと手を伸ばす。

 

「長年の飲酒がたたって、すっかりジャンキーだな」

「失礼ね〜」

 

 レナがムッとした表情でオルトを見る。

 

「言っとくけどあたし、シルファリオに来るまで、お酒なんて一滴も口にした事なかったよ」

『ええっ!?』

 

 仲間達とチェルシーが驚きの声を上げた。スミスはレナの言葉を肯定する。

 

「少なくとも私が知る限り、勇者パーティーの時には呑んでいませんね」

 

 食うや食わずのスラム時代。貧乏孤児院時代。訓練に明け暮れた聖女候補時代。そして戦いと腹芸で気の休む間も無かった聖女時代。どこに酒を食らう暇があったのかと、レナが口を尖らせる。

 

 オルトは溜息をついた。

 

「……しょうがないな。後少しだけだぞ」

「えへへ〜、だからオルト大好き〜」

 

 お許しが出たレナは、嬉しそうに酒瓶を抱え込んだ。

 

「レナが潰れる前に、話を済ませようか」

「そうですね」

 

 スミスが同意し、仲間達がオルトの傍に集まってくる。

 

 

 

「チェルシーはカリタスを見て回って、どう感じた?」

 

 オルトに尋ねられ、チェルシーは少し考える素振りを見せた。

 

「そうですね……やはり外部から来た者には、治安面での不安は拭えないと思います」

「そうだよなあ……」

 

 オルトが苦虫を噛み潰したような表情をする。食事会に来ていた支援チームの職員達も、同じような感想を持っていたからだ。

 

 チェルシーはギルドの部外者でありながら、ヴィオラ商会の担当として支援物資の管理と輸送を請け負っていた。カリタス到着初日から護衛を引き連れ精力的に視察を行い、支部長のリベックとも会談を繰り返している。

 

 支援チームの職員とは違い、移動を制限されるエリア外にも出ているのだ。現状のカリタスを客観的、かつ正確に捉えていた。

 

 チェルシーの後を受けて、スミスが見解を述べる。

 

「監獄としてのカリタスの性質が変わらないのであれば、処罰を受けている者とそれ以外の者の接触は限定されるべきでしょう」

 

 先だっての『カリタス事変』により、多くのギルド職員や冒険者が拘束された。

 

 現在カリタスで活動しているのは、反乱に加担しなかった者や情状を認められた者だが、外部から来たチェルシーや支援チームの面々から見れば、罪を犯してカリタスに送られた点で、拘束された者達と変わらないのだ。

 

「どこに線を引くかという話です。罪を犯したかどうか、ゼロとイチの間には大きな差があると、私は考えます」

 

 カリタスに来る事になった大きな失点が、『カリタス事変』で取った行動一つで帳消しにされるのはおかしいのではないか。スミスのその言葉には、説得力があった。

 

「ネーナはどう思う?」

 

 オルトが意見を求め、仲間達の視線がネーナに集まる。

 

「上手い事を言おうとせず、考えたまま話せばいい」

 

 ネーナには自分の考えが正しいのか、分からなかった。だからオルトに言われた通りに話す事にした。

 

 

 

「……私は、レオンさんとアイリーンさんは心を入れ替えたと思います。同じ過ちを繰り返したりしない、と思っています」

 

 仲間達は静かに、ネーナの次の言葉を待つ。

 

「でも私がそう思うのは、以前のお二人を知っているからで。そうでない方々にも納得して頂くのは難しいです」

「そうだな」

 

 オルトが頷く。

 

「同じように私には、他のカリタスの方々が改心や反省をしているかどうか、分かりません」

 

 その言葉を聞き、スミスは満足そうな笑みを浮かべた。

 

 そう、分からないのだ。

 

 ネーナには分からない。『カリタス事変』で拘束された者の中には善良な者はいなかったのか。拘束されていない者は全て善良なのか。そもそも善良であればいいのか。

 

 分っているのは彼等彼女等が、カリタスに送られるに足る大きな過ちを犯したという事。『カリタス事変』は過ちを犯した者達が、再びふるいにかけられる機会であった事。

 

 現在のカリタスはまだ、アンタッチャブルな存在と認識されている【菫の庭園】に所属するネーナでさえ、無用なトラブルを避ける為に単独行動を控える場所なのだ。

 

「ですから……社会の方々が納得出来るように、ルールを守れるのだと、もう過ちを犯さないのだと、長い時間をかけて、何度も選択を繰り返して証明するしかないのだと思います。道を踏み外した者が、社会に戻りたいと願うならば」

 

 その為の疑似社会としてカリタスを用いるのであれば、支援チームの職員や冒険者をそこに放り出すのは、罰ゲーム以外の何物でもなかった。急遽支援チームの行動範囲を制限し、カリタス住民との接触を控えさせたのは正解であったと言える。

 

 今後は賢者の塔や『学術都市』アーカイブから、地下迷宮に興味を持つ学者が、調査を目的にカリタスを訪れるとも聞く。そういった冒険者ギルド外の者の受け入れを考えても、当面は住み分けが妥当だと、ネーナには思えた。

 

「馬鹿で後先考えない奴とか、どうしようもない奴とかさ。そういうのが、たまたま今回は反乱側に入らなかったって事もあり得るからね」

「私も『カリタス事変』は、更生を判断する幾つかのポイントの一つと考えるのが妥当だと思うわ」

 

 レナとフェスタが賛同する。

 

「まあ、諸々の事を決めるのはギルド長と支部長だからな。俺達は意見を伝えるだけさ。俺も概ね、ネーナと同じ考えだ」

 

 オルトにくしゃっと髪を撫でられ、ネーナはくすぐったそうに笑った。

 

 

 

 テーブルに突っ伏して話を聞き流していたエイミーが、突然顔を上げた。

 

「――お外に誰かいるよ?」

 

 オルトが席を立つ。同時に、外から扉を叩く音が聞こえた。

 

「ちょっと見てくる」

「私も行きます」

「わたしも〜」

 

 玄関に向かうオルトを、ネーナとエイミーが追いかける。

 

 ネーナが扉を開けると、そこには三人が良く知る男が、真剣な表情で立っていた。

 

 

 

「――どうしたんですか、レオンさん?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る