第二百五話 これは俺の戦いだ
「応援に来たというのに、あまり役に立てなかったな。済まない」
ヒーロ・ニムスが詫びると、オルトは頭を振った。
「カリタスはもう落ち着いている。後はどうにでもなるさ」
差し出された手を、ニムスは力強く握り返す。
カリタス外縁部、砂嵐の外。曇りがちの夜空の下。
旅立つ三人の『元』冒険者を見送ろうと、【菫の庭園】、イリーナとクロス、【明けの一番鶏】、他にも彼等と面識のある冒険者や職員が集まっていた。
オルトとイリーナが激しい稽古をしている所に【野鴨戦団】の面々がやって来たのは、数日前の事。
ニムス達は【菫の庭園】と共に、ギルド長とカリタス支部長の定時連絡に同席していた。そこでギルド長のヒンギスから、アルテナ帝国南部で発生した反乱の経過を伝えられた。
程なく鎮圧されると思われていた反乱は、帝国に滅ぼされた国々の民が呼応した事で、南部全域に拡大した。
事態に対処すべき帝国南部方面軍は、『エクスカリバー』の直撃を受けた駐屯地が貯水池の決壊で水浸しになり、戦力が半減していた。国境警備も
北部方面軍はドワーフ族と獣人族、東部方面軍は人族の少数民族ゲリラが、まるで申し合わせたかのように攻勢を強めている。広大な『惑いの森』に面する西部方面軍は、
それでも本来ならば、帝国の切り札である『
原因は冒険者ギルド長のヒンギスが、帝国軍のカリタス侵攻とSランクパーティー【
通常ならば紛争の当事者同士の会合は、中立の第三国で行われる。それをヒンギスは、冒険者ギルドに反旗を翻したSランクパーティーと帝国騎士団、帝国守備隊、傭兵ギルドが待ち構える加害国の帝都へ自ら出向くと言ったのである。
帝国側は
いざとなれば帝国の最大戦力を蹴散らせる存在、それは言い換えれば、帝国皇帝の喉元に切っ先を突きつける事も可能と言う事。それを懐に迎え入れろと、帝国は脅迫されているも同然であった。
そのような状況下で、帝国騎士団は動かせない。まずは冒険者ギルドとの関係を改善しない限り、他の問題への対処が出来ないのだ。長年に渡るアルテナ帝国の拡大政策と
ニムス達【野鴨戦団】一行は、定時連絡が終わると宿舎に戻って話し合った。
ニムスを含めたゴルドン出身の三人は、同胞達の戦いに駆けつけない選択は無かった。それを良く知る残りの五人も、彼等を引き止めなかった。
翌日ニムス達は、【菫の庭園】に筋を通してからカリタス支部長のリベックに面会して、三名の冒険者資格返上とカリタス離脱を申し入れた。
「団長、やっぱり俺達も……」
「駄目だ。話し合って決めたろう、ヤコブ」
若いメンバーの言葉を、ニムスは途中で遮った。
厚い雲の切れ目から、月が顔を覗かせる。
メンバーの話し合いで、【野鴨戦団】は残った者が存続させる事になっていた。義勇兵として反乱に加わろうとした者もいたが、ニムスの説得で断念していた。
出立前になってやはり諦めきれなくなった仲間達を、ニムスが諭す。
「お前はカリタスから戻ったら結婚するんだろう。家族が待ってる奴もいる。冒険者なんて仕事で、心配かけっ放しだろうが」
強く肩を叩かれ、ヤコブと呼ばれた冒険者が涙を流す。
「これは俺の戦いだ。かけがえのないものを守れなかった俺が、この場に辿り着けなかった者の想いも背負って戦うんだ」
勝ったからといって、失ったものや奪われたものが取り戻せる訳ではない。今なお奪われ続けている同胞が、奪い続ける者に対して立ち上がった。だから戦う。
助太刀無用と言い放ってオルトを見つめ、ニムスはフッと笑った。そして再びヤコブに目を向ける。
「ヤコブ、イリーナはまだまだ強くなるぞ。負けるなよ」
「勝つよ、私は」
イリーナの真っ直ぐな言葉に、ニムスが目を見張る。
「私はどこまでも強くなって、手の届くだけのものを守る。そしていつか、オルトに勝つ」
肩を竦めて苦笑するオルトをよそに、イリーナがニムスと握手を交わした。
「お前ならきっと出来る。その気持ちを忘れるなよ」
イリーナが頷く。続いて見送りの者達が、三人と握手を交わし始めた。
「ニムスさん、皆さんもご無事で」
ネーナが前に進み出て、ニムスにガチャガチャと音がする袋を差し出す。
「これは……ポーション?」
「はい、私が作りました」
「ほう。有難く使わせて貰おう」
袋を覗き込み、ニムスが感心したような声を上げる。
「そいつは効くぞ。『聖女』も裸足で逃げ出す程にな」
「オルトは謝るまで癒さないからね」
不満そうにレナが言うと、場が笑いに包まれた。
月が再び、厚い雲に覆われていく。それを見たニムスは、オルト達に別れを告げる。
「名残惜しいが、そろそろ行くとしようか。おあつらえ向きに、月が見えなくなったからな」
これから帝国の国境を突破するニムス達にとっては、格好のタイミングだった。
長剣を引き抜き騎士礼をとったオルトに、ニムス達が目を丸くする。が、すぐにニヤリと笑った。
「もし、俺達が死んだら。その時は、この川に酒を流して弔ってくれ。もしも悲願叶って、黄金の小麦畑を取り戻せたら。是非遊びに来てくれ。極上の『黄金色の勇者』を、浴びる程飲ませてやる」
三人は軍隊式の答礼をして、歩き出す。
エイミーが築いた土橋の上で一度だけ振り返り、見送る者に大きく手を振ると、彼等の姿は夜の闇に消えた。
◆◆◆◆◆
宿舎である屋敷に戻り、【菫の庭園】一行は居間に集まった。
就寝していなかったチェルシーが、人数分の紅茶を用意する。ネーナは一口飲んで、ほうっと息を吐いた。
「帝国も混乱しているし、そろそろ私達も動く頃合いじゃない?」
最初に切り出したのは、フェスタだった。
「エイミーのご両親のお墓は、アルテナ帝国北西部。テルミナが会いに行く侯爵夫人は、トリンシック公国北東部。公国を北上してテルミナの用を済ませて、森を抜けて帝国に行くというのはどう?」
「それしかないよねえ」
レナが同意する。【菫の庭園】は、既に帝国軍と一戦交えている。帝国が大人しく国内を通してくれる保証はなく、正直に用件を伝えれば難癖をつけて来かねない。
公国にはネーナに求婚してきた男がいて、見つかれば面倒そうではある。それでも帝国を通るよりは現実的な選択に思われた。
だが、テルミナはその案を否定した。
「そんな事しなくても、最初から『惑いの森』を抜けてエイミーの故郷に行けばいいのよ」
『えっ?』
仲間達の声が揃う。
「忘れたの? 地下迷宮の出入り口の一つは、『惑いの森』と繋がってるのよ?」
確かに、現在確認されている最も北の出入り口は、森に出ると言われていた。
「エルフの
自らも揉めた経験があるのか、テルミナが嫌そうに顔を
「森の中なら私に任せて。帰りに私がいなかったとしても、ネーナとエイミーがいれば迷わないでしょう?」
ハーフエルフでテルミナに遜色ない力を持つエイミーと、完全記憶能力を持つネーナ。二人ならば同じルートを戻れる筈だと、テルミナは言った。
「半月から三週間もあれば、戻って来れると思うの」
「魅力的なプランですね」
スミスが賛同し、ややあってオルトも頷いた。
「……そうだな、それならいいと思う。エイミーは大丈夫か?」
「へいき!」
森のエルフと因縁がありそうなエイミーも、挙手をして問題ないとアピールする。
一方で、ネーナはオルトの物言いに微妙なものを感じて、首を傾げた。
「お兄様は行かれないのですか?」
「ああ」
思いがけない肯定の返事に、少し浮かれていたエイミーも困惑の表情を見せる。
「どうして?」
「オルトが残らないと、色々と状況が悪くなってしまうのですよ」
オルトの代わりにスミスが答える。それだけでネーナも察した。
カリタスの治安の安定という面から見て、ヒエラルキーの頂点に君臨していた【
ニムス達が【野鴨戦団】を割って抜けた分の穴埋めは、既にワイマール大公国から【羽根帽子】というAランクパーティーが向かっている。それも到着まで数日はかかる。
まだ『当面の敵』という立ち位置のアルテナ帝国も、一撃で南部方面軍を機能不全に陥らせた『刃壊者』の動向に神経を尖らせている。
ギルド長のヒンギスが強気に出ているのも、帝国南部の反乱が勢いを増しているのも、帝国が各個撃破に注力出来ないから。その要因は、オルトと【菫の庭園】がカリタスにいるからなのだ。
スミスが続ける。
「私も残りますよ。どちらかが動く事も出来ますし、チェルシーさんや新たな応援の方の出入りに、砂嵐をどうにかする必要がありますから」
エイミーとテルミナがいなくとも、スミスがいれば砂嵐をこじ開ける事は出来る。カリタス残留の人選としては筋が通っている。
「そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
のんびりした調子のテルミナに、仲間達が苦笑を漏らす。
「もう大分寄り道してるわよ。エルフ感覚でのんびりしてたら、侯爵夫人がお婆さんになってしまうわ」
「……そうか、そうよね」
フェスタの指摘で、テルミナがハッとした表情になった。
長く人里で暮らしていて、テルミナは大分せっかちになったと自覚していた。それでも人族から見れば、恐ろしく悠長なのである。
「テルミナおねえさん。早く会ったほうがいいよ」
エイミーは既に両親を亡くしている。母親はテルミナと同じ、長命なエルフだったが病死していた。黙って話を聞いているチェルシーも、夫に先立たれているのをテルミナは知っていた。
「スージーさん、待っているかもしれませんよ」
ネーナにも背中を押され、テルミナは気の強そうな顔の神官を思い起こす。
意地っ張りで見栄っ張り、スージーは決して弱音を吐かず、弱味を見せようとしない女性だった。
侯爵家に嫁いでからは会っておらず、お互いに一方通行の手紙を、何度か交わしただけ。
どうしているか、気になってはいた。だからこそここまで来たのだと、テルミナは今更ながらに思い出した。
「――悪いが暫く、別行動になる」
オルトが詫びると、テルミナが慌ててそれを止める。
「私が暢気すぎたの。気を使わせてしまって申し訳ないけど、オルトとスミスが残ってくれるなら安心して行けるわ」
後顧の憂いなく出発できるという部分はネーナも同感であった。さらに言えば、二人が抜けても目的の達成には支障がないという、オルトからの信頼もネーナは感じていた。
「エイミー」
「りょーかい!」
ネーナとエイミーは、揃って席を立った。
「今日はエイミーと二人で寝ます」
「おやすみなさーい!」
パタパタと二人が居間を出ていく。
「暫く会えないから、今日はお兄ちゃんを譲ってくれるってさ。粋な事するじゃない」
レナがニヤニヤしながらネーナ達を追いかける。
「今日はあたしが一緒に寝てあげるよ」
「レナさんは寝相が悪いので、遠慮します」
「まさかの拒否!?」
賑やかな声が遠ざかり、チェルシー、テルミナ、スミスも退出した。
残されたオルトとフェスタは微笑み合い、二人分の紅茶を淹れ直すのだった。
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