第二百三話 魔王とは、何なのでしょうか

「魔王オルトにやられた〜」

「失敬だな、はいお終い」

「あだッ!」

 

 包帯でグルグル巻きの頭をパシッとはたかれ、レナが不満そうな顔をした。

 

 対するオルトも、魔王呼ばわりが不服な様子が見て取れる。

 

「あたし、女の子なんだけど?」

「だから女性優先レディーファーストで、開始早々レディーファストに張り倒してやったろ」

 

 オルトは苦情を一蹴する。女の「子」って歳じゃないだろうとは、言わずにおいた。ヤブヘビの予感がしたからである。

 

「殴りかかって来たのはそっちだぞ。何で俺が、返り討ちにした相手を手当てしてるんだよ」

「そんな事言っても、やってくれるもんね」

「全く……」

 

 ニヘラと笑うレナに、オルトは嘆息する。

 

 そもそもレナは、瞬時に自分を癒せるのだ。だが彼女は、二日酔いの処置も含めて、日常で法術を使う事は無い。法術が、正確には、自分が使う癒しの力が好きではないからだ。

 

 その理由は、傷ついた戦士を再び死地に送る為癒やし続けた、『聖女』としての体験にあった。スミスからそれを聞いていたオルトは、文句を言いながらも注文通りに手当てをするのだった。

 

 

 

 オルトと急遽結成された『オルト殴り隊』の激突は、初手でレナが沈められた事もあり、オルトの一方的な蹂躙に終わった。【菫の庭園】一行は広場に転がっている怪我人の治療だけ済ますと、宿舎へと戻ってきた。

 

 最初にオルトを魔王呼ばわりした冒険者、御輿に担ぎ出されたクロス、レオンやAランクパーティー【野鴨戦団】も含めた三十名を超える一団はことごとく叩き伏せられ、『魔王オルト』に挑んだ事を後悔する事となった。 

 

 

 

 

「はいはい、次の方どうぞ」

 

 追い払うように手を振ると、レナが大人しく席をずれ、先に治療を済ませていたフェスタの隣に移る。オルトの前には、涙目で頭頂部を押さえたネーナが座った。

 

「お兄様にもぶたれた事、ありませんでしたのに……」

 

 両手を振り回して無謀な突撃を敢行したネーナは見事に玉砕し、脳天に拳骨ゲンコツを食らった後はうずくまっていた。

 

「初体験おめでとう。言っとくが、仲間と恋人と妹が敵に回って凹んでるのは、俺の方だからな」

「あうぅ、ごめんなさい」

 

 湿布薬を含ませた布をネーナの頭に乗せ、ネットで固定する。

 

「ププッ、変なあたま〜」

「む〜っ」

 

 エイミーに笑われ、ネーナが頬を膨らませる。

 

 レナの法術同様、ネーナも効果の高い自作の治療用ポーションを持っているのに、何故かオルトの手当てを希望したのだった。

 

「……まあ。クロスとイリーナは今頃、腹を割って話してるさ。帰ってから残りの二人とも話すだろう。三人とも、そこはよくやってくれたよ」

 

 オルトの言葉にネーナは、クロスを背負って宿舎に帰っていくイリーナの姿を思い出す。イリーナは呆れ気味ながら、どこか嬉しそうにも見えた。

 

「潜在的な俺の敵が多い事もわかったしな。仲間内にいたのはショックだったが」

『ごめんなさい……』

 

 嫌味を言われたフェスタ達三人は、素直に謝った。

 

「疲れたから寝る」

「わたしも〜」

 

 部屋を出るオルトを、エイミーがパタパタと追いかける。ネーナはそれを、悲しげな顔で見送る。

 

「今日はお兄様が、一緒に寝てくれません……」

 

 レナにそそのかされたとはいえ、『オルト殴り隊』に加わったペナルティを課されたのである。

 

「ごめんって。でも、新鮮な気持ちだったでしょ?」

「それはそうですけど……」

 

 レナは全く悪びれない。ネーナが口を尖らせて不満をアピールすれば、責任転嫁する始末。

 

「元はと言えば、オルトに『仲間同士で何度も話し合え』って言われたのにウダウダしてたクロス達のせいでしょ」

「本当、このパーティー菫の庭園は楽しいわねえ」

 

 一部始終を眺めていたテルミナが、思い出し笑いをした。

 

「マヌエル達への土産話が、どんどん増えていくもの」

「ハチャメチャになったのは、主にレナが加入してからだけどね」

 

 フェスタは苦笑し、レナが気まずそうに顔を背ける。

 

「相手にレナがいたし、ネーナとフェスタには流石に手加減するだろうから、結構善戦するかと思ったけど」

 

 ネーナは頭の天辺を押さえながら、ムフフと笑う。

 

「初めて、お兄様の拳骨を貰いました」

「何で嬉しそうなの? わかんないでもないけどさ」

 

 王女であったネーナには、当然ながら殴られた経験など無い。聞き分けの良い王女を演じていた為、叱られた事も少なかった。

 

 レナとて聖女になる前、生きるか死ぬかだった貧民街の浮浪児時代までさかのぼらなくては、そんな記憶に辿り着けない。そこまでして思い出したくもない記憶だ。

 

 オルトの拳骨は王女も聖女もお構いなしでありながら、二人にとってそう悪い気のするものではなかった。むしろ乱戦の序盤に戦線離脱させられたのは、余計な怪我をしないようにとの配慮だと理解していた。

 

「そう言えば私も、拳骨貰ったのは初めてね」

「あたし、結構デコピン食らってるんだけど?」

「それは自業自得じゃないかな……」

 

 レナが被害をアピールするも、フェスタの賛同は得られない。

 

「次は倒すけどね、魔王オルト」

「私はお兄様にお味方して、四天王になります!」

 

 懲りない二人を見て、仲間達が笑う。ネーナはふと、何かに気づいたように首を傾げた。

 

 

 

「でも――お兄様が本当に魔王でしたら、戦わなくてもいいのではありませんか?」

 

 

 

 アルカンタラのように、人族の社会で生きようとする魔族もいるのだ。可能であるならば交流を持ち、そうでなければお互いに不利益を生じない距離感を保つ。

 

 人族同士の関わりと同じなのではないか。ネーナはそう思った。オルトが魔王であったならば、と。

 

 だが、返答はあまり芳しいものではなかった。

 

「そうねえ……」

 

 レナが遠い目をして応える。

 

「あたしらは仲良いし、戦う必要も無いけど。オルトを嫌ってたり、良く思ってない奴は多いと思うよ。面と向かって言えないだけでさ」

「単純に強く、靡かず、取り込む事も取り入る事も出来ません。そのような人間が気ままに歩き回っているだけで、権力者は恐怖でしょうね」

 

 レナとスミスの言う事は、ネーナにも理解出来た。

 

 オルトが悪い訳ではない。だが、オルトや【菫の庭園】がいれば秩序が生まれる。強い者や賢しい者が好きに振る舞う事が出来なくなる。現在のカリタスのように。それが我慢ならない者はいるだろう。

 

「オルトはパーティーのリーダーで、矢面に立ってるから余計に目立つもの。本人が進んでやってるから止められないけど」

 

 フェスタの不服そうな物言いには、仲間達も同意見であった。とはいえ、ネーナやエイミー、レナが窮屈な生活を強いられずにいられるのは、人々の目線が『刃壊者ソードブレイカー』に引きつけられているからだ。その事も理解していた。

 

 読書にいそしんでいたスミスが、パタンと書物を閉じる。

 

「彼を邪魔に思う者や、その存在を利用したい者が、彼を『魔王』に仕立て上げる事は十分にあり得ますよ」

「煮え湯を飲まされたばかりのアルテナ帝国とか、ご自慢の聖堂騎士をボコられて面子丸潰れのストラ聖教とか、動機のある連中は割といるよね」

 

 レナはうんうんと頷いた。『深緑都市』ドリアノンの議員達などは、『魔王』という単語こそ使わなかったがオルトを貶め、陥れようとしていたのだ。

 

 ネーナが思い浮かべたのは、サン・ジハール王国。王女アンとしての祖国であった。

 

 ネーナの実父たるサン・ジハール国王ラットム、そして王国は、失政と暴政による民衆の不満を勇者召喚で解消し、或いは矛先を変えようとしていた。ネーナはそう考えている。

 

 国内情勢の悪化を挽回する為に隣国に戦争を仕掛け、長く封じられていた勇者召喚を行い、王女の結婚をも利用するつもりだったラットム王と側近達ならば。元近衛騎士のトーン・キーファーオルトを糾弾する国際世論が醸成されれば、嬉々として便乗するに違いなかった。

 

 

 

「――結局。魔王とは、何なのでしょうか」

 

 

 

 ネーナの呟きを、暫しの静寂が呑み込んだ。

 

「……少なくともあたしは、倒すべき敵だと思ってた。でもそれは、一面的な見方でしかないわね。今は、それが正しかったのかもわからないけど」

 

 レナの表情から、思いの丈を読み取る事は出来ない。

 

「あたしがこの目で見た魔王は、魔族の王で魔王軍の総大将。それ以上でもそれ以下でもなかったよ。人間より酷いとも思わなかったな」

「レナさん……」

 

 ネーナの胸に、レナの言葉は重く響いた。

 

 レナやスミス、エイミーからも、折に触れて勇者パーティーの話は聞いている。

 

 勇者パーティーは、様々な国や団体の利益を代表する者達の集まりでありながら、「魔王を倒す」という一つの目的の為に動いていた。

 魔王を倒す事で、人族が抱えるいくつかの問題が解消されると考えられたからだ。

 

 人族の為に戦った筈の勇者パーティーは、一部の人族には裏切られ、督戦隊よろしく背後から撃たれ、退く事も出来ず最前線に立ち続けた。

 

「あたしらを表向きは祭り上げてた連中だって、風向きが悪くなれば簡単にあたしら勇者パーティーを切り捨てたろうね。少なくともその部分においては、魔王軍の方がマシだったかも」

 

 レナが視線を向けると、スミスは頷いて同意を示した。

 

我々勇者パーティーがスケープゴートにしやすく、無責任な批判や非難をぶつけるのにうってつけの存在であったのは確かです」

 

 レナが思い出したように言う。

 

「魔王の事だったら、アルカンタラがいれば聞けたろうけど」

 

 確かに魔王軍の一員であったアルカンタラは、ネーナの疑問に対する答えを持っているかもしれない。だがその彼は、人族のパートナーと共に旅の空、行く先も知れなかった。

 

「我々がトウヤの足跡を追いかければ、いずれ魔王城にも到達するでしょう。トウヤの墓もありますのでね。そこにも魔族はいますよ」

 

 ネーナが聞き返す。

 

「お墓、ですか?」

 

 相打ちの形で魔王を封印した勇者トウヤは、遺体も残らなかった。ネーナはそう聞いていた。思いが顔に出ていたのか、スミスが補足する。

 

「ええ。お墓といっても遺品が置かれただけの簡素なもので、遺体が埋まっている訳ではありません」

 

 剣を抜いた後に投げ捨てられた鞘、そして肌身離さず着けていたネックレス。その二点だけが、トウヤの遺品だという。

 

「魔王の四天王や幹部の生き残りもいるし、歓迎されそうにはないけど。墓参りくらいはさせてくれるでしょ」

 

 レナは一瞬だけ苦笑し、真顔に戻った。

 

 

 

「あたし、もう一度魔王城に行きたい」

 

 

 

 何かを思い出すような、遠い目をする。

 

「最期にトウヤが相打ちになった時、すっごい穏やかな顔をしてて。魔王と何か話してたの」

 

 トウヤを失った勇者パーティーは、スミスとバラカスを代表に魔王軍との停戦を取りつけると、各国への報告を急ぐ為にゆっくり墓を弔う間もなく魔王城を後にした。

 

 レナは『神聖都市』ストラトスでパーティーを離脱し、それきりになっていたのである。トウヤとの別れを駆け足で済まされた事は、心残りの一つであった。

 

「今行っても何もわからないかもしれない。でも行けるなら、もう一度行きたい」

 

 勇者トウヤの最期の地へと思いを馳せ、レナは願いを口にした。

 

 現在の【菫の庭園】は、寄り道をしながらアルテナ帝国北部を目指す旅の途中だ。何をするにせよ、エイミーの両親の遺骨をシルファリオに移して、それからになる。

 

 北の大山脈を越えて陸路で魔王城へ向かうならば、年単位でシルファリオを離れる事になる。片付けなければならない案件も多い。何よりネーナ自身、もっと力をつける必要があった。

 

 いつかは魔王城へ。戦う為でなく、トウヤに関わる真実を、自分の目で確かめる為に。

 

 ネーナは一人、心に誓うのだった。

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