第二百二話 これから一緒に、殴りに行こうか

「らああああッ!!」

 

 気合いの声と共に、イリーナが大剣を振り下ろした。風を切り裂く重い音が、嵐のように辺りに響く。

 

 オルトはその一撃を難なくかわし、大剣の腹を打ち据えた。

 

「振りが雑だぞ。その程度か?」

「ぐッ!!」

 

 イリーナはすぐさま立て直して反撃に転じ、ガキンガキンと剣がぶつかり合う。

 

 二人は鍔迫り合いつばぜりあいの形になり、動きが止まった。鋼の塊が悲鳴を上げる。

 

「いいぞイリーナ。相手に余裕を与えないよう、食らいついて離すな。それが仲間を守る事にも繋がるんだ」

 

 オルトが大剣を押し返す。

 

「相手もお前の攻撃をまともに食らってはくれない。自分の強い所で勝負する為には、立ち回りや駆け引きが必要になる。しっかり考えろ」

 

 フッフッと荒い呼吸を繰り返すイリーナが、短く言葉を発する。

 

「ううぅ……いまっ」

「ん?」

 

 オルトが聞き返す。イリーナは脚に力を込めた。

 

「今っ! オルトに! 食らわせたいのにいいいいッ!!」

「だから考えろって言ってるだろ。というか、まだ元気だな」

 

 ブオン! と豪快に大剣を空振りし、イリーナがたたらを踏んだ。

 

 

 

『ヘーネス兄妹広場』に居合わせた者達は、固唾を呑んで二人の激しい稽古に見入っていた。

 

『…………』

 

 アラベラ、コリン、モリーの三人は、顔を真っ青にして地べたに座り込んでいる。

 

 三人はクロスとイリーナと組んだ臨時パーティーの慣らしを兼ね、オルトと模擬戦をしていた。しかし五人がかりで為す術もなく、捻られてしまったのだった。

 

 アラベラは自分も参加した『模擬戦らしきもの』を思い返し、冷や汗をかいた。

 

 チャンスと見て切りかかった瞬間、アラベラはオルトに首根っこを掴まれたコリンと対面させられたのである。

 

「――夢に見てしまいそうですわ」

 

 オルトが何事も無かったようにアラベラの剣を弾かなければ、本当に切ってしまったかもしれない。勝負を賭けた一撃を軽く捌かれた事もショックだった。

 

 アラベラの呟きに、コリンもコクコクと頷く。

 

「僕、死んだと思ったよ。お祖母様が花畑の向こうで手を振ってたし」

「……あれでもきっと、怪我人が出ないように相当気を遣っていたんだと思うわ」

 

 モリーはボンヤリと、手にした愛用の弓を眺めている。

 

 援護のタイミングを見計らっていたモリーは、蹴り出されたイリーナの身体が間に入って何も出来なかった。

 

「どこから踊らされていたのかな」

 

 三人には、皆目見当もつかなかった。

 

 

 

 クロスは厳しい表情で、イリーナの立ち回りを見つめていた。ネーナはクロスのそのような顔を見た事が無かった。

 

 ――あれは、クロスさんの事でしたか。

 

 前日にオルトが言った「もう一人いる、悩んでるのか凹んでるのかわからん奴」を、ネーナはイリーナなのだと思っていた。今になって漸く、それが間違いだと気づいたのだった。

 

 ネーナは思案する。

 

 ――これは、つまり。

 

 イリーナと打ち合うオルトと目が合った。

 

 素早く自分の胸に手を当て、次に手の平を上に向けてクロスを指し、指を摘んだ形の両手を胸の前で近づけて指を開く。

 

 するとオルトは、目立たないように親指を立てた。

 

「何、今のブロックサイン」

「『私がクロスさんとお話しします』『よきにはからえ』って事よ」

「わっかんないなー」

 

 レナとフェスタの小声のやり取りは、クロスの耳には入っていない。

 

 そんな二人をよそに、ネーナはクロスに歩み寄る。

 

「クロスさん」

「…………」

「クロスさん?」

「っ!?」

 

 二度目の呼びかけで、クロスがビクッと身体を震わした。そんなに驚かなくても、とネーナが苦笑する。

 

「とっても怖いお顔、されていますよ?」

「えっ? あっ、ごめん」

 

 指摘を受けて自分の顔に触れ、クロスは漸く自覚した。その謝罪に対し、ネーナは頭を振る。

 

 暫しの沈黙。

 

 ネーナはクロスの言葉を待った。オルトやフェスタや、自分が王女であった頃に仕えてくれた、侍女のフラウスがそうしてくれたように。

 

「あ……ええと」

「大丈夫です」

 

 何かを言い淀むクロスに、ネーナは微笑んだ。

 

遮音結界ストゥーディオ

 

 周囲から音が消える。クロスは結界の中にいる事を理解した。

 

「私とクロスさん、フェスタ、レナさん以外には聞こえませんよ」

「内緒の話は、誰に対しても内緒だからね」

 

 フェスタが補足する。オルトの恋人でパーティーメンバーであるフェスタが、そのオルトにも内緒だと言質を与えたのである。

 

 レナは何も言わない。フェスタと共に、クロスとのやり取りを一任してくれるのだと、ネーナは理解した。

 

「……故郷の町へのクラン設立が、現実になってきたんだ。漠然としていた夢が具体的になって、色々と考える事が出てきてね」

 

 クロスが重い口を開いた。ネーナ達は黙ってそれを聞く。

 

 

 

 クロス達【運命の輪ホイールオブフォーチュン】のメンバーとは、冒険者になったネーナが都市国家連合で活動し始めてからのつき合いである。彼等の目標を、ネーナは知っていた。

 

 彼等の故郷は寂れた町で、若者は働き口や娯楽を求めて都市に出てしまう。閑静ではあるが活気に欠ける故郷を、クロス達はこよなく愛していた。

 

 幼馴染の四人は、町の為に出来る事を懸命に考えた。

 

 冒険者ならば、四人一緒でいられる。Bランクに昇格すると、クランを設立する資格が得られる。そう提案したのは、腕っぷしの強いイリーナだった。

 

 クランは拠点を設置し、冒険者ギルドの支部のような業務を行う事が出来る。彼等の町の周辺にはギルド支部は無かった。クランのある地域に、後からギルド支部が出来る事は基本的に無い。

 

 クランは言ってみればフランチャイズ。ギルド支部と違って統廃合もなく、異動も無い。故郷に腰を据えて仕事をする事が出来る。四人の中で一番思慮深いメラニアも賛成した。

 

 クロスは既にイリーナと恋仲であったが、見習いとはいえ神官になっており、別な仕事をする事は出来なかった。数少ない例外が、冒険者だ。メラニアの賛成は、そこを踏まえたものでもあった。

 

 

 

「ネーナ達にはわかると思うけど、僕等は幸運に恵まれてBランクに昇格する事が出来た。でも、この先は……」

 

 クロスの声が小さくなる。ネーナ達には、その後に続くであろう言葉がわかった。

 

 クランを設立すれば、メラニアが運営の中心になる。そのメラニアは、単体の魔術師としてはBランクの実力に足りない。【運命の輪】がBランクパーティーとして活動を続ければ、そう遠くない内に必ず、魔術師としての純粋な力量を問われる場面に当たっていた。

 

 逆にクラン運営ではあまり力になれないだろうイリーナは、戦士としての才能を開花させつつある。常に傍で見ているクロスは、個人でのAランク昇格も時間の問題だと感じていた。元より【運命の輪】は、突出した実力のイリーナを活かすパーティーだったのだ。

 

 メラニアは伝手の出来た大手クランや、町を発展させているシルファリオ、新しいギルド支部のあるヴァレーゼ自治州へと出向いて勉強に忙しい。本来の彼女の才能が、漸く正しい方向に発揮されようとしているのだと、仲間達も理解していた。

 

 ジャックやクロスは冒険者でも当面はやっていける。クラン運営の手伝いも出来る。聖職者のクロスには、教会に戻る道もある。

 

 だが、ここまで力を合わせてやってきた【運営の輪】の四人の道は、分かれようとしていた。

 

 

 

「……いつかはこうなると、わかってはいたんだ。でも、実際にその時が近づいてくるとね」

 

 ネーナ達三人は黙って聞いていた。

 

「【菫の庭園】の皆と出逢った事で、僕等の夢や目標に大きく近づく事が出来た。とても感謝してる。だけど――」

 

 稽古中のイリーナを見つめるクロスの目は、とても切なげだった。ネーナは、彼の苦しみの本質に気づいたのだった。

 

「どうしても思ってしまうんだ。【菫の庭園】と知り合わなければ、僕達は今も四人で北セレスタでBランク目指して――」

 

 

 

「その未来は、有り得ません」

「っ!?」

 

 

 

 被せるようにネーナは、クロスの願望めいた吐露をキッパリと否定した。

 

「誰が欠けるか、それとも全滅か。【運命の輪】は確実にどこかで、四人パーティーではなくなっていました。お兄様もそう思ったから、お節介を承知で世話を焼いたんです」 

 

 例えば【明けの一番鶏】が消息を絶った時。【運命の輪】は実力が足りないからと、救援に手を挙げないでいられたのか。

 

 アオバクーダンジョンの溢れ出しオーバーフロー、『災厄の大蛇グローツラング』の最大拠点強襲。危機的な状況は何度もあった。

 

 ネーナの指摘を受けたクロスは、反論出来なかった。

 

 

 

「結局の所さあ」

 

 

 

 黙っていたレナが口を開く。

 

「イリーナに置いてかれるんじゃないかって心配? オルトが鍛えなければ良かったのにって話? ヤキモチ?」

「身も蓋もない言い方ね……」

 

 フェスタが苦笑する。クロスは唇を噛み締め、俯いた。

 

 ストラ聖教の神官であるクロスは、教会から離脱したとはいえ『聖女』であったレナに言い返すのは難しい。ネーナは少しだけ、クロスを気の毒に思った。

 

「いいじゃない、ヤキモチ焼いたってさ」

「えっ?」

 

 クロスが顔を上げる。レナに茶化すような様子は無かった。

 

「好きなんでしょ。一緒に行きたいんでしょ? いいじゃないの嫉妬したって。聖職者だって人間よ?」

 

 レナはフェスタとネーナを見て、ニヤリと笑う。

 

「あたしは『刃壊者ソードブレイカー』について行こうって連中を知ってるからね。それに比べたら楽なもんでしょ」

 

 フェスタとネーナが顔を見合わせる。

 

「じゃあとりあえず、やる事は決まったね」

 

 掌に拳をバチンと打ち合わせ、レナが言う。クロスが首を傾げた。

 

「やる事、ですか?」

気に入らない奴オルトをぶん殴るの。それでスッキリするでしょ」

『えええええっ!?』

 

 クロスとネーナ、フェスタが驚きの声を上げる。

 

「無理ですよ!? 僕にそんな力はありませんから!!」

「誰も一人でやれなんて、言ってないじゃない」

 

 レナはオルト達の稽古を見守るギャラリーを指し示した。

 

「助っ人なら山程いる。オルトは稽古の後で疲れてる。これなら殺れる!」

「あわわわわ、レナさんが悪い顔してます」

「フェスタとネーナも助っ人だからね」

『えええええっ!?』

「さあ行くよ」

 

 再び驚くネーナ達に構わず、レナは遮音結界を破壊した。

 

「おや、お話は終わりましたか?」

「うん、結界作ってくれる? 頑丈なやつお願い」

 

 レナはスミスの返事を聞く前に、ビシッとオルトを指差した。

 

「オルト! 自分の恋人と妹放ったらかして、他人の恋人とイチャイチャしてんじゃないわよ! このクロスが、今からあんたをぶん殴るから!」

「はあ?」

 

 イチャイチャの要素など微塵も無かったオルト。イリーナも戸惑っている。クロスは緊張からか、顔が真っ青だ。

 

 レナがギャラリーに呼びかける。

 

「あんた達! 『刃壊者』に一発食らわせるチャンスよ! 相手は疲れてるし、この人数ならイケる!」

 

 ざわめくギャラリーの中から、大声が上がった。

 

「ワハハ、祭りか!! 【野鴨戦団】八名、参加するぞ!!」

 

 ニムスと仲間達が立ち上がり、上着を脱ぎ捨てる。他のギャラリーも勝機と見たか、口々に参加を表明する。

 

「俺もやるぜ」

 

 レオンも腕を撫した。

 

「フェスタとネーナもそっち側かよ」

 

 オルトにジト目を向けられ、二人が小さくなる。

 

「流れでね……」

「ごめんなさい……」

 

 レナが気勢を上げた。

 

「野郎ども、今日は無礼講だ! 存分に暴れて発散しろォ!!」

『うおおおおッ!!』

 

 熱狂の中、静かな声が響く。

 

 

 

「――成程、無礼講か。発散していい訳だ」

 

 

 

 オルトが一人、笑顔でポキポキと指を鳴らす。ネーナとフェスタは勿論、『祭り』に飛び込もうとした者達は、早くも後悔し始めていた。

 

「ご武運を祈りますよ」

 

 スミス、テルミナ、エイミー、レベッカ、アイリーンといった面々がそそくさと離れていく。

 

 冒険者の一人が、脂汗を浮かべて呟いた。

 

 

 

 

 

「――魔王だ」

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