閑話十二 屋根裏部屋の会
「レベッカ、私が先に上がって引っ張るわね」
「お願いします、エルーシャさん」
エルーシャがスルスルと梯子を上がり、ロープが結ばれた桶を下ろす。レベッカが桶に袋を乗せ、エルーシャは
「それでお終いです」
「了解」
レベッカもゆっくりと梯子を上がる。二人の目の前には扉があり、そこには文字の書かれた札がかかっていた。
『
扉を開くと、中にいた数名の男女がエルーシャ達を見た。共用スペースとして使われている天井の低い、女子寮の屋根裏部屋。本来は男子禁制であるものの、特例として三名の男性職員が入っていた。
「お待たせ」
「二人ともご苦労様」
カミラが袋を受け取り、手際良く料理や菓子、飲み物を器に分ける。運び終えた女性職員達がクッションに腰を下ろす。
エルーシャは周囲を見回し、全員に器が行き渡っているのを確認した。
「では皆さん、今日もお仕事ご苦労様でした。申し訳無いけど、大事な話があるから乾杯は無しね」
「大事な話って、オルトさんの事かい?」
「ええ」
ナッシュの問いにエルーシャが肯く。
オルトと【菫の庭園】が、ギルド本部の上層部との関係を悪化させている事は職員達も知っている事実である。現在オルトは、本部のギルドマスターと各部門長に対して運営、運用上の改善要求を公開で突きつけているのだ。
要求が全て受け入れられないならば、ギルド離脱も辞さない。そう言い切るオルトは、一切の妥協を許さない姿勢を見せている。対するギルド本部からの回答は未だ無く、支部長を派遣して支部長代行のオルトと交代させたのみ。
「オルトさんは回答期限を決めてますから、このままだと冒険者を辞めてしまうんですよね……」
「オルトさんとしてはベストではないけど、公開でやってるから全支部は勿論、冒険者ギルドへの協力者や協力国も本部の対応を見てる事になる。執行部が突き上げを食らって指導力を低下させるのは確実だもの。この流れはアリなんでしょうね」
『剣聖』と渡り合う剣士と、伯爵の領軍を物ともしないパーティー。どの国も団体も、喉から手が出る程欲しい人材である。【菫の庭園】が冒険者ギルドを離脱すれば争奪戦が起きるだけでなく、手放した冒険者ギルドへの風当たりも強くなるだろう。
オルトの要求は傍から見ても至極当然のものであり、受け入れなかったギルド上層部の公平性、公正性、中立性までもが疑われる。協力国が冒険者ギルドに対して認めている各種の特権が失われる可能性すらあるのだ。
レベッカとカミラのやり取りを聞き、男性職員の一人が首を傾げる。
「今、本部の偉い連中は結論の出ない会議の真っ最中なんだろうよ。でも、オルトさんが本部と喧嘩するメリットは何かあるのか?」
『えっ!?』
今更そこなの? そう言わんばかりの視線が男性職員に集中する。ナッシュが苦笑しながらとりなしに入った。
「プラットがそう言うのも仕方ないよ、オルトさん達が得するようには見えないし」
「そうだけど……だったら誰が得をするのか考えたらわかるじゃない」
「あっ、でもなあ……」
女性職員の指摘で理解はしたが、納得出来ない様子のプラット。得をするのは職員や冒険者達、だがそこに【菫の庭園】は含まれない。
「結果的には、多くのギルド職員や冒険者が恩恵を受ける事になるわ。オルトさんは『誰の為にやった』なんて絶対に言わないけれど、仲間や身内が苦しんでるのを放っておかない人よ」
「だから、助けられた私達が恩を返す番だと思うんですっ」
エルーシャに続いて、レベッカが強い口調で主張する。それは普段の大人しいレベッカを見慣れた職員達が驚く程であった。プラットが溜息をつく。
「助けられたのは俺達って事か……【菫の庭園】とエルーシャが支部に来た日の夜な。俺は、このままだと職員から死人が出ると思ったよ。オルトさんがラスタンを殴り倒して外に連れ出した時、重苦しい空気が一気に晴れた気がしたんだ。何とかなるかもしれないってな」
「わかります、プラットさん。私も本部であまり上手く行ってなくて、思い切って環境を変えようと思ったけどやっぱり駄目で……でも、リベルタで見たオルトさんにまた会えて。そのオルトさんが『期待してる』って……そんな事言われたの、初めてだったんです」
感極まって涙を流すレベッカ。その肩を女性職員達が抱きしめる。
レベッカと同じくリベルタのギルド本部から出向してきたナッシュは、本部でのレベッカの様子を良く覚えていた。
上司から叱責され、総務部の同僚にも侮られて俯いている印象が強かった。ヴァレーゼ支部に来てからも上司に恵まれず、レベッカは日に日に落ち込んでいった。
それがオルトがラスタンを攫って行った時から、見違えるような働きをするようになったのだ。レベッカの変貌にそういう理由があったのなら、ナッシュにも納得が出来た。
「でもレベッカ、君は正式にヴァレーゼ支部への異動を願い出たけど、良かったのかい?」
「良かったのか、とは?」
ナッシュの問いに、レベッカが首を傾げる。
「だって君、本部に恋――」
「っ!?」
レベッカは大きく目を見開き、その後パタッとテーブルに突っ伏した。屋根裏部屋が静まり返る。
「……れ、レベッカ?」
「……です」
恐る恐る呼びかけるナッシュにレベッカが小さな声で応える。困惑するナッシュの前で、無表情のレベッカが顔を上げた。目の輝きが消えている。
「浮気してたんです、ジョゼ。同じ経理部のニコラと」
「ええっ!?」
突然のカミングアウトに狼狽えるナッシュ。再び突っ伏すレベッカ。
「本部に戻っても良い事なんて無いし、昨日は支部に来たコール副部長の顔を見て、辛かった事ばかり思い出して……」
「大変だったのね、レベッカ……」
「どんまいレベッカ、もっとマシな男はいくらでもいるって!」
懸命に慰める女性職員達の横で、カミラが首を傾げた。
「レベッカ、貴女、リベルタでオルトさんの模擬戦を見て感動してここに来たって言ってなかった?」
「っ!? そ、それは嘘じゃないですカミラさん! 私が落ち込んでる時に、昇格審査に来たオルトさんを見たんですっ!!」
パタパタと手を振りながら早口で弁解するレベッカ。ずっと黙っていたエルーシャが、苦笑しながら口を開いた。
「ねえみんな、話を戻してもいいかな?」
『あっ』
職員達の声が揃った。
「そうか……そういう話なら俺も協力する。ただ、職員それぞれに事情もある。全員に協力を強いる事は出来ないぞ?」
「勿論よ」
プラットの注意に、エルーシャは頷いた。ナッシュが問いかける。
「こうやって皆を呼び出したのは、何か考えがあるって事でいいのかな、エルーシャ? 何かするにせよ、ヴァレーゼ支部だけで本部を動かすのは難しいと思うんだけど」
「確かにヴァレーゼ支部だけでは難しいけど。でも、ここにいる職員は出向組でしょう?」
「成程ね」
カミラが得心行ったように、ポンと手を打った。
出向期限を迎えれば、残留しない職員は元の支部に戻る。冒険者も拠点を移さないままヴァレーゼに滞在している者達がいる筈だ。職員や冒険者の横の繋がりもある。
エルーシャもネーナの事情を多少は聞いている。オルトが冒険者に全く固執していないのであれば、引き止めるような事をする気は無い。
だが、オルト達は冒険者の肩書きがあった方が都合が良い。エルーシャはその事も知っていた。
「私は、【菫の庭園】の皆さんのお力になりたい。可能な人は手を貸して下さい。お願いします」
「ちょ、ちょっとエルーシャさん! 頭を上げて下さい!!」
深々と頭を下げるエルーシャを、レベッカが慌てて止める。カミラは柔らかく笑った。
「エルーシャ。ここには、あの人達に借りの無い者はいないのよ。私達は何をすればいいか、教えて頂戴」
「カミラ……皆も、有難う」
「水臭いですよ、エルーシャさん」
エルーシャは、職員達にもう一度頭を下げた。
◆◆◆◆◆
「じゃあ、僕等は支部に帰還の報告をするよ。明日、昼食も兼ねて家に来てくれるかな?」
「承知した」
「ブルーノさん、奥さん達に宜しくね。サファイアも――」
「わ、私はそんなんじゃないっ」
「フフッ、そういう事にしておいてあげる」
去って行くリチャードとマリン、エリナを見送り、ブルーノと顔を真っ赤にしたサファイアが歩き出す。
「では、私はここで。サファイアも身体を冷やさないようにな」
「有難う、また明日」
屋敷が近づき、ブルーノが離れる。玄関からメイド服姿の三人の少女が飛び出し、大柄なブルーノに勢い良く抱き着いた。
ブンブン手を振る少女達に手を振り返し、サファイアは屋敷の先へと進む。その手には小さな花束が握られていた。
サファイアの目的地は、シルファリオの街の外れにある共同墓地であった。正確には、墓地にいるであろう人物だ。
その人物は、いつもの場所にいた。小綺麗な墓の前。近づいて来るサファイアに気づき、顔を向ける。
「ただいま戻りました、
「お疲れさん、怪我は無いか」
「はい」
それだけの、いつも通りの挨拶。だが傷男の声色は、以前に比べれば大分と柔らかくなっている。その違いがわかるのはサファイアと、毎度このようなやり取りを聞かされる目の前の墓の主だけだ。
傷男がスッと墓の前を空け、サファイアは軽く会釈をして墓石に向き合う。これもいつも通り。
「サフィさん、ただいま戻りました」
サファイアは一言声に出した後、両手を組んだ。黙祷を終えると、墓地の違和感について傷男に尋ねる。
「ああ。それは、ここに通い詰める物好きが一人増えたからだな」
親指で無縁墓の前を指し示す。そこには、赤子を抱いた女性が静かに佇んでいた。
元冒険者で、傷男の旧い知り合い。サファイアも多少は事情を聞いている。一度は直接話をするつもりであったのだ。それが墓地になるとは思わなかったが。
「こんにちは、プリムさん」
「こんにちは。あの……」
「こいつはサファイアっつってな、シルファリオのAランク冒険者だ」
いきなり話しかけられて戸惑うプリムに、傷男がサファイアを紹介する。
「まあ、お若いのにAランクなんて凄い」
「それ程でも。可愛らしいお子様ですね、男の子ですか?」
「はい」
すやすやと眠る赤子を見て、サファイアは微笑んだ。
「もしもお困りの事があれば、遠慮なくご相談下さいね。ご事情も多少は伺っておりますので」
「有難うございます。皆さんに良くして貰って、今の所は全く不都合はありません」
ヴィオラ商会に住み込みで勤めており、子育ても周囲の協力で何とかやれている。そうプリムが話した。
「私がどれだけ愚かな女でも、この子だけは幸せに……そう思っていたのに。私まで本当に、本当に良くして貰って……傷男さんにも、ナナリー達にも」
プリムが涙ぐむ。
サファイアは用件を切り出すべきか悩んだ。今どうしても聞かなければならない話ではない。むしろ今聞けば、傍らの傷男は自分を非難するに違いない。
だがそう悩むサファイアに、プリムから思いがけない言葉が告げられた。
「サファイアさん。私に、お聞きになりたい事があるのでしょう?」
「っ!」
言葉に詰まるサファイア。プリムは幼馴染達が眠る墓石に目を向けた。
「失ったものは戻らず、罪は消えません。私は私の愚かさと一生向き合わなければなりません。その記憶が必要ならば、いくらでもお話します」
再びサファイアを見つめるプリムの目には、強い決意の光が宿っていた。
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