第百六十六話 貴方達は、ただの卑怯者です

 エイミーがついと顔を上げ、袋小路の出口に視線を向けた。釣られてネーナ達三人もそちらを見る。


「始まるよ」

『っ!?』

 

 直後、眩い閃光が袋小路の闇を白く染め上げる。


 スミスが角度を調整したせいで、袋小路の四人は視覚を奪われるような事は無かった。それでもネーナは周囲が真昼になったかと感じた程で、路地裏では目が眩んで浮足立った者達が喚き散らしている。


『くそっ、何も見えない!』

『あああぁ手があああっ!!』

 

 男達の絶叫が響く中、袋小路の出口に立つスミスの背後に、オルトが姿を現す。誰かを抱きかかえているがレナでは無い。レナの声、というより怒声は路地裏から聞こえてくる。


『死にさらせあああ゛っ!!』

『…………』


 初めて聞く、激情に駆られたようなレナの叫びに、四人は無言で顔を見合わせた。

 

 オルトは抱えた相手をそっと地面に下ろし、自身の外套を脱いで羽織らせている。異変を感じてネーナが呼びかける。

 

「お兄様、怪我人ですか!?」

 

 袋小路の奥のネーナ達に気づき、ホッとした様子でオルトが応じた。

 

「ああ、結構酷い。そっちが終わったら治療を頼めないか?」

「今行きます!」

 

 少年の意識は戻っていないものの、治療は既に終わっている。ネーナは即答すると使った道具を手早くまとめ、ポーチに押し込んだ。

 

 フェスタが少年を背負い、四人は袋小路の出口に向かう。スミスの向こう側では、ククリナイフを手にしたレナが暴れ回っているのが見えた。

 

「そういう事ね……」

「すまん。俺もレナを止める気になれなかった」

 

 オルトが付き添う重傷者を見て、フェスタ達は状況を理解した。

 

 オルトの外套をきつく纏った女性が、ガタガタ震えながら蹲っている。頭部にペタンと垂れた、犬のような一対の耳が存在を主張しているが、今はどうでもいい事だ。

 

 ずっと裸足で歩かされたと見られ、素足の裏側は血に塗れている。暴行で元の容貌がわからない程に腫れ上がった顔は、涙と鼻や口からの出血が止まっていない。

 

 この有様を見て、レナが怒らない訳が無いのだ。

 

 ――どうして、こんな酷い事が出来るの。

 

 涙と怒りをグッと飲み込み、女性の傍らに膝をついて、ネーナが優しい声音で話しかける。治療を始めたネーナの側で、オルトとフェスタは情報を共有する。

 

「わたしも行ってくる!」

「まあ、程々にな」

 

 オルトの話を聞いたエイミーが、怒り心頭で路地裏に飛び出して行く。だがオルトは、エイミーの出番は無いだろうと思っていた。

 

 既にレナの怒声は収まり、大立ち回りの音も止んでいる。相手は増援も合わせて十五名だが、多少腕に覚えがあろうとレナの敵ではない。

 

 何せ今回のレナの怒り様は、オルトが早々に制止を諦めて手綱を手放す程の激しさだったのである。喜怒哀楽のハッキリしたレナではあるが、重傷者の回復も忘れて敵に向かうなどオルトの記憶には無かった。

 

 

 

「えっ?」

 

 治療を終え、腫れの引いた女性の顔を見たネーナは驚きの声を上げた。

 

 ドリアノンの冒険者ギルド支部。帽子を被り、受付カウンターで泣きそうになっていた、あの女性職員が目の前にいたのである。帽子を被っていたのは、獣人の種族的特徴を隠していたのだとネーナは察した。

 

「大変だったわね。『洗浄』が必要なら、すぐしましょう」

 

 近寄って来たフェスタが、真顔で女性に尋ねる。オルトは気を利かせて少し離れ、スミスの隣へ移動していた。

 

 フェスタは同性であるからこそ、望まぬ妊娠だけは避けようと単刀直入に聞いたのだった。処置をするなら、早ければ早いほど良いのだ。

 

「だ、大丈夫です。そこまで、されなかったから……」

 

 女性は弱々しい声ながら、性的な暴行は無かったと応えた。それを聞いたフェスタ達は安堵する。とはいえ元の顔がわからなくなる程まで殴って心を折り、衣服を毟り取る輩が何をする気だったか、考えるまでもない。

 

 ネーナは再び湧き上がる怒りを抑えながら、自分の予備の靴と着替えを女性に手渡した。

 

 

 

「……ごめん」


 戻って来たレナが開口一番に謝罪する。オルトは責める事なく、ポンと背中を叩いた。


「お前がやらなきゃ俺がやってた。もう一人怪我人がいるから、両方診てやってくれるか」

「……うん」


 ネーナがしょげ返るレナに場所を代わる。獣人女性の前に膝をつきながら、レナがポツリと呟く。


「全員男だと思ってブチのめしたらさ、女も二人いたんだ。何でこんな事出来るんだろうね……」

「レナさん……」

「ごめんね、遅くなって……」


 気の済むまで暴れてスッキリしたという風でもなく、むしろ自分が深く傷ついたような表情のレナに、ネーナはかける言葉が無かった。




「オルト、この後はどうするの?」

 

 路地裏の様子を見て来たテルミナに問われて、オルトは暫し考え込んだ。

 

 少年と女性、この二人はここに置いていけない。ドリアノンにはオルト達の味方はおらず、預けられる場所も無い。


「この二人を連れて、一度駐屯地跡に戻ろう。水場もあるし、保存食を置いていけば数日は隠れられる筈だ」


 スラムに長居するのも得策では無いと、オルトは考えた。『純血の誓い』の男は、「治安隊は来ない」と言い切ったのだ。そして警笛の合図で『純血の誓い』の増援は来た。このスラムが彼等のテリトリーである証明である。


「情報が少な過ぎるな……」

「聞いてみようか?」

「聞く? 誰に?」


 何事も無いように言うテルミナに、オルトは怪訝そうな顔で尋ねる。治療こそ済んだが少年は意識が戻っておらず、女性の精神状態は質問に耐え得るものか、甚だ疑問なのだ。


「二人じゃなくて、人達に聞くのよ」


 テルミナが路地裏を指差す。オルトは頭に疑問符を浮かべながら、袋小路から顔を出した。


「……確かに『生えてる』な」


 そこにはレナにされた『純血の誓い』の面々が、頭部だけ地面に出した状態で埋まっていたのである。さながらカボチャ畑のような絵面に、オルトは苦笑した。


「穴を掘ったのは、精霊術かな」

「エイミーね」


 そのエイミーは嫌がらせなのか、埋まった人間の傍にしゃがんで頭部を突いている。


「それで『聞く』っていうのは?」

「ここは森の中で、精霊王の加護の範囲内。だからドライアードの魅了が効くと思うの」


 テルミナは『深緑都市』ドリアノンの由来にもなった森の精霊の名を挙げた。ドライアードは時に、森に入った者を迷わせるのだという。


「強制や命令は出来ないけど、私を近しい者だと錯覚させて情報を得る事は可能だと思うわ」

「それは願ってもない。頼んでいいか?」

「任せて」


 テルミナは快諾し、エイミーの傍らに座り込む。二人の姿を眺めながら、オルトは深く息を吐いた。


『純血の誓い』の構成員を叩いた事で、ドリアノンの治安隊は勿論、恐らく軍も機能していないと判明した。だが秘密結社の一つがそこそこ力を持とうが、都市国家を掌握するには厳しい。


 人々が恐れているのは、秘密結社のバックにいるだ。それはほぼ間違いなく『ラボ』なのだが、オルト達はその確証を得ていない。オルトはテルミナの『尋問』で、『ラボ』ないしは『災厄の大蛇グローツラング』の名前が出る事を期待していた。




 ネーナとフェスタがオルトに歩み寄る。


「お兄様」

「ネーナ、フェスタも」


 近づいてくる二人を見て、オルトは表情を和らげる。そこで初めて、自分が強く気を張っていた事を自覚した。


「男の子はまだ眠っています。女性の方は歩くだけならば大丈夫ではないかと。お話を聞くのは、もう少し落ち着いてからが良いと思います」

「そうか」


 薬師として二人を診たネーナの見解は、オルトの認識と一致している。オルトは小さく頷いた。


 このスラムで相手を待つにせよ、こちらから動くにせよ、二人を連れては行けないのだ。今回の戦闘で【菫の庭園】が相手に捕捉された可能性もあり、早く二人を安全な場所に移したい。その点で仲間達の考えは一致していた。


「オルト、終わったわ」

「早いな」


 テルミナが尋問を済ませて戻って来た。手際の良さにオルトが驚くも、当人はヒラヒラと手を振って何でもない事だとアピールする。


「下っ端の実働部隊だもの、大した事は知らないし。でも『災厄の大蛇』の名前は出たわ」

「ご苦労さん。漸く相手がハッキリしたか」


 ここに来て、仮定だった敵の名前が確定した。僅かでも対処の相手を絞れるのは、完全アウェーの【菫の庭園】にとっては大きかった。


 仲間達に撤収が伝わり、ネーナはギルド職員に駆け寄った。エイミーもやって来て、職員を労る。


「お姉さん、歩ける?」

「は、はい」

「痛かったら言って下さいね?」

「有難うございます」


 ギルド職員が礼を述べると、エイミーとネーナは顔を見合わせてニッコリ笑った。


『どういたしまして!』




 袋小路にいる一行がスラムを出るには、どうしても路地裏の『カボチャ畑』を通る必要がある。レナとエイミーが怒りに任せて作った畑は、通行の邪魔でしかなかった。


「返す返すも、申し訳無い……」

「す、少し怖いけど、大丈夫です」


 平謝りのレナに、ギルド職員が気丈に応える。大分落ち着いたのか、顔色は悪いものの足取りはしっかりしている。


「た、助けてくれ」

「痛えよお……」

「どうしてこんな目に……」


 地面から顔だけ出した『カボチャ』の呻きに顔を顰めながら、ネーナはギルド職員を支えて路地裏を歩いて行く。


「お前等……俺達に手を出してタダで済むと思うなよ」


 憎々しげな言葉に、ギルド職員が身体を強張らせる。ネーナとエイミーも足を止めた。


 恨み節を吐いたのは、始めにオルトと話した男。暗い緑色の短髪が特徴的で、ネーナも良く覚えていた。


「私達の心配は不要ですので、ご自身の事をお考え下さい。治安隊は来ないそうですし、警笛も一緒に埋めたのでお仲間も来ませんね。スラムの方々が身動きの取れない皆さんを見つけたら、どうなるのでしょうね?」

『っ!?』


 ネーナの言葉に、路地裏のカボチャ達が一様に真っ青になる。自分達がスラム住人から恨まれているという自覚はあるのだ。


「俺達が何をしたというんだ!? ここまでされる謂れは無い!!」

「私達の仲間の引き渡しを求めて、応援を呼びましたね。力づくで来るならば当然反撃します。それと、こちらの子供と女性に何もしていないとは言わせませんよ」

「そいつらは劣等種だ! 劣等種を従えるのは優れた種族の権利だ!」


 男の主張に、ネーナの表情がスッと消えた。




「――偶々人族に生まれついただけで、偉そうにしないで下さい。非常に不愉快です」




 ネーナの反対側でギルド職員を支えていたエイミーが、真っ青になってオルト達に助けを求める。だがオルトは、無念そうに頭を振った。


「あ、キレた」

「キレたな」

「キレましたね」

「ガチギレね」


 レナ、オルト、スミス、フェスタと続き、テルミナは無言で肩を竦める。


 全く感情の込もらない平坦な声。冷たい視線。ガラッと雰囲気が変わったネーナに、『カボチャ』だけでなくギルド職員も驚いている。


「なっ!?」

「数を頼んでもたった一人に蹴散らされ、こうして地面に埋められて喚くだけの貴方達が、優れている筈が無いでしょう。貴方達のバックも、こんな役立たずの為に動きませんよ」


 貴方達の理屈ならば、劣等な者は何をされても文句は言えないという事になる。そう断言された男は絶句した。


 ネーナは大きく息を吸い込むと、次の一言にありったけの怒りを込めて叩きつけた。




「貴方達は、優秀でも特別でもありません――ただの卑怯者です!!」

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