第百八十九話 選択に対する責任

 瘴気の噴出口に到着したネーナは、酷い臭いに顔を顰めた。

 

「ネーナが作った香水の失敗作の方が酷かったけどな」

「……お兄様は手が塞がってますから、私が鼻を摘んであげます」

 

 黒歴史をオルトに掘り返され、頬を膨らませて反撃する。ネーナを抱きかかえているオルトは、手が使えないのである。

 

 

 

 噴出口は直径三十メートル程。小山の如く真っ黒な盛り上がりから、高濃度の瘴気が絶えず溢れ出ている。地面はおろか二階建ての屋根すら、黒い靄に飲まれて見えない。

 

「噴き出す勢いは弱くなっているようですが……妙ですね」

 

 ネーナが呟いた。

 

 当初、この噴出口からは物見塔よりも高く瘴気が噴き上がったという。現在は半分以下、せいぜい建物の三階程度。噴き出す、と表現出来るような勢いは無い。

 

 瘴気の大半は地面近くに滞留している。これは地下迷宮でも同様の現象が観測され、コスワースの瘴気の性質として報告されていた。

 

 瘴気の噴出が始まる前、レオン達冒険者が地下迷宮に入っていたのである。その際活動が困難になる程、地下が濃い瘴気に満ちていたとは言っていない。地上に戻った理由は、あくまでも地上の異変を感じ取ったからだ。

 

 その瘴気がどうして、厚い土中を突き抜けて地上に噴き出したのか。噴出口を間近に見た事で、疑念がさらに強くなる。

 

「――どうする?」

 

 オルトに尋ねられ、ネーナは思考を切り替える。

 

 出来る事ならば、現場検証の為に瘴気の噴出だけを止めたい。だが、その瘴気によって噴出口そのものは視認出来ない。視線が通っていない場所に魔術を行使するのは厳しい。

 

「今、私一人で塞ぐとなると、現場保存は諦めて貰うしかありません」

「それでいいさ」

 

 オルトは即断した。この後は第一シェルターと第二シェルターを制圧しなければならないが、まずは瘴気を止めるのが先だ。

 

 ネーナが懐から小瓶を取り出す。オルトから貰ったその小瓶の蓋を外すと、ポンと音がした。

 

「栓をしようかと」

「『門』でって事か?」

「はい。制御は可能です」

 

 ネーナが自分から先刻のミスに触れた以上、オルトから言う事は無い。

 

 二人は、瘴気の靄の中から辛うじて頭を出している建物に降り立つ。北地区には三階建て以上の建築物は殆ど無く、付近には他に足場になる場所は無かった。

 

 棒杖を手にした少女が屋上の縁に立ち、詠唱を始める。

 

 ――我は命じるコマンド 来たれ時空の門コール・ザ・ゲート 変化せよチェンジ――

 

 

 

大地の栓ホール・ストッパー

 

 

 

 噴出口の真上に顕現した光体が大きさを増し、瓶の栓のように形を変えていく。ネーナが振る棒杖に応えるように、ゆっくりと降下する。

 

 ゴゴッと地面が悲鳴を上げ、巨大な栓が噴出口を完全に塞いだ。ネーナはフウッと息を吐く。

 

「地下から圧力がかかっても、易々とは抜けません」

「悪いが、誰か来るまで頑張ってくれ」

「はいっ」

 

 ネーナは『門』を顕現させている間、他の魔術を並行して行使する事が出来ない。スミスかエイミー、テルミナが来るまでは噴出口を塞ぎ続けなければならないのだ。

 

「お兄様」

 

 呼ばれたオルトが視線を向ける。

 

「この瘴気の噴出、人為的に引き起こされたかもしれません」

「誰かが仕組んだという事か?」

 

 ネーナは無言で首肯した。

 

 噴出口の下は、地下迷宮コスワースの一部である。カリタス東地区の地下迷宮入口からはおよそ五キロ、カリタスの冒険者でもごく一部の者が、瘴気濃度が低い時にのみ到達出来るエリアだ。

 

 地下迷宮への入口は、カリタス以外では『惑いの森』のエルフが居住する場所に確認されているのみ。そちらは厳重に封鎖されている為、地下迷宮に下りるにはカリタスを経由するしかない。カリタスの入口は、未だに破られていなかった。

 

 ネーナはカリタスのエースパーティー、そして元エースパーティーを疑っていた。現に支部長のリベックを斬り、それぞれの手下を引き連れてシェルターを占拠している。『反乱』は、【菫の庭園】の救援が間に合わなければ成功していた。

 

「直近のクールでカリタスに入って来た者が、例えばカリタスからの脱走や身柄の保護をチラつかせて、二つのパーティーをそそのかした。そういう話ならば筋は通るが……」

 

 オルトが渋い表情をする。内部の犯行にせよ、外部からにせよ、冒険者ギルドが攻撃を受けた事になる。黒幕は当然カリタスの外。さらに問題が複雑になるのだ。

 

「誰が仕組んだにせよ、じきに何かしら動きはあるだろうな」

「はい」

 

 ネーナも同意する。二人の頭にはボンヤリと敵の正体が浮かんでいる。どんなに遅くても、このワンクールが終わる前に砂嵐を越え、カリタスを制圧しに来るに違いなかった。

 

「まずはカリタスを安定させる事。その次が外か地下かは流れ次第だな」

 

 二人の想像通りならば、敵が巨大過ぎる。受け身では対処しきれなくなるのが目に見えていた。

 

「何だか物騒な話をしているのね」

 

 背後からの声に、二人が振り返る。そこにはテルミナが一人で立っていた。

 

「第一シェルターと第二シェルターへの情報を制限する目的で、一時的に物見塔の放送を控えてるの。フェスタ達は中央地区を確保次第、第二シェルターに向かうそうよ。私達はここをやっつけたら第一シェルターへ」

 

 南を見れば、エイミーの大竜巻が西へ移動していた。第三シェルターからは、休養した冒険者が東地区の掃討に出ている。テルミナは東地区の瘴気を排出し、北地区にやって来たのだった。

 

 テルミナが土精で地面を埋め戻し、続けて大竜巻を発生させる。大穴を塞いでいる栓がネーナの魔法だと知り、テルミナは目を丸くした。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 瘴気の排出と敵の掃討を終え、オルト達は宙空の足場を走り出す。テルミナは風精の加護を得て加速し、僅かに遅れて建物の屋根を追って来た。 

 

「スミスもネーナと同じ事を考えていたわ。二つのシェルターには無理矢理連れ込まれた女性もいるみたいだし、少し急ぎましょう」

 

 第一シェルターに到着するなり、ネーナは雷を放って『死の影』を一掃した。三人は閉じられた入口に張り付く。

 

 扉の正面にオルト、離れて左右にネーナとテルミナが散り、『敵』の反撃に対処しようと構える。

 

「強襲だ。自分が死なない事だけ考えろ」

 

 光の剣を手に、オルトが前を見据える。

 

 鋼鉄の扉が、重い音を立てて開き始めた。扉の向こうに太い柄の鉾槍ハルバードを手にした巨漢と、青髪の優男が現れる。青髪の男は、幼い少女を人質にしていた。

 

「よーし動くなよ。ガキや女がどうな――」

 

 ――四人、か――

 

 勝ち誇ったように巨漢が口を開いた時には、オルトはその脇をすり抜けていた。青髪の男の目が、驚愕で見開かれる。

 

 光刃が疾走はしる。

 

「うああああ!!」

 

 少女の首を締め付けていた左腕が宙を舞い、青髪の男が絶叫する。

 

 ――ひとり――

 

「ブルースター!? てめえよくも!」

 

 巨漢が突き出した鉾槍と、オルトの振り向きざまの一閃が交錯した。鉾槍の穂先は青髪の男の腕同様に、明後日の方向に飛んで行く。

 

 テルミナはオルトが戦り合う相手の、その先を見据えて、踊るような身振りで囁きかけた。

 

 ――風の精霊。今暫し、彼の者の声を奪って――

 

 オルトはさらに剣を返す。鉾槍を握った巨漢の両手首を斬り落とし、少女の襟首を掴んでネーナに放り投げる。

 

 ――ふたり――

 

 しっかりと受け止められた少女は、何が起きたのかわからずにいた。

 

「リヨフ!? 援護しろ、ユダール!!」

 

 青髪の男が怒鳴るも、その後ろにいる神官風の男は焦った様子で口をパクパク動かすのみ。術を行使できずに戸惑っている。

 

 少女を抱えたネーナを後ろ手に庇い、テルミナが言い放つ。

 

「声を奪ったから、癒しは使えないわよ」

「クソがっ! 精霊使いか!」

 

 その間にオルトは、少女に似た顔の女性を羽交い締めにした男に迫る。男は恐慌状態に陥っていた。

 

「止まるでござる! 止まらなけれ――」

 

 男は最後まで言い切る事も出来ず両腕を切り飛ばされ、女性が離れた瞬間に頭から股まで両断されていた。

 

 東方風に頭頂部で小さく結った髪が散らばる。

 

 ――三人――

 

「アケッチいいいいいッ!!」

 

 青髪の男が再び絶叫する。

 

 オルトに光の刃を突きつけられ、神官風の男は顔を引き攣らせて尻餅をついた。

 

 ――これで、四人――

 

 オルトが呟き、第一シェルター前の広場が静まり返る。

 

 ネーナに背中を押された少女は、ハッと我に返って解放された女性に抱き着き号泣する。二人は母娘であった。

 

 テルミナがシェルターの奥から出て来た冒険者とギルド職員に対し、突き放すように告げる。

 

「私達はギルド本部から、救援と『反乱の鎮圧』の為に派遣されたAランクパーティー【菫の庭園】よ。抵抗はお勧めしないわね、人間の開きになってみたいなら別だけど」

 

 斬殺されたアケッチを指し示し、『反乱の鎮圧』を強調する。第一、第二シェルターを占拠した輩はギルドに明確な叛意を見せた反逆者で、今や生殺与奪の権を握られている。

 

 その現実と否応なしに向き合わされた者達は顔面蒼白で震えていた。

 

 

 

『……第一シェルター、制圧完了。【天地無用ビー・ケアフル】メンバー、重傷者二名、死者一名』 

 

 

 

 物見塔から一部始終を見ていたであろうアイリーンの声が、カリタス中に響く。 

 

 カリタスのエースパーティーである【天地無用】、そのリーダーのブルースターは、左腕を失った肩から血を流しながら、狂ったように叫び続けている。

 

 ブルースターと並ぶ前衛のリヨフは、膝立ちのまま呆然と地面を見詰めている。視線の先には穂先を斬り飛ばされた鉾槍ハルバードと、その長い柄を握り締める形で地面に落ちた、自らの両手があった。

 

 圧倒的な攻撃力の二人の陰からトリッキーな仕掛けで敵を振り回したアケッチは、左右の半身が別々に倒れて辺りに臓物や体液を撒き散らしていた。

 

 そしてパーティーの知恵袋にして、回復魔法の使い手でもあるユダールは、外傷こそ無いものの、ガタガタと震えながら地面を濡らしている。

 

 四人を圧倒した剣士は、まるきり無傷で返り血すら浴びず、静かに佇んでいた。

 

 この凄惨な光景に、彼等を担ぎ上げ機嫌を取り、恩恵に預かっても来た冒険者やギルド職員は、完全に心が折れていた。カリタスの中に逃げ場など無く、【天地無用】を纏めて捻るような相手に勝てる訳が無いのだ。

 

 ネーナは【天地無用】に与した者達に同情する気にはなれなかった。勝ち馬に乗ろうとした者もいれば、無理矢理引き込まれた者も、成り行きに流されただけの者もいるだろう。

 

 だが、積極的であろうと消極的であろうと、選択したのは本人だ。流される選択、自分からは選ばないという選択をした、その結果は甘んじて受けなければならない。

 

 

 

『第二シェルター制圧完了。【愚無頼漢フーリガン】メンバー及びその一党、全員降伏』

 

 

 

 アイリーンが全域放送で、第二シェルターに向かったフェスタ達の首尾を伝えた。第一シェルター陥落の報を聞き、第二シェルターに立てこもっていた者達も抵抗を諦めたのである。

 

 ネーナはここで漸く、オルトが苛烈なまでに力押しをして、早急に【天地無用】を叩き潰した意図を知ったのだった。

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