第二百八話 トウヤは困ってる人を見捨てなかったよ

「――『精霊熊スピリット・ベア』は高位の精霊なの。名前や存在は知っていても、実際にその姿を見た者は殆どいない。人より長く生きるエルフであってもね」

「そんなに珍しいんだ」

 

 テルミナが言うと、レナは感心したように応えた。

 

 何を司る精霊なのか。どのような力を持っているのか。多くが謎に包まれ、ただ「白銀に輝く熊の姿で現れる」とだけ伝えられているのだという。

 

「精霊そのものは無数にいるけれど、その全てが知られている訳ではないの。その中で精霊術師がコンタクト出来て、なおかつ力を借りる事が出来る精霊は、ごく一部なのよ」

「熊にしか見えないけれど……」

 

 フェスタの視線の先には、ネーナとエイミーにしがみつかれて固まった精霊熊がいる。

 

 精霊熊は、初めこそ二人を脅かし追い散らそうとしていたが、構わず纏わりつかれて根負けしてからは、されるがままになっていた。

 

 その様子を眺めるテルミナには、一つの疑問が浮かんでいた。

 

「そろそろ出発するわよ」

 

 時間と方角を測り終えたフェスタが、ネーナ達を呼ぶ。一行はエルフの領域テリトリーの中におり、長居する理由は無い。

 

 すると、二人と一緒に精霊熊もやって来た。

 

「あのね。くまさんが、この先は危ないんだって」

『ガウッ』

 

 エイミーの『通訳』を肯定するように、精霊熊が吠える。テルミナは目を丸くした。

 

「エイミー貴女、精霊熊と話せるの?」

「うん」

『ガウッ』

 

 再び肯定。

 

「くまさんも、わたし達が言ってる事はわかってるよ」

「そうなの?」

 

 フェスタが見ると、精霊熊はガウッと吠えた。

 

 

 

 階段を上がった【菫の庭園】一行は、切り立った崖の下に出ていた。

 崖と木々の間が道になり、南北へと伸びている。南は途中で森の中へと入り込む獣道に、北への道は崖沿いに続いている。

 

「南の道の先は人がいっぱいいて、北に行くと危ないんだって。くまさんはここで、危ないものが南に行かないようにしてるんだって」

 

 エイミーが微妙に要領を得ない通訳をする。エイミー自身があまり得意でないからなのか、或いは精霊熊の認識がエイミーと違うものがあるからか、詳細な説明が必要な内容は上手く伝わっていないようであった。

 

「南に人がいるというのは、恐らくエルフの集落でしょう」

 

 ネーナの見解に、仲間達から異論は出ない。フェスタが考え込む。

 

「私達がここでのんびりしているにもかかわらず、エルフ達は来ない。北にある『危ないもの』に対処してるのは精霊熊。何かあったんでしょうね」

「精霊熊がいる事や、何らかの脅威が存在するのを知っていて放置する事は無いと思うのよ」

 

 テルミナも同意した。

 

 エルフ達は精霊熊や【菫の庭園】を知らない、察知出来ない状況にあると見るのが妥当である。そうなると、北の『危ないもの』が無関係とは考えにくい。

 

「エイミー、その『危ないもの』とは、どういうものなんですか?」

 

 視線が集まり、エイミーは困り顔になる。

 

「んー。ブヨブヨしてて、形がなくって、黒っぽくて気持ちわるいものだって、くまさんが……」

「スライムですか?」

『ガウガウ』

「違うって」

 

 精霊熊とエイミーが否定する。

 

「ほかの人やくまさんがやっつけようとすると、大きくなっちゃうんだって。精霊さんもたべられちゃうって」

「まさか、でもそれは……」

 

 ネーナの脳裏に、一つの可能性がぎる。仲間達は静かに見守り、呟きの続きを待つ。

 

「文献で読んだだけですが、『精霊喰らいエレメンタルイーター』という魔法生物ならば、その説明に該当します。でも……」

「魔法生物。森に自然に生まれるような存在ではない、という事ね?」

 

 テルミナの問いに、ネーナは頷いた。

 

「精霊力は全て取り込んで成長してしまいますし、物理攻撃は効きません。ですが精霊術以外の魔術や、魔力や闘気を帯びた攻撃で核を突けば、容易く倒せる筈です」

「エルフや精霊にとっては、最悪の相性なのね」

『ガウ……』

 

 項垂うなだれる精霊熊を見たエイミーが、仲間達に訴える。

 

「わたし、そのブヨブヨやっつけたい!」

「私も賛成。精霊を奪われた森は死んでしまうわ。エルフとして、それは見過ごせない」

 

 精霊喰らい倒すべしと、テルミナも主張する。

 

「くまさん、このままじゃブヨブヨにやられちゃうよ! それにこの森は、お母さんが生まれたところかもしれないし。森に住んでるみんなが困っちゃうんでしょう?」

「精霊熊が弱っているのは確かよ。ずっと精霊喰らいを抑え込んで来たのでしょう」

 

 レナはエイミーに問いかけた。

 

「この森のエルフ達は、エイミーに酷い事をしたり言ったって聞いたけど。それでも助けてやるの?」

「うん」

 

 エイミーの返事に迷いは無かった。

 

「お父さんとお母さんは、困ってる人がいたら助けてあげてって言ってた。それにトウヤはこんな時、困ってる人を見捨てなかったよ」

「そうだったね」

 

 レナが微笑み、フェスタを見やる。

 

「だってさ。どうすんの、リーダー?」

「寄り道決定ね、私達も無関係じゃ無さそうだし。ただエイミーとテルミナは、今回は見学よ?」

 

 フェスタは苦笑しながらも即断した。敵が精霊喰らいならば、ダメージソースが精霊術と精霊弓であるエイミー達は戦闘に参加させられないのだ。二人は不承不承に頷いた。

 

 ネーナが出発を促す。

 

「倒すのは早い方が良いと思います。精霊喰らいは際限無く成長するそうですから、核が遠くなってしまうんです」

 

 エイミーが精霊熊の大きな身体に抱き着く。

 

「くまさん、みんながブヨブヨをやっつけてくれるって!」

『ガウ?』

 

 精霊熊は、戸惑いがちに首を傾げた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「うわっ、何これ」

 

 レナが顔をしかめる。

 

 精霊熊の案内でやって来た五人の前には、見上げる程の大きさの不定形の物体がうごめいていた。

 

「普通にスライムでしょ。にしてもデカすぎない?」

 

 横に二十メートル四方、高さ十メートル弱の塊が、南側に立つ【菫の庭園】一行にジリジリと向かってくる。人の歩みにも満たない速度で。

 

 警戒しつつネーナが応える。

 

「精霊喰らいは、スライムをベースにした魔法実験の失敗作だそうですよ」

 

 その周囲は草木も土も色を失い、触れたそばから砂のように崩れ落ちていく。

 

「確かに、早く倒した方が良さそうね」

「移動は遅いけど、攻撃は意外と早いよ」

 

 フェスタに返しながら、レナは精霊喰らいが触手のように伸ばした身体をヒョイとかわす。それをネーナは、間髪入れずに凍りつかせた。

 

氷結フリーズ!』

気功弾フォース

 

 レナの一撃で氷が砕け散る。

 

「復活や分裂はしないんだ」

「通常の武器で切断すれば、再び本体に吸収されるそうです」

「成程」

 

 ネーナが棒杖ワンドを振る。

 

「進行を止めます――『樹氷アイスツリー』」

 

 ネーナの足下からパキパキと音を立てて氷の道が走り、精霊喰らいを巨大な氷塊に変えた。

 

 フェスタが称賛する。

 

「お見事。切りつけても大丈夫?」

「大きすぎて内部までは凍っていないと思います。気をつけて下さい」

 

 フェスタは頷きながら、黄金色に輝くサーベルを引き抜き、気合いと共に氷片を切り飛ばした。

 

 氷片が融解し、地面に黒い水溜まりを作る。

 

「ネーナの情報通り、魔法剣は有効みたいね」

「で、どうするの?」

 

 フェスタとレナが、ネーナを見た。

 

「私やレナさんが一撃で核ごと破壊するのが確実なのですが……」

「出来れば森への被害は抑えて欲しいけれど」

 

 苦笑気味にテルミナが割り込んでくる。その横では精霊熊が、ブンブンと頷き同意していた。

 

「――ですので、私が防御結界を張ります。レナさんは威力を加減して、氷ごと精霊喰らいの体液を吹き飛ばして下さい。核への止めはフェスタにお願いします」

 

 レナが何かを思い出したように尋ねる。

 

「ネーナが『方舟』で使った結界なら、あたしも本気出せるけど?」

「『天岩戸アマノイワト』は、他の術と併用出来ないんです。精霊喰らいが動き出してしまいますから」

「そういう事ね、納得」

 

 外部から核の位置を視認出来ず、周囲への被害も減らしたい。そのような条件ならばと、レナは素直に引き下がった。

 

「では始めます」

 

 エイミー、テルミナ、精霊熊が安全圏にいるのを確認し、ネーナが術を行使する。

 

身体強化フィジカル・アップ

防御結界マジック・シェル

 

 フェスタの能力が強化され、精霊喰らいを覆う形で結界が展開された。

 

 離れて見ているテルミナが、感心したように言う。

 

「三重詠唱。あれで魔術師の勉強を始めて二年経ってないなんて、信じ難いわね」

「ネーナはいつも頑張ってるよ」

 

 エイミーに言われるまでもなく、テルミナもネーナの日々の努力は目の当たりにしている。勇者パーティーに同行した魔術師であり『大賢者』と称されるスミスの陰で低く評価されがちだが、テルミナから見たネーナは、紛れもない天才であった。

 

「くまさん、心配?」

『……ガウ』

「でも大丈夫。みんなすっごく強いから」

 

 傍らで自らを気遣う少女を、精霊熊は不思議そうに見下ろした。

 

 

 

「フェスタ」

「いつでもどうぞ」

「それじゃ、遠慮なく――」

 

 一声かけると、レナが両手を左右に開く形で合わせ、氷塊に向けて突き出す。

 

 

 

気功砲フォースカノン!!』

 

 

 

 氷塊に無数の亀裂が入り、崩れ落ちる。フェスタが走り出す。

 

 凍結した体液を剥がされ、精霊喰らいは三メートル四方にまで小さくなっている。核の位置も視認可能だが、このままでは氷が溶けた体液を再び吸収し、巨大化してしまう。

 

 防衛本能からか、精霊喰らいが体液の触手を伸ばす。フェスタはその全てを切り飛ばすと、袈裟がけに本体を切り裂いた。

 

 ズルリと精霊喰らいの上部が、斜めに滑り落ちる。人の頭ほどの大きさの核が剥き出しになった。

 

「フェスタ!」

 

 レナが駆け寄り、腰の前で手を組んだ。フェスタが足を乗せると同時に、全力で宙に放り上げる。

 

 精霊喰らいが慌てて核を体内に収めようとするも、体液の身体は凍りついていた。

 

「上手い」

 

 テルミナがネーナの術式展開のタイミングに、感嘆の声を漏らす。

 

 核を両断して着地したフェスタを、レナとネーナが迎えに走った。

 

「やったか!?」

「それは駄目ですレナさん!」

 

 核が壊された事で精霊喰らいの身体を維持できなくなった体液は、凍結が解除されると力を失い地面に落ちた。

 

「流石にもう動かないね」

「核を潰しましたから」

 

 レナが地面を濡らす黒い液体を、嫌そうな顔で踏む。

 

「精霊熊が凄い顔してるんだけど」

 

 三人が見ると、安堵するテルミナと喜ぶエイミーの横で、顎が外れる程大口を開けた白熊の姿があった。

 

「ま、何はともあれ」

「大勝利、です!」

「そういう事」

 

 三人は笑顔で、ハイタッチを交わした。

 

「これで心置きなく、先に進めるよね」

「それなんだけど――」

 

 レナが言うと、エイミーがテルミナと精霊熊を伴い近づいてきた。

 

「くまさんがね、エルフの人達の所にも行って欲しいんだって」

『えっ?』

 

 仲間達が声を揃えた。

 

 精霊熊は視線が集まり、大きな身体を縮めてエイミーの後ろに隠れた。

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