第二百七話 くまさんに、出会った

 重苦しい雰囲気を引きずったまま、【菫の庭園】一行は無言で歩き続けていた。

 

 オルトとスミスがいない事もあり、最も戦闘力の高いレナを殿しんがりに、先頭には万能型でセカンドスカウトもこなせるフェスタと、索敵に長じたエイミーを配した隊列を組んでいる。バランスは文句なし。

 

 エイミーは頭の上に光精ルミアノスを乗せ、ネーナは棒杖ワンド照明ライトの魔法をかけ、テルミナはランタンを手にしている。光源は多種多様で十分。

 

 行程も順調。なのに誰も言葉を発しないのは、全員が『方舟』での一件で、モヤモヤした気持ちを抱えていたからだ。

 

 冒険者を辞め、祖国を取り戻す戦いに身を投じたニムス達が守り続けた【野鴨戦団】の看板は、望んでそれを引き継いだ者達がふいにしてしまいそうで。エルーシャが【月下の饗宴】に与えたリスタートの機会も無駄になりそうで。

 

 五人は何とも言えない気持ちであった。 

 

 

 

 石柱オベリスクの前でフェスタが立ち止まる。周囲にはスタンド席に囲まれた闘技場や、野外ステージなどの娯楽施設と思しきものが見られる。

 

「少し早いかもしれないけど、今日はここで休みましょうか」

「そうね。いいと思うわ」

 

 ランタンの油の残量を見ながら、テルミナが応える。

 

 テルミナが持つランタンは、タンクが火時計と油時計を兼ねている。空の見えない屋内やダンジョンで時間を見るのに重宝するだけでなく、戦闘時には火精の力を借りる術を使う為、前方のカバーが外開きになる優れものであった。

 

 周囲の建物には入らず、往来で焚き火を起こして、五人が思い思いに腰を下ろす。

 

「あまり水を使いたくないから、食事は携帯食で済ませましょう」

 

 飲料水はカリタスから持ってきた分だけ。『地下迷宮』コスワースには至る所に水道らしきレバー式のポンプが設置されているが、水の成分の解析が終わっておらず使用を控えていた。

 

「カリタスと同じ水だと思うけどなあ」

 

 レナがボヤくと、ネーナはクスリと笑った。

 

 カリタスでは古い上水設備が機能していて、それがコスワース由来のもとだと考えられている。携帯した水が早々に尽きたなら、コスワースのものを煮沸して使う事は想定していた。

 

 だがここで無理をして飲み水を調達せずとも、明日か明後日には『惑いの森』に入れる。ネーナ達は月光草を採取する為に、森に入った事があるのだ。

 

「『惑いの森』の湧水は、冷たくて美味しいですよ」

「水浴び出来るかな?」

「エルフさん達が嫌がりそうなので、領域から出て泉を探した方がいいかもしれませんね」

 

 階段を上がれば、そこはエルフの領域テリトリーの筈だ。通過するのに遠慮する気は無いが、わざわざ絡んでいこうとも思わない。

 

「あそこのエルフは、単に人間嫌いなだけじゃないの。とにかく外部から入ってくるもの全てを拒むから、私も追い立てられた事があるもの」

「テルミナさんもですか?」

 

 ネーナが目を丸くする。人族が森で威嚇されたり、運悪くエルフの領域に迷い込んで射殺される事があるとは知っていたが、同族にまで敵意を向けるとは意外であった。

 

「一応ね、彼等にも理由はあるのよ。親切心から里に迷い人を受け入れたら、仲間を連れ出されたりさらわれたり。流行り病や呪いが広まったりしてね。そういう積み重ねがあって心を閉ざしてしまったの」

 

 元々閉鎖的な所はあっても、今のように攻撃的ではなかったのだと、テルミナは言う。

 

「明らかに行き過ぎだったし、いつかは痛い目を見てたと思うけどね。相手が貴女達菫の庭園で、むしろ運が良かったんじゃないの?」

「そうなの?」

 

 当時はパーティーにいなかったレナが、ネーナ達を見る。【菫の庭園】は以前、襲ってきた『惑いの森』のエルフ達を返り討ちにしていた。

 

 ネーナ、エイミー、フェスタの三人は揃って首を傾げる。

 

「どうでしょうか……」

「お兄さんはすごく怒ってたよね」

「向こうは殺す気で来たし、私達も本気で怒ってたし。少なくともオルトは、相手を生かして返そうとは思ってなかったんじゃないかな?」

 

 エルフ達が敗北するまで高圧的な態度を崩さず、エイミーの母の形見である腕輪を殺して奪おうとしていたと聞き、テルミナは嘆息した。

 

「エイミーのお母さんは、きっと『惑いの森』のエルフにゆかりがあったのね。同じ集落で、同じデザインの装飾品を身に着ける人達もいるから」

 

 テルミナはネックレスを摘んで見せる。

 

「あっ!」

 

 ネーナが声を上げる。

 

「確かに四人のエルフの方々は、エイミーと同じ腕輪をしていました!」

「私はそこまで見ていなかったわ」

「わたしも〜」

 

 完全記憶能力を持つネーナは、降伏して拘束されたエルフ達が揃いの腕輪を着けていた事を覚えていた。

 

「エイミーの腕輪に執着した理由がわかっても、暴言や攻撃は全く受け入れられないけどね。もっとも、散々脅してから解放したし、もう会う事は無いでしょう」

 

 フェスタが言うと、ネーナが真顔で応える。

 

「エイミーを虐める人は許しませんよ」

「怖ッ! でも、そういう事よね」

 

 ネーナの言葉に、レナは大袈裟に自分の肩を抱いた。

 

 

 

「そろそろ、見張りの順番を決めましょうか」

 

 フェスタが就寝を提案する。遅番になったエイミーとネーナは、隣同士で毛布に包まる。

 

「お兄さんがいないと、ちょっと寂しいね」

「仕方ないので、エイミーで我慢します」

「むーっ、それはこっちのセリフだよ」

 

 二人はクスクス笑い合うと、おやすみなさいと言って毛布に潜り込んだ。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 朝食を取ると、【菫の庭園】は再び上り階段を目指して歩き出す。

 

 一行はコスワースの中でも、冒険者ギルドが未踏破なエリアに踏み込んでいる。だが帝国軍は既に階段まで到達したと見えて、砦に地図が残されていた。

 

「その森の出入口さ、帝国軍は使ってないの?」

 

 殿から尋ねるレナに、ネーナは頭を振った。

 

「それは無いと思います。砦から撤退して以降、コスワースで帝国軍が目撃された情報はありませんから」

「ドリアノンの『精霊王の封印』のようなもので閉じられているのでしょうね。精霊術師がいればともかく、力押しでこじ開けるのは難しいわよ」

 

 テルミナが補足する。

 

 地上は『惑いの森』の、エルフの領域。地の利、アドバンテージの大きなエルフに対して、帝国は大軍を展開出来ない。それでも出兵を強行すれば、森を挟んで対峙するトリンシック公国をも同時に相手取る羽目になる。

 

 帝国と公国は、双方で森の領有を主張している。エルフと公国の共闘は無くとも、帝国が動けば『敵の敵は味方』が成立する。公国としても緩衝地帯の森を抜かれるのは、国防上の大問題なのだ。

 

 帝国が『惑いの森』からコスワースに侵入する可能性を、テルミナは明確に否定した。

 

「『方舟』の調査とカリタスへの工作活動で、『開かずの扉』に手を出す余力は無かったのではないかと」

「ああ、納得」

 

 レナが頷き、ネーナは地図に目を落とす。

 

 森へ上がる階段は、間近に迫っていた。

 

 

 

 階段はすぐに見つかった。

 

 びっしりとつたに覆われた太い柱が、真っ直ぐに上に伸びている。薄く発光する蔦によって、柱の入口は見えない。

 

「この蔦がエルフの封印なの。手を出すと攻撃してくるから、気をつけてね」

 

 テルミナが注意を促す。フェスタは興味深げに蔦を見つめた。

 

「解除出来るの?」

「出来るか出来ないかで言えば、出来るけれど。今回は私達が通りたいだけだから」

 

 一度解除すれば、封印は失われてしまう。余計なものがコスワースに侵入しないよう、封印は残しておいた方がいい。そうテルミナは説明した。

 

「エイミー、見ておいてね」

「うん」

 

 二人を残して仲間達が下がっていく。

 

「この手の封印には、後で困らないように『鍵』を決めておく事が多いの。単語だったり、種族だったり、血筋だったりね」

 

 ドリアノンの『精霊王の封印』は恐らく、エルフの王族の血を引いている事が封印に干渉出来る『鍵』なのだろう。そうテルミナは言う。

 

「今回は『鍵』を知っている筈の人が教えてくれそうもないし、この場所にもいない。だから――」

「だから?」

 

 エイミーが首を傾げる。テルミナは笑った。

 

上位命令パワハラするのよ」

 

 

 

 ――草木を育む植物の精霊ドライアド――

 

 

 

 テルミナの呼びかけに応じるかのごとく、蔦の中から一筋のが伸びる。

 

「わわっ!?」

「平気よ」

 

 驚くエイミーに声をかけて、テルミナはつるに向かって両手を差し出す。つるの先端が小人の女性に形を変えて分かたれ、その掌に飛び乗った。

 

 テルミナと小人がどのようなやり取りをしているのか、ネーナにはわからなかった。普段話している共通語コモンとは違う、歌のかけ合いをしているようであった。

 

 エイミーがテルミナから離れ、戸惑い顔で下がってくる。

 

「どうしたんですか、エイミー?」

「えっと……封印をした人よりテルミナお姉さんの方がすごいって、精霊さんに認めて貰うんだって」

 

 無数のつるが伸びて、テルミナに巻き付いていく。すぐに彼女の姿は見えなくなった。

 

 フェスタとレナは、いつでも介入出来るよう身構える。だが緊張状態は、長くは続かなかった。

 

 つるが解けて、テルミナが姿を現す。

 

「もう大丈夫。封印が私達に危害を加える事は無いわ」

 

 その言葉を裏付けるように蔦が左右に分かれ、柱の壁と入口があらわになった。テルミナに続き、ネーナ達も中に入っていく。

 

 柱の内部は、他の二箇所同様に螺旋らせん階段が上に伸びていた。階段を上がりながらテルミナが説明する。

 

「この階段自体はコスワースのもので、地上と地下の入口の部分を、エルフの里の誰かが封印したみたい。封印は別々だから、上でもう一度同じ事をする必要があるわね」

 

 テルミナやエイミーの精霊術とは、『契約』なのだという。

 

 精霊は通常、世界の『ことわり』に沿って力を振るっている。精霊術師と契約を交わす事で、理を超える力の行使が可能になる。

 

「この封印も『契約』の一環なの。本来なら『鍵』なくして契約への干渉は出来ないけれど、例外はあって――」

「『契約者』を上回る術師の命令は、有効なのですね?」

「そういう事よ」

 

 ネーナが言うと、テルミナは嬉しそうに頷いた。

 

 判断するのは精霊だが、干渉者と契約者に大きな力量差が認められれば、干渉者の要求は『上位命令』として優先的に処理されるのである。

 

 テルミナは階段を上がりきると、再び封印に干渉した。程なく、目の前の蔦のカーテンが左右に分かれていく。

 

 この事実は、テルミナが『惑いの森』のエルフ達を遥かに上回る実力者だと証明していた。

 

 

 

「エイミー、外はどう?」

「うーん、変な感じ」

 

 フェスタの呼びかけに、エイミーは難しい顔をしてピクピクと耳を動かす。

 

「何かいるみたい……」

 

 一行に緊張が高まる。

 

 外は『惑いの森』、それも非常に排他的なエルフの領域だ。封印された地下への入口に監視があっても、封印への干渉を感知されてもおかしくなかった。

 

 蔦が分かれた先は、白い壁のようなものに塞がれていた。

 

 ネーナは、傍らのテルミナが言葉を発しなくなったのに気づいた。テルミナは前を見たまま、絶句していた。

 

 正体を確かめる為、エイミーが近づく。頭に乗せた光精ルミアノスが白い壁を照らすと、エイミーが驚きの声を上げた。

 

「わあっ!?」

『ガアッ!?』

 

 釣られて、白い壁も声を上げ、後ずさる。そこにいたのは、真っ白な体毛に包まれた巨大な熊であった。

 

「くまさんだ!」

「わあっ、白熊さんです!」

 

 エイミーとネーナが喜び勇んで駆け寄っていく。止めようとしたフェスタの腕を掴んで、テルミナが呆然とした表情のまま、首を横に振った。

 

「白い熊にしか見えないけれど、あれは何なの?」

 

 立ち上がり威嚇する白熊に、二人も両手を上げて真似をする。白熊は困ったようにフェスタ達を見た。

 

 フェスタに問われて、テルミナが大きく深呼吸をした。

 

 

 

「私も初めて見るけど、あれは『精霊熊スピリット・ベア』だわ……」

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