第二百三十六話 支部の備品を壊さないで

 帝都支部の前に止まった二頭立ての荷馬車に、入口付近で立ち番をしていたイリーナが歩み寄る。

 

「ガルフ、どうだった?」

「まだ何とも言えないが、ネーナとレナが診てる。ミアも気丈に振る舞ってる」

「そう……」

 

 オルトの返事を聞き、イリーナは気遣わしげな表情を見せる。彼女にとってガルフ達【禿鷲の眼】の面々は友人であると同時に、窮地を救ってくれた恩人でもあるのだ。

 

 ひとまず気持ちに蓋をして、イリーナは馬車の後方に回った。荷台から降りるヒンギスとホランに手を差し伸べる。

 

「有難うイリーナ。こっちは何かあった?」

 

 ヒンギスに問われると、イリーナは難しい顔をした。

 

「ついさっきまで、ここに帝国騎士がワラワラいたけど……伝令みたいのが来たら慌ただしく帰っていったね。もしかして、そのグルグル巻きが原因?」

 

 そのグルグル巻きと指差したのは、つるで何重にも縛られたギュスターヴの事だ。オルトは肩を竦めて担ぎ上げる。

 

「多分な。戦闘にはならなかったのか?」

「うん、暫く睨み合っただけ。その袋は何なの?」

 

 イリーナがギュスターヴの腹に括りつけられた麻袋を指差す。袋からはガチャガチャと、金属片のぶつかる音がしている。

 

「聖剣、だったものかな」

 

 事も無げなオルトに、イリーナは呆れ顔になる。

 

「また壊したの? 好きだねえ」

「剣を壊すのが趣味みたいな言い方するなよ……」

 

 オルトは憮然とした表情で応えた。

 

「騎士団は何て言ってたの?」

「ギルドに脱税と不正取引の容疑があるから強制捜査に来たって」

「うわっ、本当にありそう」

 

 ヒンギスが顔を顰める。

 

 ギルド本部の前総務部長で現在はリベルタの捜査当局に拘束されており、取調べで次々と過去のやらかしが判明しているブライトナーは元々帝都支部の出身だ。冒険者としても支部長としても在籍した経験がある。

 

 総務部長時代も帝都支部に強い影響力を持っており、支部にアルテナ帝国の密偵や工作員が潜り込んでいるのはブライトナーと帝国の繋がりを疑わせる。

 

 総務の仕事の性格として、外部とのパイプを持つ事は不自然ではない。問題はそれがブライトナーと帝国である事だ。帝都支部だけでなく冒険者ギルド全体の情報がどこまで漏れているのか、考えるだけでヒンギスは頭が痛くなる。

 

「私がギルド長になってから、全支部に運営と財務状況の見直しを指示はしたけど……把握出来てないわ」

「すぐに帝都支部を離れるのは難しそうですね」

 

 ホランは淡々と応え、手帳に何やら書きつけた。

 

「帝都支部は規模も小さいし、大したお金は流れてない筈なんだけど」

「送金の中継や人を送り込むダミーに使う事も出来るし、金を懐に入れるのもプールするのも難しくない。本部にバレないようカモフラージュする方法ならいくらでもある」

 

 オルトからの返事に、ヒンギスが目を丸くする。

 

「何でそんな事を知ってるの?」

「罰ゲームでヴァレーゼ臨時支部長代行をやったからな」

「ああ……」

 

 そんな事もあったなと、ヒンギスは額に手を当てた。緊急事態、かつ横暴で無能だったとはいえ、支部長に暴行を働いたオルトは冒険者活動停止の処分を受けた。その処分期間中、ヴァレーゼ臨時支部長代行として使い倒されたのだ。

 

 当時のヴァレーゼ臨時支部は立ち上げたばかり、しかも最初に送り込まれた支部長は使い物にならず。政体移行直後のヴァレーゼ自治州も、その母体のシュムレイ公国も混乱の最中。

 

 考えてみれば、マニュアル通りの運営と本部の指示待ちでは全て共倒れになっていてもおかしくなかった。後任の支部長であるマーサや、当地に足を運んだ事のあるフリードマンから報告が無いのも、そこを理解しているからだ。

 

 いや、この男オルトなら二人がわからないよう証拠隠滅もやってのけると、ヒンギスはじとっとした視線を向ける。オルトはたじろいだ。

 

「な、何だよ」

「全てギルドの為になってるのが、忌々しいと思ってるだけよ」

 

 結果的にオルトが臨時支部長代理をした事をきっかけに、ギルドと自治州と公国は信頼関係を構築出来た。最初に就任したラスタン支部長のままでは、絶対にそんな事にはならなかった。

 

 オルトが支部長代行になった名目は処罰でも、オーバーワークに対する強制的な休養の意味合いが強かった。全て職員に任せて支部長の椅子に座り、処分期間を過ごす事も出来た。ヒンギスもそれはわかっているのだ。

 

「ギルド長、とりあえず聞かなかった事にしましょう。ここであまりゆっくりもしていられませんし」

「……そうね」

 

 ヒンギスはホランの提案に同意した。四人はまだ帝都支部の外で話している。

 

「研究所への移動はそのまま進めて欲しい。ギルド長の安全が第一だ。ガルフを向こうから動かせない以上、ギルド長が動くしかない」

「帝国の難癖はどうするの?」

「黙らせるネタなら、情報局にあるさ。他にも調べたい事があるし、ギルド長とショットが研究所にいてくれれば、俺が浮いて動けるようになる」

 

 普通の建築物に過ぎない帝都支部より、研究所の方が防御力が高く籠城に向いている。帝都支部の人員に背中を任せられる信用が無い事を考え合わせても、【菫の庭園】メンバーが護衛に入れる研究所の方が安心だ。

 

 ヒンギスはオルトの要請を受け、帝都支部の扉を開けた。

 

 

 

「よっ、と」

 

 気を失っているギュスターヴをテーブルの上に転がすと、周囲の冒険者が引きつった顔で離れていく。オルトはお構いなしに椅子に座った。

 

 ヒンギスとホラン、そしてイリーナは、本部から派遣されたメンバーに今後の予定を伝える為、奥の部屋に向かった。

 

 

 

「――おい」

 

 不意に呼びかけられ、オルトが声のした方向を見やる。 

 

 成人した人族としては小柄な、壮年の男。ドワーフを想起させる、全身の隆起した筋肉は古傷にまみれている。腰の辺りから左右に突き出しているのは、手斧の柄だ。

 

 確かBランクパーティーの冒険者だったなと、オルトはボンヤリ考える。帝国エリアでは軍が討伐系依頼の大半を処理する為、高ランクパーティーは支部に常駐しない。

 

 そういった支部はギルド本部に申請し、一定額の手当を支払って冒険者を確保するのだ。大抵はピークを過ぎた冒険者や支部の功労者を、冒険者のまとめ役、或いは教育係として抱える形になる。

 

 帝都支部の最上位の冒険者パーティーはBランク。オルトに絡んできた男と、その後ろにいる男女の五人組だ。

 

「何の用だ」

 

 全く興味が無さそうにオルトが言う。

 

 五人組は一様に顔を顰め、小柄な男が語気を強める。

 

「何の用もクソもあるか。突然来て好き勝手に暴れやがって。お前等のせいで帝都支部の俺達は肩身が狭いってのに、騎士団の『天才ジーニアス』にまで手を出すとは、頭イカれてんじゃねえか?」

「……驚いたな」

 

 オルトは本気で驚いていた。男の言い分は自分本位で、全く状況が見えていない者のそれだったからだ。二人の様子を見守る支部の面々も、半数以上がオルトに敵意を向けている。

 

「ギルド長到着前と到着後、二度に渡りギルドと帝国の衝突について説明した筈だが、理解出来ていないのか?」

「そんなもの関係あるか! こっちはいい迷惑だと言ってんだ! 用が済めばさっさと帰る連中に、これ以上かき回されてたまるか!!」

 

 男は激昂し、オルトの目の前で強くテーブルを叩く。だがオルトは顔色一つ変えず、ゆっくり男の手首を掴んだ。

 

「――まあ、落ち着け」

「ぐわッ!」

 

 ミシリ、と骨のきしむ音が帝都支部のホールに響く。

 

「は、離せ!」

「どうしてフリオ・ギュスターヴがこんな状態になってると思う? 俺を殺害し、ギルド長を拘束すればギルドとの交渉で帝国が優位に立てると発言して襲いかかってきたからだ」

 

 オルトが手を離すと、男は右手首を押さえて慌てて引き下がった。その目は先程までの怒りではなく、オルトに対する怖れに染まっている。

 

「騎士団は、帝国とギルドの間で合意されている情報局と研究所の捜索を何度も妨害してきた。そのどちらからも、行方不明だった冒険者が発見されている。今日に至っては停戦合意を破る武力行使だ。非はどちらにある?」

 

 そもそも事の発端は、カリタスに対する調略と侵攻だ。カリタス地下の迷宮では、冒険者ギルド管理という取り決めを無視して探索が行われていた。

 

「帝国の構造はいびつだ。帝都から離れる程市民の待遇も生活水準も下がる。内外の行き来も少なく情報は入り辛く、これまでは軍の情報局による情報統制もあった。市民が冒険者ギルドに良い感情を持たないのはその為だ」

 

 それにしても、とオルトは思う。帝都支部は帝国に取り込まれてしまっている。所属メンバーに帝国民が多いとはいえ、支部の職員も冒険者も、その事に違和感を持っていない。

 

 ヒンギスが支部の立て直しを諦めて廃止を決断するのも当然と言えた。

 

「言うまでもない事だが帝都市民の生活に影響が出ているのは、ギルドと帝国の衝突に乗じて帝国南部で反乱が起き、以前からの北部と東部それぞれの紛争も合わせて、全て帝国が劣勢だからだ。原因は全て帝国にある」

 

 誰もオルトに反論出来なかった。帝都支部のメンバーは大半が帝都住民である。平民としては現行の統治体制の恩恵を最も享受しているグループであり、他の不都合な事には目を瞑ってきたのだ。

 

「まさかこんなに恨まれているとは知らなかったなんて、眠い事は言わないだろうな。恨まれているのは国や貴族皇族だけじゃない、優遇されてきた市民達もだ」

 

 容赦ない指摘に、聞いている者達の顔色が悪くなる。

 

「その上、この帝都支部に所属する者はブライトナーと帝国のコネ、Sランクパーティー【華山五峰フラム・ピークス】の使いっ走りで一般市民以上に優遇されていたようだな。他の市民はそれを知っているのか?」

「――オルト、その辺にしておいて」

 

 ホールに戻ってきたヒンギスが制止する。

 

「あーあー、みんな真っ青じゃない。いじめカッコ悪いよ?」

 

 イリーナはホールを見回し、オルトをたしなめる。

 

「どう見ても俺の方が数の暴力で苛められてたろう。というか聞いてないで、もっと早く出てきてくれよ」

 

 オルトが不満を述べるが、ヒンギスは聞き流して支部のメンバーに問いかけた。

 

「先刻、ここに帝国騎士が来て理不尽な要求をしたと聞きました。それに対応し騎士団と対峙したのは、帝都支部以外の、私と一緒に来た冒険者だけだったとも。それは事実ですか?」

 

 ヒンギスは柔らかい表情ながら、目は笑っていない。支部のメンバーは顔を背けて誰も答えない。

 

「沈黙は肯定と見なします。その一件に加え、これまでの皆さんの態度や行動等を加味して、私は帝都支部の廃止を決定しました。皆さんを引き続きギルドが受け入れるかどうかは、希望者を個別に面談して決めます」

『っ!?』

 

 ギルド長から、突然の通達。帝都支部のホールが騒然とする。

 

「冗談じゃない!」

「私達の生活はどうすればいいのよ!?」

「ギルド長だからって、そんな横暴は許されないぞ!」

「徹底抗戦だ! 思い通りになると重うな!!」

「枕営業してた女にギルドの運営が――」

 

 

 

 ガンッ!!

 

 

 

 支部のホールに大きな音が響く。騒いでいた者達は口をつぐんだ。

 

 彼等を黙らせたのは、座ったままテーブルにかかとを叩きつけたオルトであった。

 

 ギイッとテーブルが悲鳴を上げ、二つに割れる。上に乗っていたギュスターヴが床に落ちる。オルトは一瞬、しまったという顔をした。

 

「オルト、支部の備品を壊さないで。実費で弁償だからね」

「……すみませんでした」

 

 ヒンギスから注意を受け、オルトは気まずげに謝罪をした。

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