第二百三十七話 友達なら当たり前、です

 横置きカプセルの上部が大きく開き、昏睡状態のガルフが露わになっている。

 

「――レナさん」

 

 静かに横たわるガルフから視線を外す事なく、ネーナが呼びかける。

 

「ガルフさんの容態は安定しています。ここからの急変は考えにくいので、クロスさんと交代して休んで下さい」

「……わかった。少し仮眠したら他の仕事するから、何かあったら呼んで」

 

 レナは何か言いたげだったが、休息の指示を受け入れてクロスと場所を代わった。

 

 

 

「はい、おしぼり」

「ありがと、フェスタ」

 

 差し出されたおしぼりを受け取り、ガシガシと顔を拭く。ホウッと息を吐いたレナに、スミスが労いの言葉をかける。

 

「レナ、お疲れ様です」

 

 不測の事態にすぐ駆けつけられるよう、休憩中の面々はガルフのカプセルが見える場所に集まっている。オルトとミアは朝から情報局の捜査に向かっており、エイミーは研究所の外で警戒を続けていて、いずれもこの場にはいない。

 

「あたしは待機してただけだし。だけどネーナは丸二日、処置にかかりきりだからね」

 

 レナが悔しそうに応える。休ませてやりたいのは山々だが、ネーナだけはどうしても替えが利かないからだ。

 

 研究所の職員や研究員を尋問し、すぐに停止可能な機器やシステムは全てオフにした。現在も稼働中の機器は順次停止させている。その甲斐あって、当初は二日が限界と見られていたガルフのカプセルと機器は、三日半まで稼働出来る見通しがついた。

 

 それでも時間は足りない。

 

 ガルフが日常生活を送れるようになるまで、月単位のスパンを見込まれている。研究所で治療するには、貯蔵された魔力の残りを全て使っても追いつかない。

 

 それ以前に、研究所に残された魔力が尽きて機器が停止すれば、自発的に生命を維持出来ないガルフは死に至るのだ。苦肉の策として、ひとまずは機器の補助なしでの生存を目指している。

 

 ネーナは治療を進めながら、同時にさらなる治療時間の猶予アディショナルタイムを稼ごうとしていた。交代の僅かな間さえ致命的なタイムロスになりかねず、一瞬たりとも作業の手を止める訳にはいかない。

 

「スミス、貴方でも彼女の代わりは出来ないの?」

 

 ヒンギスが尋ねると、スミスはかぶりを振った。

 

「賢者と呼ばれていようと、その道の一流には及びません。この場でことガルフの治療において、医師であり薬師であり、錬金術師であり魔術師でもあり、それらの全てに深い造詣を持つネーナに代われる者はいませんよ。唯一無二です」

 

 魔術で譲るつもりは無いが、ネーナも一流と言える。他の三分野についてはネーナに敵わないと、スミスが認めた。予想もしなかった大絶賛に、ヒンギスは目を丸くする。

 

「ネーナがやろうとしている事は二つ。一つは機器が停止した後もガルフが自発的に生命を維持出来るよう、身体の機能を回復させる事。もう一つは、医師が彼の処置を行えるようにする事です」

 

 どういう事かとヒンギスに視線で問われ、居合わせた帝都支部の医師が口を開く。支部の廃止が決まった事で、ギルド職員と冒険者、医師看護師合わせて二十名ほどがヒンギスに従って研究所に来ていた。

 

「ガルフ氏は『帝国勇者計画』の実験体として、精神や肉体に影響を与える様々な薬物や魔術、呪術を幾重にも重ねがけされています。これを回復させるのは、ギルドの医師や看護師には不可能です」

「あたしやクロスの法術でも無理。致命的な不具合だけが残ってしまうかもしれないから」

 

 ガルフの状態はギルドの医師が求められる治療の範囲を大きく超えている。そしてレナは無念さを滲ませて、聖職者や治癒師といった回復職にも無理なのだと補足する。

 

 使われた薬品が法術で全て毒として解除される保証も、かけられた術が全て解除される保証も無い。薬品や術の中には一見有害に思われても、他の劇薬や術の効果を緩和する目的で使われているものがあるのだ。

 

「時間的な猶予があるのならば、私や他の医師にも手の打ちようはあるでしょう。ですがタイムリミットに追われながら、パズルのように組まれた呪術や新開発の薬物を、正しい順序を探りながら解除するのは尋常な事ではありません。後ろから火を放たれて綱渡りをするようなものです」

 

 医師は熱っぽく一気に話しきった。その間もネーナの作業から目を離さない。他の医師達も同様であった。

 

 ヒンギスは理解し、溜息をつく。

 

「今はネーナに託すしかないのね……わかりました」

 

 イリーナがしみじみと言う。

 

「私やクロスは、Eランクパーティーとして【菫の庭園】が北セレスタ支部に来た頃を知ってる。【菫の庭園】は一気にランクを駆け上がれると思ってたけど、ネーナがこんなになるとは思わなかったなあ」

 

 イリーナ達は、【菫の庭園】が北セレスタ支部でDランクに昇格した時に試験官を務めてからの縁だ。会う度に才能を開花させているネーナに、最も鮮烈な印象を抱いている者でもある。

 

「他の四人と違って、ネーナは全くの素人で、普通の女の子だったよ。薬草を摘んだり、ネズミの駆除で地下の下水道に入ったりしてた時から、まだ二年も経ってないんだよ?」

 

 瞬く間にAランクに駆け上がった【菫の庭園】は、当然ながら相応の危険を冒してきている。ネーナはその全てに同行し、生き延びながらパーティーに貢献できる実力を育み、今はスミスから唯一無二と評されるまでになった。驚異的な成長速度なのは言うまでもない。

 

「あたしは途中参加だけど、あの子ネーナがずっとパーティーの役に立ちたいって頑張ってきたのを見てる。ただの一度も弱音を聞いた事は無いよ。でも普通さ、頑張ったからって追いつけるもんじゃないけどね」

 

 レナは立ち上がり、毛布を掴んで仮眠室に向かった。万が一ガルフの容態が急変すれば、レナが一か八かの法術で全快を試みる事になる。休める時に少しでも休んでおくつもりであった。

 

「――まあ、その万が一も無いだろうけど」

 

 実験フロアを出る際、レナはチラリと振り返った。

 

 クロスと交代するまで、ずっと気を張って待機していたレナに出番は回ってこなかった。ただの一度さえもネーナはミスをしなかったからだ。

 

 ガルフの処置に集中するネーナの背中に、レナは既視感を覚えていた。それは『剣聖』マルセロに一人で立ち向かった時の、オルトの背中だった。

 

 見る者を安心させる背中が、レナの中で重なる。オルトのようになりたいと願うネーナが、覚えていない筈は無かった。

 

「やっぱ兄妹だねえ、よく似てるわ」

 

 レナは独り言ちると、毛布を外套のように羽織ってフロアを出ていった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 処置を開始して四日目。

 

 ガルフの身体に繋がれていた管やケーブルが、全て取り外された。

 

 ネーナが行った処置は、目標とした工程を完了している。タンクの魔力は残り少ないが、まだ機器が稼働しており再接続が可能だ。

 

 医師と看護師も総出でガルフの健康状態を記録し、経過を見ている。問題があれば、一時間程度で変化が表れると考えられていた。

 

 一時間。ガルフの容態に変化は無い。大事を取って更に観察する。

 

 二時間。二時間半。やはり変化は無い。

 

 三時間が過ぎても、ガルフの状態は変わらなかった。自発的な呼吸と心臓の鼓動は途切れていない。

 

「ふわっ……」

「ちょっと!?」

 

 気が抜けて床に倒れかけたネーナを、フェスタは慌てて支える。

 

「後は、お願いしま、す……」

 

 それだけ言い残し、ネーナは意識を失った。待ち構えていたように医師と看護師が、落ち着いた様子で治療を引き継いでいく。

 

「――ここからは、私達の仕事だよ」

『はい!』

 

 医療チームはこれまで、ただネーナの処置を眺めていたのではなかった。情報を共有し議論とシミュレーションを繰り返し、引き継ぎのタイミングでロスが生じないように入念な準備をしていたのだ。

 

 ネーナの奮闘は、彼等の心に火を着けていた。

 

「お任せ下さい、お疲れ様でした」

 

 カートを押す看護師が、労いの言葉を述べて通り過ぎた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「あうっ」

 

 突然横から顔を小突かれ、ネーナは目を覚ました。

 

 何事かと見れば、眼前に誰かの足があった。自分の足下から声が聞こえる。

 

「ネーナのじゃまをする人は、ゆるさないよ……」

 

 エイミーの寝言であった。夢の中でも自分を守ってくれているのだと有難く思いつつ、現実に顔を蹴られたネーナは苦笑する。

 

 エイミーは寝相が悪い。野営時はそうでもないが、ベッドでは掛け布団や毛布を蹴飛ばす事がざらにある。朝まで同じ姿勢で寝ていた試しもない。

 

 オルトがいれば二人の間に入ってくれて気にならないが、今はエイミーの攻撃が素通しな状況であった。

 

「ふわあっ」

 

 少々寝足りなく感じながらも避難を優先し、ネーナはベッドを抜け出した。

 

 ガルフの身体を機器から切り離した所までは覚えているが、その後の記憶は無い。あれからどれだけ時間が経っているのか、現在のガルフがどんな状態なのか気になった。

 

 エイミーに毛布をかけ、周囲を見回す。

 

 それ程広くない部屋にはベッドと机、本棚の他には何も無い。空いている個室のようだと、ネーナは思った。

 

 入口の方でピピッと音がして、扉がスライドする。そこには修道服姿の女性が立っていた。

 

「あっ!」

 

 女性はベッドの傍らに立つネーナに気づくと、慌てて人を呼びに行く。暫くして、フェスタを伴い戻ってきた。

 

「良かった、起きたのね。体調はどう?」

「少し眠いのと、少し怠いのと、お腹がペコペコです」

 

 ネーナが腹に手を当ててアピールする。フェスタは笑みを浮かべた。

 

「オルトが豆のポタージュとジャガイモのガレットを作っていってくれたけど、食べれそう?」

「はい。あの、そちらの方は?」

 

 ネーナは修道服の女性を見て首を傾げた。

 

「そっか、私達は帝都支部からすぐこっちに来たから、会うのは初めてよね。彼女はナディーヌって名前で、ショットのコレだって」

 

 フェスタが小指を立てると、ナディーヌは赤面して両手をブンブンと振った。

 

「いえ、あの、私はショットさんに危ない所を救って貰って、命の恩人なんです! 決してその、怪しい関係ではなくて……お食事、持ってきますっ!」

 

 ナディーヌが逃げるように去っていく。

 

 ネーナは三日近く眠っていたのだと、フェスタは言った。その間にショットの意識が戻り、今暫く安静を要するものの会話には応じれるようになった。

 

 ガルフの容態は、医療チームの尽力で小康状態を保っている。以前と違うのは、ガルフが機器を必要としなくなった事だ。ネーナが復帰次第、治療を再開できるようになっている。

 

「よかった……」

 

 ネーナは安堵の溜息を漏らした。生きていてくれさえすれぱ、時間はかかっても回復が望める。

 

「ネーナ!」

 

 入口の扉が開き、ミアが駆け込んで来た。ネーナの手を握りしめ、涙を流して礼を述べる。

 

「有難う! 貴女のお陰でガルフが……っ」

 

 ネーナは頭を振った。

 

「ガルフさんの身体は、まだ色々なものに蝕まれています。それらを除くまで安心は出来ません」

「でも……」

「そもそも、お礼なんていりません。貸し借りでもありません――友達なら当たり前、です」

 

 ネーナはミアの手を解いて、逆に自分の手で優しく包み込んだ。

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