第三章 元王女は『門』を開く
第六十六話 格好悪い仲裁
「有難うございます!」
ネーナ達の目の前で、女性が深々と頭を下げた。ネーナが微笑む。
「研究に役立てて下さいね。資金が不足するようであれば、ポンセさんに相談されるといいと思います。ブルーノさんも偶に顔を出すでしょうし」
「何から何まで……兄の治療薬を持って来てくれた事だけでもお礼しきれないのに……」
「それは、私がフィービー先生から器具をお借りした代価ですから」
ネーナはペコペコと頭を下げ続けるフィービーを落ち着かせると、オルトとブルーノを伴い部屋を出た。
『学術都市』アーカイブに自宅のあるブルーノは、冒険者ギルドへ向かうネーナ達と別れて帰宅した。ネーナ達も夕食に誘われたのだが、オルトが断ったのだ。
ブルーノは、借金を抱えて娼館で働く三人の少女と共に生活をしている。少女達を身請けする金を稼ぐ必要がある為とはいえ、依頼で頻繁に家を空けているブルーノに対して、オルトは負い目があった。せめて彼らの時間は邪魔したくないと思っていた。
ネーナから見れば、オルトには何の責も無い。むしろブルーノに手を差し伸べ、可能な限り彼の都合を汲んでいる。仲間を気遣いながら、厳しい決断を自らの責任で下す。いかにもお兄様らしい、ネーナはそう思った。
「ブルーノさん、今日はマリアさん達と水入らずですね」
家路を急ぐブルーノを見送りながら、ネーナはススっとオルトに近づき、彼の服の裾を掴んだ。こうして歩くのは、ネーナのお気に入りだ。実を言えば、ネーナが二人で夕食を取るのに賛成したのは、オルトを独り占め出来るからであった。
『惑いの森』からシルファリオに戻り、ネーナは暫く寝込んでいた。その回復を待って、オルトとブルーノと共にアーカイブへとやって来たのだ。理由は、フィービーに渡す物があったからだ。
シルファリオから戻る時にもアーカイブに立ち寄ってはいた。だがそれは、ワルター症候群に罹患していたフィービーの兄の為に、治療薬を生成して渡す為であった。
当時はネーナ達も同じ難病で苦しんでいるベルントの為に、急いでシルファリオへ戻らねばならなかった。だから治療薬を手渡す以外の用事は全て後回しにしていた。
今回は改めて、『惑いの森』で入手した月光草とその種、抽出したエキスの残りと、遺跡の内部にあった日記や研究日誌の内容を書き記したものを持ち込んだのである。
ネーナ達の『お土産』を見たフィービーは、暫し呆然としていた。
研究者であるフィービーは、ネーナ達が持ち込んだ品々を活用すれば、月光草の栽培とエキスの量産が実現するかもしれない事がすぐにわかった。今は衰弱して死に至るのを待つだけだった者に、廉価で治療薬を提供出来る可能性が見えた事になる。
ネーナはオルトやスミスに相談して、全てフィービーに託す事にした。どの道、専門外のネーナ達が抱えていても仕方のない代物である。元々、遠い昔の研究者の成果だ。自分達がそれを金銭に変えるという発想は無かったし、難病と向き合ってきたフィービーに渡すのがいいとネーナは思っていた。
「フィービー先生のお兄様も回復されたようで、良かったですね」
「ああ」
オルトが短く応える。二人は忙しなく行き交う人々と長くなった影を眺めながら、夕暮れの通りをゆっくり歩いた。
冒険者ギルドに到着すると、ネーナが扉を開ける。日帰りの依頼を終えた冒険者が戻り始める頃合いで、ホールは活気と喧騒に溢れていた。
ブルーノがアーカイブで冒険者登録をし、【菫の庭園】も偶に依頼を受けている事から、この町のギルド支部にもオルト達の顔馴染みは出来ていた。
酒が入って調子に乗った冒険者が、ネーナにちょっかいを出そうとする。オルトはそれらを睨みつけ、顔を真っ赤にしたネーナの手を引きながらカウンターに向かう。
人当たりの良さそうな女性が、カウンターの向こうでニコニコと手を振っていた。
「ネーナちゃん、久しぶりね」
「ラヴィさん、ご無沙汰しております」
「寝込んでたんだって? お兄さんが心配してたのよ」
「そうなんですか?」
ネーナが見ると、オルトはバツの悪そうな顔で目を逸らす。ネーナは嬉しくなって、オルトの左腕に抱き着いた。
「余計な事言ってないで仕事しろ、ラヴィ」
「どうせオルトはちゃんと伝えてあげないから、代わりに言ってるのよ。大事な事でしょ?」
「はい! 大事です!」
満面の笑みのネーナが元気に返事をする。オルトは苦笑するしか無かった。
「うちの冒険者達は若い娘の窓口に並ぶから、私はピーク時に流れて来たのを捌くだけでいいのよ。それでも、ネーナちゃん達やシルファリオの冒険者がうちに来た時に担当させてくれるようになったから、お給料増えたのよ?」
ラヴィと呼ばれた職員は笑顔で、親指と人差し指を丸めた輪っかを作って見せる。
ラヴィも二十代ではあるが、アーカイブ支部の受付担当職員としては最年長だ。人気職たる受付嬢は、冒険者からの評価がシビアに可視化される。その評価は、必ずしも職員の能力が反映される訳ではない。今も他の受付には、数名の冒険者が列をなしている。
「ラヴィさん綺麗ですよ」
「あら嬉しい! ネーナちゃんもお肌の張りはやっぱり10代よねえ」
「……こっちの用事も頼むな」
お互いに褒め合う二人に呆れながら、オルトは達成済みの依頼書と品物を渡す。
オルト達は依頼達成の報告と、報酬を受け取りに来たのだ。明後日にはブルーノと共にシルファリオに戻るが、明日は自由行動と決めてある。と言っても、オルトはネーナにあちこち連れ回される予定で、今日は早く宿に戻って休むつもりであった。
「はいはい、ちょっと待ってね」
依頼書を持って、ラヴィが奥に下がっていく。
「お兄様、夕食はどうしますか?」
「そうだな……ラヴィにお勧めの店を聞いてみようか」
「はい♪」
ネーナが嬉しそうに応えた。オルトは安堵しつつ、振り返ってホールに目を向ける。
「ん?」
ホールが何やらざわついていた。中央付近で冒険者同士が揉めているようだった。
「あちゃー、またかあ」
カウンターの向こうに戻ってきたラヴィが渋面を作って言う。
「知ってるのか?」
「本部が派遣してきたAランクパーティーよ。うちにも二組いるけど、他の依頼で手が離せなくてね。昨日来たと思ったら、いきなり揉めたんだけど……連日は困るなあ」
ラヴィの形の良い眉が、ハの字になっている。オルトは席を立った。
「面倒だったら叩き出すぞ?」
「軽い怪我位ならいいわよ。お願い!」
ラヴィがパンと手を合わせて頭を下げ、お願いのポーズをする。
「ネーナ、すぐに出るから報酬を貰っておいてくれ」
「はい。お兄様も気をつけて下さい」
オルトは軽く手を上げてネーナに応えた。隣の窓口の女性職員が、慌ててラヴィに言う。
「ちょ、ちょっとラヴィさん! あの人大丈夫なんですか!? 相手の人達はAランクですよ!」
「オルトはBランクだけど、大丈夫でしょ」
「駄目じゃないですか!」
混乱気味の職員をよそに、ネーナとラヴィは微笑み合った。
「このギルド支部には、こんな下衆な男共しかいないのか」
「何だとこの野郎!」
「Aランクだからって調子に乗りやがって!」
剣士風の女性に、オルトも見覚えのあるアーカイブの冒険者達が食って掛かっている。剣士の後ろには二人の女性。三人共美女ではあるが、アーカイブ支部の冒険者達に対してゴミを見るような視線を向けていた。非常に冷たい印象を受ける。
「ちょっと三人共、落ち着いて!」
その女性達を、一人の男が懸命に宥めている。騎士のような鎧に外套を羽織り、腰には幅広の両刃剣。決して大柄という訳ではなく、むしろスマートな優男といった感じだ。
魔術師風の女性が、騎士らしき男性の制止を無視して前に出る。
「リチャード様は下がっていて下さい。すぐに終わらせますので」
「その通りだ。所詮はAランクの依頼も自力でこなせない支部の連中だからな」
「てめえっ!!」
アーカイブの冒険者の一人が、怒りに任せて剣士に殴りかかる。剣士は不敵な笑みを浮かべて腰の剣に手を伸ばした。
バキッ!!
「えっ!?」
冒険者の男が、間抜けな声を上げた。
冒険者の右ストレートが捉えていたのは、いつの間にか前に割り込んでいたオルトの頬だった。驚愕する剣士の剣は、そのオルトに柄を押さえられて鞘から引き抜けない。
オルトは殴られた頬を押さえる。
「痛ってえな……気は済んだかよ。少し頭を冷やせ」
「あっ、ああ……」
呆けたように返事をする冒険者に対し、オルトは追い払うようにしっしと手を振った。そこにギルド職員のラヴィがやって来て、パンパンと手を叩く。
「何やってるの貴方たち! この建物内で暴れたら叩き出すわよ! 野次馬も散った散った!」
冒険者達が散らばっていき、剣呑な雰囲気だったホールも元の騒がしさを取り戻す。ネーナはオルトに駆け寄り、ポーチから出した湿布薬をオルトの頬に貼り付けた。ネーナもオルトの行動は予想していなかったもので、少し混乱していた。
そんな中、剣士の女性を含めた四人組だけは、その場に残ってオルトをじっと見つめていた。
剣士が不愉快そうにオルトに言い放つ。
「……頼んでもいない事を。礼など言わぬぞ」
オルトが応えようとしたが、その前にネーナが割って入った。
「結構ですよ。揉め事を収めて貰って礼を言えるような方でしたら、他所のギルド支部を貶すなどの非礼はしませんでしょうから」
「!?」
剣士が血相を変える。だがネーナは取り合う事なく、オルトの手を引いて外に向かう。
「では失礼しますね。お兄様、行きましょう」
「ああ。ラヴィ、後は頼む」
「はいはい、お大事に。助かったわ、オルト」
オルトはヒラヒラと、ラヴィに手を振る。
敵意や興味、やっかみなど。様々な視線を浴びながら、オルトとネーナはギルドを出たのだった。
「お兄様、痛みますか?」
ネーナが心配そうに聞く。
「お食事が辛ければ、沁みにくいものを買って帰りましょうか?」
「大丈夫だ。店は聞いてあるんだろ?」
「でも……」
オルトはネーナの頭を撫でた。
「平気さ。格好悪い所を見せたけどな」
「そんな事ありません!」
ネーナは食い気味にオルトの言葉を否定した。
「誰も怪我をしないようにした事はわかります。でも……心配なので、わざと殴られるのは……」
「それは悪かった。気をつけるよ」
「……はい」
オルトは苦笑した。
「メシは食えるから、早く行こう。何の店だ?」
「あっ、はい! 大皿のパスタが美味しいって聞きました! こっちです!」
気を取り直したネーナが、メモを見ながらオルトの腕を引っ張る。オルトは少し腫れてきた頬を押さえながら、酒とタバスコは控えようと考えていた。
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