第二十九話 今、引き返す訳には行かない

 気を失ったネーナを抱き上げ、フェスタがテントに向かう。エイミーも気遣わしげに後を追った。


 見張りはオルトとスミスで行う事にした。ネーナの心理状態がわからない為、男性は離れておこうという配慮からだ。焚き火に木の枝を放り込みながら、オルトが独り言のように言う。


「……ネーナにとって、王都教会の大司教以下の聖職者達は非常に身近な存在だろう。それこそ幼少期から、事ある毎に顔を合わせていたのだから」

「そうでしょうね」


 スミスは頷いた。


 洗礼、懺悔、結婚式に葬儀も。庶民も王侯貴族も、暮らしの中で聖職者と関わる機会は多い。その聖職者達が、幸薄い短い生涯を自ら閉じた侍祭マチルダに深く関わっていたという。ネーナの受けた衝撃は想像に難くない。


「嫌な言い方を先に詫びておく。マチルダの遺書の内容が事実として。そのような扱いを受けている女性は、教会の中でも『聖女候補』と呼ばれる者だけと考えていいのだろうか。大掛かりに手当たり次第にやってれば、流石に足がつくはずだ」

「私もそう思います。似たような事をしている者はいるかもしれませんが、王都の教会でも末端の者まで関わっているとは考えにくいですね」

「…………」


 沈黙の中、焚き火のパチパチと弾ける音だけが響く。


「……ネーナが目覚めて、どう思うかわからないが。今、王国に戻って教会に関わる事を選んだら、俺は全力で止める。この旅がここで終わる事になってもだ」


 オルトは決意していた。


 ネーナの意思は尊重したい。だが、今王国に戻るのはタイミングが悪過ぎる。王女がその地位を捨てて逃亡した後なのだ。今王国に戻れば、事態の収束に奔走している者達の努力を無にする事になる。


 そしてそんなリスクを冒しても、何も得られない可能性が高いのだ。教会組織は世俗の権力が介入する事を許さない。その組織の上層部を一網打尽にするのは、王侯貴族と言えども困難を極める。ましてこちらが握っているのは、マチルダの遺書だけである。


 少なくとも今、王国内で国王と教会を同時に相手取るような愚を犯す訳には行かない。オルトはそう考えていた。


 スミスが焚き火を見つめ、ポツリと呟く。


「……やはり、伝えるべきではなかったのかもしれませんね」

「それは違うぞ、スミス」


 後悔するようなスミスの言葉を、オルトは即座に否定した。


「貴方達は多くのものを背負い、犠牲にし、失いながらも戦い続けた我々の恩人だ。責められるべきは、マチルダのような悲劇を生んだ王国の教会関係者だろう?」

「オルト……有難う、救われた気持ちになります」


 スミスが礼を述べたが、オルトは黙って頭を振った。


「ネーナの事も考えて言っているんだ。辛い事はこれからいくらでもある。トウヤ殿の旅路を追うという事は、彼の苦しみを追う事に他ならないだろう」

「そうなるでしょうね」


 スミスが首肯すると、オルトはため息をつく。


「強くなって貰わなくては。俺がいつまで傍で守ってやれるかもわからない。あの娘ネーナは成人しているとはいえ、王城を出て生きていくには、知識も経験も足りない。人の悪意の恐ろしさも知らない。いつかは辛い真実を知って尚、前に進む強さを身に着けてくれるだろうが、今はまだ支えが必要だ」

「フフッ」

「スミス?」


 スミスが笑うと、オルトは怪訝そうな顔をした。


「すみません。僅か数日でいいお兄さんになったと思いまして」

「……必要に迫られたら、やるしかないじゃないか。まあ、満更でもないのも確かだけどな」


 オルトは苦笑した。


「でも大丈夫ですか? お姫様は後二人いますよ?」

「ああ。すぐに埋め合わせは出来ないが、気持ちだけは伝えておくよ」


 後で見張りを交替する為、スミスが横になって仮眠を取る。話し相手の居なくなったオルトは、夜空を見上げて息を吐いた。




 以前に『城郭都市』ウェブンの代官であるデルサールが言っていたように、王国は割れるだろう。現国王の治世で国力も求心力も低下し続けており、第二王女アンが出奔した今となっては、次の国王は傍系から選ばねばならない。


 王女アンが地位を放棄して冒険者ネーナになった以上、王国の国内情勢に関わる事は無いだろう。ネーナもそれは望んでいないと、オルトは思っている。


 だが、今日スミスが話した王国教会の醜聞を、ネーナはどう受け止めるだろうか。場合によっては冒険者を辞め、勇者トウヤについて調べる事をやめてでも、王国に戻ろうとするかもしれなかった。


 そうなれば最悪、国王派と反国王派、王国教会の三つ巴で内戦が始まってしまう。それは絶対に回避しなければならない。


 王国教会を見逃す事は有り得ない。その為にしなければならない事は沢山あるが、悪事を明るみに出す為には時間が必要だ。マチルダの遺書による告発が無ければ、教会に関わる機会の多い王女はおろか、盗賊ギルドの幹部ですら知らずにいたのだ。


 経過する時間は必然的に、少女達が苦しむ時間でもある。ネーナがそれを受け入れられるか。彼女が目を覚ます前に、考えておかなければならない事は多かった。


「泣き言を言う時間すら惜しいな……」


 オルトの独り言は、夜の闇に溶けていった。






 翌朝。朝食を済ませた一行は早々に出発した。


 ネーナは明らかに口数が少ないものの、前日同様に御者台に座ろうとし――フェスタに気を遣ったのか、荷台のエイミーの隣に座ろうとし。御者台に押し出され、結局オルトの隣に座る。


「何やってるんだ?」

「……色々失敗しました」


 オルトが苦笑しつつネーナの頭をワシワシ撫でると、ネーナは撫でられるに任せて上体を揺らしている。昨晩に比べれば表情が少し明るくなったようだし、オルトやスミスへの態度を見ても男性嫌悪のようなものは感じられない。オルトは内心で安堵した。


「自分が苦しい時にも他人を気遣えるのはネーナの美点だが、俺とフェスタにはそういう気遣いは要らん。なあ?」


 オルトが見やると、フェスタは微笑んだ。


「後で存分に甘やかしてもらうけどね」

「わかってるよ。エイミーもな」

「!? いいの?」

「ああ、約束だ」


 フェスタとエイミーのリアクションを見て、オルトは再び苦笑した。ネーナはクスリと笑う。


 パーティーの雰囲気が良くなった手応えを感じながら、オルトは王国教会の一件についてスミスに確認をした。この場で聞いたのは、パーティー全員で共有する為である。


 スミス達は何も手を打っていない訳ではなく、王国教会が属するストラ聖教の総本山である神聖都市ストラトスに、勇者一行の聖女レナが内偵調査を求めて働きかけていた。


 さらにネーナ達と別れて王国に戻ったバラカスとフェイスも、それぞれの所属から教会の動きを牽制しようとしていた。


「ネーナ」


 オルトは傍らのネーナに話しかけた。


「はい」

「俺達は、少なくとも今、引き返す訳には行かない」

「……はい」


 ネーナの身体が、僅かに強張る。


「だけど。ピアゴの町に着いたら、メーメット辺境伯領にいるフラウス殿に手紙を出してみたらどうだ? もしかしたら辺境伯の力を借りられるかもしれない」

「っ!? お兄様!」


 オルトの思いがけない提案。ネーナは驚き、喜びを顕わにしてオルトに抱き着いた。ネーナは余りに衝撃的な話を聞いたばかりで、自分が冷静さを欠いていた事を自覚した。


「有難う御座います、お兄様」


 スミスの話から一晩しか経っていない。オルトが夜の見張りの間中ずっと考えてくれたのだと、ネーナは気づいた。感謝の気持ちで一杯になる。

 ネーナはもう一度オルトに抱き着くと、後部の幌の中へ入っていく。


「大変お騒がせしました」


 ペコリと頭を下げるネーナを、他の三人は笑顔で迎えた。ネーナの代わりに、フェスタはエイミーを御者台に押し出す。


「いいの? お姉さん」

「いっぱい撫でて貰いなさい」

「うん!」


 エイミーが御者台に飛び乗り、撫でろとばかりにオルトの脇腹に頭をグリグリ擦り付ける。


「お兄さん! わたしも妹になりたい!」

「お、おう」


 それを見て微笑むフェスタは、ネーナがこちらをじっと見ているのに気がついた。


「どうしたの、ネーナ?」

「う、ええと。フェスタは行かないのかなって」

「ええ。あの子もネーナとオルトが仲良くしてるのを、羨ましそうに見ていたから。きっと、頭を撫でて貰うような体験に飢えてるんじゃないかな」


 二人が視線を向けると、スミスは肯いた。


「私が詳しく話す事ではありませんが。魔王討伐の旅に同行するのが楽しく感じる程度には、厳しい生い立ちだと思います」


 常に命の危険に晒され、人間すら安易に信用出来ない旅より辛い生い立ち。王女アンとして王城で暮らしてきたネーナには想像も出来なかった。


 改めてネーナは、自分の恵まれた立場とそれを自ら捨てた事を思う。そんな心中を察したように、フェスタが言った。


「不幸自慢じゃないんだから。みんな今を懸命に生きる、それだけよ」

「フェスタの言う通りです」


 スミスも首肯する。


 ――今を懸命に生きる、ですか。


 ネーナは御者台で楽しそうにオルトに戯れ付くエイミーを見ながら、フェスタの言った言葉を心の中で繰り返した。






 目的地のピアゴに到着した一行は、まず小荷物を届け先に持ち込んだ。そして運び屋に特別料金を払って手紙を託した後は、当初の予定を変更して宿を取る事なく町を出た。


「事が起きてから考えれば当然なんだけどな……」

「お兄さん、元気出して」

「ああ、有難う」


 エイミーがオルトの肩をポンポン叩いて慰める。


 一行が早々に町を出た理由。それは、町の食堂で女性陣が絡まれたからであった。

 昼食を取る為に入った店で、飲んだくれていた一団に目を付けられる。ある意味不可抗力、仕方ない事とも言えた。


 エイミーは勿論、少年のような格好をしているネーナも近くで見れば美少女と分かる。フェスタだって、騎士団長ヴァンサーンが粉をかけようと思う程度には整った容姿をしている。


 一方の男性陣は、ボンヤリしていればただの冴えない青年であるオルトと、老人のスミス。調子に乗ってナンパに突撃する者だって現れる。


 ネーナの腕を掴んだ酔っ払いの手首をオルトが握り潰し、一行は食事もせずに店を出た。


「すまんな。あまり大公国内で揉め事を起こす訳にはいかんし、このまま町に入らずに東の国境から出よう。王国に足取りを捉まれるのも避けたいしな」

「お兄様は悪くありませんよ」


 少し落ち込んだ様子のネーナが言う。


 ネーナも寄って来る男をあしらえない訳ではないが、相手はこちらを王女と認識した貴族や名士ではないのだ。自重など考えもしない乱暴な酔っ払いに腕を掴まれれば、恐怖心で固まりもする。


 絡まれるのがエイミーであった場合、事情が少々複雑になる。普段は耳が髪に隠れているが、エイミーはハーフエルフなのだ。『勇者の仲間』という肩書きを隠して行動していれば、気軽にちょっかいを出す者も現れる。大公国が比較的亜人差別の少ない国とは言え、トラブルの火種になりかねない。


 オルトは『出来る限り目立たず移動する』事を考えていた。王国からの追手を気にせざるを得ない間はそれでいい。だがそれでは、人目を引く女性陣だけが目立ってしまうのだ。オルトにも、自分の容姿が地味な自覚はあった。


「だったら、お兄さんが目立っちゃえばいいんじゃない?」


 オルトに戯れ付きながらエイミーが言う。


「うーん……考えてみるか」


 オルトが実力を知らしめれば、その辺のチンピラが女性陣に絡む事態は減るかもしれない。好むと好まざるとに関わらず、対応する必要性をオルトは感じていた。

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