第百三十二話 誰だってお姫様になれるんです

 ネーナとマリスアリアは剣の欠片を見繕うと、一旦それをオルトに預けた。そのままでは尖った角で怪我をしてしまう為、オルトが厚手の布で幾重にも欠片を包む。


「鍛冶屋に欠片の角を落としてもらうなり、磨いたり溶かして別な物に仕立てて貰うなり、好きにしてくれ」


 包みを受け取った二人が、嬉しそうに頷く。そこまで喜んで貰えるとは、オルトには全く予想外であった。




 三人は別室で待っている仲間達と合流する為、廊下に出た。屋敷の主であるマリスアリアにエスコートされ、ネーナが並んで廊下を歩いて行く。


 オルトが見ても贔屓目なしに、ネーナは傍らの女公爵と遜色ない気品と華やかさを醸し出している。マリスアリアから紹介され、挨拶をしてくる人々に堂々と返礼をする姿は、王女として生まれ育った日々が培ったものに違いなかった。


 ぼんやりと二人の後を歩いていたオルトは、自分を慕ってくる『妹』のネーナがいなくなったように思えて、少しだけ寂しさを覚えた。すぐにそれを自覚し、オルトは苦笑する。


 二人が兄妹として振る舞う事に、いつの間にか全く違和感が無くなっていた。それが良い事か悪い事か、オルトにはわからなかった。


「お兄様?」


 気づけば、ネーナがすぐ傍に来ていた。マリスアリアは離れた場所で、挨拶に来た貴族達に応対している。


「どうした?」

「お兄様が遠くにいらっしゃるので……」


 ネーナの返事に、オルトは気まずそうに頬を掻いた。


「ああ。何と言うか、久し振りに王女殿下を見たなあと思ったんだ」

「お兄様……あの、お嫌でしたか?」


 ネーナの表情が見る間に不安気に変わっていく。


「私、お兄様のお傍に居られないなら……」


 オルトは自分の失言に気づき、慌てて弁解をした。


「え? いや、そういう事じゃなくてだな。『甘えん坊のネーナ』が急に『王女アン』になったから、少し寂しい気持ちになったというか――」

「そうなのですか?」


 ネーナが驚きで目を丸くする。次に満面の笑みになったネーナは、オルトの傍らに寄ってその左腕を抱え込んだ。


「嬉しいです!」

「え? え?」


 戸惑うオルトに、ネーナが言う。


「お兄様は私を大切にしてくれますけれど、私がいなくても気にならないんだと思ってました」

「そうなのか?」

「はい」


 そう言われて、オルトは自分がネーナに対して、あまり好意を伝えていない事に思い至った。


 オルトとしては恋人であるフェスタの手前もあったり、思わせぶりな事を言ってはならないとか、先々にネーナを縛る事の無いようにとの配慮であるとか理由はあった。だが言葉にして確かめにくい話な為に、オルトもネーナもそれぞれの思い込みに囚われていたのである。


「言葉で正しく伝えるのも難しいが、言葉にしなければ伝わらない事もあるか。でも、毎晩のようにエイミーと二人でベッドに潜り込んで来て、今更じゃないか?」

「ちゃんと聞きたいです!」

「難儀なもんだなあ」


 口を尖らせながらも、ネーナは笑顔である。


「でも、お兄様が言ってくれなくても、お兄様のネーナはいなくなったりしませんよ。どこへも行きませんし、いつでもお兄様が大好きです」


 困ったように笑うオルトの腕を引き、ネーナが歩き出す。マリスアリアも挨拶を切り上げて近づいて来た。


「さあ、フェスタ達が待ってますよ。行きましょう、お兄様?」




 ◆◆◆◆◆




「レナさん!」


 いち早く仲間達を見つけたネーナが、手を振って駆け寄って行く。オルトはフェスタの隣の椅子を引いて腰を下ろした。


「随分早かったのね。もう終わったの?」

「ああ」


 仲間達はオルトとネーナの戻りが遅くなると考え、部屋のメイドと警備の兵士に言伝をして、公爵邸の中庭に来ていたのだった。


「オルト様は衣装合わせがお好きではないようでして、早々に切り上げてしまわれました」


 マリスアリアが言うと、仲間達はバツの悪そうなオルトを見てクスクス笑った。


 暖かい日差しが降り注ぐ中庭は、ティータイムを楽しんだりゲームに興じる貴族達で賑わっている。


 公国元首である公爵の屋敷だけに、いくつものサロンが開催され、公爵邸自体が一つの社交の場となっているのだ。


「エイミー?」

「大人しいのよね、このお屋敷に来てから」


 椅子に腰かけボンヤリとしているエイミーにチラリと視線を向け、レナがお手上げといった風に両手を広げる。


 ネーナがエイミーの視線の先を見やると、美しく着飾り談笑している貴婦人達の姿があった。


「宝剣の貸与式の後で、舞踏会がありますから。多くの貴族や有力者が参加しますし、今から顔を繋いでおこうとする者達もいますね」

「舞踏会ですか!」


 マリスアリアの言葉に、ネーナが興奮気味に反応した。


「お兄様! ダンスですよ!」

「皆様のドレスも用意してありますので、気に入ったものをお選び下さいね」

「楽しみです! エイミーも一緒に選びましょう!」


 前のめりなネーナがエイミーを誘う。だが、エイミーの反応は薄いものだった。


「わたしはいいよ、見てるから」

「そんな事を言わずに。皆でお姫様になって、お兄様にダンスのお相手をして頂きましょう?」


 エイミーは頭を振った。いつもの明るさが影を潜めてしまっている。ネーナは困惑していた。


「わたしは、お姫様とか、似合わないし……」

「エイミー……どうしたんですか。何があったんですか?」


 再びエイミーが頭を振る。二人の様子を見たフェスタが、スミス達に聞いた。


「スミス、レナ。勇者パーティーが王侯貴族や有力者に招かれた時、エイミーはどうしていたの?」


 フェスタの問いに、スミスとレナはハッとした表情になる。


「確かに、エイミーは隅で飲み食いしているか宴の様子を見ていました……どうして今まで気づかなかったんでしょう」

「あたしらも戦いと他人の腹を疑うばかりで、正直、エイミーの事まで気が回ってなかったね……」




 オルトは仲間達のやり取りを黙って聞いていた。


 率直に言えば、エイミーの違和感についてスミス達を責めるのは酷である。魔族との生きるか死ぬかの戦いに加えて、人間の権力者との駆け引きもしなければならなかった状況。


 誰もが自分の事で手一杯。当時未成年だったエイミーも、勇者パーティーの中にあっては傑出した力があろう筈もない。それでも仲間達が守ったから、エイミーは生き延びられた。


 その上さらに、エイミー自身が隠している内面の問題を見つけて解決する事など出来る訳がない。二人にとってエイミーは、共に戦う同志だったのだから。


 ネーナは確認の為に、スミスに問いかける。


「スミス様。エイミーは勇者パーティーに加わった時からずっとそうでしたか?」

「私が記憶している限り、そうです。……成程、そういう事ですか」


 スミスの返事を聞いたネーナが、エイミーに向き直る。ネーナの質問により、スミスにも原因が理解出来た。


「エイミー。……『村』ですか?」

「っ!?」


 その単語を聞いた瞬間、エイミーが身体を強張らせる。肯定と受け取れる反応。


 ネーナは、これまでのエイミーとのつきあいや聞いている身の上話から、彼女の問題の大半は生まれ育ちに起因すると睨んでいたのだった。


「……『混ざり物のお前は、お姫様になんてなれない』って」


 それだけを絞り出すように告げ、エイミーは口を閉ざす。仲間達は絶句した。


「何という事を……」

「本当にあいつら、碌な事をしないよ……」


 マリスアリアが驚きで口元に手を当て、レナはエイミーの故郷の住民達への怒りを露わにする。


 エイミーが生まれたアルテナ帝国北東部は、他種族に対する人間の偏見が強い。ハーフエルフのエイミーの不遇は仲間達も知っていた。


 具体的に何があったのかは聞かずとも、綺麗なお姫様に憧れるだけの普通の少女に浴びせられた、心無い声や仕打ちが少女の心を深く傷つけた事は誰もが理解出来た。


「……エイミー、聞いて下さい」


 ネーナがエイミーを抱きしめる。


「誰だってお姫様になれるんです。なっていいんです。信じられませんか? 冒険者になった王女が、ここにいるんですよ? とっても素敵で、とっても優しいエイミーが、お姫様になれない筈がないんです」

「ネーナ……」


 エイミーの故郷の村人達の言葉が、今も彼女の心を呪詛のように縛りつけている。そう感じたネーナは、エイミーの心の戒めを解くように語りかける。


「信じられなくても構いません。今までと何も変わらないだけですから。だったら一度、私達に任せて下さい。皆で魔法をかけて、エイミーをお姫様にしてあげます」


 ネーナの言葉に、エイミーが仲間達を見回す。仲間達は微笑みながら頷いた。


「エイミーはどうしたいですか? お姫様になりたいですか? 一言だけでいいですから、エイミーの本当の気持ちを、私達に教えて下さい」


 エイミーは唇を噛み、俯く。沈黙の長さはエイミーの迷いと心の傷の深さ。そうネーナは感じた。


 仲間達が見つめる中、エイミーは顔を上げて、遠慮がちな小さな声で告げた。


「……わたし、お姫様になってみたい。綺麗なドレスを着て、舞踏会で踊ってみたい」


 少女の願いを聞いたネーナが、その手を取る。


「確かに承りました、エイミー。とびっきり綺麗なお姫様になって、舞踏会に来た皆さんの視線を独り占めにしてしまいましょう!」

「いいね! あたしも乗るよ!」

「まずは作戦会議ね」


 レナは腕まくりをし、フェスタは両手を合わせて意欲を見せる。公爵のマリスアリアも自信有りげに微笑んだ。


「私にも、お手伝いさせて頂ける事がありそうですね? お任せ下さい、ネーナ様」




 スミスとオルトは、盛り上がる女性達を眺めていた。


「私は舞台演出でも考えましょうか」

「俺はどうしようか?」

「貴方には、王子様の大役があるじゃないですか」

「ええっ? ダンスは得意じゃないんだがなあ……」


 スミスに言われ、オルトは顔を顰めた。


 近衛騎士として、王女護衛のシチュエーションの一つとして舞踏会は想定されていた。猛特訓を課されて人並みには踊れる筈だが、お披露目する機会は皆無だったのである。


「そこは『刃壊者ソードブレイカー』の名誉に賭けて何とかして貰うしか。本番のダンスパートナーは一人じゃありませんよ?」


 意地悪い笑みのスミスに、オルトが苦笑する。ステップのおさらいでもしておこうか。そう呟きながら、オルトは空き部屋を借りようとマリスアリアに歩み寄った。

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