第百三十三話 一曲、踊って頂けますか?

「皆さん、お久し振りです!」

「アラベラさん!」


 公爵邸の一室に、【明けの一番鶏】の三人が入って来る。ネーナはアラベラの手を取って歓迎した。


「急にお呼び立てして申し訳ありません。お仕事は大丈夫なのですか?」


 ネーナの気遣いに、アラベラは笑顔を見せる。


「拘束されるような依頼はありませんでしたし、ジルさんが調整してくれますから」

「【菫の庭園】からの指名依頼だって聞いて、北セレスタ支部の皆が羨ましがってましたよ」


 コリンが言うと、ネーナ達は苦笑した。


 ヴァレーゼ支部での【菫の庭園】と【運命の輪】の活躍ぶりは、カミラを通じて北セレスタ支部へも逐一伝えられていた。


救援依頼レスキュー』の一件以降、アオバクーダンジョンや『災厄の大蛇グローツラング』の拠点強襲などの高難度案件をクリアしている【菫の庭園】は、ちょっとしたヒーロー扱いなのだ。モリーがそう補足する。


 ネーナ達もそれは知っていた。だから北セレスタの公爵邸に招かれても、ギルド支部には顔を出していなかったのだ。


「あの、依頼の事なのですが……」

「委細承知です。エイミーさんのダンスレッスンですよね? 明日の舞踏会までに一曲踊れるようにと」


 お任せ下さい、そう言ってアラベラが胸を叩く。


 公国貴族の娘であるアラベラは当然ダンスの素養があり、ネーナとマリスアリアはそこを見込んで、【明けの一番鶏】に指名依頼を出したのだった。


 勿論、公爵家の伝手で振付師やダンス講師を頼む事も出来たが、ネーナは気心の知れたアラベラ達に依頼する事を提案した。


 幸いにもコリンがダンスの上級者で、エイミーの練習相手を務めてくれるという。指名が迷惑でなかったか気にしていたネーナは、アラベラ達が快諾してくれた事に感謝しきりであった。


「散々アラベラの練習台になりましたからね。お役に立てると思います」

「宜しければ早速始めましょうか」


 コリンとアラベラの言葉で、それぞれが準備にかかる。


 レナとフェスタは自分達が舞踏会で着る衣装を選びに行った。オルトとスミスはマリスアリアと共に、一足先に別室へと移動している。


 ネーナはエイミーに付き添って衣装部屋に向かい、本番用と練習用のドレスと靴を選び始めた。


「練習用は、本番用の色違いにしましょうか。同じ形の衣装で練習した方が、感覚を掴みやすいですから――エイミー?」


 一着のドレスを手に振り返ったネーナが、首を傾げる。エイミーはまだ浮かない顔をしていたのだ。


 エイミーの心に傷を負わせていた過去の言葉は取り除けた筈。ネーナはそう考えていた。


 他に何か、エイミーが気に病んでいる事があるのかもしれない。でもそれはエイミー自身が話さない限り、ネーナがどれだけ力になりたいと思っても、どうにもならない事である。


 ネーナは黙ってエイミーの言葉を待った。


「……わたし、ネーナが言うような良い子じゃないの。本当はとってもズルくて、嫌な子なの」


 長い沈黙の後、エイミーは絞り出すように言った。




 サン・ジハール王国の王城ヴォル・デ・ラーマ。死亡した勇者トウヤの代理としてパーティーメンバーが訪れた事で、ネーナとエイミーが出会った。


 そこでトウヤの死を知ったネーナが、王城を出て勇者の真実を知りたいと願い、多くの者を巻き込んで事態が動き始める。


『私が、王女様を連れてってあげるよ』


 ネーナの後押しをしたのは、エイミーの一言であった。それが無ければ、ネーナは『王女アン』のまま王城で過ごしていただろう。或いは臨まない婚約で王配を宛てがわれ、傀儡の女王になっていたかもしれない。


 ネーナにとっては、大事な一言である。


「でもね。本当は、わたしが旅をしたくて。それで、そう言ったの……」


 エイミーはとても苦しそうに、まるで懺悔をする咎人のように、ネーナにそう告げたのだった。




 トウヤを喪った勇者パーティーがサン・ジハール王国に到着した時、エイミーはスミスから一緒に暮らそうと誘われていた。


 勇者が亡くなり、当面の魔王の脅威も去った以上、勇者パーティーは報告を終えれば解散となる。身寄りがおらず、故郷で辛い目に遭っていたエイミーは行き場所が無かった。


 スミスは優しかったし、その家族や友人もきっとエイミーを温かく迎えてくれる筈。そう思ってはいても、エイミーにとっては他人の家。どうしても決断出来なかったのである。


 トウヤに救われ故郷の村を出てから、エイミーは仲間達に置いて行かれたくない一心で戦ってきた。母から教わった弓術と精霊術、母の形見の精霊弓で戦う事が全てだった少女は、戦う理由を失っていた。




「そんな時にネーナに会ったの。もちろん、トウヤの事を知りたいって思ったし、ネーナを助けてあげたいって思った。それは本当だよ。だけど――」


 旅が続くなら、自分はまだ暫く今のままで居られる。それが一番の動機だった。エイミーはそう言った。


「そんなわたしが、本当にお姫様になっていいのかな――」

「私も同じです」


 俯くエイミーを、ネーナはフワリと抱きしめた。エイミーが顔を上げる。


「ネーナ?」

「私も、トウヤ様の事を知りたいと思ったのは本当です。だけどお城を出たい、外の世界を見たいという気持ちも強く持っていました」


 侍女達にも、近衛騎士にも言う事は出来なかった。自分は王女だったから。ネーナはエイミーにそう話した。


 自分が何かを願えば、多くの人達に迷惑をかけてしまう。それを知っていたから、王女アンネーナは自分の本当の望みを話した事は無かった。それを受け入れて生きる事が自分の義務だとも思っていた。


 そんなある日にエイミー達と出会い、侍女のフラウスやユルゲン将軍に背中を押され、王女アンは生まれて初めて我儘を言ったのだった。


「エイミーのあの言葉が無ければ、私はこうしてここには居られませんでした。隠していた気持ちがあったのは、私も同じなんです」

「ネーナ……」


 そんな自分が楽しんでいいのか。幸せになっていいのか。そういう思いを、ネーナはずっと抱えていた。肩の力が抜け、前向きになれたのはオルトやエイミー、フェスタ、スミス、レナ、他にも王城を出てから出会った仲間達のお陰であった。


「エイミーだってそうでしょう? それに、エイミーが本当にズルくて嫌な子なら、そうやって悩んだり苦しんだりしませんよ」


 だから、エイミーが綺麗なお姫様になれない訳が無い。ネーナはそう言って、エイミーに笑いかけた。


「……ネーナはさ」

「はい」

「ネーナは、どうしてそんなに、わたしの事を心配してくれるの?」


 エイミーの問いに対して、どうしてそんな事を聞くのかという風にネーナは首を傾げる。


「どうして、ですか? 私達は二人とも、オルトお兄様の妹ではありませんか。つまり姉妹です」

「姉妹?」


 エイミーが聞き返すとネーナは頷いた。


「はい、姉妹です。ですから気にかけるのは当然です。――私が、お姉さんなのですから」


 ネーナがえへん、と胸を張る。形の良い二つの膨らみが揺れ、エイミーは悔しそうな顔をした。


「う〜……ちょっとおっぱいが大きいからって〜。お姉さんはわたしだよ?」


 むむ、と二人がにらめっこのように見つめ合う。だがすぐに、どちらからともなく笑い出した。エイミーが頭を下げる。


「ネーナ、有難う。わたし、ネーナと一緒に冒険者になれて良かった」

「私もエイミーと一緒で良かったです」


 微笑み合う二人に、衣装部屋の外から呼びかける声がする。ネーナ達が戻って来ない為、アラベラが様子を見に来たのである。


「あわわわ、早く着替えて下さいエイミー」

「う、うん」


 ネーナが選んだボールガウンを見ながら、エイミーは慌てて服を脱ぎ始める。


 その表情は、いつもの快活なエイミーのものに戻っていた。




 ◆◆◆◆◆




 迎賓館の大ホールがざわついていた。


 舞踏会に参加する為に集まった公国貴族や名士達の話題は、専ら先刻行われた宝剣貸与式についてである。


 かつて北セレスタで暴れた『剣聖』マルセロの悪名と脅威は、公国臣民の記憶に深く刻まれている。


 そのマルセロが再び公国の地に姿を現したが、冒険者と公国軍が協力して撃退したという話は、尾ヒレに背ビレ、胸ビレまでついてあっという間に拡散された。


 中でも、マルセロと単独で交戦した『刃壊者ソードブレイカー』オルト・ヘーネスは『剣聖に伍する剣士』として注目を集め、宝剣貸与式にも多数の参加者が詰めかけていた。


 オルトは居並ぶ公国貴族や他国の使節達の前で貸与された剣を掲げ、「当代のシュムレイ公爵マリスアリアが求めるならば助力を惜しまない」と明言したのである。このインパクトは絶大であった。


 これはオルトが仲間達と相談して決めた事だ。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのオルトや【菫の庭園】が、公国ではなくマリスアリア個人に力を貸す。こうなれば、マリスアリアと対立する者達も迂闊な事は出来なくなる。


 貴族層の支持が落ちているマリスアリアにとって、大きな援護である。これで共和制に移行する猶予を得たと言って良かった。泡を食った貴族達は各々の立ち位置を見直さねばならなくなり、駆け引きや情報収集に勤しんでいるのだ。




「マリスアリア・ド・シュムレイ公爵殿下のご入場です!」




 宝剣貸与式の余韻が持ち越されたかのような舞踏会の会場に、マリスアリアの到着が告げられる。会場のざわめきが、大きなどよめきに変わった。


 オルトにエスコートされたマリスアリアに続き、【菫の庭園】一行が会場に姿を見せた。色とりどりのドレスに身を包んだネーナ、レナ、フェスタが会場の視線を独占する。


 オルトはマリスアリアに一礼してその場を離れ、会場の入口に戻った。


「さあ、行こうか。エイミー」

「わたし、変じゃない? おかしくないかな?」


 落ち着かない様子のエイミーに、オルトが笑いかける。


「どこから見てもお姫様さ。俺が保証する」

「……うん。ありがとう、お兄さん」


 差し出された肘に手をかけ、エイミーが歩き出した。


 明るい緑と黄色を基調にしたドレス。髪は高く結い上げられ、ハーフエルフである事を示す尖った耳が露わになっている。しっかりと前を見据えて歩くエイミーの姿を見て、舞踏会の参加者達がほう、と溜息をつく。


「とっても綺麗です、エイミー」

「良くお似合いですよ」

「ありがとう」


 エイミーは、ネーナとマリスアリアに頷きを返した。レナとスミスは微笑んでいる。


「今日は特別。ファーストダンスは主役に譲ってあげる」


 フェスタがエイミーの耳元で囁く。マリスアリアに優しく背中を押され、エイミーはオルトの前に歩み出た。


 オルトが手を差し出しながら言う。


「それでは、私のお姫様。一曲、私と踊って頂けますか?」


 エイミーは満面の笑みで、その手に自分の手を重ねた。


「喜んで!」




 マリスアリアの合図で楽団が演奏を始める。


 エイミーにとって夢のような時間だった。この先どんな辛い事があっても、この日の思い出があれば生きて行けると思った。


 一生懸命覚えたステップは何度もミスしたけれど、楽しかった。躓いてもオルトにフワリと抱き上げられ、空を飛んでいるように回った。薄っすらと覚えている、父親に抱き上げられた時のようだった。


 最後にオルトの合図でピタリと身体を止めると、満場の拍手がエイミーを包み込んだのだった。






 一曲踊り終えたエイミーはスミスに付き添われて、テラスに用意された椅子に座っていた。たった一曲踊っただけで、膝が笑って立っていられなくなったのである。


 オルトはそのまま解放される事なく、ホールの中央でフェスタ、ネーナ、レナ、そしてマリスアリアとパートナーを入れ替えて踊っている。誰もが幸せそうで、エイミーも嬉しくなった。


「エイミー、その顔です。その笑顔でご両親を迎えに行きましょう。今だって、きっとどこかでエイミーを見守っていますよ」


 スミスの言葉で、エイミーは自分が笑っている事に気づいた。父も母も、今の自分を見て喜んでくれるだろうか、安心してくれるだろうか。そう思いながら夜空を見上げる。


 ダンスの音楽が終わり、笑顔のネーナが疲れ気味のオルトを連れてやって来るのが見える。フェスタとレナ、マリスアリアは勿論、ドレスアップした【明けの一番鶏】の面々も一緒だ。


 エイミーは、自分をお姫様にしてくれた仲間達を迎える為に席を立つのだった。

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