第百三十一話 ご利益はあると思うぞ

「リア様。これは私が調合したものですが、宜しければ使ってみて下さい」

「私に、ですか? 有難うございます」


 ネーナが小瓶を差し出すと、マリスアリアは礼を言ってそれを受け取った。瓶を少し傾けて、中に入っている薄いブルーの液体を興味深そうに見つめている。


「これは香水、でしょうか?」

「はい。私、錬金術と薬学の勉強をしているんです。気持ちを落ち着かせる効果が出るようにしてみました。試作品ですけど」


 ネーナは恥ずかしそうに笑った。


「ネーナ様は何でも出来るのですね」

「ええっ!? そんな事ありませんよ!」


 感嘆するマリスアリアに、ネーナが慌ててブンブンと手を振り否定を示す。


 自分が多才だと思った事は一度も無い。王女でなくなり冒険者になってからは、余りに何も出来ない自分が情けなくなる事ばかりだ。


 料理一つ取っても、材料を手に入れる所から始めるなど想像もしていなかった。王城では常に、料理人が最適の状態にした素材が全て揃っていたからだ。万事がその調子なのである。


 その事はそれでいいのだと、ネーナは考えていた。王女とはそういうもので、それぞれの職分があるのだから。


 だけどネーナは自分の今があるのは、多くの人が自分に出来ない事をしてくれたお陰だという事を肝に銘じていた。


「ネーナ様の仰る通りですね」

「はわわわ! 私、とっても偉そうな事を!」


 再び慌てるネーナを見て、マリスアリアはクスクスと笑う。


 その時、二人のいる部屋の扉がノックされた。




「――ふう」


 少し疲れた表情のオルトが部屋に入って来る。正装の兄を見て、ネーナがパッと笑顔になった。


「お疲れ様です、お兄様。衣装も剣も、良くお似合いですよ」

「素敵ですよ、オルト様」


 褒めちぎる二人に、オルトは苦笑を返す。


 元貴族の子弟とはいえ、オルトは下級貴族に過ぎない。王女であったネーナと、当代の公国元首であるマリスアリアの二人とは違うのだ。


 今まで着た事もないような上物の服を着せられ、侍女達が寄ってたかって身繕いをする中、ひたすらじっとし続けていたオルトが気疲れしない訳がなかった。


「とりあえず、こういう感じでいいかな」


 ネーナとマリスアリアが肯くと、オルトは部屋を出て行く。


「格好良いですけれど……」

「少し不満ですわね……」


 ネーナの呟きに、マリスアリアも同調するのだった。




【菫の庭園】一行は、シュムレイ公国の公爵邸を訪れていた。以前にマリスアリアが言った、『公爵家からオルトに貸す剣』を選ぶ為である。


 公爵家の宝物庫に全員で入る訳には行かず、主のマリスアリアと剣を借り受けるオルト、マリスアリアの知己であるネーナの三人が入る事になった。


 オルトは勿論の事、王女であったネーナも宝物庫に入るのは初めての経験。公爵のマリスアリアさえ、特段の用が無い限りは訪れない。


 ネーナは浮ついてマリスアリアと二人で剣を選ぶのに夢中になり、オルトに呆れられてしまった。


 結局、オルトの要望を聞いた宝物庫の担当者と武器庫の担当者が見繕ってくれた剣の中から、オルトが一振りを選んだのだった。


 貸与される宝剣はすぐに持ち帰れる訳ではなく、二日後に行われる宝剣貸与式で、マリスアリアから貸し出される形を取る。その主賓であるオルトは、衣装合わせに臨んでいた。




「私、オルト様にはもっと凄い剣をお渡ししたかったのです。公爵家の収蔵品には由緒正しい宝剣もありますのに……」


 マリスアリアの言葉に、ネーナは頷いて同意を示す。二人の不満はそれであった。


 シュムレイ公国は小国とはいえ、旧セレスティア王国の後継であり長い歴史を持つ。宝物庫には古代期や神代に由来する、金には代えられない価値の品すらあった。所謂、国宝と呼ばれる物だ。


 それなのにオルトが選んだのは、自動修復の魔法が付与された以外は何の変哲もない剣。自ら剣に効果を付与し、自己強化をして戦うオルトにとっては剣に余計な魔法が付与されていては干渉してしまう。そう説明するも二人は納得しなかった。


 ネーナもマリスアリアも、オルトを高く評価しているし恩を感じている。その技量に見合った剣を持って欲しいと思っていた二人は大いにガッカリしたのだ。


「オルト様に少しでもご恩をお返し出来る機会だと思ったのですが……」


 マリスアリアは、オルトが望むならば公爵家が用意出来る最高の剣を渡すつもりでいた。見返りは勿論、返却を求める気も無かった。なのに、またオルトから恩を受ける事になってしまった。




 二人ともわかっていた。


 オルトがギルド本部から来た幹部候補達に睨まれても、シュムレイ公爵マリスアリアから剣を借り受ける事にした理由。それは、宝剣貸与式にあった。


 マリスアリアは当代の公国元首でありながら、その権力基盤は脆弱と言える。


 公爵家を支える三つの伯爵家、所謂『シュムレイ三伯』の二家が相次いで取り潰しと失脚で脱落したからだ。残る一家は日和見が幸いして生き残っただけで、敵にも味方にもなりはしない。


 そのような状況でマリスアリアは国内の貴族の多くを相手に回し、共和制への移行を進めなければならないのだ。


 幸いにもヴァレーゼ自治州は政体移行のモデルになり得る存在になったが、今度はそこに『剣聖』マルセロが現れた。二度も公国で確認された凶悪犯罪者が、三度目に姿を見せない保証は無い。国内に潜んでいる可能性すらある。


 後ろ盾の弱さと『剣聖』への対処。合わせればマリスアリアの致命傷になりかねない事態に、オルトは助け舟を出した。公爵家から剣を借り受けるという事がそれだ。


 公爵マリスアリアは『剣聖』に伍する剣士のオルト・ヘーネスと懇意であり、助力を受けている。宝剣貸与式により、その事が誰の目にも明らかになる。


 権威付けに使ってもいいし、交渉材料に使っても構わないから役立てろ。オルトは言外にそう言っているのだった。マリスアリアは、オルトに足を向けて寝られないのである。


 言ってしまえば剣は何でも構わず、マリスアリアの資産が将来的にどう扱われるか不透明な現状では、そこそこの品を借りておくのが無難なのだ。




 ネーナはネーナで、オルトが剣を失った事とマルセロを取り逃がした事について、責任を強く感じていた。だが自分にマルセロを倒せる筈もなく、剣身の半ばから砕けた剣を元に戻す術は無い。


 賢者のスミスは勿論、リチャードやサファイア、イリーナといった剣士達の下へ足を運んで修復の方法を尋ねたが、結果は芳しくなかった。


『例えば、折れたり砕けたりした剣を集めて鉄を鍛える所から始めて、以前と同じ形の剣を打ったとするよ。でもそれは、同じ形をした別物なんだよ』


 リチャードはネーナの心中を慮りながら、言葉を選んで告げた。その横でサファイアも頷く。


『魔術でどうにかするとすれば、物体を再生させたり時間を巻き戻す「遺失魔法ロスト・マジック」を探すしかありません。誰も見つけていない、御伽噺の中の魔術です』


 スミスは、縋りつかんばかりのネーナを諭すように言った。


 ――こんな無力な私が何でも出来るだなんて、勘違いのしようもありませんよ。


 ネーナは一人、自嘲気味に笑う。その時、再び扉がノックされた。




「――ふう」


 先刻と全く同じように溜息をつきながらオルトが入ってくる。自前の衣服に戻り、腰の剣も予備の物になっていた。


 悲しそうな顔のネーナとしょんぼりしているマリスアリアを見て、オルトは苦笑した。二人の考えている事は何となくわかっていたが、オルトが思う以上に重症なのであった。


「ネーナ、こっちにおいで。公爵殿下もこちらへ」


 オルトは荷物袋から重そうな袋を取り出し、テーブルに置いた。ネーナとマリスアリアが近寄り、中を覗き込む。


「これは……」

「壊れた剣の欠片だ」


 オルトの返事を聞き、ネーナは俯いてしまう。その頭をポンポン叩いてオルトが慰めた。


「そんな顔するなよ、ネーナ。これから形見分けをするんだから」

「……形見分け、ですか?」

「ああ」


 テーブルの上に厚手の布を広げ、剣の欠片を出して行く。ロングソードを形作っていた鋼だけにかなりの量があった。


「好きなやつを取っていいぞ。何の変哲もない鋼片ですが、良かったら公爵殿下も」

「私も宜しいのですか?」

「ええ」


 剣の欠片は鍛冶屋に持ち込み、別な金属を混ぜて鍛え直し短剣にして貰う。だから少し欠片が減っても構わない。そう言ってオルトは笑った。


「ご利益はあると思うぞ? 何せ俺の命も、妹達や仲間達の命まで守ってくれた剣の欠片なんだから」

「……はい」

「どうかされましたか、公爵殿下?」


 目を丸くしているマリスアリアに気づいて、オルトが声をかける。


「あっ、いえ。ネーナ様がオルト様を『お兄様』とお呼びなのは知っていましたが、こうして見ると本当にご兄妹のようだと思いまして」


 マリスアリアの言葉を聞いたネーナが嬉しそうに笑い、オルトに抱き着いた。


「はい、お兄様は私のお兄様です!」

「今は私達二人とも平民の冒険者ですし、王国を出てからずっと兄妹ですからね」


 仲の良いオルト達を見て、マリスアリアは羨ましがった。兄や姉はいたものの、幼い頃に亡くなってしまったのだという。


 そんなマリスアリアをネーナが呼び寄せ、頭を撫でてくれとオルトにせがんだ。


「公爵殿下にするのはまずいだろ……」

「いえ。是非、お願いします」

「えっ!?」


 マリスアリアが予想外に前のめりであった。驚いたオルトが部屋の隅に立っている侍女達を見るも、全員がサッと目を逸らす。見ない事にするという無言の返答。


「いいのかなあ……」

「うふふ。何だかとっても、幸せな気持ちになりますね」

「はい!」


 気持ちよさそうに目を瞑っているマリスアリア。年齢は同じ筈だが、オルトはそこには触れない事にした。


 マリスアリアもネーナと同様に、誰かに頭を撫でられた思い出が無いのだという。兄姉が早逝した事と言い、高い身分や裕福な暮らしが幸せに結びつかない難しさを感じながら、オルトは頭を撫で続ける。


 目を瞑ったまま、マリスアリアがオルトに話しかけた。


「あの、オルト様」

「何でしょう、公爵殿下」

「……非公式の場では、ネーナ様と同じように私を『リア』と呼んで頂けませんか?」

「えっ!?」


 再び侍女達がサッと視線を逸らす。マリスアリアはお淑やかそうな見かけに反して、意外とグイグイ来るタイプ。オルトは面食らった。


「お兄様、私からもお願いします」


 更にネーナから上目遣いでお願いされてはオルトも弱い。


「ごくプライベートの時だけですよ、リア様?」

「はい!」


 嬉しそうなマリスアリアを見て、ネーナとオルトも笑い合うのであった。

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