閑話十六 ここでなら、幸せになれるかな

 駅馬車とは違う仕立ての良い客車から降り、二人の女性は目を丸くした。


 ここまで乗せて来てくれた馬車にペコリと頭を下げると、猫のような翠色の瞳を瞬かせた女性――リリコが呟く。


「……プリシラ。何か思ってたのと違うよ」

「リリコもそう思う? 小さな町って話だったけど」


 プリシラと呼ばれた――こちらは犬のように大きな黒目の女性は――頭の帽子を抑えてうんうんと頷く。


 街道沿いに設けられた馬車の発着場は工事も終わっていないが、運用が始まっている。長いプラットホームが何列も整備され、二台の駅馬車が待機している。


 二人が馬車を降りた旅客用の乗降場の他に、荷捌き用のスペースでは大勢の人足が汗を流し、荷車がひっきりなしに行き来している。


 街道沿いの小さな町の一つ。

 近隣に大きな宿場町がある為に、旅行客が足を止める事も少ない。良くも悪くも、静かな田舎町。


 そう聞いて二人がやって来た町――シルファリオは、想像と全く違っていた。いや、二人はまだ町に入ってすらいなかった。




「――お前達、どうかしたのか」




 活気のある駅で呆然と立ち尽くす二人に、背後からぶっきらぼうな声がかかる。


『っ!?』


 突然の事に慌てて振り返った二人は、辛うじて悲鳴を堪えた。


 声をかけてきたのは、顔に大きな古傷のある男だった。


 男は目つきが悪く、顔の傷も相まって悪人面としか言いようがない。ドリアノンで犯罪に巻き込まれ暴行を受けた経験のある二人は、足が竦んでしまった。


傷男スカーさん! 何やってるんですか!?」


 大声を上げ、剣士風の女性が駆け寄ってくる。男は気まずそうに目を逸らした。


「サファイア……俺はただ、この二人が困ってる様子に見えたから声をかけただけだ」

「二人とも固まってるじゃないですか! そうでなくても傷男さんは、強面で人相悪いんですから」


 サファイアと呼ばれた剣士風の女性がお説教を始めると、何事が起きたのかと人が集まって来る。


「あ、あの。私達も急に声をかけて貰って驚いただけですから……リリコは大丈夫?」

「う、うん……」


 プリシラが気遣うも、リリコの顔色は良くない。二人の様子を見ていた者が助け舟を出した。


「はいはい。お客様は調子が良くないようだから、ちょっと通してくれる?」


 ギャラリーが道を開け、プリシラ達は女性に案内されて市門を通る。プリシラはギャラリーの中に、首から冒険者証を提げた者が多い事に気づいた。


 目抜き通りのベンチで一息つくと、プリシラは女性に礼を述べた。


「あの、有難うございます」

「気にしないで。私は冒険者ギルド、シルファリオ支部の冒険者、トリッシュよ。シルファリオへようこそ。貴女はギルドの職員ね?」


 女性――トリッシュは小さく頭を振って、首元の冒険者証を摘んでみせる。そこにはランクを示す『B』の文字が刻まれていた。


 プリシラはギルド職員の制服を着用していた。トリッシュはそれを見て、覚えの無い顔であった事から、本部か他の支部の職員であろうと当たりをつけたのであった。


「あっ、はい。ドリアノン支部のプリシラです。こちらは友人のリリコです。シルファリオ支部へ届け物を預かって来ました」

「じゃあもう少し休んだら、支部に行きましょうか。歩けなければ車を用意するけど?」


 トリッシュの心遣いに感謝しつつ、プリシラ達は歩いてギルド支部へと向かった。




 ◆◆◆◆◆




「二人は人の多い所が苦手みたいなの。後はお願いね、さん」

「ご苦労様です、トリッシュさん」


 二人を支部長室に案内し、トリッシュは手を振りながら駅へと戻って行く。


「ハスラム支部長はギルド本部へ応援に行っていまして、暫く不在なんです。副支部長の私、エルーシャ・リースが応対させて頂きますね」


 エルーシャと名乗った女性がニッコリ微笑み、席を勧めた。支部長室の扉の傍には、「ジェシカ」と書かれた名札を着けた職員が控えている。


 二人が挨拶の為に帽子を取ると、プリシラの頭には犬耳が、リリコには猫耳が露わになった。だが獣人の証を見ても、エルーシャ達は特に反応を示さなかった。


「あの、副支部長」

「エルーシャで結構ですよ。堅苦しい場ではありませんから」


 少々恐縮しながら、プリシラは疑問をぶつける。


「シルファリオには、私達のような獣人は住んでいるんですか?」

「私が知る限りでは、いないと思います」

「一人、教会の子がいる筈よ」


 エルーシャの返事をジェシカが訂正する。それを待っていたように、エルーシャが芝居がかった仕草で口元を手で覆い、うっかりしていたとアピールした。


「あら忘れていたわ、ジェシカが最近よく通っている教会よね。侍祭様はお元気?」

「っ!? エルーシャっ!」


 ジェシカの顔が真っ赤になり、エルーシャはニヤニヤ笑っている。『侍祭様』はきっとジェシカの恋人か、意中の相手なのだろうと察して、プリシラ達はクスリと笑った。


 微笑むエルーシャと視線が合う。


 ――ああ、そういう事ね。


 エルーシャは場を和ませる為に、プリシラの質問にわざと間違えて答え、ジェシカの恋話を引き出して揶揄からかったのだ。それに気づいたプリシラは、エルーシャの頭の回転の早さに舌を巻いた。


「差別的な面の心配をしているなら、大丈夫だと思うの。獣人の方と接する機会が無いから、もしかしたら失礼な事をしてしまうかもしれないけれど、こちらも学びたいので遠慮なく言って欲しいわ」

「有難うございます」


 エルーシャの言葉は、初めて来た土地にいるプリシラ達にとって、とても心強いものだった。


「お二人が気になるようなら、帽子を被ったままでも問題ないでしょうけど……ジェシカ、どうしたらいいかな?」

「そうね……」


 尋ねられて暫し考え込み、ジェシカはポンと手を打った。


「お二人を皆に『ネーナさんの大切なご友人です』って伝えるのはどう?」

「それよ! ジェシカ冴えてる!」


 プリシラ達にとって、ネーナは命の恩人である。Aランクパーティーの冒険者でもあり、シルファリオの町では有名なのだろうが、優しげな少女といった印象だった。


 プリシラ達の顔に疑問符が浮かんでいるのを見て取り、エルーシャがゴホンと咳払いをする。


「こちらだけで話してしまってごめんなさいね。でも、この町の人がお二人に非礼を働く事は無いと思うわ」


 エルーシャは微笑み、自信に満ちた口調で言うのだった。




 ◆◆◆◆◆




『あ゛ぁ゛〜……』


 異性には聞かせられない、だらしない声のハーモニーが浴室に反響する。


 プリシラとリリコは大きな浴槽の端っこで、並んで湯に浸かっていた。真ん中はどうにも落ち着かずに端に寄ったが、二人ともすっかり寛いでいた。


「こんな広いお風呂、初めてだよ」

「うん」


 リリコが両手でお湯を掬い、前へパシャっと放った。十人はゆったりと入れそうな広さの浴槽で、も存分に堪能した。


「衝撃的な一日だったね」

「うん」


「皆、いい人達だったね」

「うん」


「リベルタじゃなくこっちに来て、良かったね」

「うん」


 プリシラは何か考え事をしているのか、同じ返事を繰り返すばかり。リリコは話を振るのを諦めて顔半分だけ湯の中に沈み、鼻からブクブクと空気を出した。




 二人は思う所があり、生まれ育ったドリアノンを離れる事にした。


 リリコは食堂で働いていたが、『ラボ』に囚われていた半月強の間に、無断欠勤でクビになっていた。プリシラは残っていた休暇を全て消化した後で、ギルドを退職する予定であった。


 ドリアノンが事実上『ラボ』に支配され、死にそうな目に遭った二人は、妙に肝が据わっていた。人生観が変わったと言っていい。


 元の生活に戻る安堵もなく、将来への希望も見出せず。それは『ラボ』の一件以前からそうであったのだと、二人は気づいてしまった。


 そして町の人やギルドの仲間達が、プリシラとリリコの命の恩人である【菫の庭園】を理不尽に非難し、抗議隊は馬車を取り囲み、議会で責め立てたと知った時、二人は町を出ようと決めたのだった。


 プリシラは自分の気持ちを正直に支部長のラーションに話し、退職を申し入れた。ラーションは真剣に話を聞いて、まずは休職にする事を勧め、プリシラもそれを受け入れた。


 当初は休職前の最後の仕事として、ラーションの書状をリベルタに運ぶ予定であった。それをどこで聞きつけたのか、【菫の庭園】のネーナがシルファリオ行きを提案したのである。


 ネーナは、ドリアノン住民の【菫の庭園】への心証が、現状あまり良くない事をヴィオラ商会のファラに伝えようとしていた。商会がドリアノンで活動して、トラブルに巻き込まれる事を心配していたのだった。


 プリシラもリリコも、生まれてこの方ドリアノンから出た事が無く、新しい土地や新しい生活への不安があった。それに『ラボ』の一件で酷い暴行を受けた二人は、男性に対する恐怖感もあった。


 ネーナの伝手で、移動の馬車と道中の宿まで用意してくれる好条件。さらにシルファリオに滞在する間はネーナの家に泊まって構わないという。プリシラ達はシルファリオ行きを快諾したのだった。




「ネーナさんの家が、こんなお屋敷だとは思わなかったけどね」

「それも超絶可愛いメイドさん付きだよ」


 プリシラとリリコは顔を見合わせ、クスクス笑った。


 ネーナの家に来てみればとんでもない豪邸で、留守番をしている三人の美少女メイドの歓待を受け、プリシラ達がドリアノンで住んでいた場所より立派な部屋を個室で与えられ、今はこうして大きなお風呂で幸せを噛み締めている。


 ちなみに二人の今日一番の衝撃は、三人の美少女メイドが全員同じ男性の妻だった事だ。夫は熊の獣人と見間違いそうな巨漢だったが、男性に恐怖感のある二人もあまり気にせず話す事が出来た。


 その四人に加えてギルド職員のジェシカも屋敷で暮らしていると知り、プリシラ達は安堵したのだった。




「……ねえ、リリコ」


 もう一泳ぎしようとした矢先、プリシラに声をかけられてリリコは動きを止める。


「なあに?」

「私達、凄い人と知り合いになったんだね」

「そうだねえ……」


 二人はしみじみと自分達の幸運を噛み締め、今日起きた事の続きを思い返した。




 ギルド支部では、後から来たヴィオラ商会の会長を交えて話をした。会長のファラは、商会オーナーのネーナや【菫の庭園】一行が息災と知り安堵していた。


 エルーシャが、ヴィオラ商会が町の発展に大きく寄与しているのだと教えてくれた。ファラは、オーナーの指示によるものだと謙遜した。


『オーナーが私達に、皆の幸せのお手伝いをさせて頂くようにと、そして私達も幸せになるようにと願われるんです』


 ギルド支部も商会も、プリシラ達に働かないかと誘いをかけた。然程貯えも無い二人には有難い話だったが、一先ず保留とさせて貰った。


 ギルドでの話が終わると、ファラが二人に頼み事をしてきた。もしもルーファスとルーシーという人物について知っていたら、話して貰えないだろうか、と。


 エルーシャが、ルーファス達はシルファリオ近郊の出身で、この町に知り合いが多いのだと教えてくれた。


 プリシラはルーファス達が一時期所属していたドリアノン支部の職員で、リリコの働いていた食堂にも客として来ていた。だが二人とも、ルーファス達に対する印象は良くなかった。


 それでも構わないからと頼まれ、ルーファスの幼馴染だという女性や元同僚冒険者達と会った。話し終わると皆泣きながら、礼を述べてきた。プリシラ達はいたたまれずに、その場を去った。


 二人は幼馴染達から、深い後悔と共に前を向いて生きようとする強さも感じていた。


「……私達、ここでなら幸せになれるかな」


 リリコはプリシラの問いに答えず、ちゃぷちゃぷと猫かきで泳ぎ出した。浴槽の向こう端に到達してクルッと向きを変える。


「わかんない、けど――いい町だと思う」

「そうだね」


 リリコの返事に、プリシラは頷く。


 ネーナ達【菫の庭園】がシルファリオに戻るのは大分先だという。それまでこの町で頑張ってみて、先の事はそれから考えよう。


 二人はそう決めて、湯船を出た。

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