第百八十一話 新執行部会

「はうぅ、プリシラさんとリリコさんは大丈夫でしょうか……」




 ネーナがテーブルに突っ伏し、うんうんと唸っている。


【菫の庭園】がドリアノンを離れてこの方、ギルド本部のあるリベルタに着いてもずっとこの調子である。仲間達は苦笑するばかりだった。


 プリシラとリリコは、ドリアノン支部長とネーナがそれぞれ託した手紙を持って、シルファリオに向かっていた。


「そろそろ着いてる頃だな」


 オルトが真面目に答える。ネーナの右手が自分の外套の袖をガッチリ掴んでいて、逃げられないのだ。ちなみにオルトの右側ではエイミーがウトウトしている。定番のフォーメーションだった。


 オルト達は様々な事情を勘案して、慌ただしくドリアノンを出発する事になった。そのせいでプリシラ達の事、ヴィネヴィアル達『森守しんす』の事、『魔混ディモーノ』の少年の事、『ラボ』の施設に捕らえられていた人や生物の事、そしてパルフェと魔族男性アルカンタラの事など、心残りが山程あった。


 だがそれも構わないと、オルトは考えていた。


 他に考える事が無ければ、ネーナとエイミーは今頃きっと、勇者トウヤがドリアノンで受けた仕打ちの事で思い悩んでいた筈なのだ。それに比べれば今の方がずっと前向きだと、オルトは思っていた。


 エイミーは勇者パーティーの一員と言っても、スミスとレナのように早い段階から参加していた訳ではない。更に当時は成人すらしておらず、メンバーが知らせていない事も多いという。


 それ故エイミーは、ネーナと共にトウヤのエピソードを知り、一緒に苦悩する事になる。一人よりは心の負荷が軽くなる。それはオルトが傍にいても出来ない事であった。


「シルファリオは大丈夫でしょ。エルーシャとファラがいれば、どう転んでも酷い事にはならないわよ」


 レナが軽く言うが、それについてはオルトも同感だった。


「【菫の庭園】の皆様、会議室の準備が出来ました」


 一行を呼びに来たギルド職員の声で、ネーナが勢いよく起き上がった。




 ネーナがギルド本部の会議室に入るのは、実にのリコールの件以来である。


 当時と同じく、【菫の庭園】一行と執行部会の席は相対する形で配置されている。


 ギルド長の席にヒンギスが座り、その左右には顔触れの変わった六人の部門長が着席している。部門長の背後に控えているのは、各部門の副部長達。


 資材部の副部長が、顔を綻ばせてネーナ達に会釈をした。ネーナも笑顔で会釈をする。


 ――ナッシュさん、お元気そうです。


 ヴァレーゼ支部で苦楽を共にした『戦友』の一人。ネーナに絶対記憶能力が無くとも、忘れる筈がなかった。


 全員が新任の部門長は全くの新顔もあり、副部長からの昇格もあった。その中で総務部長の席には、ネーナ達が良く知る人物が座っている。


「辞令の交付が追いついてないのよ。まずは業務について貰って、給与と辞令は後から遡ってやっている所なの」


 ネーナ達の視線の先に気づき、申し訳無さそうにヒンギスが言う。


「いえ、苦労を共にした支部長の出世は喜ばしいですよ。シルファリオ支部の者も、ハスラムの誕生を歓迎している事でしょう」


 オルトが澄まし顔を作って、ハスラムの『昇格』を祝った。無表情を貫いていたハスラムがピクッと反応する。


【菫の庭園】一行は、ハスラムが応援の為に本部へ来た事を知らない。本部が深刻な人員不足、人材不足に陥っているとはいえ、支部長からの部門長抜擢は異例の人事である。


 そのハスラムが、重々しく口を開く。


「……では全員揃っているようなので、報告を始めましょう。フリードマン副ギルド長が不在の為、私、総務部長のハスラムが進行を務めます」


 オルトが頷くと、ネーナが挙手をして資料の説明を始める。ドリアノンから持ち込んだ資料は、既に引き渡しが済んでいた。


『ラボ』による都市支配の実態とそこに至る経緯、都市の有力者と犯罪組織の癒着、犯罪行為や非道な研究実験等を掻い摘んで報告すると、執行部会の面々からどよめきが起きた。


「最後に、精霊術の魅了による尋問で明らかになった供述をお伝えします。『ラボ』の研究員であるヘクト・パスカル容疑者は、元々はアルテナ帝国の国家研究機関で『帝国勇者計画』の研究に携わっていたそうです。個人的な事情で帝国を出奔し、研究成果の一部を手土産に『ラボ』の保護を得たとの事でした」


 以上です、とネーナが報告を終える。会議室はシンと静まり返った。


 尋問に当たったテルミナの力量は疑うべくもない。ヘクト・パスカルの供述に、希望的な観測を差し挟む余地は存在しないと言って良かった。


 これは由々しき事態である。アルテナ帝国では、近隣諸国の強い反対で凍結されていた『帝国勇者計画』の研究が秘密裏に続けられているというのだ。


「帝国は絶対に研究が続いている事を認めないでしょうね。そしてあの手この手で、ここにある『ラボ』の研究成果を奪いに来る……」


 ヒンギスが渋面を浮かべる。出来れば資料を処分し、何も無かったと言い張りたいだろう。ネーナはヒンギスを見ながらそう思った。


 帝国内には複数のギルド支部があり、それぞれが多大な支援を受けている。謂わば大口のスポンサーであり、その交渉には前営業部長のヒンギスが深く関わっていた。だが帝国から『ラボ』の研究資料を要求されても、絶対に応じられない。


 帝国としても、資料は喉から手が出る程欲しい。表向きは凍結を装い、他国を欺いてまで続けた『帝国勇者計画』に関わる研究である。帝国にとっては計り知れない価値があるのだ。


 恐らくヒンギスは、当面は帝国への対応にかかりきりとなるだろう。新執行部会を急いで編成したのに、そのような事情も透けて見えた。


「ネーナ・ヘーネス、報告ご苦労様でした。【菫の庭園】が、厳しい状況の中で最善を尽くしてくれたと認定します。冒険者ギルドは、貴方達の行動を支持します」


 ギルド長がネーナを労い、ドリアノンにおける【菫の庭園】の行動を支持すると明言した。それに対して執行部会のメンバーから異論は出ない。


 七人のメンバーが掣肘し合い膠着化していた前執行部会に比べると、明らかにギルド長であるヒンギスが突出している。そうネーナは感じたが、現状を乗り切る推進力や突破力を得る為には致し方無い選択とも理解していた。


「こちらが把握しているドリアノンの状況についてお伝えします。まず……議会は機能を停止しています。議長を含む数名が死亡しましたが、自殺だそうです」


 ヒンギスが淡々と告げる。


【菫の庭園】一行に驚きは無かった。

 人族至上主義の結社との繋がり、かつてのドリアノン奪還戦で人族を裏切った部隊や魔王軍との関係、犯罪組織『災厄の大蛇グローツラング』の協力者であった事が露呈した者達には、破滅の未来しか残されていなかったのだから。


 ただ一つ。自分の口から全てを明らかにせず、法の裁きを受ける事もなく死を選んだ者がいる事については、ネーナはとても残念に思っていた。


「ドリアノン支部ですが……移籍や離職等が重なり、規模は二ヶ月前の半分になりました。短期中期的な見通しが立たない事から、事務所機能と受付窓口を残した出張所へ移行する方向で検討しています」


 これもネーナ達には想定内であった。


 ネーナ達がドリアノンに到着した時、ギルド支部は辛うじて体裁を保っている状態だった。お互いに疑い合う緊張感の中で犠牲者が出た。実際に犯罪組織の協力者の存在が明らかになった。後の調べで、自ら犯罪行為に及んでいた者も発覚したという。


 先の見えない緊張状態の一ヶ月間は、支部の面々の心を折るには十分過ぎる時間である。ドリアノンからの脱出が不可能だったから支部にいた者達は、枷が外されれば去って行く。


 しかもこの一ヶ月、周辺地域も含めた依頼の遂行に大きな支障は無かった。しっかり機能している他支部にリソースを割り振りドリアノンをカバーするという、執行部会の判断は妥当と言えた。


「それと、これは現地からの最新情報ですが……」


 ギルド長が言い淀む。その表情には憂いを帯びていた。


「昨晩、軍事クーデターが勃発しました。軍や治安隊のトップが取調べで拘束されている事もあり、散発的な戦闘は見られるものの大きな抵抗は無く、反乱部隊による都市の掌握が進んでいるそうです」


 ネーナは、共同墓地で敬礼をするジェナス中隊長達の姿を思い浮かべた。これも予想された事である。『ラボ』を落とす程の戦力、つまりネーナ達が町を離れた今は、格好のタイミングだった。


 恐らく、ジェナスはドリアノンに滞在するフリードマンと交渉を終えている。副ギルド長のフリードマンはAランクとBランクの冒険者を連れて行っているからだ。フリードマンは都市の早急な安定を求めて、クーデターへの不干渉を打ち出した事になる。


 議員が互選制かつ終身制の今のドリアノン議会に自浄力は働かない。是非は兎も角、クーデターの発想はギルドで【菫の庭園】が起こした行動と似ていた。


 速やかにクーデターが進行している事から見て、エルフのヴィネヴィアル達『森守しんす』も承認した、或いは現在の議会を頂点にした統治機構を見限ったようであった。クーデターを認めないならば、再び都市内の区画を隔離すればいいのだから。


 軍事クーデターは間違いなく成功する。ネーナはそう考えていたが、問題はその後だ。ジェナスが賢明な判断をするようにと願うしかない。ドリアノンにずっと関わる気の無いネーナ達に出来る事は、もう無いのである。


 ヒンギスが手元の資料を目を落とす。


「本部で把握しているのはこの程度です。【菫の庭園】へは本部から報奨金が出ます。内容は相談に応じる事も可能です。他にもミリ・ヴァール等『ラボ』幹部の捕縛に対する懸賞金などがあって、経理部の方で総額を調べているから少し時間を下さい」


【菫の庭園】としては報酬を貰えるなら貰う、程度のスタンスであり、全く異論は無い。ネーナが頷き、了承を伝える。


「それと貴方達、そろそろSランク昇格を受ける気にはならな――」

「なりません」


 笑顔のネーナに食い気味に否定され、ヒンギスが苦笑する。


「他に質問が無ければ、報告は以上とします」


 ヒンギスの言葉に、部門長達は一様に驚きの表情を浮かべた。


「ギルド長」

「構いません」


 総務部長のハスラムの問いかけにも頭を振る。ハスラムが困った顔でオルトを見るが、そのオルトは腕組みをし、目を閉じていた。


 オルトはネーナとも目を合わせない。


 任された、そうネーナは思った。スミスもネーナの思いを肯定するように頷く。


「私達もリベルタでの用件は済みましたので、明日には出発するつもりです。以降は今まで通り、可能な限り訪問先のギルド支部に予定を伝えます」


 仲間達が一斉に席を立ち、一礼する。ネーナが小さく目配せをして会議室を出ると、後からハスラムが追って来た。


「ハスラム総務部長、ギルド長にこうお伝え下さい」


 ネーナは言伝を頼み、オルトの上着の袖を掴んで歩き出した。

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