第百八十二話 救って欲しいと、それだけ言って下さい

『乾杯!!』


 リベルタの酒場、『鉄鍋ゴング』に唱和が響く。直後にガツンガツンと加減を知らない力自慢達が、名前も知らない周囲の客と木製のジョッキをぶつけ合った。


 店内は満席で立呑みも出て、それでも入れない者は店の前に樽と木箱でテーブルセットを拵え、路地が即席のビアガーデンと化している。


 そこを給仕の女性達が、絶妙のバランス感覚と敏捷性でもってすり抜けるように両手いっぱいの料理や飲み物を運び、空の器を下げていく様はさながら曲芸であった。


「あっ、来たよ!」

「こっちです!!」


 待ち人が来たのを見つけ、二人の少女が立ち上がって大きく手を振る。入口で三人の男女が、店内を覗き込んでいた。


 ヒールをカツカツ鳴らして先頭を歩く女性は、華美ではないが見るからに高級そうな服や装飾品を身に着け、明らかに大衆酒場では浮いている。


「あの別嬪は誰だよ」

「ギルド長だろ、知らないのか?」

「何でまた、こんなとこに」


 注目を浴びながらホールを抜けてくる三人を見て、店の奥で大きなテーブルの周りに陣取っていた【菫の庭園】一行が、座席を用意する。


「わたし、お兄さんのおひざに座るよ!」

「エイミーずるい!」


 エイミーがサッと席を空けてオルトの膝の上に乗り、出遅れたネーナは頬を膨らませる。


 近くの冒険者達が椅子を譲り、フェスタとスミスが礼を述べて受け取った。


「ヒンギスギルド長、総務部長と資材副部長も、急な招待に応じて頂き感謝します」


 睨み合うネーナとエイミーに苦笑しながらオルトが席を勧めると、ヒンギスが応える。


 ネーナはギルド本部を立ち去る際、「賑やかな場所で呑みませんか?」と言伝たのである。【菫の庭園】の、ドリアノンでの活躍に対する報酬の一部として。


「若手職員の頃は同僚とよく来ていたけれど、こういう酒場は久し振りだわ」


 脱いだ外套をフェスタが預かり、背後の壁に掛ける。副部長になったナッシュはレナに揶揄からかわれていた。


「メニューはこちらです。お代は持ちますので、何でもお好きなものを頼んで下さい」

「えっ」


 ネーナからメニューを受け取り戸惑いの声を上げるヒンギスを、椅子を譲った冒険者が笑う。


「何だいギルド長、知らないのか? この酒場は、名を上げた冒険者が皆の飲み代を持つのがステータスなのさ」


 先日は苦節十年、遂にAランクに昇格した苦労人パーティーが盛大に酒を振舞ったのだという。


 明らかに【菫の庭園】や【屠龍の炎刃】からの流れで、オルトは肩を竦めながら肯定する。


「いつの間にかそういう話になってたらしい。気にしないで注文して貰えるか?」


 全員が飲み物を手にすると、レナがジョッキを掲げて腰を上げた。


「ちゅうも〜く! 今日のゲストが来たから、もっかい乾杯するわよ!」

『オーッ!!』


 店内ホールは勿論、店の外からも歓声が上がる。


「まずはヒンギス新ギルド長に! ハスラム新総務部長に! ナッシュ新資材副部長に! あたしら【菫の庭園】のAランク昇格に! それから今日ここにいる、愛すべきバカ野郎達に――」

『乾杯!!』




 盛り上がる店内をよそに、ヒンギスはオルトに声をかけた。


「リベルタに来る途中も大活躍だったようね。いくつか感状と……一件クレームもあるみたいたけど」


 周囲を気にするヒンギスに、オルトは言ってくれて構わないと告げる。


「ええと、これは……魔鴉の群れに襲われたヤギ飼いから」

「勉強が嫌で余所見してたエイミーが撃ち落としたやつだな」

「えへへ〜」


 エイミーが照れて、身体をクネクネさせる。


「次。宿場町でチンピラに絡まれてた中年のご夫婦から」

「虫の居所が悪かったレナが蹴り飛ばしたやつじゃないか」

「ソンナコトナイヨ」

「実は不倫旅行中だったみたいだけど」

『えっ!?』


 裏情報をサラッとリークされ、驚愕する一同。


「池に落ちた孫を救けて貰った祖母から」

「お兄様が格好良かったです!」

「ネーナが泳いだ事ないのに飛び込もうとしたからな……」

「あうっ」


 ネーナが赤面する。生まれてこの方、水浴びをする程度がせいぜいであったネーナは、どうやって泳げばいいのかわからないのだ。


「娘さんがぬいぐるみを直して貰ったと、若い親御さんから」

「犬に取り上げられて、壊れちゃってたのよね」


 思い当たったフェスタが、そんな事もあったと手を打つ。


「道端で動けなくなっていた家族を送り届けて貰ったと」

「ネーナがおばあちゃんを見つけたんだよ!」

「うふふ、ご無事で良かったです!」


 エイミーとネーナが、顔を見合わせて微笑む。


「宿の部屋の悪臭が取れないって、これは何なの?」

「ネーナが香水の調合に失敗したやつだな……」

「うう、大事な所でくしゃみをしてしまって……」


 首を傾げるヒンギスに、バツの悪そうな顔でオルトが答える。ネーナは一転して、落ち込んだ様子を見せた。


 テルミナが咄嗟に風の精霊を使った事で被害は抑えられたが、ネーナが作業していた周辺は悪臭が染み付いてしまったのである。


 当時を思い出し、レナは顔を顰めた。


「あれは凄かったわ。魚の内臓の腐ったのを強化したみたいなの」

「私も、この歳まであれに並ぶ悪臭は、ついぞ経験しませんでしたよ」


 スミスも深く同意する。


「床全部削って消毒してから塗料を重ね塗りするとか、家具は廃棄するしか無いんじゃないか」

「いっその事、建て直した方が早いかもね」

「それ、弁済は報奨金から差し引きでいいかしら?」


 オルトとフェスタのやり取りに、苦笑交じりのヒンギスが提案した。


「あの後、ネーナとオルトは町の外に出て水浴びしたのよね」

「ネーナがしがみついて、臭いを移されたからな……」

「お兄様が『ネーナ臭っ!?』って言ったからです! 二人は臭い仲です!」


 ネーナが猛抗議し、酒場の客が笑い出す。呆れた様子のヒンギスも、笑ってジョッキを呷った。


「オルト酷いよね、年頃の女の子に言う事じゃないよね」

お前レナは最初に逃げたろうが」


 ジトッとした目で睨まれ、レナが下手くそな口笛を吹く。オルトはゴホンと咳払いをすると、エールの追加を注文した。


「それで、ギルド長」

「ハーパーでいいわ」

「は?」


 オルトが首を傾げる。ネーナとエイミーは、にらめっこを中断した。


「私の名前。ハーパー・ヒンギスというのよ、オルト。無礼講で行きましょう」

「……敵わないな」


 微笑みを湛えるヒンギスに、オルトは頭を掻いた。ネーナに話させて経験を積ませるつもりが、ヒンギスはオルトを指名してきたのである。


 ――流石、前営業部長。俺達の思惑はお見通しかな。


 ある程度は相手方の意図を汲み、個室でなくホールでの、冒険者達の前での会話に乗った。が、リーダーであるオルトに説明を求めている。


「貴方達は何を知っているの、オルト?」


 ヒンギスがオルトを見据える。いつの間にか、仲間達も店内の客も、二人の会話に耳を傾けていた。


「――『カリタス』」

「っ!?」


 たった一言。オルトの短い返事に、ヒンギスは目を見開いた。


 驚いているのはヒンギスだけではなかった。


「今あいつ、何と言った?」

「カリタス、って聞こえたぞ」

「何だよその、カリタスってのは」


 酒場の客である冒険者達、その大半が『カリタス』という単語に反応した。




 カリタス。またの名を『夢のあと』。




 聞いた事のある冒険者はいても、その実態まで知る者は少ない。『カリタス』は冒険者ギルドが管理する地域の名称であり、アルテナ帝国、トリンシック公国、ワイマール大公国等数ヶ国の緩衝地帯で、どの国も領有を宣言していない。


 どうして緩衝地帯なのか。それはカリタスの特殊な環境が、国々を隔てる壁となっているからだった。


 強力な砂嵐が人の行き来を拒み、二月から三月の周期で砂嵐が弱まる時期以外は、ほぼ人の出入りの無い、陸の孤島と化す。この地に送られるという事は、冒険者やギルド職員にとっては監獄行きと同義であった。


 カリタス支部の目的は、広大な地下ダンジョンの入口の管理である。オルト達は、そのカリタスで緊急事態が発生した事を知ったのだった。


「ハスラムとも、ナッシュとも連絡はとっていなかったよ」

「……そう。副ギルド長フリードマンね」


 ヒンギスは正確に、オルト達の情報源を言い当てた。オルトは肯定も否定もしない。


 フリードマンはドリアノンで、【菫の庭園】一行と面会していた。その際にカリタスに迫る危機について、オルト達に告げていた。


「カリタス支部長は、モアテン・リベック。前人事部長で、貴女ハーパーと同期のギルド職員だ」

「……それも知っているのね」


 リコール成立前に辞任した、前執行部会の一人。


 新ギルド長のヒンギス以外、前執行部の役員はギルド本部に残っていない。捜査当局に最も悪質と判断された二人は収監された。リベックは罰金刑を受けた後、空席となったまま後任が決まっていなかったカリタス支部長への降格を受け入れ、リベルタを去った。


 降格処分を告げたのは、勿論ギルド長のヒンギスだ。カリタスがどのような場所か承知で、同期の仲間を送ったのである。


「オルト。貴方達がカリタスに行くと言うなら、ギルド長として許可出来ないわ。貴方達に必要なのは休息でしょう? カリタスには他の冒険者を向かわせます」


 他の冒険者が行く。それだけならば、オルト達が出しゃばる余地は無い。だが、現在ギルド本部は規模を縮小しているのだ。その上、ドリアノンへ向かった調査団は上位ランクの冒険者で編成している。


 オルトが視線を向けると、総務部長のハスラムは頭を振った。


「Sランクの二組に打診しているが、連絡が取れていない。リベルタにいるムラクモは動かせない」


 冒険者ギルドのランク制度の頂点。当初は最高位であったAランクの中で、抜けた実力を持つ冒険者が現れた事から追加されたのがSランクである。


 様々な特権と引き換えにギルドの要請に応じる契約になっているが、実際にそれが守られる事は多くない。それでも『ギルドのSランク』が存在する事には、ギルドと冒険者双方にメリットがあるのだ。


 個人でSランクの評価を得ている剣士、ムラクモ・ソラノは、本部のあるリベルタを離れられない。冒険者ギルドには潜在的な敵が多く、かつ本部の地下には『帝国勇者計画』の研究レポートのような重要な品が保管されているからだ。


「ギルドが連絡を試みているSランク冒険者の一組は、アルテナ帝国内に存在が確認されている。行ってくれれば間に合う筈だが……」

「連絡が取れないんだな」


 ハスラムが沈痛な表情で頷く。


「問題無いわ」


 ヒンギスは言い切った。


「元より危険な場所なのを承知で、人員を送り込んでいるのよ。非常時に備えて三箇所のシェルターに、それぞれ一月は生活出来るだけの物資も備蓄されているし。砂嵐が弱まるまで耐えてくれれば、救援に行けるわ。それに、あそこにいる職員と冒険者は……」


 大丈夫なのだと説明するヒンギスの声が、どんどん小さくなる。最後は俯いてしまった。


 カリタスにいる職員や冒険者の多くは、ギルドの規程に著しく反した者だ。万が一の事態が起きる可能性も織り込んだ上で、処罰として送り込まれている。


 彼等の為に大きな犠牲は払えない。だから、構わない。


 ヒンギスには、それを言う事が出来なかった。


 ――ハーパーさんは、とても優しい方です。


 ネーナは傍らのオルトを見上げた。オルトは微笑み、好きなようにやれ、と頷く。


 ネーナは嬉しそうに笑うと、オルトの後ろを回ってヒンギスの隣に立ち、その手を取った。ヒンギスが驚いたように顔を上げる。


「ハーパーさん、お忘れですか?」


 満面の笑顔で、ネーナはヒンギスに告げる。


「私達は冒険者ですよ。それもとびっきりの。諦める前に、頼ってみませんか?」


 指を一本、スッと立てた。


「必要なのは一言だけ――救って欲しいと、それだけ言って下さい」


 こみ上げるものを堪えるように。


 ヒンギスは端正な顔をクシャッと歪めて、唇を噛み締めた。

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