第百八十三話 ギルド長には、大事な仕事があります

「ハーパーさん」


 ネーナが優しい声音で語りかける。


「【菫の庭園】では、人命に関わる決断は、不在でない限り、必ずお兄様がするんです。私やエイミーは勿論、スミス様にも、レナさんにも、その決断を任せた事がありません」


 ちょっとだけ不満そうな顔をするネーナに、オルトや仲間達は苦笑した。


 ヒンギスハーパーだけでなく、酒場の客も、店主までもが厨房から出て、一人の少女の言葉に耳を傾けている。


「ギルド長になったハーパーさんは、これからきっと、そんな決断を何度もしなければいけないんだと思います。それが責任ですけれど、とても苦しい事だと思いますけれど――」


 ストロベリーブロンドの髪が、フワリと揺れる。ネーナにとって、それは想像するしかないものだった。


 ――でも、いつかは私も。お兄様の苦しみを、少しでも分けて貰えるようになりたい。


 そう決意を新たにしながら、ネーナは言葉を継ぐ。


「今回は、ハーパーさんがその決断をする必要はありません。何故なら、ここに私達菫の庭園がいるからです」


 ネーナと視線が合わさり、仲間達が微笑み、或いは力強く頷いた。




「差し当たって問題になりそうなのは、敵の強さと、砂嵐の突破と、移動時間って所かな?」


 フェスタが指折り数え上げる。


「あたしらの実力が問題になるって事?」


 レナは肩を竦めた。


「こう言っちゃ何だけど。あたしらが足りないなら、誰が行っても同じじゃない? それこそ、Sランクの冒険者でもね」

「わたし、みんなやっつけちゃうよ!」


 オルトの膝の上で、エイミーが気勢を上げる。


 Sランクとて眼中に無い。傲慢と取られかねないレナの物言いも、今日この酒場へ集った客達は非難しなかった。


 知っていたからだ。彼女達【菫の庭園】が世の理不尽を、時に災厄すら捻じ伏せてきた事を。


 信じていたからだ。【菫の庭園】が再びリベルタに凱旋し、冒険者達が美味いタダ酒にありつける事を。


「砂嵐の突破という事ならば、」

「どうにでもなるんじゃない?」

「はい!」


 スミス、テルミナ、ネーナ。【菫の庭園】が誇る術士達は、全く気負う事なく。カリタスを難攻不落の大監獄たらしめる、砂嵐の攻略に自信を見せた。


「残る一つは、時間だが……」


 オルトが呟き、顔を紅潮させたヒンギスを見る。


 オルト達が知っているのは、「カリタスでSランク冒険者の救援が必要と思われる緊急事態が起きている、或いは起きつつある」という事だけだった。


 ヒンギスは意見を求めるように、ハスラムに視線を向けた。この場で話してしまっていいものか、と。


 ハスラムは迷わず頷き、肯定の意を示した。この場で話す以外の選択は無いのだ、と。


 今ここで、腹を割って話す事に意味がある。【菫の庭園】が酒場の個室でなく、ホールにギルド長を招いたのは、その為のお膳立てである。ハスラムはそれを正しく理解していた。


 多少のギルド規程違反を犯してでも【菫の庭園】を動かし、リベルタの冒険者の支持を得なければならない。処罰が必要ならば、総務部長の首一つで事足りる。


 このチャンスを無駄に出来る余裕は、今の執行部には無い。ハスラムの意図は、ヒンギスにも伝わった。


「……カリタスが具体的にどんな場所か、職員も冒険者もあまり知らないわよね」


 まずはそこから、とヒンギスは話し始めた。




 現在『カリタス』と呼ばれているのは、半径にしておよそ十キロメートル程の平坦な土地である。常に止む事の無い、強い砂嵐に囲まれている。


 国ではない。町でもない。カリタスは、冒険者ギルドの管理区域として扱われている。


 冒険者ギルドが支部を置き、関連施設が軒を連ねる。ギルド本部のあるリベルタの都市法に拠って統治され、住民の大半を占めるギルド職員と冒険者は、服務規程の遵守を求められる。


 だが秩序など、あって無いようなものである。年に三回から四回、砂嵐が弱まる僅かな期間以外は、完全に外界と遮断されているのだから。外での権力、肩書などカリタスにおいては殆ど役に立たなかった。


 ギルド長直属の監察官が本部から送り込まれてはいるが、トラブルに積極的に介入する事は無い。彼等の受けた任務は、カリタス支部が設置された目的に対して機能しているかどうか、そのチェックだけなのだ。何よりも、自分の身を守らなければならない。


 処罰の名目とはいえ、冒険者ギルドが人員を送ってそんな場所を維持し続けている理由。それはカリタスの東地区に存在する、広大な地下迷宮の入口にあった。




「――その地下迷宮から、魔物が上がって来ると報告を受けたの」


 ヒンギスは苦渋に満ちた表情で告げた。


 これまでは、入口から地下迷宮に下りた場所にベースキャンプが設置され、そこを防衛ラインとして魔物を退けてきた。だが地下迷宮に満ちる霧状の瘴気がその濃さを増し、いずれ退却を余儀なくされてしまう。そう本部に伝えてきたのだという。


「最初の連絡があったのが五日前。本部で緊急対策会議が招集され、段階的に防衛ラインを下げて時間を稼ぎつつ、カリタスの住人をシェルターに避難させる方針を決定したのが三日前だ」


 ハスラムが情報を補足する。瘴気は人族や亜人の身体を蝕む為、遮断するのが基本。強い瘴気に巻かれての活動は困難で、避難の判断は妥当と言えた。


「カリタス周辺の支部には、救援に出せるだけの戦力が無い。Sランク冒険者の救援の目処が立っていない事は、カリタスも知っている」

「ドリアノンに調査団を出したのも、現在リベルタにいる冒険者達では時間的に間に合わず、砂嵐を越えて到達するのは不可能だと判断したからなの」


 駅馬車では、リベルタからカリタスまで二週間はかかる。快速馬車エクスプレスをチャーターしても十日だ。


 浮いてしまうならば、ドリアノンに向かわせる。ヒンギスの判断は合理的である。だが当人がその判断に納得していないのは、表情からも明らかであった。


「リベック支部長は、カリタス支部の会議室で防衛戦の指揮を執り、防衛戦が不首尾に終われば生存者の避難に全力を注ぐと……」


 ハスラムが言葉を詰まらせる。


 リベックは自らの避難に言及しなかった。決して楽観しておらず、覚悟を決めているのだと、誰もが感じた。


「皆からすれば信じられないかもしれないけれど、リベック君――支部長は元来、職務に忠実な人なのよ」


 ヒンギスは、遠くを見るように目を細めた。




 リベックは町の靴屋の次男で、働き口を求めて冒険者ギルドの職員になった。器用ではないが懸命に働き、友人やライバル、恋人も出来た。


 仕事で成果を上げ始めた彼は、上司の知遇を得て抜擢された。だがそれは、必ずしも良い事とは言えなかった。


 上司に命じられたのは、不始末の処理や汚れ仕事だった。実家の家業や周囲の者への影響を匂わされ、不本意ながらも従った。そんな彼から友人達は離れていった。


 心が傷つき、ひび割れるにつれ、リベックは上司に引き立てられ出世した。恋人と別れるよう求められ、上司の娘と結婚した。派手好き遊び好きの妻とはうまく行かず、最初から冷え切っていた。


 上司が退職した後は、後ろ暗い仕事を全て引き継いだ。しがらみで雁字搦め。自分の意志で引き返す事など、とうに出来なくなっていた。


 別れた恋人は、そんな彼を忸怩たる思いで見守る事しか出来なかった。


 悪事はいつか露呈する。彼にもその時が来て、全てを失った。妻は彼に三行半みくだりはんを突きつけ、財産の大半を持って実家に帰った。彼の周囲には誰もいなくなっていた。


 リベックは取調べに対して素直に自らの罪を認め、処罰を受け入れてリベルタを去った。




「――彼が都市法やギルド規程に反したのは事実。厳罰に処されるのは当然よ。そこは曲げてはならないのだけどね」


 話し終えたヒンギスは目元の涙を拭い、ふう、と深く息を吐いた。そして周囲を見ると――


「グスッ。ハーパーさん可哀想です……」

「うわーん!」

「ただの悪い奴だと思ってたら、そんな話が……」

「『刃壊者ソードブレイカー』、何とかならねえのかよ。おめえら強いんだろ?」

「支部長さんを助けてあげてよおおお……」


 ネーナもエイミーも、店の客も。給仕の女性達までもが号泣していた。


「えっ、何これ。どうしたの?」


 戸惑うヒンギスに、オルトは肩を竦める。


「チョロい連中だろ。冒険者なんて、こんなものさ」


 二人の少女にステレオで泣かれて苦笑しつつ、頭を撫でてやる。


「女子供が泣けば、コロッと抱き込まれる。一度酒を酌み交わせば仲間だ。失敗しても懲りないし、都合の悪い事はすぐ忘れる。だけど――」


 オルトは親指を傾け、右を指し示した。立呑みの客の中から小柄な老人が現れ、足を引きずりながらオルト達に向かって来ていた。


「仲間と認めた相手は決して裏切らない。困ってる奴を見れば、何とか助けてやろうと、そう思うんだ。冒険者って奴はな」

「――おい、若いの」


 老人が立ち止まり、懐からメダルを取り出すと、オルトに放って寄越した。


「乗り心地は保証せん。だがそいつなら山も川も、道なき道もお構いなしに駆け抜けて、カリタスに五日で到着する。後はお前達次第だぞ、『刃壊者ソードブレイカー』」

「恩に着る」


 オルトが深々と頭を下げ、それを見たネーナとエイミーも、ペコリとお辞儀をする。老人は孫を見るような笑みを浮かべた。


「お前達のお陰で、美味い酒にありつけた。その礼だ」


 クルリと背を向け、老人が去っていく。メダルを覗き込んだスミスは、興味深げに呟いた。


「成程、『地走り』ですか」

「地走りですって!?」


 ヒンギスがクールな外見にそぐわぬ、素っ頓狂な声を上げる。老人は既に姿を消していた。


「ギルド長はご存知でしたか。地走りというのは、とある元冒険者の二つ名です。荷物も人も、とんでもない速度で送り届けたと言います」

「確か、かなり前に奥様を亡くして、その際に義理の息子に代替わりした筈よ」


 当代の『地走り』は冒険者登録をしておらず、仕官等の誘いも断り、代理人を通して気に入った仕事だけをし、高額な報酬を要求するのだという。王侯貴族のような世俗の権力者でさえ、簡単に依頼が受理される事は無い。営業部長時代に培った情報力で、ヒンギスはその事を知っていた。


「貴方達、知り合いだったの?」


 オルト達は揃って頭を振った。


「初見だな」

「存じ上げません」

「わたしも知らないよ〜」


 戸惑うヒンギスをよそに、オルトはステーキを一口大に切り分けて、一切れずつ少女達に差し出した。


 二人の頭をポンポンと叩いてから席を立つ。


「楽観は出来ないぞ。これ以上何事も起きなければ、間に合うかもしれない。だが何事も起きないと断じれる根拠は、どこにも無いんだ」

「あっ、私も」


 オルトが『地走り』とコンタクトしに行くと察し、ヒンギスも席を立ちかけた。しかし。


「ギルド長には大事な仕事があります。私が行きます」


 それをハスラムがサッと制し、オルトを追う。


「貴女にとって今、一番大事な仕事は――ここの冒険者達と酒を酌み交わす事ですよ、ギルド長」


 ハスラムはそう言い残した。




 二人が酒場を出て行くと、レナは声を張り上げた。


「給仕のお姉さん! あたしとギルド長にエールのジョッキ追加!」


 手にした飲みかけのジョッキを空にし、テーブルに叩きつけるように置く。


「ギルド長、勝負よ! 相手はあたしら全員! 自信が無ければ逃げてもいいけど?」

『おおおおおっ!!』


 冒険者達のテンションが上がる。


 レナの挑発に、呆然としていたヒンギスが不敵に笑った。


 給仕から木のジョッキを受け取るなり一気に飲み干し、プハッと息を吐く。


「誰に物を言っているのかしら、レナ? 私が今まで、下心丸出しのオヤジ共をどれだけ酔い潰してここまで来たのか、その身で知るがいいわ!」

『おおおおお……』


 上がったばかりの気勢は、ヒンギスの啖呵で尻すぼみになった。


 ――これは、ギルド長の圧勝です。


 幸せそうにステーキを食すネーナの目には、勝負の行方は始まる前に決したように見えていた。

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