閑話十七 ゆうべはお楽しみでしたね
「あ゛〜、頭痛い」
やってしまった。そう呻きながら、美貌の冒険者ギルド長が顔を顰め、額に手を当てる。
このような姿を見るのは何年ぶりだろう。記憶に無い。もしかして初めてではないだろうか。ヒンギスが営業部長時代から十年近くも仕える秘書は、表情を変えずにそんな事を考えていた。
「ゆうべはお楽しみでしたね」
「やめて頂戴」
真顔で冗談とも皮肉とも知れない言葉を吐くと、ヒンギスがキッと睨みつけてくる。二日酔いでも美しさが損なわれないとは、同性としても羨ましい限り。睨まれながら、秘書は思う。
多忙を極めるギルド長は、今日も予定がギッシリと詰まっている。昨日は後半の予定を幾つか、急遽キャンセルしていた。そのリカバリーもしなければならない。
昨夜は呑みに行ったようだが、ハスラム総務部長とナッシュ資材副部長が同行するとの事で、秘書は行かなかった。その結果が目の前のこれである。
だが秘書の目には、ここ暫くは無理をしていたヒンギスに、覇気が戻ったように見えた。心なしか、肌ツヤもいいような気がする。
「男ですか」
「ゴホッ!? 何なのいきなり!?」
むせながらの抗議に答えは無かった。秘書としてもそんな事は思っていない。もしそうなら面白い、程度の気持ちで言ってみただけである。
秘書はヒンギスが、別れた彼に未練たらたらなのを知っている。この数日間、周囲の人間が気づく程度には落ち込んでいたのも、それ絡みだ。
秘書から見ればその元カレ、どう見ても不良物件なのであるが、ギルド長とて乙女だ、恋は盲目なのだと納得する事にしている。
「何だかとても失礼な事を考えてそうね」
「勘のいいギルド長は嫌いですよ」
盛大なヤブヘビを予感したのか、ヒンギスはそれ以上の追及を諦めて溜息をついた。小さなバッグから小瓶を取り出し、デスクに置く。
「何ですか、これ」
「二日酔いの薬だそうよ、自作の」
毒々しい緑色の液体が透けて見える。使用者に微塵も歩み寄る気の無さそうなパッケージに、秘書はかえって作成者の気概を感じてしまう。
「怪しすぎませんか?」
「それには同意せざるを得ないわ」
秘書は紙片を受け取り、目を通す。紙片は緑色の液体の説明書きで、最後に作成者であろう『ネーナ・ヘーネス』のサインが入っていた。
ネーナ・ヘーネス。その名は秘書も知っていた。冒険者ギルドに起きたここ暫くの事件やトラブルの、正に中心にいた冒険者パーティーの一員である。そして昨晩、ヒンギスを呑みに連れ出した人物でもあった。
「水や白湯は効果が薄れるので、そのまま飲み干すようにとの事です」
秘書が説明書きを読み上げると、ヒンギスは小瓶の蓋を開けた。手の平を扇がせて液体の匂いを嗅ぎ、ホッとしたような表情を見せる。無臭、もしくは不快でない匂いだったようだが、素早く距離を取った秘書にはわからない。
そろそろギルド長に復活して貰わないと、今日の仕事に差し支える。そう秘書に促されたヒンギスは、覚悟を決めたのか目を瞑って一気に飲み干した。
「〜っ!?」
カッと目を見開き、喉と胸に手を当て、ヒンギスが悶絶する。自分は絶対にこの薬の世話にはなるまいと、秘書は固く誓った。
「飲み過ぎを後悔して貰う為、飲み辛さは全く改善していないそうです。その分、効果は保証すると」
説明書きを読み上げるが、目の前で悶える女性の耳に届いているかは怪しい。
ヒンギスは数分間デスクを叩いたり引っ掻いたりしていたが、突然パタッとデスクに突っ伏した。身動きしないギルド長を見て、流石に心配になった秘書が恐る恐る声をかける。
「……生きてますか?」
「残念ながら生きてるわよっ!」
キレ気味に答えながら起き上がる姿に、秘書は安堵した。
「これ、凄いわよ。喉越しも後味も最悪だけど、効き目は間違いないわ。飲んでみる?」
「パワハラですか? 断固拒否します」
「チッ」
端正な顔を歪めて、ヒンギスは舌打ちをした。
「あの娘も可愛い顔して、エグい薬作るわ」
小瓶を手にし、独り言ちる。にこやかな少女の笑顔を思い起こす。
「この薬は二度と飲みたくないけど――楽しかったな」
手帳をめくり、スケジュールを確認していた秘書が顔を上げた。
そう、楽しかったのだ。以前に腹の底から笑ったのは、いつだったろうか。言葉にしてみて、ヒンギスは実感した。
大勢の冒険者と酒を酌み交わし、その人となりを知った。冒険者経験なくして冒険者ギルドの職員となり、営業畑一筋で来たヒンギスには、冒険者の事を知らないという自覚がある。それはコンプレックスでもあった。
リポートを読み込みヒアリングを行い、依頼に同行させて貰った事もある。それで足りるとは思っていなかったが、昨晩に見聞きした冒険者の姿は、ヒンギスが全く知らないものだった。
ジョッキを掲げて飲み比べを挑んで来る冒険者達は真剣で、真摯で、雄弁であった。
冒険者生活やギルド、職員に対する不満や不安、そして感謝を伝えられ、ヒンギスは不覚にも涙を流した。
すっかり出来上がった冒険者達の、盛りに盛った冒険譚を聞かされ、涙を拭う間もなく腹を抱えて笑いもした。
「また行きたいわね。今度は、貴女も一緒に」
ヒンギスの誘いに、秘書が目を丸くする。
相当気に入った場所でなければ、ヒンギスは秘書を誘ったりしないのである。そこまでか、と秘書は俄然興味を持った。
「是非お供させて下さい――あら?」
秘書とヒンギスは、デスクの端の水晶球が起動したのに気づいた。誰かが通信を要請しているのだ。
「ギルド長、定時連絡です」
「そんな時間!?」
慌てて鏡で身だしなみを整える。水晶球に浮かんだ顔は、副ギルド長のフリードマンであった。
『ギルド長、お早うございます』
「お早うございます。そちらはどうなっていますか?」
フリードマンはヒンギスの指示でドリアノンに行っている。そのドリアノンは、都市を牛耳っていた犯罪組織が打倒され、混乱が続いていた。クーデターまで発生しているのだ。
自分だけ楽しい思いをした後ろめたさを隠しながら、ヒンギスは訪ねた。
『大規模な戦闘はなく、市民の動揺も最小限です。クーデターは成功したと見ていいでしょう』
「良かった……」
ヒンギスは胸を撫で下ろす。水晶球の中のフリードマンは首を傾げた。
『ギルド長、何か良い事でもありましたか?』
「えっ!?」
唐突に聞かれて、助けを求めるように秘書を見る。だが秘書は、無言で視線を反らした。
『成程、成程。ゆうべはお楽しみでしたね?』
「ええっ!?」
動揺するヒンギスに対して、「結構、結構」とフリードマンは笑う。ここ暫くギルド長が気を張り続け、無理をしていたのを知っているのだ。
「その……私だけ楽しんでしまって、ごめんなさい」
『今日はとても柔らかい表情をされていますよ。例の件も、進展がありましたか?』
例の件、つまりカリタスの話である。ヒンギスは小さく頷いた。
「まだ手放しで安心は出来ないけれど、希望が見えてきました」
有難うございます、とヒンギスは礼を述べた。【菫の庭園】をリベルタに差し向けたのはフリードマンだと、ヒンギスは察していた。
後は手短に情報を共有して、通信を終える。
「……よし!」
自分の頬をパンと叩き、ヒンギスが気合いを入れた。
【菫の庭園】の出発は明日。『地走り』の高速移動は身体に大きな負担となるのを知り、今日一日は完全休養するようにと、ギルド長の職権で命令したのである。
明日は死地に向かう勇敢な冒険者達を、どうしても見送りたい。『彼』の事を託したい。その為には今日、仕事を片付けておく必要がある。
以心伝心。やる気に満ちたギルド長を横目に、秘書はスケジュール調整に余念がない。
手帳の明日の頁には、多くのバツ印と矢印、上から大きく「見送り」の文字が書き込まれていた。
◆◆◆◆◆
「いやあ……」
大柄なスキンヘッドの男が、ペチペチと自分の頭を叩きながら廊下を歩いて行く。
「怪しすぎてどうすればいいやら」
男は独り言ちながら建物を出た。『軍務省情報局』と書かれた看板の前を通り過ぎ、大きく伸びをする。
路地裏に出来た真新しい真新しいカフェに入ると、店員が顔を引きつらせた。いきなり軍服姿の大男が現れれば当然のリアクションであり、男は気にせずテラス席へ腰を下ろす。
お勧めされるままにケーキセットを注文し、やって来たラム酒ケーキを切り分けて口に運ぶ。これは当たりだと唸った男に、少しハスキーな女性の声が聞こえた。
「それ、美味しい?」
いつの間にか、男の後ろに小柄な女性が立っていた。ショートに纏めた赤い髪が、ともすれば少女のようにも見える。
女性は軽やかにスカートを翻し、男の向かい側に座る。
「美味いぞ」
「半分頂戴ね」
男が返事をする前に注文を済ませ、女性はテーブルに両肘を立てて頬杖をついた。
軍服の大男はガルフ、令嬢然とした小柄な女性はミアという。店内で完全に浮いた存在の二人は、周囲の視線を気にする様子もなく、一つのケーキを分けてつつき合う。そんな二人は、特に男女の仲という訳ではない。
全く接点が無さそうな二人は冒険者であり、軍の密偵でもある。【禿鷲の眼】と名付けられたパーティーのメンバーは四人であるが、ホームである帝都に帰還した事から別行動を取っていた。
「あんまり見ないで。仕方ないでしょ、実家に顔出してきたんだから」
ミアはガルフの視線に気づいて、口を尖らせた。自身が密偵であり、実家を好きでない事から寄り付かないが、ミアは男爵家の長女なのだ。
冒険者として活動する時はスカウトらしく身軽なショートパンツ、軍務省に登庁する際は、パンツスタイルの軍服。スカート姿のミアは珍しい。
「いや、似合ってるぞ」
「……ありがと」
ガルフに褒められ、ミアも素直に礼を言う。妙な雰囲気になり、二人は無言でミアのケーキを分け合った。
「そ、そういえば。どうだったの?」
「あ、ああ」
沈黙の気まずさに耐えきれずにミアが話題を振ると、ガルフもぎこちなく応じる。
ガルフは情報局に赴き、軍の出動記録を調べていた。以前にオルトから聞いた、『惑いの森』のスタンピードと帝国軍の関係について探っていたのである。
「結論から言えば、出動記録から軍が関与していた証拠は見つからなかった」
「でも、シロとは言えないのね?」
「ああ」
ガルフが頷く。
関与の証拠は無くとも、報告書が不自然に
「だが俺達が閲覧出来る記録では、詳細はわからねえ。軍上層部、或いはそれに匹敵する権力者の関わりは確実って事だ。嗅ぎ回るのはヤバそうだが、既に気づかれているかもしれんな……」
「多分、そうだと思う」
何か心当たりがあるのか、ミアが即答した。
「何かあったのか?」
ガルフに尋ねられ、ミアは一瞬言い淀む。
「……実家でね、退役しろって言われたの。婚約者を決めてあるからって。パトリック伯の四男」
「そうか」
パトリック伯は情報局の幹部だ。密偵であるガルフ達の上司に当たる。相手は年下だが家格からしても男爵家の娘で、かつ二十代半ばで独身のミアにとっては良縁とも言えた。
とはいえ、このタイミングでの話。何らかの意図を感じるのは、無理からぬ事だ。
「……何かあるのは間違いない。耳の早い『大将』なら、俺達より先に何かを掴んで、来ちまうかもしれんな。下手すりゃ、今度は敵だ。『殿下』も帰って来てるらしいし、面倒な事だぜ」
期待の滲んだ視線を感じながら、ガルフはあえて話を逸らした。少し早口になっているとの自覚もある。
「……そうね」
ミアは小さく溜息をつき、路地を歩く恋人達に視線を向ける。
再び、気まずい沈黙が訪れた。
ガルフとミアがテラス席を離れると、斜向いのパブにいた男は、カウンターにコインを置いた。
「釣りはいい」
店を出ると、スカウトのミアも感知出来ない距離を保って歩き出す。
「……対象が移動を開始。追跡に移行する」
二人を良く知る男は、無機質な声で呟いた。
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