閑話十五 道の小石を除けているだけです
冒険者ギルド、ドリアノン支部の一室。
薄暗い部屋の中で、テーブルに置かれた水晶球が淡い光を放っている。
部屋には二つの人影があった。その片割れ、口髭を生やした男が水晶球に語りかける。
「報告は以上です」
ややあって、その場にはいない筈の女性の声がした。水晶球を見れば、声の主と思しき女性の顔が像を結んでいる。
『ご苦労様、フリードマン副ギルド長。ラーション支部長も、引き続き宜しくお願いします』
名を呼ばれた二人が頭を下げる。水晶球の中の像が薄れ、光が失われた。
「――ギルド長も大分お疲れのようですね」
ラーションが厚いカーテンを左右に分けた。窓から陽が射し込み、目を細める。外はまだ明るかった。
「ギルド改革と人員の補充、教育、組織の再編成、関係が悪化した国や団体との交渉……休む間もありませんのでね。大した方ですよ」
ギルド長を称えるフリードマンもまた、顔には疲労が滲んでいる。
冒険者ギルド本部は、『一組のパーティー』が反旗を翻した事を発端に、激震に見舞われた。これまでは沈黙し、泣き寝入りしていた支部や冒険者達も不満を訴え、同調して本部の横暴に対して声を上げたのである。
小さな波紋は大きなうねりとなり、冒険者ギルド創設以来初となるリコール成立の公算が高まった。すると六人の部門長と前ギルド長、つまり本部の執行部は全員が辞任した。
リコールで追いやられるよりは、一度辞任して再起の目を残そう。辞任を拒んでいた者もそう考えざるを得ない状況だったが、メリットを失った支援者が離れ、捜査当局も介入した事で目論見は外れた。
執行部不在の総会は、部門長の中で唯一醜聞と無関係だったヒンギス営業部長を慰留した。彼女は支部長達の支持を得て辞任を撤回し、冒険者ギルド創設以来初となる女性ギルド長に就任した。
とはいえ、新ギルド長の行く手には難問が山積していた。それは負の遺産と言うべきものであった。
本部にも収賄や背任、その他の違反行為の疑いで捜査当局の手が入り、何人もの職員が拘束された。ギルドに見切りをつけ、或いは逃亡を図り、職員の退職が重なった。現在は本部の業務を縮小して、どうにか破綻を回避している。
本来ならばドリアノン支部と【菫の庭園】による応援要請に対し、本部が人員を割く余力は無かった。だがヒンギスは副ギルド長のフリードマンに、調査団を編成して急行するように指示を出したのだった。
フリードマンは調査団を率いて昼夜兼行でドリアノンに駆けつけた。そして【菫の庭園】一行と面会して引き継ぎを済ませ、リベルタから連れて来た冒険者達と共に連日事後処理に当たっている。
何せ一つの都市国家の軍事政治と治安隊、役所のトップに有力者までが軒並み拘束され、取り調べを受けるという異常事態である。関係各所との折衝を中心に目が回るような忙しさであった。
フリードマンの仕事ぶりを目の当たりにしているドリアノン支部長のラーションは、申し訳無さそうな顔をする。だが、フリードマンは頭を振った。
「貴方はよくやってくれましたよ。一ヶ月外部との連絡が断たれ、支部内にも敵が潜んでいる状況ではどうにもなりません」
職員と冒険者にも死傷者が出る中、何とか支部の崩壊を免れたのはラーションの手腕である。彼から進退伺いを受け取ったフリードマンは、人手不足を理由に保留とし、実質握り潰した。
「最悪の事態に至る前に『彼等』が来てくれただけで、良しとしましょう」
そう言われても、ラーションの表情は浮かない。
「……ですが、その『彼等』は、憎まれ役を引き受けて去ってしまいました」
彼等――【菫の庭園】はフリードマンとの面会後、早々にドリアノンを離れていたのだった。
彼等は『ラボ』の研究に関する重要な資料を持っていた。ラボでの実験や研究は倫理、人道といった足枷を一切無視して行われた『禁忌』と呼ばれるもので、だからこそ貴重な記録を残していた。
それらは犯罪組織から好事家、一国の研究機関に市井の学者まで喉から手が出る程欲しい代物で、ドリアノンにも『連合警察機構』にも託す事は出来なかった。色々な意味で危険過ぎるのだ。
資料の中には『帝国勇者計画』に関するものもあり、それが帝国に知られるのは時間の問題だった。知れば何らかのアクションを起こすのは必至で、早急に誰も手出しを出来ない場所へ運ぶ必要があったのだ。
故にオルト達は相談し、一先ず受け入れ可能でセキュリティも高いギルド本部に持ち込み、その後『学術都市』アーカイブの禁書庫に封じてしまおうと考えた。それが叶わなければ、資料は灰も残さず焼き尽くすつもりであった。
「あの資料を今すぐ運べるのは彼等しかいなかったのですよ。仕方ありません」
フリードマンの言葉は事実である。それでもラーションは素直に頷けなかった。【菫の庭園】一行にとって、ドリアノンは決して居心地の良い町でなかった事もまた、動かし難い事実だったのだから。
市民の中にも、ギルド支部の冒険者や職員の中にも、現在の都市の混乱の原因を【菫の庭園】に求めて非難する者がいた。面と向かって言う者は無くとも、オルト達の耳には入っていただろう。
それらの大半は、議長を始めとするドリアノン議会の重鎮達が『
議員達が流した噂は、市民達にとっても都合が良かった。心ならずも『ラボ』やその傘下の者達の犯罪を見逃したり加担した者にとっては、自らの罪から目を背けて他者を責める方が楽だったのだ。
ラーションは深い溜息を吐いた。
「情けない限りです」
その言葉はドリアノン市民にも、彼等を制止出来ない自らにも、四年前と同じ愚行を働いた議員達にも向けられていた。
フリードマンはそれに応える事なく、テーブルに資料を広げて読み耽る。
彼が手にしているのは、『連合警察機構』に引き渡す書類である。それはオルト達がドリアノンの捜査当局への引き渡しを拒否した品であり、ドリアノン軍が負傷者の救助よりも優先して『ラボ』から押収しようとした品でもあった。
フリードマンもラーションも、書類には一度目を通している。二人とも、あまりの衝撃に言葉を失う程の内容であった。
議会の重鎮達が、かつてドリアノンを占拠した魔王軍と通じた人族至上主義の一団の生き残りである事。
軍に潜り込んだ同志による軍事クーデターで、都市の実権をエルフの王族から奪取する計画があったが、第一次ドリアノン奪還戦で人族を裏切って壊滅した為に立ち消えた事。
魔王軍と通じた同志達と自らの繋がりを隠し、戦争で弱体化した王族に代わって都市の実権を握る目的で、勇者トウヤを貶めてドリアノン住民の怒りを向けた事。
魔王軍が撤退し戦争が終わってから都市に入り込んできた『
シュムレイ公国で『災厄の大蛇』の最大拠点が潰された事により、都市国家連合諸国が自国内の拠点を叩き始め、その流れでドリアノンの議員達も裏切りを画策したが返り討ちにした事。
その結果、『災厄の大蛇』の一拠点である『ラボ』が、ドリアノンを完全に掌握した事。
【菫の庭園】がドリアノンにやって来るのは、その後の事である。
フリードマンは資料を見詰めて顔を顰めた。
「人族至上主義者が議会の主流であれば、貧困層に亜人や獣人が多い事も『
議員達は人族以外に無関心で、『ラボ』が人族以外をどうしようと知った事ではなかったのだ。
『ラボ』としてもドリアノン議会の重鎮達を信用していなかったと見え、彼等の行いは詳細に記されていた。対峙した時には脅す材料にするつもりだったのかもしれない。
対する議員達は渋々と、或いは積極的に『ラボ』に協力して見返りを得ていた。苦しむ市民や都市周辺で被害に遭った旅人を尻目に。
「急に『ラボ』が倒されたので、トウヤ殿の時と同じように『刃壊者』を責め立てて、議会に市民の反感が向かないようにするつもりだったのでしょう」
言いながら、フリードマンはオルトの顔を思い浮かべる。万が一議会で陥れるのに成功しても、【菫の庭園】の面々が黙って拘束される訳が無い。議会は敵に回した相手が悪過ぎたのである。
これから議会は大きく揺らぐに違いない。身から出た錆ではあるが、一線を越えて戻れない議員の中には自棄になる者もいるだろう。それはドリアノンという町も同じだが、フリードマンにとっては他人事。自分の仕事で精一杯だった。
「
フリードマンが神妙な表情で言うと、ラーションは苦笑する。
ドリアノン市民は気づいていないが、彼等が投石していた
市民達は意図せず、被害を回避していた事になる。
ラーションは暫し考えて、胸の内に温めていた疑問を口にした。
「彼は……オルト・ヘーネスは、『勇者』なのですか?」
「違います」
フリードマンはそれを即座に否定する。拍子抜けしたようなラーションを見て、ニヤリと笑いながら言葉を継ぐ。
「少なくとも
冒険者パーティー【菫の庭園】の足跡を知れば、ラーションのように考えるのは自然な事だ。自ら名乗る事は滅多に無いが、『
これからも彼を様々な肩書で呼ぶ者はあろう。それでも「オルトが勇者か」と問われれば、フリードマンは「
「精神性で言えば、ネーナ・ヘーネスの方が『勇者』に近いのではないかと。『
パーティーの行動決定に際し、ネーナや仲間達の希望が反映される事が度々ある。それを知っているフリードマンから見れば、オルトは手の届く範囲の親しい人を守りたいと願うだけの青年であった。
ラーションが呟く。
「小石を除けているだけ、ですか」
「我々は、そのついでに助けられているという訳です。勿論、被害を抑える配慮はしてくれていますが」
複雑そうな表情を見て、フリードマンは微笑んだ。
ラーションの気持ちはよくわかる。剣聖マルセロ、暗殺者CLOSER、王国騎士団長に公国騎士、聖堂騎士、異世界から侵入を試みる魔王に凶悪犯罪組織、果ては冒険者ギルドやSランク冒険者まで。それらを『小石』扱いされては堪らないだろう。
だが誠意には誠意を返してくれる。今、【菫の庭園】一行がリベルタに向かっているのは、ヒンギスの誠意に応える為だ。フリードマンは、支部長にも告げていない情報からそう確信していた。
ラーションがポットから、薫り高いドロッとした液体をカップに注ぐ。フリードマンは覗き込んだ。
「これは……カフヴェ、ですか?」
「ええ。頭がスッキリするので、デスクワーク時に愛飲してるんですよ」
支部長のデスクに山と積まれた決裁書類を指差すラーションに、フリードマンは肩を竦める。
カフヴェを啜った二人が資料に向き合うと、部屋の扉がノックされた。ギルド支部の職員が、来客がある事を告げる。
「ドリアノン軍の、ジェナス中隊長と名乗っておられます」
二人は顔を見合わせ、来客を部屋に通すよう職員に伝えるのだった。
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