第百三十五話 却下された異動申請

『きゃあっ!!』

「おっと」


 ギルド支部の建物が、突如大きな揺れに見舞われた。階段を下る途中、エルーシャともう一人の女性職員が悲鳴を上げてよろめく。


 オルトは咄嗟に二人を支えて呟いた。


「随分と派手にやってるな」

「若い娘の方がいいのはわかるけど、私の扱いがぞんざい過ぎないかい、オルト?」


 助けの無かったマーサが不満を訴えると、オルトは苦笑した。エルーシャ達は顔を赤くしている。


「支部長殿は元Aランク冒険者だろう。緊急時の選別トリアージは勘弁してくれ」




 ギルド支部長室にマーサとエルーシャを訪ねたオルトは、急を告げに来た女性職員の案内でギルド支部のホールへ向かっていた。


「マルセロの捜索も大事だけど、ヴァレーゼ自治州を含むシュムレイ公国エリアをSランクパーティーが警戒してるって事実も大事。ハッキリと説明したんだけどね……」


 マーサは女性職員の報告を聞き、愚痴らずにはいられなかった。


【屠龍の炎刃】に話が行った時点で、主宰するクラン『ガスコバーニ』が対応する事は予想出来ていた。マルセロの捜索は見込み薄で、【屠龍の炎刃】が掛かりきりになるのは困難だからだ。Sランクパーティーを一定期間専従させようとすれば、とんでもない額の報酬を用意しなければならない。


 マーサは勿論、Aランクパーティー【黄色い太陽アマリージャ】の事も知っていた。彼等が依頼人や他の冒険者とトラブルを起こし、ギルドの再教育プログラムを受けていた時にマーサが担当したのである。


 だが彼等が『ガスコバーニ』傘下に入ってからは、そのようなトラブルは聞いていなかった。クランからギルドに上がって来る達成報告では、同じクラン所属のパーティーと組んで依頼に当たっていたのだ。


 今回は【黄色い太陽】がパーティー単独でヴァレーゼ支部に現れたという。マーサは顔を顰めた。


「御目付役から解放されたのと、Sランクパーティーの主宰クランにいるので気が大きくなってたのかもね……」

「俺は当人達の資質だけが問題とは思わないけどな」


 オルトはマーサの見解をバッサリ切り捨てた。


【黄色い太陽】の面々に問題があるのは間違いない。それでも御目付役が外れた途端にトラブルになるのは、先輩冒険者やクラン自体が無関係とは考えにくい。


 クランや【屠龍の炎刃】の名前を使って無理を通しても構わない。そう【黄色い太陽】のメンバーが判断するような言動があったと考えるのが自然だ。


「他のクランメンバーは巧妙にやっていたから、トラブルとして表に出て来なかった。そう言われても仕方ないだろう」


 オルトは件のクランと関わった事は無い。Sランクパーティーの名声を目当てに『ガスコバーニ』に持ち込まれる依頼は、ギルドを経由してオルト達が受ける依頼とは全く別なのだ。


 頭を張る【屠龍の炎刃】が落ちぶれない限りは、「嫌なら来るな、仕事の当てはある」という殿様商売でやって行ける。オルトの言葉に、マーサは内心で頭を抱えていた。




 ◆◆◆◆◆




 オルト達がホールに到着すると、その場に居た冒険者やギルド職員達の視線が集中した。


 辺りは不気味な程に静まり返り、駆けつけたオルト達の足音や息遣いだけが聞こえている。


 何も言わない内から、野次馬達が左右に動いて道を開く。オルト達は人集りの中心へと歩いて行った。


「お兄様!」


 棒杖を握ったネーナが、パッと笑顔になった。オルトはネーナを労うようにポンポンと頭を叩き、フェスタやスミスの無事を確かめて頷き合う。


「お兄様、お話は終わったのですか?」


 ネーナに聞かれ、オルトは頭を振った。


「本題には殆ど触れてない。そっちの『話』は終わったみたいだけどな」


 オルトは倒れている男と、それを介抱する事もせずに震える男の仲間達を一瞥し、最後にレナと視線を合わせてニヤリと笑った。


「あー、うん。存外に物分かりのいい奴でさ、一回で終わった」

「弱い者いじめは程々にしろよ?」

「あんたがそれ言うの?」


 口を尖らせ、レナが抗議をする。


「Aランク冒険者を弱い者呼ばわりかよ……」

「頭突き一発で沈められたら、何も言えないけどね」


 レナとオルトの軽口に、呆れたような、或いは諦めたような言葉が周囲から聞こえてくる。


 エイミーの姿を探していたオルトは、受付カウンターの奥で涙を流すレベッカと、それを慰めるエイミーや職員達を見つけた。オルトがスッと目を細める。


「……あれは?」


 それ程大きくもない、低い声がホールに響く。野次馬達が一斉に口を噤んだ。


『やったのはお前達か?』


 圧を向けられた【黄色い太陽】の面々が震え上がり、レナが慌ててオルトを止める。


「オルト、ストップ! 起きてる奴等には謝らせたから!」


 オルトが来たのに気づいたレベッカも、涙目のままコクコクと頷く。


 急激に高まった緊張が緩み、誰もが深く息を吐く。レベッカの下へ向かったオルトを見ながら、レナは冷や汗を拭った。


「あんた達、運が良かったよ。相手があたしじゃなかったら、この支部を歩いて出れなかったからね」


 仲間を一撃で沈めたレナが真顔で言い、野次馬達も揃って頷き同意を示す。ただただ状況に振り回されていた【黄色い太陽】の面々は、腰を抜かして尻餅をついた。


「オルトが急に有名になった理由の一つはね、あんた達みたいな阿呆が舐めて絡んでは返り討ちに遭うからよ」


 そう言いながら、レナは心の中で自嘲する。


 ――かくいうあたしも、オルトの戦いを見るまでは気づかなかったけれど。




「ただいま!」


 出入り口の扉が勢い良く開かれ、聞き覚えのある声がした。【黄色い太陽】一行を除く全員が、ギョッとした顔で声の主を見る。


 期せずして注目を集めてしまった声の主――【運命の輪】のイリーナは、訳がわからず首を傾げるのだった。


「みんな、どうしたの?」




 ◆◆◆◆◆




「これもランク制度の弊害かねえ」

「人格と能力は無関係だからな。仕事の出来ない人格者ばかり集めても仕方あるまい。最低限の振る舞いを叩き込むのは、ギルドやクランの責任だろう」

「辛辣だねえ」


 マーサにジトッとした目を向けられるが、オルトは澄まし顔でお茶を啜った。




【黄色い太陽】は既にヴァレーゼ支部を去っていた。事の次第を知ったイリーナが激昂して収拾がつかなくなり、両者を同じ場所に居させては火に油を注ぐのが明らかだったのである。


 そのイリーナはふくれっ面で、【菫の庭園】や【運命の輪】の仲間達と共に、会議室の椅子に座っている。他に室内には、騒ぎの詳細を説明する為にギルド職員のレベッカとカミラがいた。


「あんな連中、袋叩きにしてやれば良かったのに」

「そうだよ! レベッカお姉さんやカミラお姉さんが可哀そうだよ!」


 イリーナとエイミーが怒りを露わにするが、当のレベッカ達は事を大きくするのを望まなかった。ならばと二人は矛先を変え、六人組に侮辱されたオルトを見る。


「別に俺の事はいい。レベッカとカミラが構わないなら、話はそれで終わりだ」

「オルトはこんな人だったわ……」

「最初からそうだったね……」


 ガックリ肩を落とす二人に苦笑しながら、マーサが言う。


「【黄色い太陽】もクランに戻って、うちから契約を解除された事を報告しなきゃならないからね。結構ドヤされるとは思うよ」


 支部から叩き出される形になった【黄色い太陽】一行は、真っ直ぐリベルタに帰還して自らの不始末をクランに報告しなければならない。


 だが、オルトやマーサ達ヴァレーゼ支部の関係者は、【黄色い太陽】を全く信用していなかった。そもそも常識的な行動が出来る者達ならば、こんなトラブルにはなっていないのだ。


「クランリーダーを恐れて、そこはきちっと報告する可能性もあるのでは……」

「あたしは、クランの力で揉み消させる為に、一方的に【菫の庭園】やヴァレーゼ支部に非があるように報告すると思うね」

「あうぅ……」


 ネーナの希望的観測は、レナが即座に否定する。そのレナにはオルトがツッコミを入れた。


「経緯はどうあれ、レナの頭突きは事実だからな」

「うっ」


 尤も、その一つだけの事実をどれだけ脚色した所で、レナの頭突きに至るまでの【黄色い太陽】の振る舞いが正当化される訳ではない。


 ましてレナの行動は、カミラが【黄色い太陽】に対して支部からの退去を求めた後の事。暴漢の排除に協力したのだとも言える。


「先方の対応を確かめる為にも、一度こっちから出向かなきゃならんだろうな。行くのは――」

「当然、全員です」


 レナと二人で行って来る。そう言おうとしたオルトを制して、ネーナがパーティー全員での行動を主張する。


「私もネーナに賛成です。【屠龍の炎刃】も『ガスコバーニ』も、スタンスが不透明ですし。少し、我々の力を見せておいた方がいいかもしれません」


 スミスの言葉に、フェスタとエイミーも同意を伝える。すると、マーサが一つ提案をした。


「それなら、レベッカを連れて行ってくれないかい?」

「レベッカを?」

「支部長?」


 オルトは首を傾げ、急に名前を出されたレベッカが戸惑いを見せる。


「これは支部の問題だからね。頼んだ仕事をやってくれない上、支部に乗り込んで来て職員を侮辱されては黙っていられないよ」


 相手がどういう対応をするかは別にして、ギルド支部としての立ち位置は明確にしておく必要がある。


【菫の庭園】には、ギルド支部が【屠龍の炎刃】に問責の使者として派遣するレベッカの護衛をして欲しいのだと、マーサは説明した。


「実質Sランクの冒険者をBランクの依頼料で使える機会なんて、そうあるもんじゃないからね」

「ちゃっかりしてるなあ」


 ニヤリと笑うマーサに、オルトは呆れと苦笑が入り交じった表情で応える。とはいえマーサの申し出は、【菫の庭園】にとって願ってもない話であった。


「そのついでに、レベッカもオルト達も、本部での用事を済ませておいでよ」

「レベッカも何かあるのか?」


 オルトがレベッカに尋ねる。


 オルトの用事は、ギルド本部に突きつけた公開要求の返答を求める事。既に設定した期限は過ぎたが、本部からの返答は無い。有耶無耶にされないよう、突いておかなければならないのだ。


「レベッカはね、ヴァレーゼ支部に異動申請を出したんだよ」

「へえ」


 レベッカの代わりにマーサが答えると、オルトは意外そうな返事をした。


【黄色い太陽】の暴言や上司であるコール副部長の態度を見れば、レベッカはヴァレーゼ支部にいた方が幸せだろう。オルトはそう考えていた。それでも出向期限が過ぎれば、レベッカはリベルタに戻ると見ていたのだ。


 何がレベッカの心を変えたのか、オルトにはわからなかったが、その変化は好ましいもののように感じられた。


「でもね、その異動申請が却下されたんだ」

「えっ?」


 マーサの言葉を聞いたネーナは、疑問の声を上げた。


 ネーナはオルトが支部長代行を務めた際、僅かな期間ではあるがギルド支部の業務にも携わっている。当然、ギルドの業務に関する規定も記憶していた。


「異動申請は、特段の事情が無い限りは通る筈ではありませんか?」

「よく知ってるね。その通りなんだけど、今回の却下では理由が説明されていないんだよ」


 このままでは出向期限が終了し、レベッカは自動的にギルド本部の総務に復帰する事になる。それについて本部の人事と総務に掛け合うのが、レベッカの用事であった。


「……総務と人事の副部長、こないだここに来てたわよね?」


 ボソッとフェスタが呟く。誰もが面倒事の予感をヒシヒシと感じていた。

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