第百七十八話 馬車の前を、開けてくれないか
魔族と人族。種族の壁を乗り越え想いを寄せ合う二人が漸く再会を果たし、固く抱き合う。
感動のシーンをよそに、【菫の庭園】の面々は怒り心頭のレナの周りに集まっていた。
「どうしたんですか、レナさん?」
「まあ、色々あってね」
気遣わしげなネーナに答えたのはレナではなく、後からゆっくり歩いて来たテルミナであった。
テルミナはドリアノン支部の冒険者と共に、森の中の全ての区画を解放して回っていた。その途中で、男に乱暴されそうになっていた被害者――パルフェを保護した。
男は区画が隔離されていて治安隊が来ないのをいい事に、女性の家に押し入ったのである。
テルミナ達は男を拘束すると、パニック状態の被害者を女性冒険者に任せて先を急いだ。その後オルトとレナと合流してから戻って来ても、パルフェの状態は変わっていなかった。
どういう訳か、精霊術も法術もパルフェを落ち着かせる事は出来なかった。テルミナもレナも、それぞれの分野で最高峰に近い術士なのは言うまでもない。
そんな事があるのか。悩む二人の助け舟となったのは、離れて様子を見ていたオルトの一言だった。
『そもそも、混乱してないんじゃないか?』
「………二人で一生懸命にやってても、どこも悪くないんじゃ治しようがないよね」
レナが溜息をつき、アルカンタラと抱き合うパルフェを複雑そうな顔で見る。
人払いをして問い詰める二人に対し、パルフェは口を閉ざした。だがテルミナが魅了で自白させる事を匂わせると、観念したパルフェは気が触れた演技をしていた事を白状したのだった。
襲って来た男はパルフェの幼馴染で、かつての恋人でもあった。悪い仲間と付き合いがあり女癖も悪く、彼女に金を無心したり暴力を振るったりする為、見かねた彼女の両親が別れさせたのである。
男は他の女に相手にされなくなると、パルフェとよりを戻そうと付き纏うようになった。パルフェの両親が死ぬと一層しつこくなったが、彼女は拒み続けた。その末の凶行であった。
レナがポツリと呟く。
「……好きでもない男に身体を許したくないからって、狂人のふりしてたんだって。両親が死んだ後は四年も小汚い身なりして、隣近所から白い目で見られたり腫れ物を触るように扱われたりしながら、二人で暮らした家で待ってたんだよ」
レナ達三人は、アルカンタラには話を聞いていない。それでも、パルフェが帰りを待ち続ける相手が魔族であると知れば、アルカンタラ以外には思い浮かばなかった。
どの道パルフェをこのまま置いては行けず、移動を拒むパルフェを説き伏せ、テルミナ達は聖堂に戻って来た。
「
本当に間一髪だったらしい。そうレナが吐き捨て、実際に保護したテルミナは肯きで認めた。
「そういう事でしたか……」
ネーナも漸く、レナの怒りの原因を理解した。どうして惚れた女が最優先じゃないのか、レナはそこを怒っていたのである。
人族と魔族の価値観の違いか、アルカンタラの話を聞いたネーナにも納得しかねる部分はあった。パルフェの幸せを神に願っていても、パルフェ自身の幸せが何なのかは見ていないと思えた。
とはいうものの、再会した後は二人の間の話。他人が口を挟む余地は無いのだ。
「ところで、お兄様はどちらに?」
「今はヴィネヴィアルと一緒にラボにいる筈よ。支部長と話してるんじゃないかな」
「えっ?」
ネーナ達がラボを離れた時点で、救助作業を軍に任せて冒険者はギルド支部へ帰していた。首を傾げるネーナに、テルミナが説明する。
「言ったでしょう、『色々あった』のよ」
パルフェを伴い、古の聖堂に向かう途中で立ち寄った『ラボ』では騒ぎが起きていた。ドリアノン軍同士が対立し、ジェナス中隊長が他の指揮官と激しく口論していたのである。
「救助した人や拘束した者を移送する為に、廃棄区画の『門』をを開いてあったでしょう。それで別な部隊も来ていたの」
ドリアノン軍の一部は、救助作業の邪魔になるのもお構いなしに家探しをし、証拠物品を押収していた。それらはジェナス中隊長の部隊と違い、軍服を正しく着用していた。
オルト、レナ、テルミナの三人は即座に施設内に飛び込み、救助作業の妨げとなっていた兵士を一人残らず屋外に叩き出した。
ジェナスと口論していた指揮官が恫喝して来るも、機嫌の悪いレナの殺気に当てられ、真っ青な顔で沈黙する。そのまま部隊ごと廃棄区画から追い出し、入場出来ないよう閉鎖したのだった。
「結局、ジェナス中隊長もラボに来たのは独断だったから。冒険者を呼び戻して交替して貰ったの」
「軍が探していたのは、『
「恐らくはね」
ネーナの問いに、テルミナは頷きを返した。
ドリアノンが急速に治安を悪化させた過程に、軍と治安隊の上層部、そしてそれらの上位にある議会が無関係とは考えられなかった。
「後から来たのは、軍上層部の息のかかった部隊。軍上層部は『ラボ』に脅されていただけでなく、利益供与も受けていた。だから『ラボ』が落ちたと知って証拠隠滅を図った。筋が通りますね」
「自分達と同様の立場にある者の存在はわかっていたでしょうから、証拠を押さえれば弱みを握る事も出来るものね」
スミスとフェスタは厳しい表情をしていた。それを見たネーナは、まだ一山あるのだと気を引き締める。
【菫の庭園】としては、ドリアノンの軍も議会も全く信用出来なかった。『ラボ』に残されている癒着の証拠や『勇者計画』を始めとする倫理に反する研究資料を預ける事は出来ない。
オルトはギルド支部を通じ、本部にそれらの取り扱いを一任する選択をした。当然ながらドリアノン議会の激しい反発が予想される為、その辺りの対応をギルド支部長と協議しているのである。
「オルトは他に、何か言ってた?」
「私とレナは皆と合流して休憩してって。それくらいね」
「そう……ネーナとエイミーは――」
考え込むフェスタと視線が合い、ネーナは思い切り挙手をした。
「元気いっぱいです!」
「お兄さんのお手伝い?」
食い気味の返事に、フェスタが苦笑する。
「二人はオルトの所に行ってくれる? 私達も少し仮眠してから行くわ。それで――」
「お兄様と一緒にお休みすればいいんですね?」
「いってきまーす!!」
二人が勢い良く走り出す。未だに抱き合っているアルカンタラ達には目もくれず、樹木の門に飛び込んだ。
「あの二人、大丈夫なの?」
「オルトがどこにいても見つけ出すわよ。私達はあんなに若くないし、遠慮なく休ませて貰いましょう」
首を傾げるテルミナに、フェスタが笑いながら応える。不満そうなレナも肩を叩かれ、森守に宛てがわれた小屋へ向かうのだった。
◆◆◆◆◆
ドリアノンから『ラボ』の脅威が除かれて三日後、【菫の庭園】一行は冒険者ギルドのラーション支部長と共に、馬車でドリアノン議会へと向かっていた。
ネーナはボンヤリと、窓から外を眺めていた。オルトは議会での証言について、ラーションと話し合っている。
一行が『ラボ』を陥とした翌日には議会からギルド支部を通じて、【菫の庭園】がドリアノン軍を排除した事や一般人の死傷者が出た事に対する抗議が届いた。
そして二日後には、オルトと支部長に対して議会へ出頭するよう命令書が届いたのである。議会の対応としては異例の速さで、重鎮達が連日協議している事を窺わせた。
オルト達は決して状況を楽観視していなかった。市街で【菫の庭園】一行に向けられる視線は、必ずしも好意的ではないのだ。それはギルド支部の中にあっても同じ。
何者かが【菫の庭園】を貶める情報を流している。それにやり場の無い怒りや悲しみを抱えた多くの人々が乗った。そのように誘導した者がいるのだ。
ギルド支部長のラーションは事態を冷静に捉えていたが、支部の職員や冒険者を完全に抑える事は難しかった。
オルト達は、議会へ出向いたその足で、ドリアノンを離れるつもりだった。三日の間にすべき事は粗方終えていた。
早ければ翌日の午後には、ギルド本部からの調査団が到着する。フリードマン副ギルド長を団長とし、AランクとBランクの冒険者が合わせて二十名の一団。本部は、ドリアノンで起きた事態に大きな関心を寄せていた。
『ラボ』が制圧された都市の全区画が解放された後、ドリアノン市内の関連施設や組織は軒並み治安隊により摘発された。一方で、都市の混乱を最小限に抑えた立役者であるジェナス中隊長は、独断で部隊を動かした責任を問われ拘束された。
ギルド本部より通報を受けた都市国家連合評議会と連合警察機構は声明を発表し、ドリアノン議会と軍、治安隊による対応を注視していると表明した。これによりジェナス中隊長の処分は謹慎となったのであった。
そしてアルカンタラとパルフェの二人は、オルト達に先んじて町を離れた。行き先は告げず、暫く旅をするとだけ言い残した。拘束輪を外し人化の法を唱えた魔族は、二十代後半くらいの人族にしか見えなかった。
アルカンタラは【菫の庭園】一行の前で、自らが信じる神のガル・ネリに対して誓いを立てた。『
アルカンタラは誓約により、人族と亜人に危害を加える事が出来ない。旅の途中でトラブルに巻き込まれかねないが、これは彼自身が望んで立てた誓いであった。
ネーナはアルカンタラに寄り添うパルフェの幸せそうな表情を思い浮かべ、二人の旅の無事を願った。
◆◆◆◆◆
馬車がドリアノン議会の議事堂に到着する。プラカードやのぼりを持った市民が集まり、シュプレヒコールを上げていた。
プラカードの文字を見たネーナは愕然とした。
『オルト・ヘーネスは犠牲者の遺族に誠意ある謝罪と賠償を』
『【菫の庭園】による無謀な行動が被害を増やした』
市民達が馬車に向ける視線には憎しみが込められていた。本気で【菫の庭園】に怒っている。ネーナはそう感じた。
突然馬車が停止する。
議事堂の入り口はまだ大分先で、別に障害も無い。
ラーションが険しい顔で窓を開け、御者に馬車を進めるよう促すも、御者はヘラヘラと笑うのみ。
市民達が集まり、馬車を取り囲む。怒号や罵声が飛び交い始める。ネーナとエイミーは表情を硬くした。
群衆の中から投じられた石が馬車に当たり、オルトが立ち上がった。
「お兄様……」
「大丈夫さ」
オルトは微笑み、不安そうなネーナの髪を撫でると、扉を開けた。
無造作に降り立つオルトを見て、群衆がどよめく。人々が後ずさり、馬車を取り巻く輪が広がる。
「俺達は議会に呼び出されている。馬車の前を開けてくれないか」
馬車の前方にいる者達が左右に分かれて道を開ける。
別段に大きな声を出している訳ではない。静まり返った辺りに、オルトの声が響く。
「奪還戦の時も、こうして囲まれましたね」
「あの時はバラカスが蹴散らしたんだっけ」
オルトの背中を見つめながら、スミスとレナが懐かしそうに語り合う。
「ネガティブな行動をする者は目の前で騒ぎ立てます。だから渦中にある者は、この反応が全てだと思いがちですが、彼等はドリアノン住民の中では大した数ではありませんよ」
「はい」
好意的な者や、どうでもいい者はリアクションしない。大抵はそれが多数派なのだ。そうスミスに諭され、ネーナは納得した。
台から転げ落ちた御者が、何度も転びながら逃げていく。馬車が静かに走り始めた。
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