第百七十九話 ドリアノン議会

「凄いね、皆真っ青だわ」


 車窓から外を眺め、レナが呟く。


 先刻までの騒ぎが嘘のように、抗議隊は沈黙していた。腰が抜けたのか、地面にへたり込む者もいる。【菫の庭園】一行が乗った馬車を包囲し、襲いかからんばかりに威嚇した勢いは、完全に失われていた。


 怯えるような彼等の視線は、一様に御者台のオルトに注がれている。


「御者より上手くて笑えるんだけど」


 呆れ気味のレナに、フェスタが応えた。馬車の揺れが少なくなったのは、仲間達も感じていた事であった。


「訓練したのよ、近衛騎士だもの。御者がいないからって、王女殿下が乗る馬車をガタガタ揺らす訳には行かないでしょう?」

「は、はい」


 元『王女殿下』のネーナは、急に話を振られてコクコクと頷いた。


 王女アンネーナが出奔した今となっては存在しない、『王女の騎士プリンセスガード』と呼ばれた近衛騎士隊。オルトとフェスタはその一員であった。


 王女付きの近衛騎士達は、様々な技能を習得していた。御者に料理人、侍女や執事がいなくとも代わりを務められるよう、日頃から厳しい訓練を重ねていたのだ。


 ずっと王城で過ごして来たネーナがいきなりの旅暮らしに耐えられたのは、当人の前向きさや忍耐強さだけでなく、オルトとフェスタのサポートによる所も大きかった。


 御者の真似事など近衛騎士の余技の一つ。そう説明され、レナは感心したような声を上げた。




 オルトは車内に戻らず、逃亡した御者に代わって馬車を進めている。ネーナは、前方で御者台に座るそのオルトの背中を見つめていた。


「これは、予想通りと言った所でしょうか?」


 スミスが首を捻った。


 元々スミスも仲間達も、何事も無く今日が終わるとは考えていなかった。


 急な議会への召喚。それに合わせた抗議隊の待ち伏せと、包囲させるように馬車を止めた御者。市内で時折スミス達に向けられる敵意。


 ラボ壊滅より僅か三日しか経っていない。何が起きたのかわかっていない市民も多く、ドリアノン市内は混乱している。そんな中で【菫の庭園】を狙い撃つ者は限られている。


 考えられるのは、今回の都市解放の概要を承知している者。自分達の頭を押さえつけていた『ラボ』が壊滅し、息を吹き返したドリアノンの達。


「例えば、この町の議員や軍関係者。他に挙げれば――」

「ギルド支部が無関係と見るのは、むしろ不自然だ」


 苦渋に満ちた表情で、支部長のラーションがスミスの言葉を引き継ぐ。


 スミスも仲間達も、ラーションを疑ってはいない。だがギルド支部の冒険者や職員の全てを信用してもいなかった。ラーション自身もそれを肯定したのである。


 都市を解放するに当たって、テルミナや森守しんすのヴィネヴィアル達は『ラボ』の協力者を炙り出した。それにより裏切りや妨害のリスクを抑え込む事に成功したが、直接『ラボ』に関わった者以外は野放しになっているのだ。


 ギルド支部には、突然やって来て仲間達をスパイ扱いし、支部に深い亀裂を入れた【菫の庭園】一行を良く思わない者も、少なからずいた。他にやりようが無かったと理屈でわかっても、心情では受け入れられなかった。


 ラーションが睨みを利かせている支部は動かずとも、個人で情報を流した者はいる。スミス達はそう考えていた。


「都市の機能が麻痺しているのを良い事に、自ら悪さを働いていた者もいるでしょう。後ろめたい事を余所者である我々に押しつけて、知らない顔をしてやり過ごそうと考える者がいても不思議ではありませんよ」


 スミスは何でも無い事のように言った。


「支部長が気に病む事はありません。ただ――議会が我々のリーダーオルトを貶めるような行動に出るならば、我々も相応の対処をします。支部長もそこはご承知おき下さい」


 普段は温厚なスミスの迫力に押され、ラーションがゴクリと喉を鳴らす。スミスの言葉は、オルトを除く仲間達の総意であった。




 ◆◆◆◆◆




 議事堂で馬車から降りた一行を、『森守しんす』のヴィネヴィアルが待っていた。議会を傍聴する為に聖堂から直接やって来たのだと、エルフ女性はネーナ達に告げた。


 ネーナ達は兵士に囲まれるようにして一室に案内された。


 ボディチェックを受け、全員が所持品をチェストに収めていく。武器や危険物は議場へ持ち込めない。当然、議場内での魔法の使用も禁止だ。


 オルトとラーションが一足先に部屋を出て行く。二人は証人として喚ばれている為、別行動となっていた。




魔法の鍵マジックロック

防護プロテクション


 スミスがチェストに念入りな防護をかける。


 所有者が自ら封をする事に対し、規定に反するとして係員は難色を示した。だがスミスは、強い魔力を秘めた品々を預かるには議事堂の保管施設は不十分だとして押し切った。


『大賢者』たるスミスの術を破るには、それを上回る魔法強度が求められる。ネーナが気を失う程に魔力を注ぎ込んだとしても、奇跡的な確率でしか解除は望めない。


 ネーナとてAランクの冒険者パーティーに所属する魔術師だ。少なくとも今、議事堂内にはネーナを超える術士はスミス以外におらず、スミスの術を解ける者はいない事になる。これはスミスによる『ドリアノン』への不信の表明と言えた。


「議会っていうより、この町の議員の連中には色々と思う所があるのよ。スミスも、あたしも」

「レナさん」


 心中を察したのか、レナがネーナの肩を叩いた。


「変わってないわねえ、この町は」


 一行は部屋を出た。廊下の絨毯の柔らかさは、ネーナに慣れ親しんだ王城ヴォル・デ・ラーマを思い出させた。


「魔族との戦いの時、勿論エイミーはいなかったし、あたしは二次奪還戦からで。勇者パーティーにその時いたのはスミスと――ネーナはフェイスも知ってるんだっけ?」


 ネーナは黙って肯いた。勇者パーティーのスカウトにしてサン・ジハール王国盗賊ギルド幹部のフェイスは、ネーナが王国を出奔する際に多大な助力をしてくれていた。


「そっか。そのフェイスから聞いた話だけど、一次奪還戦で裏切った連中は、トウヤとも揉めてたんだってさ」


 レナが当時を知るスミスに視線を向ける。


「事実です。一次奪還部隊の主力は、勇者パーティーとドリアノン軍、それから義勇兵でした。人族の中に、他種族の兵士に粗暴な振る舞いをする者達がいて、それをトウヤが咎めたのです」


 今となっては、それが裏切りの引き金となったかどうかはわからない。裏切り者達は、敗軍の殿しんがりに志願したイイーガ達の奮戦により全滅したからである。


「トウヤが暮らしていた世界でも差別はあったし、戦争や飢餓、貧困、犯罪の問題は深刻であったそうです。ただトウヤの周囲は平和で、彼自身も全く偏見を持っていませんでした。だからこそ、差別的な振る舞いをした兵士が許せなかったのかもしれません」


 ともあれ第一次奪還戦に敗れたトウヤ達は、かけがえのない戦友であり優れた戦士でもあるイイーガを失った。


 その後は他国の援軍が合流して軍紀の乱れは鳴りを潜めたが、それによりドリアノン市民の意識が変わる訳ではない。


 魔族の侵攻により陥落した時点で、ドリアノンはエルフ族が王政を敷いていた。だが人口比では、人族が他種族の合計を上回っていた。


 裏切った兵士達のような極端な差別思想、選民思想ではなくとも、多数派の人族が政治の中心、そしてドリアノンの中心にあるべきだという考えを一定数の市民が持つのは、自然な流れであった。


 ヴィネヴィアルは溜息をついた。


「魔族との戦いで、精霊王との契約を引き継ぐ王位継承者が軒並み亡くなった為に、私のような末端の王族まで力を合わせなければ、『妖精の森』の加護が失われてしまう状況だったのです。私達には時間も、政治に関わる余裕もありませんでした」


 加護が失われれば、『妖精の森』は野草や木の実も採れなくなり危険な魔獣も入って来る。魔王軍には破られたが、ドリアノンにとって加護は必要であった。


 ヴィネヴィアル達エルフの王族は決断した。せざるを得なかった。


 支配者層であったエルフが森の中に姿を消し、市民による議会が新設された。その設立に『森守』となったエルフ達は関わっていない。


 政情の安定を図るという名目で、議員は町の有力者が終身で務める事になった。世襲制で、当然ながら選挙は無い。議会の大多数は人族が占めた。


「で、人族中心の議会政治が始まって、議員になった連中が何をしたかって言うと――第一次と第二次奪還戦の負けの責任を、トウヤに引っ被せて責めたの」


 レナが吐き捨てた。


「そん、な……」


 ネーナは絶句し、ヴィネヴィアルは表情を曇らせる。ドリアノンの『森守』としては思う所があるようであった。


 トウヤは、ただ勇者だからと縁もゆかりも無い地に駆けつけ、戦友を失い自らも死線を掻い潜りながら第三次奪還戦まで戦い抜いた。数ヶ月にも及ぶ死闘の報いがそれでは、あんまりではないか。少女は怒りで肩を震わせる。




「――こちらが議場です。傍聴席ではお静かに願います」




 案内の兵士が、両開きの扉の前で立ち止まり、無表情に告げる。そこで一旦、話は打ち切られた。


 まだ議会は始まっておらず、議員達の私語でざわついている。ネーナ達が傍聴席の一角に腰を下ろすと、ざわめきが大きくなった。議員達の視線は、森守のヴィネヴィアルに集中していた。


 木のベンチは硬く冷たい。ネーナは膝掛けを敷き、エイミーと並んで座る。


 他に傍聴者はおらず、【菫の庭園】一行の周りは議事堂に入ってからと変わらず兵士に囲まれている。まるで犯罪者を護送するような物々しさで、ネーナ達の話は聞こえていた筈だが全く反応を示さなかった。


「お兄さん、いるよ」

「はい」


 エイミーもネーナも、すぐにオルトの姿を探し出した。


 演壇を中心に半円状に議席が配置され、演壇の後ろには議長席、左右に記録者等の席がある。オルトとラーションはその端に座っていた。


 やはり二人の周囲は、兵士に囲まれている。


「――まあ、オルト達に難癖つけて、反論もさせずに退席させるか拘束しようと思ってるんでしょ。トウヤにそうしたみたいに、さ」


 レナの呟きに、初めて兵士がピクリと反応した。レナがニヤリと嗤う。




 カン、カン。




 木槌ガベルの音が議場に響く。ざわめきが消えていく。


「静粛に」


 議長が重々しい声で、議会の開催を宣言した。


 レナがスッと目を細める。


「前回はあたしもスミスも、この議場にはいなかったの。全てを知ったのは、議事堂からトウヤが戻って来た後。今回傍聴を捩じ込んだのは、その反省ってとこね」


 レナの言葉は取りも直さず、勇者トウヤを責め立てたという議員達が、四年後のこの議場にそのまま残っているという事である。


「ネーナ、よく見ておいて下さい」


 スミスが静かに言う。その目は議場に向けられている。


「かつて奪還部隊を裏切った者との繋がりが露見するのを恐れた議員達は、今回は『ラボ』との繋がりや自らの悪事が露見するのを恐れています。歴史は繰り返す、と言った所でしょうか」


 スミスは予見した。前回は見る事が出来なかった議場での一幕が、今再現されるであろうと。


 ネーナは膝の上の両手を握り締め、緊張の面持ちで議場のオルトを見守るのだった。

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