第百七十七話 ずっと、ずっと待っていました

『魔族が人族に紛れて、町で暮らしていた』




 アルカンタラの衝撃的な告白を聞いたネーナは、チラリと森守しんすを見やった。


 森守の男性は、啞然としていた。この反応を見れば、『妖精の森』の管理者達が魔族の存在を把握していなかったのは明らかだ。


「――我は、この都市における最後の攻防戦で、瀕死の重傷を負った。正にあれは、人族の捨て身の猛攻であった」


 魔族の紅い眼が、遠くを見るように細められる。


「今でも明瞭に思い出せる。洪水のように押し寄せて来る敵軍を。その先陣を切る勇者の、気迫に満ちた表情を。賢者に聖女、戦士。人族の英傑達の奮迅の戦いぶりを」

「我々が言う所の、『第三次ドリアノン奪還戦』ですね」


 スミスが何度も頷きながら相槌を打つ。話は大きく飛んでいるが、水を差すような事はしなかった。


「勇者は若かった。今ならば人族の年頃もわかるが、少年のようであった。戦場にいるのが酷く不釣り合いに感じたものだ」

「彼はあの時、異世界より召喚されて二年弱でしたか。この世界に来るまで剣を握った事は無かったそうです。彼の世界では、まだ成人とは認められない年齢でした」


 ドリアノン奪還戦時点のトウヤは、今のネーナと同じような歳だった筈。ネーナは自分が冒険者になってからの事を思い起こす。


 トウヤと同じく戦いの経験など無かったが、いつも守ってくれる人がいた。寄り添ってくれる人も、共に歩んでくれる人もいた。何よりも、戦いを強制された事は一度も無かった。トウヤとは比較にならない程、環境に恵まれていたと言える。


「勇者はまだ未熟だったが、日を追う毎に強くなっていった。我も最後には一刀のもとに斬り伏せられた。だが、あの強さは……」


 生命を燃やし尽くす輝き。飲み込んだ言葉は、スミスにも伝わっていた。


「気づいていたのですか……我々が彼の力の源を理解したのは、もっと後になり、引くに引けなくなってから……いや、それも言い訳です。真に彼の身を案じるならば、それでも引くべきでした」


 賢者の悔悟が、室内の空気を重くする。


「それは難しかったであろうな。賢者が、その仲間が主張したとて、戦況は勇者の離脱は許さぬ。味方も、敵である我等さえ、勇者が勇者たる事を求めていたのだ」


 二人の言葉にネーナは聞き入っていた。


 ネーナの目の前で、再会した旧友が思い出を懐かしむかのように語り合う。二人がかつては敵味方に分かれて殺し合ったなど、誰も信じないだろう。


「アモン閣下は、我の眼前で勇者に討ち取られた。そうなれば、閣下の強さとカリスマによって統べられた軍勢は瓦解するのが道理。兵は我先にと敗走し始めた」


 ドリアノンは都市国家連合に打ち込まれた魔王軍の楔、橋頭堡であった。ここを人族に奪い返された以上、都市の包囲を打ち破り血路を切り開いて逃げるしかない。


「我には回復はおろか、逃げる力も残されていなかった。どうにか戦場からは離れたが、力尽きて倒れた。ここまでかと観念した我に、近づいてくる足音があった――」


 アルカンタラが目を閉じる。ネーナにはその行為は、大切な記憶を仕舞った宝箱を開くかのように見えた。






 ――もう、目を開ける力も残されていなかった。耳も遠くなったのか、近づく足音は微かにしか聞こえなかった。


 万が一の為にと持っていた魔道具で人族に成りすました。だが外見で魔族と見抜かれる事は無くとも、戦場から点々と続くどす黒い血痕を見れば、人族や亜人と違うのはわかる。所持品も人族の物とは違う。


 発見されれば、相手が誰であろうとそこで終わり。存分に戦ったのだから、後悔も未練も無かった。


 足音が止んだ。かと思えば、バタバタと駆け寄って来た。


 胸を刺すか、首を切りつけるか。いずれにせよ、今の自分ならばそう苦しまずに混沌神ガル・ネリの御下へ行けるだろう。自らが信じる神へと祈りを捧げた。


 祈りが通じたのか、予想もしていなかった事が起きた。


 上体を抱え起こされ、背後から両腋に腕が差し込まれた。


『んーっ!』


 頭の後ろで少し高い声が聞こえたかと思うと、身体を強く後ろに引かれた。


『すぐに手当てしますから!』


 ズルズルと身体が引きずられていく。最期の力で声を絞り出す。


『……放っておけ』

『お断りします!』


 高い声が即答する。


 最早痛みも感じず、アルカンタラの意識は遠のいていった。




『ぐっ……』


 腹に感じる痛みで意識が覚醒した。


 麻痺していて感じない筈の痛み。まだ自分が生きている事を認識した。


 目を開け、周囲を見る。自分の胸の大きな怪我に処置が為されていた。


『良かった』


 人族の女性がアルカンタラの意識が戻った事を知り、ホッとした表情をする。女性はパルフェと名乗った。薬草や木の実を集める為、森に入ろうとして偶然に怪我人を見つけたのだと言った。


 多少動けるまでに回復すると、ここは危険だからと強く勧められ、肩を借りてパルフェの家へと移動した。周囲の家屋には人の気配がなく、生き残っている者は森守の加護により隔離された避難区域で過ごしているのだと聞いた。


 パルフェは医師で、一人診療所に残り、逃げられず自宅にいる者達の往診をしていた。同じく医師の両親は、攻め込んできた魔族に殺された。パルフェも殺される所だったが、勇者トウヤに救われたのだと言った。


 それを聞いたアルカンタラは、自分の正体を明かした。彼女にならば殺されてもいいと思った。


 だがパルフェは、静かに頭を振った。彼女は治療を行う中で、アルカンタラが人族でない事に気づいていた。


『私の手は、命を奪う為のものじゃないの。誰にも死んで欲しくない。死なせたくない』


 勇者に救われたパルフェが、勇者に斬られたアルカンタラを救った。アルカンタラはパルフェの両親を殺した者と同じ魔王軍、魔族である。


 運命の皮肉。それでもパルフェの瞳は、憎しみに曇る事は無かった。自分の信念を曲げはしなかった。


 アルカンタラはそんな人族の娘の姿を「美しい」と感じた。




 パルフェの家で療養をし、出歩けるようになると、アルカンタラは往診の手伝いを始めた。治療の対価として、パルフェが提案した事だった。不思議とパルフェは、普段より顔を赤くしていた。


 ドリアノンは人族の手に戻ったが、兵士崩れの野盗が出始めていた。アルカンタラのように、魔族の残党が潜んでいる可能性もあった。アルカンタラはパルフェの提案を受け入れた。


 パルフェ達の住む区画にも、避難所から人が戻り始めた。日常を取り戻していく町の中で、二人はごく自然に、共に過ごすようになった。だが穏やかな時間は、長くは続かなかった。


 アルカンタラには、気にかかる事が出来ていた。


 パルフェが時折、浮かない顔をするようになったのである。そんな時には、常にある男がパルフェを訪ねて来ていた。男はアルカンタラに、診療所から出て行け、パルフェに近づくなと言い放つ事もあった。


 男はパルフェの幼馴染みで、元は恋人でもあった。他の女に入れ込みパルフェを手酷く振って捨てたが、再びを戻そうと言い寄って来ていた。妻子があるにも拘らず、だ。




 そんなある日、往診の帰りの夜道で、二人は野盗に襲われた。パルフェの身が危険に晒され、アルカンタラは咄嗟に魔族の姿に戻ってしまった。


 パルフェの願いで野盗は逃したものの、もうアルカンタラが町にいる事は出来なかった。ドリアノンは魔族から解放されてまだ間が無く、魔王軍と人族の戦いは終わりが見えないのだ。


 立ち去ろうとするアルカンタラに、パルフェはしがみついた。自分も連れて行ってほしい、そう彼女は懇願した。安住の地がどこになるかわからない、苦しい生活になると諭されても、彼女は意思を変えはしなかった。


 アルカンタラは、パルフェとの出会いを思い出していた。控えめで大人しい性格ながら、決めた事は曲げないのだ。


 どこか遠くの町へ行って、ひっそり暮らそう。二人はそう約束した。


 二人のそんなささやかな願いは、叶う事が無かった。


 パルフェが往診の引き継ぎや挨拶で外出している間に、『あの男』がやって来た。男の目的はパルフェではなく、アルカンタラだった。


『お前、魔族だろう』


 その一言で、アルカンタラはこの男が、先日の野盗だと気づいた。男はアルカンタラに、拘束輪を着けろと要求した。


 男を殺し、一人で逃げるのは容易い。だが残されたパルフェの立場が悪くなるし、彼女はアルカンタラが命を奪う事を望まない。パルフェと共に誰も殺さずに逃げるのは不可能だ。


 アルカンタラは、男の要求を受け入れた。男は仲間を呼び、力を失ったアルカンタラを運び出して痛めつけた後、『ラボ』の構成員へと引き渡した。


 アルカンタラは揺れる馬車の荷台に転がりながら、自らが信じる神ガル・ネリにパルフェの幸せを願った――






「『ラボ』の者達は、我を研究や実験に使おうとしたが、上手く行かなかったようだ。その後はあの水槽の中で過ごしてきた」


 アルカンタラの話が終わると、ネーナ達四人は大きく息を吐いた。


「想像していた以上に、この町の問題は根深いようです」


 スミスが顎ひげを撫でながら呟く。


「それより何より、やる事があるでしょう?」

「ここで話している場合ではありませんね」


 フェスタとネーナは席を立った。エイミーがテーブルをバンと叩き、森守がビクッと身を竦める。


「パルフェお姉さんを探しに行かなきゃ!」

「何故だ」


 アルカンタラが問いかける。ネーナには魔族の表情はよくわからないが、冗談を言っているようには見えなかった。


「何故って……パルフェさんの事が気にならないんですか?」

「魔族の我がいなければ、悪い扱いをされる事もあるまい。彼女が息災であるならば、それでいい」

「えっ!?」

「む?」


 ネーナは驚きの声を上げ、フェスタやエイミーと額を突き合わせるようにして小声で話し合う。


「何か認識がおかしいです」

「それにしてもちょっと酷くない? 魔族って皆こうなの?」


 話を聞く限り、アルカンタラとパルフェは好き合っていて、一緒に町を出る約束をしていた。そして犯罪に関わりがありそうで女癖も悪そうな男が、パルフェに目をつけていた。


 普通なら、まずパルフェの現況を知ろうとするだろう。なのに目の前の魔族に、そのような素振りは全く見えない。


「私は魔族の知り合いはいませんし……お兄様が基準ですので」

「お兄さんはたぶん、わりといい方だと思うよ」


 三人は巨漢の魔族を見て、はーっと溜息をついた。


「一体何の話を――っ!?」


 戸惑った様子のアルカンタラの言葉が、途中で遮られる。




 ドゴォオンッッ!!




 突如入り口の扉が砕け散り、屋内に爆風が吹き込んだ。スミスとネーナはそれぞれ反射的に障壁を展開し、仲間達を守る。


「レナさん!?」


 入り口に立っていたのは、憤怒の表情で屋内に向けて両手を突き出したレナであった。


「こんのクソ魔族が……!」


 レナは呼びかけるネーナを一瞥もせず、ズンズンと大股でアルカンタラに詰め寄っていく。


「こんな所で油売ってる暇があったら――」

「なッ!?」


 反応する間も与えず、右手で首の拘束輪を掴んで魔族の巨体を振り回す。引き締まってこそいるが、女性らしい肉体のどこに潜んでいるのか疑問になる程の膂力。


「せめて最後くらいはッ!!」


 アルカンタラの背後に回り込んだレナの両手に光が集束し、眩い光球を構成していく。


「何をする気――」


 問答無用とばかりに、振り返ろうとする魔族の背中に、両手を突き出した。


「お前が詫びに! 行っけええええッッ!!」

「ぐはあああっ!!」


 叫び声を置き去りにし、アルカンタラが吹き飛ぶ。


 バリバリッ!!


 仰角四十度。


 屋根を突き破り、美しい放物線を描き。


 翼を持たぬ身長三メートル弱の肉塊は、地面に激突してゴロゴロと転がった。


「ぐうっ……」


 呻きながら起き上がるアルカンタラの前に、二人の女性がいた。


 一人は椅子に座り、目を丸くした人族の女性。もう一人は、人族女性の髪にブラシをかけるエルフ女性。


 アルカンタラの目は、人族女性に釘付けになっていた。


 少し顔立ちが変わったのは、四年の月日によるものか、苦労してやつれたからか。だが、アルカンタラが片時も忘れる事の無かったかんばせだ。


 人族女性の瞳が潤み、涙を湛えていく。その唇から懐かしい声が漏れる。




「ずっと、ずっと待っていました――アル」

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