第百七十六話 戦争でしたからね

「おおっ!」

「本当に落としたのか……」


 樹木の門を通って、ドリアノン軍の兵士や冒険者が続々と姿を現す。『ラボ』が落ちたと聞いて半信半疑でやって来た彼等は、廃棄区画に広がる光景を目の当たりにして驚きを隠さなかった。


 恐らくは事実であろうとわかっていても、この数年間ドリアノンを侵食していた深い闇が払われたと聞いて、にわかに信じる事は出来なかった。だがこうして自分の目で見た以上、現実を受け入れざるを得ない。


「ううむ……」


 中年の分隊長は、様々な感情の入り混じった唸り声を上げた。




 かつてのドリアノン奪還戦をも戦い抜き、軍一筋で生きて来た。年齢的な体力の衰えから、幹部就任の打診も断り教官として軍のキャリアを終えた。後は予備役として軍を支えながら、残された時間を家族と過ごす為に使うつもりだった。


 それが一月前、詳細を知らされぬまま突然招集され、部隊に組み込まれた。出世した筈の仲間の姿が見えず、殉職したと伝えられた。軍は混乱していた。


 何か不味い事が起きているのはわかったが、箝口令が敷かれていて情報が入らない。上官も同僚も、何かに怯えているように口を噤んだ。


 町で何が起きても関わらないようにと、強く念を押された。急速に治安が悪化し、自分の身内を守るだけで精一杯になった。


 昨晩は久しぶりの非番の筈が急に駆り出されて、隔離された市街や住宅地を訳もわからないままに駆け回った。自分達の町を、生活を取り戻す戦いが始まったと知り、覚悟を決めた。


 思いの外、戦闘は少なかった。これまで我が物顔に振る舞って来た者達が、あっさりと抵抗を諦めて拘束されていく。警戒していた増援も無い。それよりも、『ラボ』の協力者が自分達の仲間や身内にいると知るのが辛かった。


 夜を徹して都市の全区画が解放され、暫くして空に三発の火球が上がった。それで漸く分隊長は、人知れず行われていたドリアノンの行く末を左右する戦いが終わった事を知ったのだった。




「――次の命令があるまで、この場で待機を」

「!? はっ、了解しました!」


 思いに耽っていた分隊長が、慌てて我に返り敬礼をする。命令した士官は頷き、歩き出した。


 その先には、ドリアノンの奪還戦で遠目に見た勇者達にも遜色無い――勇者パーティーの『大賢者』と『聖女』その人がいたと分隊長が知るのは、後日の話――圧倒的な存在感を纏った英雄達の姿があった。




 ◆◆◆◆◆




「お兄さん、誰か来るよ」

「ん?」


 エイミーに言われ、オルトは軍服を着た男達が近づいてくるのに気づいた。


 数は三人。奇妙な事に、男達は軍服を裏返していた。男達の向こう側に整然と並んでいる兵士達も同様である。


「ドリアノン軍第六中隊長、ミック・ジェナスだ。この施設を制圧した冒険者と見受けるが、合っているだろうか」

「俺はオルト・ヘーネス。それと所属パーティーの【菫の庭園】。ご足労頂き感謝します、ジェナス中隊長」


 二人はガッチリと握手を交わす。


「既に戦闘は終了し、『ラボ』の関係者は全て拘束済みです。館内には捕らわれて激しく衰弱している者も、精神的に不安定な者も少なからずいます。そちらの保護を優先して頂きたい」

「承知した」


 ジェナスは頷き、後ろの部下であろう二人に指示を出す。


「今の話は聞いていたな?」

「はっ」

「各小隊長を通じ、私の名前で全隊員へ通達。私刑、暴行、略奪の一切を禁ずる。違反者は軍法会議にかける」

「はっ!」


 キビキビとした動きで部下が駆けて行く。要請するまでもなく私刑等の禁止を厳命し、オルトの評価は大きく上がる。ドリアノン軍は想像以上に訓練されている印象を受けた。


 ――いや。


 オルトは思い直す。この部隊が特別なのだと。


 廃棄区画にドリアノン軍が到達するのは、もっと遅いタイミングになる。オルトはそう予測していた。混乱している軍司令部から、『ラボ』に向かう命令が出る訳が無いのだ。


 であれば、ジェナス中隊長かその上官の独断という事になる。中隊と呼ぶにはいささか寂しい陣容を見れば、都市の要所に麾下の小隊や分隊を配置した上で、ジェナスが決断した可能性が高い。


 目の前で待機する部隊は、突如発生した都市の混乱に対応して一晩行動した後で、整然と廃棄区画にやって来て命令を待っている。練度だけでなく士気も高い。


 対して冒険者は指示が徹底されておらず、拘束されているラボの構成員に暴行を加えている者も見受けられる。レナとテルミナが制止に回っているが、これでは施設内に入れる事は出来ない。


 自己判断と自己責任が冒険者の特徴であり、それがフットワークの軽さにも繋がっている。だがここでは、敵の存在を目の当たりにして頭に血が上ってしまっていた。施設内に入り惨状を見れば、歯止めが効かなくなる。


「ジェナス中隊長、増援は来ますか?」


 オルトの問いに、ジェナスは難しい顔で頭を振った。それで察したオルトは話題を変える。


「貴方の部隊が来てくれた事は、嬉しい誤算ですよ。ところで軍服を裏返して着用しているのは、どういう意図で?」


 ジェナスは苦笑しながら答える。


「恥ずかしながら、同士討ちの危険があったものでな。正常に機能している部隊だと市民にアピールする目的もあって、このような形にした」

「成程」


 好判断だと、オルトは感心した。このような指揮官と部隊を抱えていて、ドリアノン軍が『ラボ』に無謀な攻撃をしたのが不思議に感じる程に。


 オルトが館内の見取り図を渡すと、ジェナスは待機している部下達と打ち合わせを始めた。


「フェスタ、皆を連れて先に行ってくれるか」

「休んでるわね」

「頼む」


 パーティーをフェスタに託し、ここで扱い辛い冒険者はSランクパーティー所属のテルミナに任せて、町の復旧作業に回すよう差配をする。


「じゃあ、冒険者達をギルドに置いたら一度こっちに寄るわね」


 テルミナが手をヒラヒラ振りながら去っていく。


「レナも休んでいいんだぞ」


 撤収するフェスタ達四人を見送りながらオルトが言うと、レナはジトッとした視線を向ける。


「あんたが休むなら休むけどね」


 オルトは無言で肩を竦めた。


「誰か建物の中を案内しなきゃいけないし、ヤバいものも残ってて事故が怖いし。二人いた方が安心でしょ」


 レナに正論で詰められては返す言葉もない。軍に引き継いだからお役御免とは行かないのだ。


「若いから平気よ」

「ああ、そうだな――痛っ」


 ビシッ。


 空返事をしたオルトの尻に蹴りが入る。


「蹴るよ?」

「蹴ってるだろうが。理不尽過ぎる」


 オルトが不満気に苦情を申し立てるも、レナは悪びれずにペロリと舌を出した。


「蹴ったよ?」

「事後報告かよ。そもそも蹴るなよ」

「あーあー聞こえなーい」


 耳を塞いでレナが逃げて行く。オルトは溜息をつき、その後でフッと微笑ってゆっくりと後を追うのだった。




 ◆◆◆◆◆




 エイミーは樹木のトンネルを歩き続ける。左手はネーナの手をしっかりと握っていた。


 正直に言えば、オルトの下に残りたかった。それを言わずにフェスタ達と聖堂へ向かったのは、ネーナを気遣っての事であった。


 握り返してくる手の力の弱々しさ。仲間達に体力で一段劣るネーナは、一仕事終えて気持ちも切れていた。この二日間はエイミーにとっても決して楽ではなく、ネーナの体力と精神力が限界近いのは想像に難くない。


 それでもエイミーが残ると言えば、ネーナも必ず残ろうとする。だからエイミーは、フェスタやスミスと共にラボを離れたのである。


 仮に休息をせずとも、【菫の庭園】メンバーには聖堂へ行かねばならぬ理由もあったのだから。




 樹木の門の先には森守の一人が待っていた。ヴィネヴィアルはまだ聖堂に戻っていない。フェスタ達四人は森守に案内され、一軒の丸太小屋に入る。


「お待たせ」


 フェスタの声に、瞑想していた魔族の男――アルカンタラが顔を上げる。巨体に合う椅子が用意出来ず、ベッドに腰を下ろしている。


【菫の庭園】の四人と森守は、ベッドに向き合う位置に椅子を並べて座った。


 ドリアノン軍と冒険者が着く前にラボを離れたアルカンタラは、半ば軟禁される形で森守に匿われていた。


【菫の庭園】からの無茶な願いに、森守達は頭を抱えたに違いない。森守達はかつて魔族の侵攻によってドリアノンが陥落する前の、旧支配層なのだ。都市が奪還されてまだ五年も経っておらず、魔族との死闘も記憶に新しい。


 都市奪還の立役者で、森守達にとっては恩人でもある『大賢者』スミスと『聖女』レナがいなければ、要望は受け入れられなかったかもしれない。フェスタ達が休息を取るという体で廃棄区画を離れたのも、魔族に対する抑止力が必要だったからだ。


「ちょっと待ってね。拘束輪を何とかしてみるから」

「このままで構わぬ」


 アルカンタラは、フェスタの申し出を断った。同席していた森守が、ホッと溜息をつく。


 首と手足の五箇所に装着された輪は、今も行動を阻害している。アルカンタラ自身も森守やドリアノン住民に恐れられている自覚はあり、この輪で彼等の安心を担保出来るならばそれで構わないと考えていた。


「それ一個で、私なら身動きも出来なくなるんだけどね……」


 フェスタは魔族の強靭さに呆れ気味だ。


「疑問なのは、そんな貴方がどうしてあそこラボに捕らわれていたのか、ですが」


 スミスが本題に切り込む。


【菫の庭園】一行は、アルカンタラがラボにいた経緯と、これからどうする気なのかを聞く必要があった。返答の如何によっては、この魔族への処遇が大きく変わってくるのだ。


 魔族は口元から牙を覗かせた。恐ろしげな顔ではあるが、威嚇している風ではない。ネーナには苦笑しているように感じられた。


「過大に評価されたものだ。ぬしにも、この場におらぬ二人にもまるで敵う気がせぬというに、『賢者』よ」

「私をご存知という事は、貴方はドリアノンを攻めた魔王軍の一員だったのですか?」

「然り」


 短い肯定の言葉。敵として死力を尽くして戦い、生き延びた者同士が再び出逢う不思議。


「ぬしの問いに答える為には、順序立てて話さねばならぬ。我が魔王軍四天王アモンの麾下の修道戦士モンクであった事は、その起点よ」


 大柄な魔族の男が自嘲気味に嗤う。


「我は多くの人族を殺した」

「私も多くの魔族や、敵対した人族を殺しましたよ。戦争でしたからね」


 スミスがアルカンタラを正面から見据える。表情こそいつもと変わりないが、周囲の空気が張り詰めている。二人を傍で見ているネーナは息苦しさを覚えた。


「……そうであったな。戦争だったのだ」


 アルカンタラは深く息を吐いた。室内の緊張感が緩む。


「我は魔王軍が撤退した後、この町で暮らしていた。人族に紛れてな」

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