第二百十三話 俺の知り合いに、野盗の親玉はいないがな

 戦場はシンと静まり返っていた。

 

 つい先刻まで辺りにただよっていた殺気、怒気、そういったものは霧散している。代わりに満ちているのは、極度の緊張感や畏怖だ。

 

 アルテナ帝国軍、そして義勇軍。帝国軍の南部駐屯地を巡って対峙する兵士達が見ているのは、争っている眼前の敵ではなかった。

 

 ガラガラと音を立てて回る車輪が、時折石を蹴る。

 

 砂埃すなぼこりを巻き上げ、白旗を掲げた四輪馬車コーチが、無言で向き合う両軍の間を花道のように進む。拍手や声援は勿論、野次や冷やかしの声も無い。

 

 馬車の周囲には、護衛の騎馬が付き従っている。一行が通り過ぎると、先頭の騎馬が殿しんがりまで下がって兵士達に向き直った。

 

 馬上から、アッシュベージュの髪色の青年が告げる。

 

「冒険者ギルド一行の通過に協力頂き、感謝する。両軍兵士の武運を祈る」

 

 戦場にははなはだ場違いな一行が、砂煙の向こうに消えた。後に残された兵士達は漸く、安堵の溜息を吐くのであった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「通してくれるものなのね」

「そんな訳ないでしょう」

 

 スープの器を手に、ギルド長のヒンギスがおざなりな感想を述べる。ツッコミを入れたのは、同行している秘書の女性だ。女性はサマンサ・ホランと名乗った。

 

 クールな印象を与えるヒンギスに対して、ホランは優しげな雰囲気。ヒンギスが営業部長時代から秘書を務めているという。

 

「白旗を掲げてはいましたが、降伏や無抵抗の意思表示ではありませんでしたからね」

「確かにこちらから、『手を出さなければ見逃してやる』くらいの感じだったかも」

 

 二人は黙々と食事をする冒険者達を眺める。夕食は野草のスープと堅パン、ベーコンとチーズだ。

 

先頭で威圧してた人オルトがいたから。パニックした奴でもなければ、手を出そうなんて考えられないよ」

 

 イリーナが焼いたベーコンを噛みちぎる。

 

「ま、後をついてくる程度は仕方ないね」

 

 ヒンギスを護衛する一行に志願したイリーナが、暗くなった南方を見やる。

 

 南部駐屯地から、つかず離れずの距離を義勇軍の兵士が追ってきていた。人数から見て戦闘の意思は無いと判断し、オルト達は追手を放置している。

 

 ヒンギスはリベルタのギルド本部から、支援チームの第二陣を率いる形でカリタスにやって来た。そこからは編成された護衛と共に帝都を目指している。

 

 ヒンギスの大きな目的は三つ。

 

 一つは帝国内のギルド支部の現状確認、そして各支部所属の職員や冒険者の安否確認。必要ならば保護まで。

 

 二つめはギルドの裏切り者であるSランクパーティー、【華山五峰フラム・ピークス】の処分。

 

 三つめは『カリタス事変』に関する事後処理。『話し合い』とも言える。

 

 カリタスを出発した一行はヒンギスとホラン、護衛としてオルト、スミス、イリーナとクロス、【明けの一番鶏】の三名と【路傍の石】の四名、計十三名。

 

 スミスは当初、カリタスに残る予定であった。しかしワイマール大公国のファーリア支部からAランクパーティーが到着し、支援チーム第二陣と合わせてカリタスの人員不足が大幅に改善され、護衛に加わる事になった。

 

 アルテナ帝国は現在、南部の反乱に呼応するように、東部の少数民族ゲリラと北部のドワーフ族が攻勢を強めている。いずれも帝国によって土地を奪われ、或いは国を滅ぼされた者達であった。

 

 西は『惑いの森』で、馬車が通れる道は大きく迂回している。移動にかかる時間を考えれば選択しづらい。どの道正規の入国が難しいならばと、オルトは直近の南部国境を抜ける事にした。

 

 選択したのはエクウス川に沿って北上し、半ば機能を失っている帝国軍の南部駐屯地を経由し、水道橋を目印に南部最大の都市ペトロネイアに向かうルートだ。ペトロネイアには冒険者ギルド支部があり、帝国内のギルド支部の現状を把握したいというヒンギスの目的にも合致する。

 

「南部駐屯地は陥落したと聞いていたのですが」

「――仕方ないさ。混乱して情報が錯綜しているんだろう」

 

 スミスに応えたのは、どこからか戻ってきたオルトであった。

 

「ギルド長、ホラン女史。民家の掃除が済んだので、今晩はそちらで休んで下さい。入浴は難しいが、桶に湯を用意します」

『えっ!?』

 

 驚いたヒンギス達の声が揃う。

 

 ヒンギスもホランも、今回の行程が護衛に大きな負担をかけるものである事は理解していた。野営は覚悟していたし、食事等で我儘を言うつもりも無かった。しかしのっけから、二人の想像とは全く違っていた。

 

「食事は美味しいし、普通に快適なのだけど……」

「冒険者って、いつもこうなのですか?」

『いやいやいやいや』

 

 オルト以外の冒険者が、一斉に首を横に振る。

 

 一行が今晩の野営地に定めたのは、住民が避難した為に放棄された集落である。前線はもう少し北で、この辺りは義勇軍の勢力範囲。概ね予定通りで、南部駐屯地だけが予想外だったのだ。

 

「オルトは前職がアレだからね」

「そうは言っても、近衛騎士なら誰でも何でも出来る訳ではありませんよ」

「ん?」

 

 イリーナとスミスのやり取りで、夕食の支度をしたオルトに注目が集まる。少なくともスミスの知る限り、本職顔負けのユーティリティ性を持つ近衛騎士はオルトやフェスタくらいだ。

 

「食事は大切だけど、メシマズなパーティーも多いからね。それで解散ってのも珍しい話じゃないし」

「そうなの!?」

 

 イリーナの話は、ヒンギスにとって初耳であった。

 

「ギルドには『メシマズだから解散』なんて言わないよ。方向性の違いとか、価値観の違いとかかな」

『ああ〜』

 

 ヒンギスとホランは納得する。その理由ならば、報告書でよく見るからだ。まるで離婚の理由みたいだと、ヒンギスは思った。

 

「私が食事で苦労したのは、【菫の庭園】ではなく勇者パーティーの時でしたね」

 

 スミスが言うと、仲間達が興味深げに耳を傾ける。

 

 サン・ジハール王国を大人数で出発した勇者パーティーは、トラブルから出国時点で多くの離脱者を出し、僅か四名となっていた。離脱者の中には貴族が連れていた料理人も含まれていたという。

 

 スミスがパーティーに参加したのは隣国のワイマール大公国からで、その時点で戦士のバラカス、僧侶のマチルダ、賢者のスミスが何とか食べられるものを作れる程度。

 

「食事の用意はお抱えの料理人に任せていたようで、暫くは大変でしたよ」

 

 スミスの苦笑は、懐かしげでもあった。

 

 勇者トウヤは炊事経験皆無で、味音痴なのか何でも美味しいと食していた。トウヤとマチルダの仲が深まったのは、思い起こせばマチルダが料理をする機会が増えてからだ。

 

 スミスの脳裏には、あまり美味いとは言えない料理を肩を寄せ合って食べる、在りし日のトウヤとマチルダの姿が浮かんでいた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 翌日、朝食をとった一行はペトロネイアへ向けて出発した。街道は荒れているが、馬車が通れない程ではなかった。

 

「ギルド長」

「なに、サマンサ?」

 

 ヒンギスの返事に、ホランは自嘲気味に笑う。

 

「私達、食事も含めて最近では一番健康的な生活をしていませんか?」

「そうね、否定出来ないわ……」

「お疲れ様です」

 

 馬車の中でヒンギス達と向かい合って座るアラベラが、こうべを垂れて二人を労う。

 

 実際、ギルド本部では毎日、目の回るような忙しさだったのだ。『深緑都市』ドリアノン支部の再建に目処をつけた副ギルド長のフリードマンが戻らなければ、こうしてヒンギスが本部を離れる事は出来なかった。

 

「でも、何とか状況も好転してきたし、頑張った甲斐は――?」

 

 コンコンと馬車の左扉が外からノックされ、ヒンギスは口をつぐむ。スミスが窓を開けて、外から覗き込むオルトに呼びかける。

 

「どうしました?」

「この先で煙が立ち上っている。小さな町がある筈だが、何か起きているのは間違いない」

「向かって、オルト」

 

 ヒンギスの指示を受け、オルトが窓から離れる。馬車の速度が上がった。

 

 後方の義勇兵、そして道中の罠や伏兵を警戒すれば、オルトが馬車から離れて先行する事は出来ない。冒険者達は、あくまでもギルド長の護衛なのだから。

 

「……野盗。いえ、義勇兵かもしれませんね」

 

 馬車の窓から顔を出し、スミスが遠見の魔法で先をうかがう。

 

 振り返れば、置き去りにされた義勇兵が慌てて追って来ている。少数で無警戒な様子から、この付近は義勇軍の勢力範囲と見るべきだとスミスは考えた。

 

 状況のわからないヒンギスが尋ねる。

 

「どうなっているの?」

「町が街道沿いの為、ここからではわかりません。一部では火災が発生しているようです」

「オルトに『一任する』と伝えて」

 

 ヒンギスは迷わなかった。町が迫り、オルトが叫ぶ。

 

「スミスは馬車の護衛を! クロスとイリーナ、【明けの一番鶏】はそれぞれ救護を! 【路傍の石】は二組で敵の掃討を!」

『了解!!』 

 

 仲間達の返事が重なり、一行が町に突入する。

 

 

 

「何て事……」

 

 車窓から町の様子を見たヒンギスは、絶句した。

 

 家屋は破壊され、一部は焔に包まれている。最も燃えているのは、町の中心にある聖堂らしき建物だった。

 

 服を剥ぎ取られて押し倒されながら、近くで血を流して横たわる男に懸命に手を伸ばす女。殴り倒される老人。乱暴に腕を捕まれ、引きずられていく修道服の少女。

 

 町を闊歩しているのは兵士達。馬車を追跡していた義勇兵と似た武具を装備している事を、オルトは見逃さなかった。

 

『――迅雷インペリテリ!』

 

 雷光が駆け抜け、女にのしかかる兵士が吹き飛ぶ。老人を切りつけようとする武器を持った手が、少女を引きずる腕が胴から分かたれ宙を舞う。

 

 スミスはどこからか取り出した杖を一振りし、雨雲を呼ぶ。降り出した雨が瞬く間に火を消し止めた。

 

「敵だと!?」

「帝国軍か!?」

 

 オルトの乱入で混乱した兵士達を、【路傍の石】の面々が次々に無力化していく。

 

「サマンサ、私達も!」

「はい!」

 

 薬箱を抱え、ヒンギスとホランも馬車を飛び出す。服の汚れも構わず応急処置を始める二人を、スミスは制止せずに同行する。

 

 町の入口で、甲高い警笛が鳴った。応えるように遠くからも警笛の音が聞こえてくる。増援が近づくのを察し、オルトは後をスミスに託して聖堂に駆け寄った。

 

「オルトさん!」

「下がってろ、アラベラ!」

 

 火が消えたばかり、もうもうと湯気の立つ聖堂の扉が小間切れになる。中から吹き出す熱風に喉を焼かれながら、オルトが呼びかける。

 

「俺達は冒険者ギルドの者だ! 君達を救援に来た! この熱さでは身体が持たない、外に出ろ!」

 

 忍耐も限界だったか、次々と避難していた住民が姿を現す。

 

 聖堂の中に誰も残っていない事を確かめるオルトを、アラベラが探しに来た。

 

「オルトさん、町の制圧は完了しました。ですが、敵の増援が到着したようです」

「わかった、すぐに行く」

 

 階段を駆け上がり聖堂を飛び出す。オルトの目の前では、町の住民を背にした冒険者達が、義勇兵の一団と睨み合っていた。

 

 一団が掲げる旗は、野鴨と蓮。聞き覚えのある声が、オルトに投げかけられる。

 

「――これは一体どういう事だ、オルト・ヘーネス」

 

 歩み寄りながら、オルトも言葉を返す。

 

「俺の知り合いに、野盗の親玉などはいないがな」

 

 オルトの辛辣な物言いに、ヒーロ・ニムスは顔をしかめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る