第二百十八話 私の幸せは、私が決めます

 前方の騎馬集団から一騎が飛び出した。

 

 馬上で陽光に煌めくのは、磨き上げられた銀色の鎧。

 

 騎馬は猛烈な速さで【菫の庭園】一行に迫り、荷馬車の寸前で威嚇するように前脚を振り上げ、立ち上がった。

 

「我等はトリンシック公国騎士団である! そこの荷馬車、停止せよ! 止まらなければ――うわぁッ!?」

 

 高圧的な命令の言葉が悲鳴に変わる。振り落とされた騎士の上に、口から泡を吹いた騎馬が倒れ込む。

 

「鎧はそれなりみたいだし、死んじゃいないでしょ」

 

 ピクリとも動かない騎士を見て、レナが不機嫌そうに鼻を鳴らす。事態は彼女の威嚇によるものだと、仲間達は気づいていた。

 

 

 

 騎馬集団の動きが慌ただしくなり、荷馬車はおよそ三十騎の公国騎士に包囲される。

 

 ネーナは荷馬車の左手に、ジャスティン・クーマンの側近であるタニアがいるのを見つけた。一瞬目が合うも、タニアは顔を背ける。

 

 以前は副官のようにジャスティンの傍らに控えていたタニアが何故離れているのかと、ネーナは違和感を覚えた。

 

「私は冒険者ギルドシルファリオ支部所属、【菫の庭園】のリーダー代行のフェスタです。これは一体、どういう事ですか?」

 

 フェスタが険しい表情で詰問する。

 

「【菫の庭園】一行が公国を再訪したと聞き、迎えに参上したのだ。ネーナ嬢は相変わらず美しいな」

 

 答えながらも、ジャスティンはフェスタでなく、ネーナに笑みを向けていた。そのネーナは、無表情で口を結んでいる。

 

 騎士達に遅れて、トリンシック公国の紋章が刻まれた二台の馬車が到着する。ネーナ達の荷馬車とは違い、貴賓が乗るような上等なあつらえであった。

 

「私達が聞いた話とは全く違いますね」

 

 僅かに眉をひそめながら、フェスタが言う。

 

「私達には公国騎士の指示により検問所で長時間拘束される理由も、公国騎士に威嚇され、このように包囲される理由も、護送される理由もありません。ここを通して頂きたいのですが、ジャスティン・クーマン公国騎士団副長閣下」

 

 荷馬車を包囲する騎士達がざわめく。

 

 反応は様々で、フェスタの発言に驚く者もいれば、【菫の庭園】一行に剣呑な視線を向ける者もいる。

 

「そのような荷馬車では疲れるだろう。こちらに移るといい」

「本日は日差しも柔らかく、屋根の無い開放感をパーティー一同楽しんでおります。お気遣いには感謝申し上げますが――」

「私はネーナ嬢とその仲間に助けられた。その礼をしたいのだ」

 

 ジャスティンがフェスタの言葉を遮った。礼をしたいと言いながら、明らかに礼を失している。

 

「それについては無用と申し上げた筈です。これ以上私達に干渉されるのであれば、ギルド本部と公国とで協議して頂く事になりますが」

 

 フェスタがハッキリと拒否を告げると、ジャスティンはあからさまに不満を表した。

 

「だが【菫の庭園】は、騎士団からの招待も指名依頼も全て断っているではないか。一体どうやってよしみを通じろと言うのだ」

 

 ネーナ達は絶句した。ジャスティンは全く悪びれずに、【菫の庭園】を呼び寄せる為に指名依頼を出したと言質を与えたのである。

 

 フェスタがカノ支部長の表情を窺う。ヴイトレは苦虫を噛み潰したような顔で対応を一任した。

 

 指名依頼といえど、受注の原則は通常の依頼と変わらない。依頼者と冒険者、双方が合意しない限り受注は成立しないのだ。ジャスティンはそれを全く理解せず、尊重もしていない。

 

 誼を通じる意図で出される依頼は、確かにある。冒険者本人やギルドに対して、受注するよう圧力をかける依頼者もいる。だがそれらは、何らかの体裁を取って為されるものだ。

 

 依頼が何かのダシだとわかってしまえば、ギルドは受け付けられない。冒険者ギルドは、個人では搾取されがちな冒険者を保護する役割を持つ。ただ右から左へ依頼を取り次ぐだけの仲介者ではないのだ。

 

 フェスタが溜息をついた。

 

「行動が制限されるのであれば、私達は引き返してカノから出国します。お話があるのでしたら、後日にリーダーのオルト・ヘーネスか私がお伺いします」

 

 途端にジャスティンが焦り出し、漸くフェスタをまともに見た。

 

「そ、それは困る。私は【菫の庭園】をもてなしたいのだ」

「でしたら今は、オルトとスミスが不在でフルメンバーではありません。やはりおいとまさせて頂きます」

「ぐっ」

 

 即座に切り返され、ジャスティンは悔しげに呻いた。が、すぐにニヤリと笑う。

 

「不在のメンバー二人は今、ギルド長と共に帝国にいるのだろう? ここで騒ぎになってもいいのか?」

 

 ネーナ達は発言の真意が読めずに首を傾げる。その沈黙に気を良くしたのか、ジャスティンは下衆な笑みを浮かべた。

 

「なに、大した話ではない。ネーナ嬢はあちらの馬車へご案内する。残りの者はもう一台に――」

 

 

 

『はぁぁぁぁっ……』

 

 

 

 五人は深く嘆息した。

 

 ここで騒ぎが起きて【菫の庭園】のメンバーがいると知れれば、帝国にいるギルド長一行に不都合があるのではないか。そうジャスティンは推測していたのである。

 

 その上でネーナ達に脅しをかけていた。ギルド長やオルトを困らせたくなければ、言うことを聞けと。浅慮、としか言えない。

 

「いいの? これ騎士団長も公爵も知らないよね? 騎士団副長って正式な役職でしょ? こんな馬鹿でいいのこの国?」

『なっ!?』

 

 歯に衣着せぬレナの物言いに、ジャスティンも含めた騎士達が愕然とする。その中で、タニアを含むごく少数は顔をしかめているのを、ネーナは見ていた。

 

「物凄い誤解をしてるようだから言っとくけど。オルトとスミスが二人で帝国に行ってるのは、万が一の事があってもあの二人なら、帝都を更地にしてギルド長を連れ帰れるからよ」

「はえっ!?」

 

 ジャスティンが間抜けな声を上げる。

 

「で、あたしらが五人でこうして別行動してるのは、このメンバーなら何かあっても切り抜けられるって、オルトが認めたから」

 

 それでも心配はしてるだろうけどと、レナは仲間達と顔を見合わせて苦笑する。ネーナもオルトの顔を想像し、クスリと笑った。

 

「具体的に言えば、目の前の鎧と馬だけは立派なボンクラ共を殺さず無力化して公都まで引きずってって、公爵をどやしつける事くらい問題なく出来んのよ」

「うわあッ!」

 

 剣の柄に手をかけた騎士が一人、悲鳴を上げて騎馬から落ちる。

 

 遅れてカツンという音と共に、落馬した騎士の後方の木の幹に、矢が突き刺さった。

 

 精霊弓を構えて、エイミーが警告する。

 

「――死にたい人までは、助けてあげないよ」

「信じるかどうかは好きにすればいいけど、命乞いは聞かないからね」

 

 レナの脅しで騎士達が震え上がる。

 

「全く……こういう勘違いした馬鹿が無用な被害を出しかねないから、静かに移動してるってのに。まさか公国騎士団がそうだとは思わなかったわ」

 

 レナが肩を竦め、ネーナを見やる。

 

「相手がご執心みたいだから、きっちりシメてやんなさい」

 

 ネーナはコクリと頷き、荷馬車を降りた。

 

 

 

「二度とお会いしたくはありませんでしたが、ご無沙汰しております、ジャスティン・クーマン騎士団副長閣下」

 

 綺麗なカーテシーで一礼し顔を上げ、ネーナは無表情のまま問う。

 

「以前の、部下の騎士の方々が負傷されている中での求婚など、意識を取り戻したばかりの気の迷い以外に有り得ないと思い聞き流しましたが、念の為確認させて頂きます。まさか正気ではありませんよね?」

 

 ジャスティンは真剣な表情で訴える。

 

「ほ、本気だ! 私はあの時、君に心を奪わ――」

「無理です」

 

 ネーナは食い気味に拒絶の言葉を放った。

 

「は?」

 

 呆けたような返事をするジャスティンを、ネーナはもう一度拒絶した。

 

「ですから、無理です。貴方に対して、微塵も好意を抱けません。最初からです」

 

 最初から。月光草を探す旅の途中、『惑いの森』で公国騎士達を救援した時から。ネーナのジャスティンに対する好感度は、底を打っていた。

 

 強力なゴーレムに太刀打ち出来ず、全滅は時間の問題と思われた公国騎士の一団を、ネーナ達は助けた。

 

 ジャスティンを含む多くの騎士は気絶しており、タニアなど数名が気力だけで立っている状態であった。彼等を治療したのはネーナと、当時は【菫の庭園】のメンバーだったブルーノだ。

 

「あの時、殆どの騎士は酷い怪我を負っていました。ですが、その怪我は身体の前面に集中していました。その中で既に意識を失った貴方は、背面だけに負傷がありました」

 

 ネーナは鋭く、呆けたままのジャスティンを見据える。視界の端で、タニアが唇を噛んだ事にも気づいていた。

 

 実戦の経験があれば、ネーナが何を言わんとしているかがわかる。敵に背を向けた、或いは逃げたのではないか。それを理解したジャスティンは真っ青になった。

 

「貴方は部隊の指揮官だった筈です。それが戦況にも、部下の状態にも目をくれず求婚ですか? それを私が喜ぶとでも? 馬鹿にしないで下さい」

 

 ネーナの目は怒りを湛えていた。

 

「貴方がたの足止めで時間を取られ、難病の治療は危うく間に合わない所でした」

「うっ」

 

 当初の予定よりシルファリオへの帰還が遅れ、さらに患者の容態は悪化していた。本当にギリギリのタイミングであったと言える。

 

「私達を呼び寄せる為の指名依頼がどのようなものだったかは知っています。公国内のCランク冒険者が対処出来ると思われる内容ばかりでした」

 

 それなのに、報酬はBランクやAランク相当。シルファリオ支部を通じて断りを入れた後、どうなったかはわからない。

 

「騎士団副長閣下は、私達が断った依頼がどうなったかご存知ですか?」

「あ、いや……」

 

 この男が知る訳が無い、そう思ってネーナが問えば、案の定の返事。

 

「それらの依頼が本物であったとすれば、現実に困っている方々がいるんです。公国騎士としても責任持って早急な解決をするのが筋ではありませんか? 被害が気にならないのですか?」

「そ、それは、君が危険な目に遭わないようなものを選ばせたから……」

 

 ジャスティンの声が尻すぼみになる。ジャスティンはネーナを呼び寄せる為に指示だけを出し、準備も後始末も全て他人任せにしていた。ネーナの視線が、さらに冷たさを増す。

 

「ぼ、冒険者など野蛮で危険ではないか。そのような仕事をせずとも、私の下に来れば苦労などさせるつもりは――」

「余計なお世話です」

 

 ネーナはピシャリと告げ、ジャスティンを黙らせた。

 

「私の幸せは、私が決めます。例え危険であろうとも、苦労しようとも、私の意志でお兄様や仲間達と一緒にいるんです。貴方にとやかく言われる筋合いはありません」

 

 後ろにいる仲間達には、ネーナの表情は見えない。だがその向こうのジャスティンは、明らかに怯えていた。

 

「こわッ」

「ネーナが鬼になったよ……」

 

 レナとエイミーは顔を引きつらせ、フェスタは困ったように微笑む。

 

「貴方がこうして足止めしている今この時も、私は大好きなお兄様の下へ帰り、そのお傍で過ごすとても大切な、幸せな時間を奪われているのです。どうやって貴方に好意を持てと言うのですか。貴方に一体、何の権利があると言うのですか」

 

 ネーナがツカツカとジャスティンに歩み寄る。ショックで表情が抜け落ちたジャスティンが、ビクッと肩を震わせた。

 

「通行の邪魔です。道を開けて下さい、今すぐに」

 

 前に突き出した両手をガバっと左右に広げ、ジェスチャーも交えて騎士達をどかすと、ネーナはスタスタと歩いて荷馬車に乗り込んだ。

 

「サンドリーヌさん、行きましょう」

「え、ええ」

 

 我に返ったサンドリーヌが手綱をしごき、荷馬車が走り出す。

 

 ムスッとしたネーナは、ジャスティンを一瞥もしない。ただ、一行に頭を下げるタニアをチラリと見た。

 

 公国騎士が荷馬車を追ってくる事は無かった。

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