第二百十九話 わたしには優しかったよ

 駅馬車に蹴られた石ころが、街道の端へ飛んでいく。

 

「わわっ!?」

 

 大きく揺れた客席で、うとうとしていたエイミーが慌てて周囲を見回した。乗客は【菫の庭園】の五人のみだ。

 

 ネーナはヴイトレ達に駅馬車のターミナルがある町まで送ってもらい、当地のギルド支部に立ち寄ってからずっと、ムスッと不機嫌そうな顔をしている。

 

 ヴイトレと共に立ち寄った支部で、【菫の庭園】は一件の討伐依頼への対応を要請された。その依頼はCランク帯のものであり、本来ならばAランクパーティーの【菫の庭園】が受けるものではない。

 

 だが支部長から依頼が入った経緯を、ヴイトレからは公国エリアのギルド支部が抱えている問題を聞かされ、リーダー代行のフェスタは依頼を受ける事にした。

 

 ネーナが不機嫌な理由は、その依頼によるものであった。

 

 

 

 トリンシック公国内のギルド支部は数が少なく、所属冒険者が十組に満たない小規模なものばかりだ。カノ支部のように、常駐の冒険者がいない出張所もある。

 

 ネーナ達が所属するシルファリオ支部は、急速に規模を拡大して四十を超えるパーティーを抱えている。だが発展する前でも二十組は在籍していた。

 

 その差異は公国とリベルタ、両国内の事情によって生まれたものであった。

 

 公国では討伐案件の大半は、騎士団が出動して処理される。おのずと冒険者の役割は、武力を必要としない便利屋的なものに落ち着く。腕自慢、力自慢の者達は居場所が無く、他国へ流れるか傭兵になるのだ。

 

 これは公国が『惑いの森』を挟んで対峙する、アルテナ帝国も似たような状況であった。帝国では騎士団でなく、東西南北の四方と帝都に配置された帝国軍が対処している。

 

 対してシルファリオを施政下に置くリベルタは、元冒険者等で組織されるフリーガードが治安維持を担当し、討伐案件は積極的に冒険者ギルドへ外注している。

 

 冒険者ギルドが本部を置き、国に大きな影響力を持つリベルタならではと言えた。

 

 ただ公国のギルド支部にも少数ながら、騎士団や一般から持ち込まれる討伐依頼はある。どちらも騎士団が対応しきれないものだが、実戦経験を積めず戦闘能力も低い公国の冒険者にとっては厳しい。

 

 他国のギルド支部との比較でも、討伐系依頼における冒険者の死傷率は高い。それが公国と帝国エリアの支部が抱える慢性的な問題なのだと、カノ支部長のヴイトレは言った。

 

 当地の支部長は、支部の冒険者では対処困難な案件だと判断して【菫の庭園】を頼った。その判断に、カノ支部長であるヴイトレと副支部長のサンドリーヌも同意した。

 

 依頼人は、ある町の町長だった。郊外で発生した魔獣被害を騎士団に訴えるも、対応出来ないからと冒険者ギルドに依頼するよう勧められたのだという。

 

 その地域を管轄するのは、ジャスティンの部隊であった。

 

 激怒したネーナは早々に現地へ出向き、師匠のスミス譲りの氷魔法で魔獣を全て凍結させた。仲間達の出番は無かった。

 

 後始末を任せる代わりに素材を全て町に寄付し、Cランクの報酬だけ受け取って【菫の庭園】一行は駅馬車に乗り込んだのだった。

 

 

 

 ノブレス・オブ・リージュ、という言葉がある。身分の高い者、力のある者には果たすべき責任があるという道徳観だ。

 

 正直、王女であった頃のネーナに実感は無かった。国の状況も人々の暮らし向きも知らず、触れ合う機会も無かったから。

 

 生まれ育ったサン・ジハール王国を離れ、色々な事を学んで、考えるようになった。十五歳までは王女として様々な恩恵を享受し、王国に対して何かしなければならないのではないかと思う事もある。

 

 そんなネーナだから、公国の元首に連なる血筋であり、かつ騎士団という人々の暮らし向きを守るべき組織の幹部であるジャスティンの振る舞いには、怒りと嫌悪以外の感情を持てなかった。

 

 そもそも、ネーナ達に絡んでいる時間があればジャスティンの部隊が対処出来た筈。それを、既に被害が出ているのを承知でたらい回しにしたのだ。

 

 依頼を受けつけた支部では、【菫の庭園】に断られたとしても所属冒険者を動員して討伐に臨む準備をしていた。冒険者の存在意義に賭けて職責を果たそうとしていた。

 

 ジャスティンへの怒りを鎮める事は、ネーナにとって土台無理な話であった。

 

 

 

 駅馬車は一路、公国北部のロルフェス侯爵領へひた走る。その領都ハリステアスには、テルミナのパーティーメンバーであったスージーが、侯爵夫人となって暮らしている。

 

 ネーナ達の目的地であり、テルミナはそこで【菫の庭園】とは別行動となる予定だ。

 

 今生の別れという訳でもないが、誰もその事に触れようとはしなかった。

 

 会話の無い車内で、誰にともなくレナが言う。

 

「そう言えばさ。ハリステアスには有名なお菓子屋さんがあるんだよね。マカロンが美味しいんだって」

「へえ、行った事あるの?」

 

 フェスタが尋ねると、レナは頷いた。宙空に微笑みかけていたテルミナも顔を向ける。きっと精霊と戯れていたのだと、ネーナは思った。

 

「勇者パーティーの時に、町には行ったよ。お店はやってなかったけど」

 

 前回にレナが訪れた時、公国の北の国境に面するロルフェス侯爵領は、対魔王軍の防波堤となっていた騎士団領が陥落した事で最前線となっていた。

 

 当時の領都ハリステアスは騎士団領からの難民と防衛に集まった兵士や騎士で溢れかえり、混乱の最中にあった。菓子店の営業どころではなかったのである。

 

 ネーナは違和感を覚えた。レナは甘味よりも酒のさかなというタイプだ。

 

 その視線に気づいたレナが苦笑する。

 

「勇者パーティーでそんな事を言ってたやつがいたなって、思い出しただけよ」

「ボニータお姉さん?」

 

 エイミーが首を傾げる。

 

「そっか、エイミーはもういたっけね。そのボニータよ」

 

 レナはつまらなさそうに言った。彼女が以前に少しだけ、そんな話をしたのを、ネーナは覚えていた。

 

「パーティーのメンバーとデキて、そいつと二人でバックレた女。それも、これからベネット要塞の救援に行こうって前日にだよ」

 

 テルミナが少し表情を硬くする。彼女は激戦の末に陥落したベネット要塞の、僅かな生存者の内の一人だった。

 

「正直、今の今まですっかり忘れてたよ。ネーナには話した事、無いよね?」

「はい」

 

 不機嫌オーラを引っ込め、ネーナが応える。

 

「そっかあ……まあ、楽しい話じゃないんだけど。侯爵領まではまだ時間があるし、思い出した時でもないと話せないもんね」

 

 レナは記憶を辿るように、遠い目をした。

 

 

 

 

 

 細剣レイピア使いのボニータが勇者パーティーに加わったのは、都市国家連合から帝国、トリンシック公国へと転戦する最中の事。アルテナ帝国の推薦であった。

 

 両親は旅の劇団の団長と看板女優。当人も役者になるつもりだっが、舞台の殺陣たての為に教わった剣術で才能を見出された。

 

 可愛らしさと人懐こさで、男受けが良かった。当時パーティーにいたレナは聖女モードで隙が無く、エイミーは幼い上にパーティー加入までの経緯から人間不信であり、余計に男性の視線はボニータに集まった。

 

 両親の劇団に将来を誓った相手がいる、そう言って数多の誘いを断っていたのは初めの一月だけだった。

 

 自分からトウヤに色目を使い始めたものの、愛した女性ひとの死と終わりの見えない戦いの日々で心を閉ざした彼の瞳に、ボニータが映る事は無かった。

 

 そんな時に前衛としてコンビを組む機会の多かった美形の暗殺者アサシン、クライファートが言い寄ってくれば、ボニータがほだされ情を交わすのも自然な成り行き。

 

 快楽に溺れて生活も性も乱れ始め、勇者パーティーの活動に後ろ向きになり、トウヤや他のメンバーに対して批判的、否定的な発言が目立つようになった。

 

 ある日、いつまでも来ないボニータをレナが起こしに行くと、部屋はもぬけの殻であった。クライファートも共に姿を消していた。

 

 翌日には、魔王軍の猛攻に晒され窮地に陥っているベネット要塞へ救援に向かう事になっていた。

 

 二人の逃亡を知らされたトウヤは表情を変える事なく、仲間達に予定通りの出発を告げた。

 

 レナには、トウヤの思いの丈を知る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 話し終えたレナが、うんと頷く。

 

「こんなとこかな。プロフィールは本人の申告だからアテにならないけど。クライファートなんて全部不明だったし、イケメンで腕は立ったけど、怪しい事この上ないよね」

 

 テルミナはポツリと呟いた。

 

「……そんな状況で、それでも貴女達は救けに来てくれたのね」

 

 淡々と話すレナに、ネーナは尋ねた。

 

「レナさんは、怒ってないんですか?」

「怒る? あたしが? ボニータにって事?」

 

 レナが首を傾げる。

 

「無いねえ。トウヤはとっくに壊れちゃってたし、他の連中も怒ってはいなかったと思うよ。死にたくないのは皆一緒だしさ」

 

 勇者パーティーでは、離脱する者を引き止める事は無かったのだと、レナは言った。それはトウヤの意向であり、ボニータやクライファートもその事は知っていた筈だともと。

 

「一言誰かに言うか、書き置きでもあれば『ああ、そうか』で済んだのに、何でああいうバックレ方をするかなとは思ったけどね」

 

 命を落とすにせよ、パーティーを離脱するにせよ、いなくなるという点では同じ。非常にドライな関係だと、ネーナは思った。

 

 ネーナの顔を見て、レナが笑う。

 

「【菫の庭園】とは全然違うよ。こっちは仲間っていうか、家族みたいな感じ? あたしは親の顔も知らないから、そういう表現でいいのかわかんないけど」

「わたしは、家族だって思う。今の方がいいよ」

「うん、そうだね」

 

 自らも勇者パーティーにいたエイミーに、レナは微笑みかけた。

 

「でも……ボニータお姉さん、わたしには優しかったよ。わたしが勇者パーティーに入った時、たくさん話しかけてくれて、お菓子もくれて」

「うん」

 

 自分にとっては優しいお姉さんだったと、エイミーが言う。レナはそれを否定しない。

 

 レナ自身も他のメンバーも、当時は碌な休みも無く戦場を駆け続け、自分の事で一杯だったのだ。同行する成人年齢にも満たないエイミーを、十分に構ってやれたとは言い難い。

 

 それを気にかけていたボニータは、確かに心優しい女性だったのだろうと、レナは思った。

 

「……わたし、ボニータお姉さんに、一緒に逃げないかって言われた事あるよ。たぶん、お姉さんがいなくなる三日前くらい」

「うん」

 

 エイミーの唐突な告白は、レナも初耳であった。

 

「わたし、トウヤやみんなを置いていけないって、断ったの」

「うん」

「ボニータお姉さん、寂しそうだった」

「そっか」

 

 エイミーは直感的に他者の感情を察する。もしかしたらボニータは、エイミーを連れて行きたかったのかもしれない。レナはそう感じた。

 

 エイミーが今までこの話をしなかったのも、恐らくボニータ達が突然姿を消して勇者パーティーが苦境に陥った中で、口にするのがはばかられたからだ。それを言えるようになったのは、今が幸せだから。

 

 レナは改めて、自分とエイミーが戦いの果てに手に入れた、今の暮らしを噛みしめる。

 

 

 

 ネーナは駅馬車の横を流れる景色を見ながら、思いにふけっていた。

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