第二百二十二話 メイド服の侯爵夫人
バスティアンと【菫の庭園】一行が、領都ハリステアスの目抜き通りを進んでいく。
「ネーナ、ありがと。スカッとしたわ」
「私からもお礼を言わせて」
レナとテルミナが礼を述べると、ネーナはふるふると頭を振った。
領都の住民達の言い草は、決して聞き流す事の出来ない酷いものだった。宿屋の対応の悪さを指摘すれば、相手は冒険者や勇者パーティーの批判に転じて論点をズラそうとした。
ネーナは住民達に厳しく言い返したが、やりすぎたなどとは思っていない。バスティアンが収拾をつける為に割り込んだのも、内心不満ですらあった。
住民達は余所者嫌いに加えて、冒険者への理解もまるで無かった。侯爵領にギルドが無い事もその一因だが、それは魔王軍との戦いで多くの冒険者が戦死し、三年程前にトリンシック公国エリアで支部の大規模な統廃合が行われたからだ。
北の大山脈を越えて攻め寄せる敵を、公国は決死の防衛戦で食い止めた。動員された騎士、兵士、冒険者を含む多くの人命が失われ騎士団領も敵の手に落ちたが、隣接する侯爵領へ敵の侵入を許す事は無かった。
仮に公国が完全に抜かれていれば、侯爵領のみならず大陸西部の被害は何倍にも膨れ上がっていただろう。戦って奪おうと迫りくる相手に退けば、どこまでも踏み込まれる。
そこにテルミナ達冒険者も、レナやエイミー、スミスといった勇者パーティーも投入され、文字通り命を懸けて侯爵領に暮らす民を守り抜いたのである。
そんな彼女達が侮辱されていい訳が無い。ネーナはそう思っていた。
「……途中からですが、私も聞いていました。領民が大変申し訳ありませんでした」
ネーナ達の前を歩くバスティアンが振り返る。
彼はロルフェス侯爵家の使用人であった。【菫の庭園】一行が侯爵夫人となった冒険者のスージーに会いに来たと知り、案内を買って出たのである。
タイミング良くと言うべきか、スージーは市街で買い物をしているという。一行はスージーがよく立ち寄る店舗に向かっていた。
「おばちゃん達のあの言い様だと、衛士隊も信用出来なさそうだけどね。一応、ギルド経由で報告はさせてもらうよ?」
侯爵領の対応には期待していないと、レナが釘を刺す。バスティアンは申し訳なさそうに承諾した。
冒険者ギルドでは、所属冒険者から寄せられた各地の情報を随時更新している。それは同様のトラブルを回避するのに大いに役立っており、一般の旅行者や商人にも公開されていた。
下町や貧民街ならいざ知らず、市門を入って間近の宿屋とその周辺住民から、恫喝や詐欺を疑われる言動があった。その情報を共有しないという手は無い。
冒険者ギルドが領都ハリステアスの危険度評価を上げれば、来訪者の減少に繋がりかねない。だがそれも、自業自得と言えた。
「あれが初めてでほんの出来心だったって言われても、あたしには信じられないよ」
「そうね」
呆れた顔のレナに、フェスタも同意する。
「どうしたの?」
黙っているネーナに、エイミーが声をかける。ネーナは
「……あの、両親を魔王軍に殺されたという少年の事を、考えていました」
彼はもしかしたら、以前にテルミナが言っていた、ベネット要塞の生き残りの少年なのかもしれない。ネーナはそう考えていたのだった。
「確かに同じような事を言っていたけど」
「子供は三年も経てば、大分見た目が変わるからな〜」
テルミナとレナは、少年が同一人物だと確証を持てないようであった。
侯爵領自体に大きな被害は無くとも、隣接する騎士団領が陥落して多くの避難民が流れ込んだ。ベネット要塞の少年が侯爵領にいてもおかしくないが、戦いで両親を失った子供も珍しくない。
「いいよ別に。もう一度話す気にもなれないし、もし同じ子だったとしても、周りの大人があんなじゃ子供だって変わらないでしょ」
領都住民全てが同じではないのかもしれないが、これ以上関わり合うのは勘弁して欲しい、とレナが肩を竦める。それには同感だと、ネーナは苦笑した。
バスティアンが立ち止まり、ネーナ達も足を止める。
目の前には二十名程が並ぶ列があり、その先の店舗からは焼菓子の香ばしい匂いが漂ってくる。
「奥様にお知らせしますので、こちらでお待ち頂けますか?」
一行が了承すると、バスティアンは小走りに目の前の行列に近づいて行く。ネーナは首を傾げた。
「メイドさん、ですか?」
バスティアンが話しかけたのは、メイド服を着た女性であった。列の後方にいるネーナ達からは、女性の表情を窺い知る事は出来ない。
女性は肩を震わせ、まるで
眉のキリッとした、気の強そうな顔立ち。ローブのフードを被ったテルミナを見つけて、アーモンド色の瞳が大きく見開かれた。
◆◆◆◆◆
女性は買い物を済ますと、ネーナ達について来るように促した。それきり何も言わず、前を見据えて歩き続ける。
以前と同じその後姿に、テルミナは懐かしさを覚えていた。女性は自らの素性に言及しなかったが、スージーだと確信していた。
市街を東に抜けて人目が無くなると、それまで女性と並んで歩いていたバスティアンがスッと後ろに下がる。
一行は市門より立派な侯爵邸の大門に近づいて行く。長く緩やかな上り坂の先では、城と言っても差し支えない佇まいの侯爵邸が内塀に囲まれ、領都を見下ろしている。
だが女性は大門の手前で、突如脇に逸れた。
バスティアンもそれに従う。門番達も見咎める様子は無く、高い外塀伝いに進む二人を、ネーナ達は戸惑いながら追いかける。
目立たない場所にある通用門で、バスティアンと門番が問答を始める。声は聞こえずとも門番がチラチラと視線を向ける事から、ネーナ達の通行に関する内容である事は容易に想像できた。
難色を示し続けていた門番も、女性の口添えで折れた。一行は所持品の検査を受けて門を通り、息を切らせて急な階段を上り詰めた。侯爵邸の内塀に行き当たると、前を進む二人は塀に沿って侯爵邸の裏へと向かう。
ネーナは多くの疑問を持っていた。
目の前の女性が侯爵夫人のスージーだとして、何故メイド服で、供も連れず、徒歩で外出しているのか。バスティアンが彼女と合流したのは、最初にネーナ達と別れてからだ。
市街で会ってから一時間近くも、正規のルートを避けて侯爵邸を目指している。これでは本当に使用人、メイドと変わらない。仲間達も微妙な表情で、同じような事を考えているらしかった。
考えを巡らすネーナの視界に、塀の外側に張り出すようにして建つ、古い館が見えてきた。
◆◆◆◆◆
テーブルにカップと茶菓子を置き、メイドが下がっていく。
先刻までメイド服姿だった女性は、既にドレスに着替えて上座に腰を下ろしている。その後ろにバスティアンが控え、彼女が正しく屋敷の女主人である事を示していた。
「ひとまず、病気や怪我は無いようだけれど――」
応接室の沈黙を、テルミナが破る。
「抱き合って友人との再会を喜ぶという状況ではなさそうね、スージー」
テルミナの正面で、スージーと呼ばれた女性は気まずげに紅茶を口に含んだ。
遥々シュムレイ公国から、侯爵夫人となって冒険者を引退したまま便りも無い仲間に会いに来てみれば、当人はメイド服で町を歩いていたのである。説明を求めるのも当然だ。
テルミナは溜息をついた。
「先に仲間達を紹介するのが筋ね。彼女達はシルファリオ支部所属のAランクパーティー【菫の庭園】よ。もう二人メンバーがいるけど、今は別行動なの」
紹介を受け、ネーナ達が頭を下げる。
「Aランクパーティー?」
スージーが不思議そうに聞き返した。彼女が離脱した時点で、所属パーティーの【屠龍の炎刃】はSランクだったのだ。テルミナが一人、Aランクの別パーティーと行動を共にしている理由が、彼女には想像出来なかった。
テルミナは、自分達のミスにより迷惑をかけた事から【菫の庭園】との繋がりができたのだと説明する。
現在【屠龍の炎刃】は、自らのクランを率いてシュムレイ公国に拠点を置いている。未だ政情不安を解消出来ない地域の安定に力を尽くしていると聞き、スージーは遠い目をした。
「シュムレイ公国に、マヌエルがいるのね……今も彼は――」
「彼は真っ直ぐよ。何も変わってないわ」
テルミナの返事に、スージーは嬉しそうな、それでいて寂しそうな複雑な表情を見せた。
「仕合ってボロ負けしたけどね」
「えっ」
スージーが驚きの声を上げる。
「だ、誰と戦ったの? マヌエルは無事なの!?」
「落ち着いてスージー」
腰を浮かし、テーブルに手をついて身を乗り出す友人に、テルミナが苦笑する。
「マヌエルはピンピンしてるわ。戦ったのは、私が一緒にいる彼女達のリーダーよ。オルト・ヘーネスと言って、今はギルド長の護衛でアルテナ帝国にいるの」
『剣聖』マルセロと引き分け、Sランク冒険者のマヌエルを下し、同じくSランクのムラマサも一目置く。『
聖堂騎士団の序列上位メンバーを一蹴した事は、ストラ聖教の箝口令にも拘らず世に知られている。先立っては、ギルドの犯罪者であるSランクパーティー【
テルミナが淡々と告げるオルトの戦績を聞き、スージーは浮かしていた腰を、呆然と椅子に下ろした。ネーナとエイミーは満足げに頷いている。
「ちなみに
「ええっ!?」
スージーが再び驚きの声をあげる。一般には、SランクとAランクの間には隔絶した力量差があると認識されている。だからこそのSランクなのだ。
スージーは信じられない思いで聞いていたが、テルミナはつまらない冗談を言う女性ではない。
「オルトも【菫の庭園】も、本人達の意向でAランクに留まっているから。ギルドは昇格させたいけど、無理強いして脱退される訳に行かないもの」
「そうなのね……」
冒険者証こそ返上していないが、侯爵夫人となって以降のスージーは侯爵領から殆ど出ていない。戦闘を伴う活動としては、魔獣討伐をする領軍に同行した一度だけだ。
侯爵領に冒険者ギルドの支部は無く、閉鎖的な土地柄の為に冒険者はおろか旅人も商人も寄り付かない。スージーが外部の情報に触れる機会は皆無であった。
「話せる事は、まだ沢山あるけど」
「私は数少ない公務以外は、ずっとハリステアスにいたから……」
スージーは改めて客人達の顔を一人一人を見やる。そしてその視線は、レナの所で止まった。
「……貴女、どこかで会ったかしら」
「ベネット要塞だね」
レナが即答する。
「あたしは覚えてるよ。あんたはあたしの事、親の敵みたいにずっと睨んでたからね」
「そ、そうだったの。ごめんなさい」
謝罪はしたものの思い出せない様子のスージーに、テルミナが答えを告げる。
「彼女、勇者パーティーの『聖女』よ。マヌエルを癒したのも彼女よ」
「えっ!?」
またも驚きで目を見開くスージーに、レナは肩を竦めた。
「元がつくけどね。聖教は飛び出して来たし、もう関係無いから」
スージーの記憶の中のレナは、ゆったりした神官服に薄い化粧のみの、聖女然とした清楚な女性である。目の前にいるのは、身体のラインが丸わかりで露出の多い服装に派手なメイクの女性。全く重ならなかった。
「誰もがあたしに聖女である事を求めたけど、お人好しな今の仲間は、嫌なら聖女でなくていいって言うの。聖女でなくても、ここにいていいって。だからあたしは、ここにいるの」
やはりレナの姿は、スージーの記憶とはかけ離れたものであった。
ネーナはスージーの顔をじっと見ていた。
楽しげなレナを見つめる彼女の瞳には、心なしか羨望の色が浮かんでいるように、ネーナには感じられた。
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