第二百二十三話 あれ、生きてるよね?
スージーは、ポツリと呟いた。
「……私は、貴女が羨ましかった」
「あたしが?」
レナが自分を指差せば、スージーがコクリと頷く。
「実力は勿論、若さも美しさも、私が欲して止まないものを貴女は持っていたから」
「まあ、ストラ聖教としては目立って貰わなきゃ困るからね。だからこそ選ばれた『聖女』なんだし」
レナが頬を掻く。スージーからの評価を何一つ否定しないが、全く嫌味が無い。代わりに伝わってくるのは、それだけの努力を才能に積み重ねたという自負だ。
ストラ聖教以外にも聖女と呼ばれる者や、自ら聖女と名乗る者はいる。だが頭に「ストラ聖教の」とつけば、その言葉の重みは全く変わってくる。
各地より集った
数多の『優秀』に埋もれたスージーは、聖女候補に選ばれなかった。その後冒険者として頭角を現すも、次の世代の聖女候補には、とびっきりの『特別』――レナがいた。
巡り合わせや成長曲線の不運もあるにせよ、冒険者としてSランクパーティーの一員となっても、聖職者としては
対するレナは、肩を竦める。
「あたしからすれば、突然聖女候補にされて、鍛えてたら聖女って言われてただけなんだけどね」
ベネット要塞でスージーが睨んでいたのは覚えているが、レナにとっては修行中に聖女候補達から向けられていたのと同じ視線であり、感情でしかなかったのだ。
「あんたが羨ましがった力で、あたしが何をしたかって言うとさ。傷つき力尽きた戦士達に死ぬ事を許さず、何度も戦場へ送り返したの。
感情を乗せず淡々と告げるレナは、不思議な迫力を感じさせた。スージーは少し怯みながら言葉を絞り出す。
「……私は、力があれば多くの人を救えるんだと、そう思ってたの」
「安らかな眠りを奪われた人々は、あたしを一言も責めず、礼すら言って死地に戻って行ったよ。何度も、何度も、あたしの癒やしの力が及ばなくなるまで」
レナが噛み合わないやり取りの後で自嘲気味に笑えば、スージーは何も言えなくなっていた。
応接室の沈黙を破り、フェスタがレナを
「レナ、その辺で収めておいて。お互いの紹介くらいは終わらせないとね」
一同がハッとする。
テルミナが【菫の庭園】メンバーを紹介すると、スージーは改めて居住まいを正した。
「ロルフェス侯爵夫人のスージーと申します。皆様には家人が大変お世話になったとの事、深く御礼申し上げます」
背後に控えるバスティアンと共に頭を下げる。
「お部屋は準備しております。何日でも、おもてなしさせて頂きますぞ」
バスティアンが微笑む。室内での立ち位置といい、家令や執事のようであった。
ネーナ達はその申し出を有難く受けた。領都に着いて早々のトラブルで、宿を探す気が無くなっていたのだ。
「正直、助かるわ。もう野営した方が快適なんじゃないかって、私は思っていたから」
テルミナと同じように考えていたネーナ達が頷く。エイミーはずっと我慢していたのか、オレンジショコラテリーヌを一切れ頬張り目を輝かせた。
ネーナはそれを横目に見ながら問いかける。
「お聞きしたいのですが……侯爵夫人は、いつもお買い物はお一人で、あのような格好でなさっておられるのですか?」
聞かれると思っていたのか、スージーが苦笑する。
「この館は私的な空間だから、スージーと呼んで頂戴。質問にはYes.と答えさせて頂くわ」
余所者には過ごし辛い領都でも、侯爵家のメイドに絡む愚か者はいない。排他的な町の数少ないメリットで、外から来て不埒を働く事は難しいのだと、スージーは言う。
その回答が理解出来れば、ネーナには新たな疑問が湧いた。
「侯爵夫人であるスージー様が、どうしてそのような事を?」
スージーとバスティアン、室内のメイド達の表情が、目に見えて曇った。ネーナのこの質問が、スージー達の置かれている状況に関わるものである事は明らかだった。
「……契約でね、話せないのよ」
「それでは仕方ありませんね」
済まなさそうに言うスージーに、ネーナはあっさりと折れた。食い下がる事を予想していたのか、スージーと家人達は拍子抜けした様子を見せる。
「テルミナさんは、もう少しお話しされますか?」
「そのつもりよ。皆は部屋にいるの?」
ネーナが顔を窺うと、仲間達は肯定するように頷いた。
「そうさせて頂こうと思います」
「ここまで長旅だったのよね。気づかずごめんなさい」
スージーが一行に詫び、バスティアンに案内を指示する。
ネーナ達はテルミナを残し、応接室を出た。
◆◆◆◆◆
「ふぃ〜、生き返った〜」
上気した顔のレナが、ご機嫌な様子でやって来る。
「湯浴み出来るのは嬉しいね〜」
「今回は野営もあったし、身体を拭くだけの宿も多かったものね」
フェスタが同意する。普段、【菫の庭園】の女性陣はあまり不満を訴えはしないが、やはり汗を流せるというのは有り難かった。
一行が案内された部屋は、家具や内装こそ古めかしいものの、手入れも清掃も行き届いていた。ネーナとエイミー、フェスタは先に湯浴みを済ませて
「四人揃ったわね。ここに何日滞在するかだけど……」
「長居する理由はありませんね」
ネーナがフェスタに応える。
このハリステアスまでテルミナを送り届けて、今回の四人のミッションは達成されている。道中、彼女の指導でエイミーの精霊術は大きく進歩したし、精霊熊のガウと出会って精霊弓も輝きを取り戻した。
スージー達に何らかの事情があるのはわかったが、先方が言えないのなら話はお終いだ。
「お兄さんとおじいちゃんの所に行きたい〜、ミアお姉さんに会いたい〜」
エイミーがテーブルに突っ伏し、足をバタバタさせる。
「あっちはまだ一山も二山もありそうだもんね」
レナは水差しの下で大きく口を開けた。
別行動のオルトとスミスは、ギルド長と共にアルテナ帝国に滞在している。ギルドと帝国が武力衝突に至った件の解決と、帝国内のギルド支部保護が大きな目的ではあるが、二人には他にも狙いがあった。
同僚の冒険者パーティー【禿鷲の眼】の消息を掴む事がそれだ。スミスからの連絡で、ミア達は帝国で拘束されていたのがわかっている。
四人は気を揉んでいたがテルミナの手前、話題にする事を避けていた。カノ支部長から聞いたのは、ミアの身柄を保護したという部分のみだ。
「かなりの集中を要するので頻繁には出来ませんが、そろそろ連絡した方が良さそうです」
ネーナは音声だけをやり取りする宝珠を所持している。自らの魔力を通して使用するタイプで、移動しながらの通話や他の作業と並行しての通話が出来ない。相手の位置をある程度正確に認識しなければならず、両者の距離が開く程に通話難度が上がるのだ。
宝珠を取り出そうとするネーナを、フェスタが止める。
「夕食で呼ばれるでしょうから、その後がいいわね」
「はい」
四人は、オルトやスミスと早めに合流した方がいいと考えていた。彼等が何か、自分達には伝えていない目的を持っている、そんな気がしていたのだ。
「お姫様みたいに大事にされるのも悪い気はしないけどさあ、置いてけぼりはまたそれで、腹が立つんだよね」
レナが言うと、他の三人も深く頷くのだった。
「あ、テルミナお姉さんだ」
近づいて来る気配を感じ、エイミーが顔を上げる。テルミナは入室すると、柔らかいソファーに腰を沈めた。
「皆はすぐに発つの?」
「今、その話をしてた所。いても二泊までかな」
「そう……」
フェスタの返事に、テルミナが考え込む仕草をする。
「出発を、少し遅らせる事は出来る?」
「理由と期間次第だと思います」
今度はネーナが答えた。テルミナは沈黙し、暫し間が開く。
ネーナには、テルミナが悩んでいるように思えた。つい先刻までとは様子が違っており、スージーとの話で何かあったと考えるのが自然だ。
「まずは話して下さい、テルミナさん。出来る事出来ない事、優先順位などありますが、聞いてみなければ判断出来ません」
「……そうよね」
テルミナが肩を落とす。この領都まで【菫の庭園】の一員として行動を共にしてきたテルミナは、ネーナ達が置かれている状況を知っている。
ネーナ達を引き止めるべきではないと理解していながら、留まって欲しいと考えている。テルミナの葛藤は、仲間達にも伝わっていた。
ネーナがふうと溜息をつく。
「どうしましょうか。私達はお兄様とスミス様に合流したい。スージー様は何やらお困りのようですが、彼女の事情がわからなければ、私達も手の出しようがありません」
「侯爵夫人は話してくれそうにないしね」
レナがチラリと、渋面のテルミナを見やる。だがそこで、五人の意識は部屋の外へと向けられた。
廊下が突然騒がしくなる。幾つもの足音が慌ただしく行き交い、遠くでは男女の怒鳴るような声も聞こえる。
乱暴に扉を開ける音が、ネーナ達の部屋に近づいて来る。
「探しものかな? それにしちゃ、荒っぽいけど」
「スージー様はご不在のようですね」
レナとネーナが立ち上がり、他の三人も続いた。
部屋を出た一行に、メイドが駆け寄る。
「いけません皆様、お部屋にお戻り下さい!」
見ればネーナ達の部屋を守るように使用人達が集まり、人垣を作っている。
「奥様のお客様は私達がお守りします! どうかお部屋に!」
人垣の隙間からは、こちらに背を向け侵入者達と対峙するバスティアンの姿が見えた。
「だから冒険者を出しなさいよ! ここに来てるのはわかってるの!」
侵入者の中からヒステリックな叫び声を上げる。数名の兵士に囲まれた女性はアクセントにフリルのついた赤いドレスに、ゴテゴテと大粒なアクセサリーを身に着けている。
大分離れた場所にいるネーナでさえ、香水のキツい匂いが鼻に突く。一つ一つのアイテムは素晴らしい品であろうが、お互いに主張し合って散々たる有様になっていた。
「客人は奥様の知己だ! 例え旦那様でも勝手に連れて行く事は出来ぬ!」
バスティアンが大喝する。女性は歯噛みした。
「何よ偉そうに! 今はお前じゃなくて父さんが家令なんだから! 使用人だってクビになった癖に!」
「その通り。我々は旦那様に解雇され、奥様に雇って頂いた奥様の使用人だ。そしてこの館は旦那様がお認めになった、奥様のもの。愛人風情が好きに振る舞えると思うな!」
地団駄を踏む女性に代わり、その隣の大柄な男が前に出る。男は立派な鎧と剣を装備しており、侯爵家の騎士のように見えた。
「あの方々なら、スージー様の事情を教えて頂けそうですね」
ネーナが呟く。次の瞬間、男は目の前に立ち塞がるメイドを殴り飛ばした。
倒れ伏すメイドに向けて、男が剣を抜く。
「フェスタ!」
「いつでも」
いち早く反応したレナに応え、フェスタが腰の前で両手を組む。レナはそれを足場に、人垣を飛び越えた。
ネーナは
「うあっ!」
男が振り上げた剣ごと腕を弾かれ、よろめく。エイミーが悔しげに言う。
「あれ硬いよ!」
『
「サンキュー、ネーナ!」
ネーナのバフを受けたレナが急加速し、男の眼前に踏み込んで腰を落とす。
「てめえは何を――」
「なッ!?」
驚愕する男の腹に右拳を合わせて、怒声と共に突き出した。
「やっとんじゃボケェェェェェッ!!」
「ガハアッッ!!」
金属鎧の巨体が宙に舞う。
館の高い天井は美しい放物線を阻害する事なく、男の身体は十メートル程先で小さくバウンドし、そこからガシャガシャと騒がしく転がった後で運動を停止した。
静まり返った廊下で一人、大きくレナが息を吐き出す。
「――あれ、生きてるよね?」
仲間達を振り返ったレナは、心底不安そうであった。
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