第二十三話 姉妹の思い、姉の戦い
――ここは……?
意識が覚醒していく。天井が見える。
アンは自分が、ベッドに横になっている事に気がついた。
「アン。目が覚めたのね、よかった」
すぐ近くから聞こえる、優しく懐かしい声。
姉がこちらを覗き込むように見ている。どうやら自分は、バラカスの話を聞いて部屋を出た後に気を失ったようだった。
「そのまま寝ていていいわよ。後はお義父様達の話でしょうから。何か食べる?」
アンはベッドの中で首を横に振った。代わりに水の入ったグラスを受け取り、喉を潤す。
沈黙が二人を包み込む。
アンは何か言おうとするのだが、言葉が出て来ない。姉も同じだったらしく、姉妹は顔を見合わせてプッと吹き出した。
「お姉様」
「なあに?」
先に話を切り出したアンは、躊躇いがちに問うた。
「……お姉様はあの話、知っていたの?」
「聞いた事もないわ」
セーラが即答し、アンは心底安堵する。『あの話』とは人身売買の事だ。
「事実だとして、ずっと続いていたなら先王陛下――お祖父様やユルゲン将軍が知っている筈よね。王家の直轄領内での出来事だもの。それをお祖父様が続けるとは思えないわ。だから『あの男』が国王になってからだと思う」
「…………」
セーラの言う『あの男』とは、二人の父親でもある現国王ラットムの事だ。アンも決して好きではない。だがセーラは、敵意や憎しみのような感情を隠しもしない。アンは現国王に対する姉の態度を不思議に思っていたが、理由は聞けないままでいた。
アンが黙ると、また室内が沈黙に包まれる。そして今度は、セーラがアンに問いかけた。
「アン……貴女は本当に、勇者トウヤの旅を追いかけるの?」
アンの気持ちは、王城を出た時と変わっていない。それでも王城をバラカス達が訪れてトウヤの戦死を報告してから、一月弱の間に多くの経験をした。今日のバラカス達の話も非常にショッキングだった。アンが全く知らない話だった。
「大公国の人間になった私が言える事ではないのかもしれないけれど……勇者召喚を行ったのが王国である以上、王国を出たとしても『王国の罪を追う旅』になってしまうかもしれないわ」
「……はい」
トウヤを大切に思う人の者には、王族であるアンを良く思わない者がいてもおかしくない。それもわかっている。それだけでなく、小娘の旅は無用な悪意を引き寄せかねない。
「それに、ずっと王城で何不自由なく暮らして来たアンが、危険が減ったとはいえ長い旅に耐えられるの?」
身分を偽る旅であり、侍女や護衛を連れ歩ける訳ではない。クッションの効いた馬車で移動出来る訳でもない。野宿になる事も、寒さを凌げない事も。満足に寝食が取れない事すらあるかもしれない。それが年単位になる。
他者にも聞かれた事ではあるが、セーラは肉親として、心底アンを慮っているのが感じられた。
「……正直に言えば、どうなるかわかりません。不安はたくさんあります。これが私の我儘で、それにたくさんの人を巻き込んでいるのもわかっているんです」
だけど。そうアンは言った。
「それでも、私は知りたい。知った後でどうするか、何を知る事になるかわからないけど。私はトウヤ様が最期を迎えた地まで道程を辿りたい、です」
セーラは、六年ぶりに再会した妹の言葉に目を見張った。
いつも姉の後について歩き、我の強い姉と対照的に大人しめだった妹。そのアンが自分の望みをはっきり主張する姿に、セーラは妹の成長を感じた。
「アン。私はね、出来れば貴女を行かせたくない。六年前、貴女を置いて大公国に来た事がずっと心残りだった。たった一人の妹が辛い道へ進むのを黙って見ていられないの」
姉の思いを聞き、アンは微笑んだ。
「私の大好きなお姉様。私も六年前、ただ泣きながらお姉様を見送るしかありませんでした。まだ私には何の力も無いけれど、それでも後悔は残したくないんです」
妹の思いを聞き、セーラも微笑む。そう言われては引き止める事も出来ない。ならば出来る限りの支度をして送り出してやりたいと思った。
「そう……わかったわ。だったら出発前にやる事があるわね。忙しくなるわよ。あ、それと」
ベッドの脇から立ち上がって、セーラが思い出したように言った。身に着けたネックレスを摘んでみせる。
「この対の、交換したネックレスは持って来なかったの?」
それを聞くと、アンの表情が暗くなった。見つからずに持って来れなかった事を伝えると、セーラは何やら考える様子を見せる。
「あのネックレスにはロケーションの魔法がかかっていて、そう遠くなければ見つかる筈なのだけど。まあ仕方ないわね。じゃあ行くわよ、アン」
「え? え?」
ベッドから出て二人とも着替えると、セーラはアンの手を引いて部屋を出た。アンは混乱しながらも、素直にセーラに従って歩いていく。
途中でセーラの部屋に立ち寄る二人。中では丁度、乳母がセーラの長男を寝かしつけた所だった。
離宮に来てから、セーラは長男を乳母に任せてアンに付きっきりだった。アンはその事に思い至って申し訳なさそうな表情をするが、セーラは微笑んでアンをベッドの脇まで連れて行く。
「いつも有難う」
セーラは小声で乳母を労う。乳母は赤子の健康状態を伝え、控えるように後ろに下がった。
「レスター、よい子ね。今日はあなたの叔母様のアンを連れて来たわ」
「おばっ!?」
「シーッ」
思いがけず叔母呼ばわりされて動揺したアンに、セーラは口元に人差し指を当ててみせた。アンも慌てて口元に手を当てる。
「アン、長男のレスターよ。レスターの手の平に人差し指を当ててみて」
言われるままにしてみると、レスターは眠ったままアンの指をキュッと握った。温かさと柔らかさに何とも言えない気持ちになる。
セーラは衣装箱から布に包まれた杖のような棒状の物と、もっと短い何かを取り出すと再び長男が寝ているベッドを覗き込んだ。そして長男に優しくキスをする。
「レスター、応援しててね。あなたの母親として恥ずかしくないよう頑張ってくるから」
セーラの横顔は、アンが今まで見た事の無い、でも見覚えのある優しい母親のものになっていた。
「お姉様」
「なあに、アン?」
「今のお姉様、お母様にとても似ていました」
セーラは振り返り、嬉しそうに笑った。
◆◆◆◆◆
セーラとアンは、離宮の別館を出て裏庭へ向かった。大声やぶつかり合う金属音が近づいてくる。
「おらああああああっ!!」
怒声のようなバラカスの気合い。
トーンは繊細な剣捌きで受け流し反撃に転じる。トーンの長剣が青白く輝きバラカスを袈裟掛けに狙うが、バラカスはすんでの所でその一撃を受け止めた。
そのまま鍔迫り合いに移行するも、体格で勝るバラカスにもトーンは引かずに踏み込んでいく。
周囲ではスミスやエイミー、ステフ、サンドロットまでもが固唾を飲んでトーン達の立ち合いを見守っている。
アンの手を引くセーラが立ち止まった。
セーラは食い入るようにトーンの動きを目で追っている。その頬に一筋の汗が流れた。アンが呼びかける。
「お姉様?」
「…………」
セーラはそれに応えず、ギュッとアンを抱きしめた。アンは姉の震えを感じたが、次第にそれは収まっていく。
アンから離れたセーラが、手にしていた棒状の物から布を剥ぎ取る。その正体は、鞘に美しい装飾が施された細身の剣。アンもよく憶えている、セーラの愛剣であった。
トーンとバラカスが動きを止め、セーラを見る。
セーラはトーンを見据え、鞘から剣を抜き放つ。そして、恐怖心を振り払うかのように大きく息を吸い込むと、腹に力を込めて叫んだ。
「私! セーラ・ローレルは! トーン様に仕合いを申し入れます! 私の最愛の妹を連れて行く方の! 力をお見せ頂きたい!」
セーラが細剣を構えて駆け出す。
アンの目には、姉が一瞬消えたように見えた。風を巻いて
「はああああっ!」
裂帛の気合と共に放たれた初撃は難なく捌かれるが、かつてセーラを『剣姫』と呼ばしめた高速のコンビネーションが続けてトーンを襲う。
「噂に聞いた『宝剣スティンガー』ですか。使い手も素晴らしい」
「くっ!」
嵐のように一方的に攻め立てながらも、セーラの心中は穏やかではない。
有効な攻撃が入らない。切り込むイメージも見えない。セーラの目に映るトーンは巨大な城壁にも似ていた。
――このままでは手が尽きる!
セーラの判断は早かった。再び猛攻を仕掛けるが、やはりトーンに捌かれる。
――イチかバチか!
起死回生を狙った渾身の突き。
姉が勝った。見ているアンは、そう思った。
次の瞬間、トーンは
「えっ?」
戦いの経験が無いアンには、何が起こったのかわからなかった。
地面に
「最後の二段突きは素晴らしかったです。しかし、虚擊の一本目を見破られては効果がありませんよ。やるならばこう――」
トーンの長剣がセーラの
「――どちらも必殺であるべきです。少なくとも相手にそう思わせなくては。それと一本目で顔を狙う方が、相手の注意を引けるかと」
セーラの目が驚きで見開かれる。
「こんな二段突きが……参りました」
「大公妃殿下に剣を向けたご無礼、お許しを」
「お姉様!」
セーラは脱力し、敗北を宣言した。アンが駆け寄り、姉に抱き着く。
一礼し、剣を収めたトーンはスミス達を見やるが、彼等はニヤニヤと笑うのみ。トーンはやれやれと頭を掻きながら、セーラに話しかける。
「あの。セーラ様は何か誤解されているようですが……私が今後も王女殿下の供につくかどうかは、まだ決まっていませんよ?」
「……へっ?」
間抜けな声を上げて動きを止めるセーラ。トーンが続けて言う。
「ですから。まだ王国領内に戻った後の動きは決定してないんです。我々もギリギリでやって来てますから。私が王女殿下に同行するか、それとも陽動に動くかは決まってないのです」
「……はい?」
話を飲み込めていないセーラに、バラカスが告げる。
「大公国を出た後にどうやって王国の連中を撒くか、これから話すんだからな」
「……あっ」
漸く自分の勇み足に気づいたセーラが、ピシッと音がするように固まった。そして中庭に、大公妃のものとは思えない絶叫が響き渡った。
「あああああっ!?」
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